PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
全717件中、141~160件目を表示
ずっと見ていたい感じがする
カンヌの最優秀主演男優賞で話題になった作品。これは見逃すわけにはいかない、ということで。
なんか、すごいよかった。
どこが?って聞かれてもどこがよかったんやっけ??ってなるけど、ずっと平山さんの生活を見てたい感じがしてしまう不思議。ちょっと憧れすら感じてしまう。かっこいいなって。
役所さんはもちろんすごいけど、ひとりのおじさんの生活を切り取るっていうこんな斬新な映画を作るビムベンダース監督って何者。他の作品も見てみたいと思った。
なんかすごい刺さって、気づいたらパンフレット即買いしてた笑。
パンフレット片手に、渋谷の公衆トイレ巡りに行きたい。
穏やかな心になった。
台詞が無くとも、こんなにも伝わる映画があるのだな〜と感動しました。
トイレ掃除って作品で描かれているよりも、もっと過酷だと思うツッコミどころはありましたが……。
何かとザワつくこの時代に、一瞬【ゆとりの気持ち】が持てました。
駅等のトイレを利用する時には、この映画がよぎります。
PERFECT DAYS は言葉以外で語る物語だった
「日本・ドイツ合作の映画」という紹介文を見て、完全には日本向けじゃなくて楽しめないかと思って見送っていた。
だが世間で絶賛されていたので見に行った。
結果、ちゃんと日本映画だったし、良い作品だった。
自分の場合、人が絶賛しているほど逆に自分は絶賛したくなくなるので、何も事前知識なしに観たかったとは思った。しかし他の人のレビューなしには映画館に足を運ばなかっただろう。
日常の風景
この映画は男の日常の風景から始まる。最初はセリフは全くない。
冒頭にまったくセリフを入れずにひたすら日常を映し出す映画は案外多い気がする。なので「またこの手法か」と思ったのだが、この映画は無口のレベルが違う。
なんと冒頭10分ぐらい全くセリフがないのだ。
だが途中でこう気づく。男が一言も言葉を言わないのには理由がある。言葉を喋れない障害を持っているのだと。この映画はそういうテーマの作品なのだと。
結果的にはそうではなく、ただ本当に無口なだけだったのだが。
言葉 VS 言葉でないもの
映画の中にはとにかく言葉先行のものがある。言葉の理屈が幅を利かせており、言葉の背景として映像があるかのような作品だ。
だがこの映画の「言葉以外で語る」というやり方は対照的だ。
日本ドイツ合作だという背景もあってこの構成になったのだろうか。
自分の好みとしては、映画の言葉は最小限の方が好きだし、説明的ではない映画の方が優れていると思う。
PERFECT DAYS
一体何がパーフェクトなのか?
主人公の男は清掃員の仕事をしており、トイレをひたすら掃除するのが役目だ。
毎日同じ繰り返しで生きている。同じコーヒーを飲み、同じ居酒屋に行って同じメニューを頼み、同じ銭湯に行って体を洗う。その繰り返しなのだ。
だがありふれた日常の繰り返しの中にこそ「完全」はある。それは自分が生きている世界を愛するということなのだ。
自分の心がけ一つで、この世界に生きているという奇跡を見逃さずに味わえるのではないか。この映画はそう思わせてくれる。
社会的強者の描く「社会的弱者」映画
主人公が大人の「よつばと!」なのでは、と思い至ったので評価を星3に改めました。
以下、修正前。
正直に言うと何が言いたいのかあまりわからなかった…トイレ清掃の人にも人生があっててとかそういう当たり前の話…?無口で何考えてるかわからない人だって何考えてるかわからないくらいにはいろんなこと考えてるなんて当たり前の話でして…
そんなことより週一場末のスナックで石川さゆりの歌が聴けるなら通うから店教えてほしいなって思いました。
正直あらすじを読んでもよくわかりませんでした…なんでこれが絶賛されてるんでしょうか。もしかしたら、こういう当たり前にエンタメを享受できる生活「しか」知らない人にとっては斬新な物に見えたのかなぁとも思います。小さな事で喜んだりするのは当たり前です。大きな喜びに出会えないんだから。小さな事に喜ぶしかできないんだから。
こういう、社会的弱者にスポットを当てて勝手に「それでも幸せに生きています」系はやっぱり胸糞悪いですね。これを見て泣けるとか言ってるのは社会的強者しか経験したことのない人では?幸せなわけあるかい。そうでもせな生きれんのじゃ。
ラストシーン、平山と同じくらいギリギリな人生を送っていた時に同様の事象を起こした事があるので、ああわかるわかる、と思いました。
趣旨がわかりづらい -1
冗長(それが良さでもある)(日常とは時にそういうものである) -1
胸糞(感動したとか言ってる人間、社会から断絶された未来が今日になれ)-1
女に夢抱きすぎ(神聖視しすぎ)(「好意を持たれているという思い込み」なら良かった)-1
って感じです。低評価つけたいわけではないんですが、見終わった後ただただムカついたので星1です。これまて主演が女なら色々言われてたんだろうなと思ったけど生々しすぎて書けねえわなとも思いました。日本てそういう国だもんな。
役所広司だけで最後まで飽きないという
・ふだんのじぶんの日常を見せつけられているようで、しみじみとしました。つなぎではないですが、作業服だし、トイレの詰まりには向かいますし、サンドイッチを公園で食べてますし。 ・選曲はさすがです。アニマルズは反則でしょ!w サントラ、かなり売れるんじゃないかな。 ・短編映画ならかなり引き締まった作品にはなるでしょう。しかし、このたゆたうような2時間に身を浸すという快楽があるのかも。 ・小津安二郎というより、ジャンヌ・ディエルマンですね。ふだんの生活動作に何かが宿っているよう。 ・予想以上に楽しく見る事ができました。昭和の日本映画みたいで懐かしい。 ・アナログな生活は、コンピュータやテレビやスマホから離れていれば可能であると。 ・日常を工夫したアングル、明かり、音響が効果を上げています。 ・少年の純粋さと、男の内なる狂気。 何考えてるかわからないギリギリを体現する、 つまりは一挙一動が目を離すことができない、稀有なアクター役所広司は、さすがでした。 ・影踏みで一触即発、殴り合いしたらどうしよう、なんてハラハラしたりして^_^
人は生きて行く
足るを知る
都内で清掃員として働く平山。
朝起きて、コーヒーを飲み、担当している
都内の公衆トイレを黙々と清掃する。
その後、行きつけの居酒屋で食事を摂り、
風呂に入り床につく。
そんなルーティーンを繰り返す彼に
来訪者が訪れる。
淡々とトイレを清掃する姿が描かれていく
けど、街や、休憩する神社にある木々の
木漏れ日、凡ゆる空気感がパッケージされてる。
悪態をつく利用者を意に介さず清掃に取り組む姿は、正に仕事における求道者のようだ。
平山の生活は極めて質素なものだが、心にはどこか余裕があり、物事を達観していて悟っている。
資本主義により、人や物やお金に執着して悩んでしまう現代だからこそ、彼の生き方がヒントになるのかもしれない。
渋谷にはデザイナーズトイレが
沢山あるようですね。
訳あって最近、関東圏に越してきたので
行ってみたいと思いました。
おじさんの日常
木漏れ日の様な日々
house of the rising sunはちあきなおみさんの...
巨匠・大ベテランなのに、最近の自主映画以上に自主映画していて、その...
巨匠・大ベテランなのに、最近の自主映画以上に自主映画していて、その若々しさに驚いた。ヴェンダースはずっとヴェンダースだなあと。サイレント映画の様に思えるところに、映画史の重みを感じる。これは誰彼でも撮れるものではない。感服しました。
微笑みの素晴らしさ!
自分なりの良い日々こそ
彼のお金の使い方が、好きだった。
パーフェクトなデイズでした。
彼の
お金の使い方が好きだった。
お金を使うって、こういうことか、みたいな。
彼の生活は、ただただ節約した質素な生活、ではない。
自分が必要だなと思ったことには、潔くお金を払っている。
そこが見てて気持ちよかった。
朝のミルクコーヒー、銭湯、週末のコインランドリー、古書店、カメラの現像、新しいフィルム、行きつけの飲み屋、スナック。
自分にとって必要なこと・もの
自分を喜ばすのに必要なこと・もの
逆に不要なこと・もの。
それらを、自分自身がよくわかってる。
そういう彼の姿を見ていることが、気持ちよくて仕方なかった。
無駄がなく、豊かである。
だから姪っ子は、惹かれるのであろう。そういう大人に。
そういう大人に時に触れることで、何かを取り戻すのであろう。
ピアノの調律のように、自分のここ、という軸に戻れるのだろう。
そういう大人が親戚にいて、彼女はよかったね。
SNSをしてない人の生活(承認欲求の少なめな人の生活)を垣間見たいんだけど、そういう人は自分の生活を発信したいわけじゃないので見られない。
SNSでは、その人の「見てもらいたいもの」を私は見ているのであって...。
でもそうではない、「見せる用」ではないものを見たかった。
傍観するような形で、見てみたかった。
眺めたかった。そういう人の一日を見ていたかった。
そういう気持ちが自分の中にずっとあって、もちろんこの映画もフィクションではあるけれども、そういう、SNSとか無縁な人の生活をたっぷり味わえて、幸せでした。
人の机の引き出しの中を見ているような。
どのシーンも好きだった。
ほんと、どのシーンも。
家の中も、外での生活も。
寝る前の読書。大切に育ててる植物。
部屋にはお気に入りであろうもの(カセット、本)が敷き詰められていて。
自分だけがその魅力をわかればいい、缶に入った写真の記録。
昼休みの神社でサンドウィッチと牛乳。木漏れ日をカメラで撮影。
東京の河川敷、夜景、ハイボール。
三浦友和と役所広司の影踏み。笑
よかったなあ〜、三浦友和ってのもよかった。
役所広司さん、いい〜顔するねえ、、、、
何とも言えない、喜び、哀愁の表情。
セリフが少なくても、彼のシーンはずっと充実していた。
消せない色気・ダンディー感はあったけど。笑
見てよかったなあ。。。
最後の曲も、名曲だけど、あのシーンで流れるのもなーんか良かったなあ。
人を拒絶しているわけではない。愛想はいい方だと思う。
でも無駄に愛想を振りまくわけでもない。
東京ならではの、人間との距離感。
人がたくさんいる中で、一人でいる心地よさ。
これは私も、東京にいて感じる。
人間の生きてる音を聞きながら、家、街、店、にいることが心地いい。
そんな人間関係も腹六分な感じも、心地よかったなあ。
生きる
何も変わらないなんて、そんなはずない!
ある初老の清掃員のルーティンを淡々と映し出す。
寡黙で、質素で、几帳面な男。
毎朝、近所の竹ぼうきの掃除の音と共に目覚め、自分が決めたであろう朝の営みを律儀にこなして家を出る。帰宅後も、必ず本を読んでから眠りにつく。そして、抽象的な夢を見るのだ。
仕事は公衆トイレの清掃メンテナンスたが、道具や消耗品を積んだミニバンは自宅アパートの駐車場に駐められていて、現場直行直帰の勤務形態のようだ。
出かける時に必要な小物は玄関の小さな棚に並べて置いてあり、それを端から順に取って家を出る。これだと忘れ物をしなくて良いと思うが、帰宅時にまたそこにきちんと戻すことなど私には到底無理なことだ。
なぜか、その棚にある腕時計だけはいつも置いて行く。
そしてある日、その腕時計を左手首にはめて家を出た。いつものようにタオルは持たず、車ではなく自転車に乗った。休日なのだ。
休日には休日のルーティンがある。
時に同じ映像を繰り返しているのかと見紛うほど、この映画はそんな男の日々を繰り返し見せる。
役所広司が演じる平山というこの男は、変化を好まない男のように見える。
しかし、世の中は変わる、物事は変わる、人は変わることができる…と、信じている男でもあることが物語の後半で判ってくる。ここがこの映画の深いところ。
毎日同じことを繰り返していても、当然ながらほんの少しずつ違うことが起きる。
いい加減な若い同僚(柄本時生)が惚れているガールズバーの店員(アオイヤマダ)。突然家出してきた姪(中野有紗)と、妹であるその子の母(麻生祐未)。行きつけのバーのママ(石川さゆり)の元夫(三浦友和)。
ルーティンには登場しない彼等を平然と受け入れる懐の深い平山は、彼等の心に何かを目覚めさせ、それによって自分自身の内面の何かを解放させてもらったようだった。
日々判で押したように同じことを淡々と繰り返す生活を軽視していた私は、だからと言って劇的な毎日を送っているのかと、自問自答した。単に規則正しく生活できない怠け者じゃないかと。
役所広司の微かな笑みや微かな涙が、実直に生きることの尊さを私の胸に熱く突きつけた。
この映画には劇伴がなく、平山が聴くカセットテープの音楽だけが流れる。アニマルズの「朝日のあたる家」、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」など、60年代のヒットソングだ。(平山のライブラリにビートルズはない…ローリング・ストーンズはあったが)
これに二人の若い女性がハマるというのも、嬉しい演出だ。
気になったのは、平山が掃除する公衆トイレはどれもオシャレでキレイなことだ。平山の清掃の仕方もホテルやデパートのトイレかと思うほど丁寧なのだ。
平山の作業着に「The Tokyo Toilet」とプリントされていたので、調べてみた。
THE TOKYO TOILET の特設Webサイトを見ると、映画に登場する公衆トイレが写真付きで紹介されている。渋谷区内に17箇所の公衆トイレを設置し、現在は区に譲渡しているらしい。
名のあるデザイナーが設計し、大和ハウスとTOTOの協力によるこれらのオシャレな公衆トイレは実在した。
たが、これらを作るのも運営するのも資金が相当かかるだろう。毎日3回清掃をしてあの綺麗さを維持しているようだ。このプロジェクトの運営主体である「日本財団」とはいったい何かと思ったら、前身は「日本船舶振興会」だった。“一日一善”の「ドン」の落し子だったか…。
財政が安定している渋谷区なら、このトイレの美しさを維持できるかもしれないが、このプロジェクトを都心の裕福な区以外に広げていくのは難しい気がする…。
我が町にもあんな公衆トイレがあったら嬉しいが。
全717件中、141~160件目を表示