PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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世界中の人達に観て欲しい日本を代表する近代映画。 自信を持ってそう...
世界中の人達に観て欲しい日本を代表する近代映画。
自信を持ってそう感じた124分。
(監督はドイツ人だが)
渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同したベンダースが渋谷の街で改修された公共トイレを舞台に描く寡黙な男性が主人公の作品で『PARIS、TEXAS』を思い出した。
水面や木漏れ日、朝焼けの光が美しく撮影されている今作、最初は長編映画ではなくて、短編かドキュメンタリーとして作られる予定だったがベンダースが「長編映画でやるべき」と変わっていったらしい。
第76回カンヌ国際映画祭で役所広司が最優秀男優賞を受賞。
役所広司 1956年生まれ
三浦友和 1952年生まれ
旅しないロードムービー
日常の何気ない光景を名匠ヴィム・ヴェンダースが丁寧に描き出した旅しないロードムービー。
役所広司が演ずるのはトイレ清掃員。TOKYO TOILETというプロジェクトで著名なクリエイターが手がけた芸術的な公衆トイレがたくさん出てきて聖地巡礼したくなります。
随所に流れる洋楽の使い方の上手さ。映像美の素晴らしさ。ヴィム・ヴェンダース監督の最高傑作ではないでしょうか。
ラストの役所広司の顔だけのアップの数分間の長回し。泣けます。
理由はうまく説明できないがなんかよかった
人生の幸福度ってどんな尺度で測るかでまったく違うものになる。収入がいいとか、家族がたくさんいるとか、趣味が充実しているとか。しかも、この程度で幸せと感じる人もいれば、まだまだ物足りないと感じるか、その満足度も人による。
だから本作の平山が送る日々がとても慎ましくて、地味なものであっても幸せそうに見えてしまう。東京の公衆トイレを清掃する仕事をしながら、余暇として音楽を聴いて小説を読んで酒を嗜む。同じような毎日の繰り返しの中で起こるいくつかの出来事。映画の中で起こる出来事としては大きいと言えるものではない。でも、淡々とする中でキチンと事件として成り立っていたし、物語の起伏の加減が絶妙だった。
本作の見所はなんといってもラストの役所広司の表情じゃなかろうか。カンヌで主演男優賞を受賞したのも納得の演技。人生とは幸せとは、そして人生の締めくくりについて、穏やかな空気感の中で観ている人間に静かに問いかけてくる気がした。
個人的には平山が聴いている音楽がよかったのもポイントが高い。東京の街並みを走る車中でかかる、パティ・スミスやヴァン・モリソン、ルー・リード、サム・クックといったアーティストの曲。これがとても心地よい。姪っ子の名前がニコってのも意味深だったりする。あの妹も昔はヴェルヴェッツとか聴いてたんだろうか。そう考えると彼らの過去に何があったのかも気になるところ(ほぼ触れられないけど!)。
ものすごく感動したわけでも涙を流したわけでもないのになんかよかったなと思える不思議な映画だった。平山とはまったく違う生活を送っているのに、あなたはそのままでいいんだよと優しく肩を叩かれた感じがする。それは年をとったということなのかもしれない。でもそれでいい。これから自分にもまだまだ平凡で完璧な日々が待っているかと思うと楽しみだ。
富裕層が想像する間違った底辺社会
やけに評価が高いが本当に名作なのだろうか?
私には富裕層が想像している底辺社会を間違った形で
フィルムに残した歪な作品だと思えた
公衆トイレ掃除を仕事としてパーフェクトデイズって
アイディアとして普通は却下する退屈さだ
でもこの監督と有名俳優はそれが面白いと思ったようで
そこにまず腹が立つ
いくら底辺な仕事でもきちんと働いているなら
もっとましなアパートに住めるはずなのに
風呂なし設定にするのもまた腹が立つ
そして実際にトイレ掃除などした事もなければ
撮影前に視察などもしなかったと思わせるシーンが
随所にありそこでも腹が立つ
要するにこの作品は雰囲気映画であり
まるで上流階級で生まれ育ち何の苦労もなく
議員になった坊ちゃんが国民の為にと選挙前だけ
頭を下げて声を上げて演説するのと同じで
絶賛する人は底辺層のおだやかな日常が過ぎていく日々を
優しいだの心が温まると上辺だけ見て酔いしれる
なら実際にトイレ掃除をやってみろ
トイレ掃除を一度でも経験があれば
あの臭いは強烈でとてもじゃないが
落ちる可能性があるタオルを首に巻いたりしないし
便器に顔を近付けて念入りに洗ったり
手を洗わずに食事したり
カメラ撮影などする気が起きない
仕事終わりの作業着を洗わずに部屋に干したり
若い女が作業車など臭くてまず乗らない
そしてダメ押しなのが随所で流れる
往年のロック全集のような名曲オンパレードだが
ルーリード、エリックバードン、パティスミスは確か
中流階級以上の出身で当時としては裕福な暮らしをしていたはず
そんな形だけのアーティストをこれでもかと拘りのカセットで流すが
軽バンとは思えない音質の良さにまたまた腹が立つ
これ以外にも金がないのに酒だけは飲んだり
それも会話嫌いな変人という設定なのに飲み屋を好んだりと
普通は自炊か半額弁当を購入だろう
出かける時は玄関の鍵をしないなど一体何を考えて
この作品を作ったのか理解に苦しむし
周囲のスタッフは意見をしなかったのか
映画世界で成功すると細部は気にせず
東京貧困ライフをそれっぽく作れば
映画オタクが絶賛すると高を括っているのだろう
そして実際に悔しいが日本では大勢が絶賛するが
果たして
海外での評価はどうなのだろうか?
裕福な日本でも貧しい生活の人がいるのだと
先進国などの一部映画ファンは気に入るかも知れないが
それこそ本当に貧しい途上国で暮らす庶民は
こんな映画に感動もしなければ力をもらえたりしない
それこそハリウッド大作映画の方がまだ何倍もマシ
エンディングでニーナシモンの名曲が流れ
良い気分と歌われるのが唯一の救いだが
これは客に向けてなのかそれとも監督や役者陣に対してなのか
理解できない自分にも腹が立った
朝日のあたる家
役所広司の演技が素晴らしかった!大好きな田中泯が何処に出て来たか不明だったが踊っているキャスト紹介で何とか判った!
後は石川さゆりの朝日のあたる家は若い頃、アニマルズで聴いていたが石川さゆりの唄で懐かしく、カラオケでちあきなおみをリクエストしたら何と自分でも唄えてびっくり!今後、自分の十八番にしたい!
UNIQLOをオシャレに着こなす役所さんは10のうち10。もう一展開ほしい
役所さんは西川美和監督の映画の役とダブりました。
こういうの完璧にやれるのは彼以外いないですね。
本作、娘(と私は思う)はあのあとどうなっちゃうの?
神社のOLや浮浪者の田中泯さんは?いずこ?
観客に委ねすぎの部分が多くて、見終わった周りの人もなんだかなぁ‥という表情の人が多かったです。
特に泯さんの佇まいは昨年みた「こんにちは母さん」やん。とツッコミたくなりました。
新幹線のお掃除を思い出しながら、日本人の勤勉さ、清潔感などに思いを馳せました。
UNIQLOの柳内さんの息子さんが関わってるだけあって、平山の実はおしゃれな服に憎いくらい目がいったのがオマケ。
人は何のために生きているのか?を問う前に
「人は何のために生きているのか?」苦境になった時、人はその答えを欲しがる。でも平山(役所広司)は答えず、時には困った顔をしながらも穏やかにその人に寄り添う。それはあたかも大樹に包まれている居心地の良さをその人に与える。何百年も大地に根を張る大樹から人の一生を考える哲学的な映画でした。確かに1日1日淡々と過ごす人生に見えるが、何がしら細かい感情の変化があり、ドラマがある。人生を振り返り、何も分からず変わらないじゃないかと思うこともある。でもそうじゃないんだよ。と教えてくれた感じでした。人は何のために生きているのか?ではなく自然界で生かされているのだから。
めちゃくちゃ良かった。日常の変わらないところ、変わるところ、ちょっ...
めちゃくちゃ良かった。日常の変わらないところ、変わるところ、ちょっと幸せを見つける事、結局は今をしっかり生きる事、生きれてる事、そんなことを大切にしようと思わせてくれる素晴らしい作品だった。個人的に最高傑作かも。
スタイルに殉じる男の話
とても上質な映画。
映像の肌ざわりと息づかいを愛でながら、主人公の沈黙に思いを馳せる。
ひたすらに淡々と隅田川まわりの情景を映してるように見えて、実はとてもファンタジックな瞬間を切り取って撮影している。作品を見終わって映画館を出たあとに見る景色が、まるで映画の延長線上にあるように感じられ、映画の続きの世界を体験しているようにすら思える。
で。そうした情景描写の中でほんのかすかにだけ主人公の過去らしきものが描かれるが、その生い立ちを想像していくと、仔細は不明なものの、「今の境遇を自ら選んで孤独な生活を送っている」ということが見えてくる。
おそらく主人公は「誰にも知られることなく自分のスタイルと心中する」という生き方もできたはずが、「社会の中で自分のスタイルを律して生きていく」という生き方を選んだ。それが彼なりの戦いなのか、安住の地なのか、諦めの境地なのか、無邪気さなのか、あるいはその全部か。そうした、あらゆる感情がまざりきった顔をながめては、思いをはせるのがとても楽しい。
映画という表現の良いところを集めたような作品です。
あと、めちゃめちゃ大事な話ですが、主人公の仕事はトイレ掃除ですが、汚いトイレが出てこない。ここにこの映画のスタンスが集約されてると思いますです。
主人公は仏のよう。嫌味ではないよ
ヴェンダース監督が、日本の俳優さん使って日本で映画をって、本当に?って役者じゃなくても思います。
小津安二郎監督を敬愛してる、っていうのは有名で
私の中では今でも「ベルリン・天使の詩」がベスト1にくるくらい好き。
で、この映画。渋谷のオシャレなトイレだなぁとみていたら、やはりはじめはそちらを撮ろうとしてたとのこと。
正直、日本に来たくなる観光ムービーみたいにも思えます。いや、最近、日本って、思ってるほど良くないから!みたいなことを伝えたいのかと思える映画も多いので。まあ、それも現実かもですが。
それはさておき、ああ、ヴェンダース好きだわー、ってやっぱ思いながら観てた。
だって日々が本当に愛おしくて人間として生きてるっていろんなことあるけど素敵だなって思えるから。
役所さんもそこを心得てるのか、楽しそうに日々生きてる姿を、演じてる感なく演られていて。素晴らしいですね。
歳を重ねるといろんな残像を抱えながら日々みんな生きてる。すごく共感する。この世界は夢が現実か…影は重なって濃くなるのか変わらないのかも人それぞれ。
自分の人生、どう生きるか…金でも権威でもない、人から見た価値なんて神様から見たらどうなのか。
けっこう仏教的な映画だな、主人公は仏のようだなって思いました。仏は身近なものですしね。
日本に来たくなる映画でしょう。ウェルカムです。
あと、曲がたくさん出てきて、懐かしい洋楽が多くてそれも嬉しくなりました。
部屋のカーテンは開いていた
スイスの友人から届いたgreeting card に、この映画を見たことが記されていた。彼が日本で製作された映画を見たのは「東京ソナタ」以来であったと思う。それ位、ヨーロッパでも注目されるイヴェントとなっているのだ。彼が言った通り、素晴らしかった。
前半、平山(役所広司)のルーティンが繰り返し描かれる。古いテラスハウスの一室で目ざめて外に出て空を見上げ、自動販売機で缶コーヒーを買って、軽のバンに乗り込む。軽が走り始めると、カセットデッキのボタンを押す。流れ始めたのは、アニマルズの「The House of the Rising Sun(1964年)(朝日のあたる家)」。車外の情景は、私の好きな「ロスト・イン・トランスレーション」を思わせた。外国人から見た日本の姿。
平山は、渋谷の改修された公共トイレの清掃員をしている。ただ、部屋のカーテンは夜も開いたままになっていた。春から夏、朝4時に起きる養蜂家は、カーテンを持たないと聞いたことがある。夜明けが近づくと目を覚まし、道を掃く婦人の竹箒の音に合わせて起き出すのだろう。しかし、夜明けの時間は毎日少しずつ変わってゆく。昼は公園で「ともだちの木」と呼ばれる木に陽が当たっているところを、アナログカメラで撮る。この木に陽が射すゆらめきを、毎晩のようにモノクロで夢に見る。この情景だって、毎日少しずつではあるが、変わるだろう。映画の最後に、ベンダースの解説がある。
こうした平山の日常に変化が訪れる。姪の「ニコ」が転がり込んで来たのだ。やがてニコの母である妹が訪ねて来るに及んで、平山の過去が見えてくる。おそらく資産家一族の一員、何らかの理由で仕事をやめて裕福な暮らしを切り上げ、下町の古びたアパートで一人暮らしを始めたのだろう。
平日は、仕事のあと銭湯で一番風呂に入り、お酒を飲むだけだが、休日になると、なじみの居酒屋にゆく。ママに扮する石川さゆりが、常連客のあがた森魚のギターに合わせて「朝日のあたる家」に浅川マキが作詩した「朝日楼(1971年)」を歌う。音楽を楽しむことは誰にでもできるが、音楽を作ったり、演奏したりするには才能が必要だ。浅川マキは早く亡くなったが、そうした才能を持って生まれた一族の一人だ。
平山がいつものように軽を運転していると、ニーナ・シモンの「feeling good(1965年)」が流れる。It’s a new dawn, it’s a new day(夜が明けて、新しい一日が始まる)。CDよりも高周波域を含むと言われるカセットの音を反映しているのか、一際豊かな音響。しかも、それまでスタンダードだった画面サイズが、奥行きを持って広がり、私を魅了した。
この映画では、役所広司は、シナリオに沿ってルーティンを演ずることからスタートしたのかも知れない。しかし、外界の微妙な変化を感知してか、いわば平山という人間のドキュメンタリーを撮っているようだった。最後に、ベンダースの選曲に違いない「feeling good」で話は閉じた。
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この映画が、第96回アカデミー賞の国際長編映画賞にノミネートされたことが伝えられた。日本で封切られる前から、日本映画の代表として推薦を受けたことは正しかったことが証明されて、大変嬉しい。是非、一人でも多くの皆さんにこの映画を楽しんでほしい。役所広司さんのことを、誇らしく思えるはずだ。(2024.01.23)
当たり前の日常が、当たり前ではないことを教えてくれる
下町でひっそりと生きる平山を通して、街や人や人生や。
音も光も影も、そこにあるすべてがこんなふうに描かれると、なんとも愛おしく感じる。
東京という街への愛や、日本の文化に対するリスペクトや、なんてことないものが、素晴らしく思える。
残念だったのは、過去に自分が処分したテープやレコードがあったことを思い出したこと(笑)
あ〜捨てなきゃよかった!
好きだったものは、ずっと人生をともにしなきゃ。
古くなったからとか、機械が変わったからとかじゃなくて。
「テープの音、好き」
そうなんだよ、雑音も味だよ。
あ〜Queenも、キャロルも、ガロも捨てなきゃよかった!!
気づかせてくれたけど、後悔が鳴りやまない〜〜(泣)
選曲が渋すぎる!
役所広司なくしては、あり得ない映画かも。やっぱり凄い。
トイレだからベンダースじゃないよね
以前から、カンヌの賞からみの作品とはどうも相性が悪いなと思っていたが、本作もその例外ではなかった。 映像は見事だし、役所広司の演技も素晴らしいんだけど、この脚本で映画化する必然性あるのとか思ってしまう。無名の監督、無名の主演俳優のインディペンデント映画だったら、人知れず消えていくレベルの内容じゃないかな。
たとえば、日々の繰り返しのくらしを淡々の描写していく作品だと「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」は好きなんだけど、本作は飲み込めなかった。
渋谷区の公衆トイレプロジェクトに絡んだ企画が端緒の映画だそうだが、企画会議で
「で、監督はだれに依頼しますかね?」
「トイレだけに、やっぱりベンダースじゃないの。ガハハ」
みたいな会話はなかったと信じよう。
お後がよろしいようで。
日常タンタン
このような平凡な内容で、鑑賞に堪える映画はそうそうないかなー
ただハグする場面は不自然で、如何にも西洋人が〝日本人のタンタン〟に物足りなさを感じ西洋人用に〝過剰演出〟したのはどうかと思うが、総じて良い映画でこの映画で2023年閉めれて良かった。
「日常」ってなに?
トイレの清掃員が主人公の人間ドラマ…なんて聞くと、それだけで「汚いシーン」「虐げられた生活」「世間からの偏見」を想像してしまうし、観ている間ずっと「何かが起こるぞ」「ひどいことになるぞ」と思い続けている自分がいる。
が、これはそういう映画ではない。
逆にこうして、私こそがひどい偏見を持っていることに気付く。
(トイレ清掃に従事されている皆さん、すいません)
それどころか、都心の公衆トイレのデザイン性や機能、そして綺麗に維持してもらっている様子を楽しみにさえ見てしまう。
いつも通り(に見える)変わらない日常を暮らす主人公。でも、彼は人一倍「その一瞬」や「変化」に執着している。
ファインダーを覗かないで撮る写真や、○✕ゲームに応じる姿なんかはその象徴的なものだろう。
「日常」とは、繰り返される何事もない日々のことではなく、人が「今」に誠実に向き合って生活を送った結果としてそこにあるものなのかも知れない。
思えば、我々にとっての「日常」って、まさにそういうものだから。
上映時間の2時間強の間、誰も死なないどころかケガさえしない。
怒りに任せて怒鳴る人もいない。
泣きわめく人も突然走り出す人も誰かを憎む人もいない。
でも、飽きずに見守っていられるのは、やはり監督の腕ってことなんだろう。そもそも、こんな日本人の庶民の生活を、ちゃんと共感できるレベルで外国人監督が撮るってすごいことだと思う。
セリフ自体が非常に少ないのに、画面に情報がてんこ盛り。
そのすべてに対して何らかの説明があったり、物語に絡んだり、回収されていくワケでもないんだけど、それは「日常」ゆえ。
役所広司の演技は言うまでもなく、登場する人たちの「そこにいる」感、そして東京の街、スカイツリーをバックに流れる6、70年代の渋い選曲に石川さゆりの歌のパワーも。
日常や人間の生活を描く作品って、すごく苦々しいシーンや、ぶつけようのない憤りを描くものが多いけど、本作は全くそういう映画ではない。
多くの皆さんに観てもらいたいとは思う。ただ、エンタメとしては物足りないと感じちゃう人もいるのかな。
でも、これだけ多くの人が好評価してるって、ある意味健全なことだと思う。
あふれる日本愛
外国人が日本を舞台に撮った最高映画はこれまでソフィアコッポラのロストイントランスレーションだったが、さすが日本通に年季の入ったヴィム。NO1です。世代間の隔絶、家族、生きること、全てにおいて令和にアップデートした小津安二郎と言うと安っぽいだろうか?
規則正しくて、つましい生き方だと思うけど、さみしくないのかな?
私だったら、とても淋しくて堪えられないと思う。まず、無口なこと。いろいろな思いを内に秘めて、つらくないのかなぁ? どんどん膨らんでいって破裂しちゃわないのかな? 「王子さまの耳はロバの耳」ではないが、穴を掘ってその穴の中にすべてぶちまけるとかしないとおかしくなってしまいそうだ。次に、情報がないこと。新聞を読んでいなかったし、部屋にテレビもなかった。今身の回りで起きていることを全然知らなくて、不安じゃないのかな? 現在は情報過多で、誤った情報も流れてくるけど、取り残される気がしないのかな。それから、友だちや家族がいないこと。知合いはいても、友だちらしき人はいなかった。家族とは絶縁状態。人って、人と交わっていかないと生きていけないんじゃないかな。いろいろ考えていって、それらが欠けている平山の生き方は私にはできない、到底無理。監督のインタビューなどを読むと、平山の名前の由来が「東京物語」から取っているとか、僧をイメージしているとか答えている。私はリアリティに欠けていると思ったが、もしかしたら、現実では絶対無理だから、理想の生き方として描いたのかな? だんだんそう思えてきた。ラストシーンの平山の泣いているような、微笑んでいるような表情はどういう意味だったのだろうか? 木漏れ日という言葉は、英語では一言では言えないそうで、日本人として響きもすてきだし、誇りに思えた。
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