「思春期の少女と宗教問題」神さま聞いてる? これが私の生きる道?! 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
思春期の少女と宗教問題
原作小説はジュディブルームという人が1970年に書き、以来人々に愛読され、少女が神に呼びかけるマーガレット独自の“儀式”がパロディとして使われるまでに大衆文化の中に溶け込んでいるそうです。
等身大のマーガレットが微笑ましくコミカルに描かれる一方、両親が異宗教間結婚をしているという挑戦的な設定があります。
小説は中学生向けに書かれたものだそうですが、おそらくこの話の真価は、月経やブラジャーや男の子などの思春期初期の不安に直面した少女の親しみやすさと、それとは相容れない宗教問題が不協和音をおこすところです。
バーバラ(マーガレットの母親)はユダヤ教徒の夫と結婚したことによって、クリスチャンである親から絶交を言い渡されています。時を経て和解のために訪れた状況でも、孫であるマーガレットの面前で、母方父方双方の祖父母たちが衝突をおこします。
それを見たマーガレットはベネディクト先生に宛てた日誌に「宗教というのは争いの元のようです」とぶちまけて嘆き悲しみます。
じっさいにこのマーガレットの感想は世界を俯瞰したときの様子に契合しています。過去もいまもイスラム諸国は宗教がらみの戦争を繰り広げています。わが国ではとある新興宗教から搾取された青年が暗殺事件をおこしています。毎年どこかの教会の性的虐待事件があかるみになります。
歴史をひもといても宗教は絶え間ない火種と死体の山しかつくっていません。もちろん悪いことしか報道されないことによって美点が没しているのでしょうが、宗教なしで隣人に優しくなれるならばそれに越したことはありません。なにを好き好んで徒党を組みじぶんとは違う考えの者たちを迫害しなければならないのでしょう。
マーガレットは当初いじめっ子気質をもったナンシーのグループに所属しますが、引っ越しと新しい環境と宗教問題が、彼女に思いやりを学習させます。
発育が良すぎて排斥されているローラという少女がいて、その子と和解してダンスするラストシーンがこの物語の結論です。
けっきょくAre You There God? It's Me, Margaret.は、ほっこりしたコメディのように見せながら、誰かを「じぶんとは違う者」として排除することの陋劣を糾弾しています。
すなわちジュディブルームはあなたとは外見や考えが違う人を愛さなければだめですよという人道を説いていると同時に、がんらいそれを説くはずのユダヤ教やキリスト教が益体もなく無力であることを皮肉っているのです。
宗教間のいがみ合いが反面教師になりマーガレットの成長に寄与したことで、宗教は学習装置としての価値があった──とは言えるかもしれませんが、いずれにせよ見た目とは異なるしたたかで過激なステートメントがAre You There God? It's Me, Margaret.にはある──と思いました。
マーガレット役Abby Ryder Fortsonの豊頬と素の表情=つくっていない自然さが見ものだったことと、The Edge of Seventeen(2016)のKelly Fremon Craigが書き監督もしていてThe Edge of Seventeenを見たときのような感銘を覚えました。ジョンヒューズみたいな情味を感じます。
おそらくジュディブルームもThe Edge of SeventeenのヘイリースタインフェルドやKelly Fremon Craigの演出を見て、これならいける、と思ったに違いありません。と言うのも、wikiに次のような来歴があったからです。
『出版から49年間、自著の映画化のオファーを何度も断ってきた作家ジュディ・ブルームは、『The Edge of Seventeen』(2016年)でタッグを組んだジェームズ・L・ブルックスとケリー・フレモン・クレイグに映画化権を売却し、クレイグが脚本と監督を務めることになった。配給権をめぐるスタジオの入札合戦はライオンズゲートが制した。』
(wikipedia、Are You There God? It's Me, Margaret. (film)より)
真に適した有能な人にじぶんの原作を買ってもらう──ということの大事さがわかる話だと思ったのです。目先の利益にこだわっていたら49年間もの間、何度も何度も映画化を断ってこなかったでしょうから。
因みにブルームは映画の出来に満足し、本よりも映画のほうが優れていると主張しているそうです。
imdb7.4、RottenTomatoes99%と95%。