「空虚で冷たい街の中で、心に温かみを与えてくれる場所はそう多くはないと思う」アスファルト・シティ Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
空虚で冷たい街の中で、心に温かみを与えてくれる場所はそう多くはないと思う
2025.6.30 字幕 MOVIX京都
2023年のアメリカ映画(125分、RR15+)
原作はシャノン・バーグの『Black Files(2008年)』
ニューヨーク・ハーレム地区に赴任した新人救急救命士を描いたスリラー&ホラー映画
監督はジャン・ステファーヌ=ソベール
脚本はライアン・キング&ベン・マック・ブラウン
原題は『Asphalt City』で意訳すると「空虚な都会」と言う感じの意味
物語の舞台は、現代のアメリカ・ニューヨークにあるハーレム地区
そこに救急隊に入ったばかりのオリー・クロス(タイ・シェリダン)は、いきなり銃撃事件の現場に向かわされる
辿々しく指示を仰ぐオリーは、患者のトリアージを行いながら、重症患者の搬送に従事した
翌日から、ベテラン救命士のラット(ショーン・ペン)とバディを組むことになったオリーは、犬に噛まれた被害者、悪態をつく精神病患者、施設に入っている高齢男性、心肺停止患者などの対応をしていく
さらにランドリーの酔っ払いの相手をしたり、DV後の現場に向かう中で、徐々に心身に不調をきたしていく
中国人とルームシェアをしているオリーだったが、ある日を境に、クラブで知り合った女クララ(Raquel Nave)の家に潜り込むようになるものの、癒しはほんの一瞬でしかなかった
物語は、DV男と揉み合いになった際にラットが警官と小競り合いになってしまい、彼が停職してしまうところから動き出す
バディを組むのが相性最悪のラフォンティーヌ(マイケル・カルメン・ビット)で、彼はどこかネジがぶっ飛んでいる男だった
彼はオーバードーズのヤクの売人を救急車内で放置したり、街角の売人を見つけては少年であろうと容赦なく暴力を振るう
オリーのことを見下している彼との会話はままならず、ラットの復帰まで耐えることになったのである
物語は、ラット復帰後に妊婦ニア(Kali Reis)の元に出向いたところで急展開を迎えていく
ラットはヘロイン接種後に自然出産をした赤ん坊を取り上げるものの、赤ん坊の蘇生を優先しないまま、「死んだもの」として処理をしてしまう
だが、その赤ん坊は生きており、それが懲罰委員会に追求されてしまう
オリーも現場のことを詰問され、「あれは判断ミスだった」と言うものの、NYPDは事態を重く見て、ラットを内勤へと転属させてしまうのである
個人的には、救急病院の受付をしているので、「病院に運ばれるまで」と言うのを観ている気分になった
無論、ハーレム地区みたいなヤバいことになっていないのと、二次救急なのであそこまで重篤な患者は来ない
それでも、救命処置に居合わせることもあるし、救急隊員とのやりとりをする業務なので、映画で起こっていることがよくわかる
かつては、救急隊から本部に連絡が入り、司令室が病院交渉を行なっていたのだが、コロナ禍以降は救急隊から直接電話が入るようになっている
なので、明らかに三次救急案件の依頼なども入る場合があり、受け手であるこちらとしては救急隊が話している内容(医療用語)なども正確に救急医に伝えなくては行けない
そう言った意味合いもあって、ほとんどの用語がスッと入ってくるのだが、知らない人が観てどこまで理解できるのかはわからない
映画では、救急隊員に悪態をつく患者とか、明らかに不要な救急というものが描かれるが、あのような案件は思った以上に多い
日本では銃が野放しになっていないので、銃撃事件の瀕死案件は日常化していないが、精神的案件は季節によってはものすごく多い
またコロナ禍の救急搬送はかなりナイーブなもので、病床逼迫に伴って、通常ではあり得ない距離からの搬送などもあった
そう言った日常は国によって違うと思うが、この映画で描かれることは決して誇張などではないと感じた
救急救命の現場において、救命士ができることも国によって違い、医師や看護師でしかできないもの、医師の指示があれば救急搬送中にできることというのもあったりする
そう言った世界に足を踏み入れると、当初はサイレンの音を聞いただけで体がビクッとするとか、電話が鳴っただけで過剰反応するものだが、そう言ったものは徐々に慣れてしまう
ラフォンティーヌほどイカれた救急隊員はそこまでいないと思うが、自分の中で消化できないものをどこで吐き出すかという問題はあると思う
ラットにとっては娘との時間だったと思うのだが、それが奪われた先にある傲慢というのは、やはりあってはならないものなのだろうと感じた
いずれにせよ、ラットは「全員は救えないし、死ぬ時は死ぬ」というのだが、それを判断する立場にはなく、立ち入っては行けない領域なのだと思う
それでも、やりがいや誇りだけでは続けていけないのも事実で、どこかで現場と心の距離を置く以外に方法はないと感じる
どのような方法で距離を置くかはそれぞれだと思うが、映画で描かれるように「自分の行動に信念を持つ」というのが一番迷いのない部分なのだと思う
ラットが規則に縛られていては助けられないと言ったように、オリーもまた自分の方法論を確立し、自身の信念を持って行動に移す覚悟を持っていく
そう言った意味において、本作のラストは救いがあったのかな、と感じた