スーパーマンと地底人間
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1951年製作/58分/アメリカ
原題または英題:Superman and the Mole-Men
スタッフ・キャスト
- 監督
- リー・ショレム
- 製作
- バーニー・A・サレッキー
- 脚本
- リチャード・フィールディング
1951年製作/58分/アメリカ
原題または英題:Superman and the Mole-Men
鋼の肉体を持つ男、“スーパーマン“の活躍を描いたスーパーヒーロー映画。
ジェームズ・ガン監督による新生『スーパーマン』(2025年7月公開予定)が控える中、まずは原点となるジョージ・リーヴス版を鑑賞。
1938年、DCコミックスが発行した漫画雑誌「アクション・コミックス」第1号で初登場して以来、永遠のスーパーヒーローアイコンとして今なお輝きを放ち続けるスーパーマン。本作はその初めての長編映画化であり、おそらくは史上初のスーパーヒーロー長編映画である(ただし、連続活劇としてはすでにスーパーヒーロー作品は存在している。『スーパーマン』も1948年と1950年に作品が制作されており、スーパーマンをカーク・アリンが演じている)。
今ではほとんど顧みられる事のない映画だが、その歴史的価値を無視してはいけない。
70年以上前の作品である為、現在のスーパーヒーロー映画とはかなり趣きが違う。探偵ものとユニバーサル・モンスターズをミックスした様な内容になっており、テーマも非常にポリティカルである。
冒頭部分のクラーク・ケントはソフト帽にロングコートという出立ち。新聞記者という職業も相まって、完全にチャンドラー風ハードボイルド探偵そのものである。そういえばDCは「ディテクティブ・コミックス=探偵漫画」の略であった。ケントのキャラ造形は探偵ものにルーツがあったのか、と今更になって気付かされた。
タイトルだけ見ると「スーパーマンが地底人間と戦うのね」と思ってしまうが、実はそれは全くの逆。人間世界に迷い込んでしまった地底人間を守る為、スーパーマンが暴徒と化した人間たちに立ち向かうというストーリーになっている。
この地底人間は完全に移民やマイノリティのメタファー。自分たちとは異なる見た目を持つ者への恐怖、異なる言語を持つ者への誤解、そして異なる性質を持つ者への謂れ無いデマ、それらが保守的な人間たちを狂気へと走らせる。本作はマイノリティへの差別や迫害が如何にして起こるのかを的確に描き出している。
銃で撃たれた地底人間を治療した医師が発する「体の構造は人間と全く同じだ」というセリフが印象的に響く。
地底人間を守る為、ひとり奮闘するスーパーマン。彼もまた滅びゆく惑星から逃れてきた移民なのである。
銃弾を跳ね返すほどの強靭な肉体と、ライフルを折り曲げるほどの膂力を持つスーパーマンだが、彼はその力を徒に行使することはしない。ひたすらに人間や地底人間の攻撃をその身で受け止め、対話を促そうとする。
暴力には暴力で対抗する。昨今のヒーロー映画はこれが基本となっている。この構造の作品を否定する気は無いが、真のスーパーヒーローとは本作のスーパーマンの様に、自己犠牲と対話によって物事を解決へと導く存在の事をいうのではないか。派手な映像とアクションを売りにするのも良いが、現実社会が混迷を極める現代だからこそ、このヒーロー精神に立ち返るべきだと強く思う。
はげズラとゲジ眉、そして黒いスウェットという衣装で表現された地底人間は50年代初頭の作品だという事を鑑みても流石にチープ。スーパーマンのスーツもダブダブで、もう少しなんとかならなかったのかと頭を抱えたくなるものの、この手作り感は愛嬌があるとも言える。
モノクロ映画ではあるがランタイムは60分未満と見やすいので、若いアメコミファンにもお勧めしやすい1作である。
※『スーパーマン 劇場版』(1978)のBlu-rayに映像特典として収録されている。良い仕事してますね〜。