PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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平山の寡黙
平山が意識的にコミュニケーションを拒絶しているわけではないでしょう。
トイレの中で迷子の子供を見つけた時に、「どうした?」と声をかけます。手を引いて出ると子供の母親は清掃員の姿に子供が繋いでいた手を拭き、一言の礼も言わずに立ち去ります。コミュニケーションを拒絶しているのは平山ではなく、明らかに清掃員を見下した母親の方です。子供は平山に手を振り、平山も子供に手を振ります。二人の間には言葉を交さなくてもコミュニケーションが成立しています。
無駄口を叩いて仕事がおろそかなタカシに対して質問には答えませんが、仕事をしている時は「やれば出来るじやないか」と平山から声をかけます。
サンドウィッチを食べる時、隣で食べているOLに対して平山の眼は笑っています。OLから挨拶されれば、平山は返すと思います。拒絶する目つきではありません。お互いに恥ずかしいので言葉は交わしませんが、拒絶している訳ではありません。
宮司に対しても眼で断ってから新芽を持ち帰ります。暗黙の了解があります。
平山が言葉を発していなくても、コミュニケーションを拒絶している訳ではありません。
あくまで私の考えで、映画を観て感じる事はそれぞれなので自由ですけど。
カミさんが「PERFECT DAYS」を観たいと言うので一緒に日比谷シヤンテへ。私は暮れに観ているので2回目。
❢2回目で気付いた事❢
◯隣の部屋の植物育成用のランプは夜中も仕事で出かける時も点けたまま。
◯アパートの前の自販機は100円自販機。平山はコイン1枚しか入れない。
◯自販機は上段がペプシやCCレモンで、下段がBOSS。一番左がコーヒーで次がカフェオレ(缶の色)。ダイハツの運転席のカップホルダーに入れる時に見える缶の色がカフェオレの色。いつもカフェオレ買っている(ように見える)。平山の生活パターンからもいつも同じ缶。
◯猫を抱いている研ナオコの出番は1秒弱!?
◯姪のニコが乗っている自転車はどうした?
(TVでスカイツリー周辺には自転車のレンタル店が多いと言う情報有り。借りたか)
◯いつも缶を1つしか買わない平山が、思い直したように2つ目を買う。代わりにシフトに入った佐藤(安藤玉恵)に渡すためか?(渡すカットは無いが、自分で飲むカットもない)
◯銭湯が3時に開場なら平山は銭湯に1時間以上いる。相撲を観ている(取組は阿武咲)。
◯平山が酒とピースを買うのはLAWSON。
◯平山の見るモノクロの夢(?)はその日の出来事。
❢気付いた訳ではなく、1回目の後で知った事❢
◯パトリシア・ハイスミス「11の物語」ビクターは母親を殺す。(ニコのセリフに「私、このままじやビクターになっちゃうよ」)
◯パトリシア・ハイスミスは「太陽がいっぱい」の原作者。
◯平山が乗っているダイハツ・ハイゼットカーゴは2004年まで純正オーディオにカセットデッキ搭載。
初めて映画で2回目行きました!
役所さんの表情が、たまんない!なんか、この映画の世界観に引き込まれる!内容は?なとこあるけど、こう言う映画は初めて!自分的にはPERFECT DAYSショックです!ストロングスタイル一番😊
彼が毎日買う缶コーヒーは微糖なのか無糖なのか?
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ヴェンダースが日本映画として残したかった世界は、木造アパート 布団と畳 箒の音 カセットテープ 文庫本 写真フイルム 缶コーヒー 銭湯 ガード下の飲み屋などアナログなアイテムに囲まれて毎日を繰り返す…昭和を生きた僕らには懐かしくも楽しい世界
でも彼の前の未来は閉ざされているし人生は繰り返さない
ラスト近くの長いアップが苦めのヴェンダース作品
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個人的には三浦友和がよかったです
結局わからないまま終わるんだよなという彼のつぶやきが一番の名場面かも
神は細部に宿る、という生き方
私たちにとって「完璧な日」とは?職場で昇進する、恋が成就する、欲しかった物が手に入る…それは大抵、何か特別なことが起こった単体の「一日」として想像されるだろう。しかしこの映画のタイトルは違う。PERFECT DAYS、それは複数形の「完璧な日々」を意味している。
トイレ清掃員の平山の生活は、一見単調でつまらない。毎日同じ場所で同じ業務をひとり繰り返し、低給独身ゆえの慎ましい生活を送るだけ。そんな彼に憐れみの目を向ける人も少なくない。
しかし、彼の目を通した世界は変化と刺激に溢れている。車で流すレコード、公園の四季模様、街中の人間模様、毎晩のお供の小説、そうした些細なことに彼は心を注いでいるから。映画の最後、「木漏れ日」という日本語特有の表現が紹介される。太陽から木の葉を通して地面に映し出される光と影は、絶え間ないダンスを続け、二度と同じ文様を見せることはない。世界とは、実はそれほどまでに贅沢で底知れないものだ。しかし、私たちはいつしかそれから目を背け、数字とスクリーンを凝視するだけになってしまっていたのではないか。
作中では様々なヒューマンドラマが差し挟まるものの、どれも曖昧に流されていく。起承転結もなければ、伏線と思われたものが回収されることもない。しかし、実際人生で遭遇する物事なんて大抵はよく分からないまま過ぎ去っていくものだ。そんなところも含めて、革新的なほどに「平凡」を極めた内容の映画だった。
役所広司が可愛い
びっくりするくらい可愛い。
単調に見える。
しかし、事件は毎日のように起こっている。
私の日常も、きっとそう。
おじさんの日々を綴って、2時間画面に釘付けにさせるのだから、この映画に力が無いとはまるきり思わない。
「すばらしき世界」へのアンチテーゼ
個人評価:4.2
光への感謝の眼差し。
この世界に生きている事の美しさ。光と影の対比の比喩が哲学的でもあり、この単調で美しい物語に身を浸し漂う事が出来る。
毎日登る太陽に世界の美しさ、幸せが込められており、役所広司の過去作で主演した「すばらしき世界」のアンチテーゼにも思えて、なんだか嬉しい気持ちになった。
彼の人生が満たされたか否か。答えはイエスだ。
タイトル通り、完璧な日々を描いた映画
正方形に切り取られた美しい東京の風景。
カセットテープから流れる選りすぐりの音楽。
規則正しく繰り返され、
ささやかなようで、金銭的な価値を越えた、ある種の贅沢な楽しみで満たされた生活。
主人公によって見い出され、毎日磨き上げられた選りすぐりの大切な宝物たちを見せてもらうだけでも、価値のある映画だと思う。
主人公の楽しみのひとつ、自分で撮ったフィルムカメラから定期的に現像される写真の紙焼き。
全部を残すのかと思ったら、
気に入ったものは残し、気に入らないものは破っていた。
一見穏やかそうな主人公だが、気に入らない写真は破り捨ててしまうように、厳しい審美眼で、自分にとっての必要なものを選びとってきていることを垣間見て、
自分が心地よく生きていくには、自分にとっての本当に必要なものを選んで、そうでないものは捨てる覚悟がいるのだと言われている気がした。
映画のラスト、朝の出勤中の車中で流した音楽に涙する主人公。休みの日でもない、帰りの夕暮れ時でもない、いまから仕事に向かっている最中に涙を流す感受性を持ち合わせている。彼にとって仕事はその程度のものである。
その領域に達している主人公は神々しいほどに完璧である。
いまはいま
人生に達成すべきゴールや意味を見い出そうとしなくても、毎日少しずつ違う日常を実直に生き、新しい朝を迎えることを喜ぶ。そんな主人公の姿を輝かしく描いている。
主人公の日々と同様に、映画自体もエピソードを反復し重ね合わせながら、そのずれを「こもれび」と形容する。大きな山や谷はなくても、小さな起伏がストーリーになっている(できれば冬の日も見たかった)。
音楽と共に流れるように東京を切り取る車のシーン、躍動する自転車のシーンの繰り返しが、ストイックな仕事ぶりとの対比で心地よく感じた。あと銭湯!
役所広司は本当に実在感がすごい。カンヌでもっと世界に知られていほしい。
一人の生き方を追体験できる作品
Filmarksでは4.2でつけました。
人の人生に触れた時、その深みを実感できます。
そして自分の人生を見つめ直すきっかけになります。
生きている日々で小さな出来事が起こり、些細な触れ合いがあり、日常に確かな充実感が得られることを思い出しました。
次々に映画や遊びや物を取り入れて刺激を入れていることも好きですが、充実感はそれだけではなく、もっと身近にたくさんありますね。
現代版の晴耕雨読的生き方
とにかく変化の無い毎日、毎週決まったルーチンを繰り返し主人公。その生活中でも小さなさざなみのような出来事が主人公を揺さぶる。
木漏れ日の様に風景的には大きな変化は無いが、ディテルとしては決して同じ景色は存在しない。
主人公は世捨ての人のような生活を送っているが、地味だが喜怒哀楽の感情までは捨てていないのが微笑ましかった。
役所広司は演技なのか、素なのか判別出来ないほどの名演技でした。
ゴマンと転がる知り得ぬ物語へ
一番のドラマであろう主人公の背景に何があり、
今ここに至っているのか、が描かれることなく物語は進む。
主人公の過去を切り離すことと、
訪れる毎朝と、その度にリセットされたように繰り返される日々は、
過去も未来も関係ない「今ここ」の大切さ、尊さを印象付けているように感じられてならなかった。
むしろそうして収斂することで、ある意味閉じることで、
研ぎ澄まされる感覚の豊かさと、だからこそ「豊かさが完璧な日々」に思い馳せる。
ゆえに主人公に訪れる些細だろうと見逃せない様々な出来事はなんとも美しい。
それは言葉を交わさぬ人との間で起ころうと、
毎日、顔を合わせる間柄で起ころうと、
突然、初めて向き合うことになったとしても。
こんな感覚野のレンズから世界をのぞけるのは、子供の頃だけ?
(知性がたりないから同じにはならないけれど)
対峙したときの主人公のありようを見て、想像せずにおれない過去はなお深く重みを増し、
しかし何ら具体的に解き明かされることがないなら、
何もわからないままおわってゆくんだなぁ、と呟いたクライマックスの三浦さんの台詞がひどく染みた。
そのとおり、描かれることのない主人公の過去のように、日の目を見る事のないトイレ掃除のように、主人公の毎日に彩りを与えるささやかな出来事も、
同時多発と世の中でゴマンと起きているに違いないが、そのほとんどは知らぬ間に、知られぬままに過ぎ去って行く物事だ。そして自身もまた他者から見ればその一つに過ぎない。
けれど、だから、今ここにしかない、わたしだけの日々を生きることができる。
寂しくもだからこそ力強い、強さの向こうから沸き起こる、見えざる希望にじわじわやられた1本だった。
劇中歌がまたよい!
歌詞は絶対に物語と連動していると思えたので、和訳の字幕があった方がよかったのでは。などと振り返りもする。
あと、ところどころ大笑いしてしまったのだが、わたしだけか?
たとえばラスト、川べりでどちらもむせまくるくだり、とか。
世界中の人達に観て欲しい日本を代表する近代映画。 自信を持ってそう...
世界中の人達に観て欲しい日本を代表する近代映画。
自信を持ってそう感じた124分。
(監督はドイツ人だが)
渋谷区内17カ所の公共トイレを、世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」に賛同したベンダースが渋谷の街で改修された公共トイレを舞台に描く寡黙な男性が主人公の作品で『PARIS、TEXAS』を思い出した。
水面や木漏れ日、朝焼けの光が美しく撮影されている今作、最初は長編映画ではなくて、短編かドキュメンタリーとして作られる予定だったがベンダースが「長編映画でやるべき」と変わっていったらしい。
第76回カンヌ国際映画祭で役所広司が最優秀男優賞を受賞。
役所広司 1956年生まれ
三浦友和 1952年生まれ
丁寧な暮らしがステキ、だけで良いのか。
カンヌ最優秀男優賞受賞という事で、軽い気持ちで観に来た。
生真面目な男の、孤独で清貧な仙人のような日常がステキ、という映画なのかと思っていた。
古いものを大切にする丁寧な暮らしは、美しくて憧れる。けれど平山を観ていると、なんだか苦しくなってしまった。姪から見た逃げ場所を提供してくれる優しい伯父さんは、妹から見れば父親の介護にも関わらない無責任な兄だ。
パンフレットに掲載されていた、川上未映子さんの対談がいちばん腑に落ちた。曰く、平山はリアクションが子ども。なるほど。平山を見ていてなんとなく違和感があったのは、年寄りなのに子供っぽいからか。
ほっぺにキスでのけぞったり、姪が着替えを始めたのを見て滑稽なほど動揺したり、気になる飲み屋のママが男といるのを見て、逃げ出した挙句缶チューハイを3本も買って、普段吸わないタバコにむせるなんて、確かに子供っぽい。急に「影踏みやりましょう」とか言い出した時は、ちょっと引いた。
父親との確執とか、子供っぽさとか、70近い役所さんじゃなく、もう少し若い俳優さんなら、個人的にしっくりきたかな。役所さんくらいの年齢なら、もっと頑固で偏屈な態度を取りそうな気がするので、柔柔な平山の感情が出てくるたびに、違和感があった。
木漏れ日の情景を多く使っているのは、すごく気に入った。
木の葉がざわめき、光がチラチラと踊る様子は、一瞬一瞬の時間の経過を感じる。砂時計の中にいるように、ものすごい速さで、今この時が過ぎていく感。最後の平山の表情も、木漏れ日のように目まぐるしく変化していく。笑ってる。いや、泣いてる。やっぱり笑ってる?
人は結構、瞬間を感じるより、思考の海を揺蕩っている事が多いんじゃないだろうか。昨日の失敗、明日の心配、好きな人の事、家族の事、勉強の事、仕事の事、お金の事。考える事はいっぱいある。
でもひとまず、今日、今、この瞬間を自分がどう感じているのか、それをしっかり味わいたいと思った。
PERFECT DAYS
これぞ映画。これこそ映画。
もはや感動でこの後の人生ずっとこの映画が記憶に残るだろう。
自分が東京にきてそろそろ一年が経つが、この雑踏の中で感じた全てが映画に凝縮されていた。初期衝動を思い起こさせる映画の中ではピカイチ。
他のどの作品も超えられないものがこの映画にはある。
何より良かったのは構成。そしてキャラクター同士の化学反応。全て回収しない清々しさ「わからないことだらけ」なのに、綺麗な朝日は差し、次の1日が始まる。
いいことも悪いことも、全てひっくるめて「完璧な日々」そう思えることこそ、人生を楽しむ唯一の方法なのである。金が幸せの人間、人とのつながりが幸せの人間、色んな幸せの形があり、世界がある。どの世界で生きなければいけないわけではなく、どの世界も同じだけ美しく、完璧(PERFECT )である。
①「生の感情」はあったか
あった。例えば、柄本さんがカセットテープを売ろうとするシーン。柄本さんが売りたいと思う気持ちに、ぞくっとした。人間の怖さ。さらに、そこでお金を渡してしまう役所さん。ゾクゾクする。これぞ人間。これぞ人間の生の感情。爆発するだけが感情じゃあない。
自分は今まで生の感情は爆発だと、感情の露呈だと思っていた。そうじゃなく、感情が静かに漏れ出す形でも生の感情の表現はできるのだと、そう感じた、、この映画には、感情を描く術として「景色」と「表情」を活用していた。誇大広告のように大きな声で感情を露わにするより、それらは大きく客の胸に刺さる。
②緊張感はあったか
ここが気になるところ。この映画はこれで完成系で、別になんの文句もないのだが、私が監督する、もしくは脚本を書くのであれば、多少なりとも緊張感のある「サスペンス」は盛り込むと思う。しかし、この雰囲気を壊してしまう可能性もあるので、考えもの。
離婚した妻の娘が訪ねてくるところあたりは、もっと緊張感があってもいいように感じた。普段と違う日常なのに、役所はんの慣れてる感がすごい。役者さんが邪魔に感じてしまうとか、妻のことを思い出してしまうとか。
③「謎」はあったか
この映画の良いところは、この「謎」を散りばめているところである。しかもその謎一つ一つが、役者さんが完璧な日々だと考える要因になっていっているのがすごい。
さらに、問題が解決する前に問題を作っていくことで物語がズンズン前に進んでいく。当たり前のことなのだが、こう言う日常を描くタイプの映画には珍しいのではないか。だからこそ、ダラダラしていないし、ずっと見れてしまう。
あまりにも良くてびっくりしてしまった。最初の方はただの日本の文化の紹介映像って感じだったが、だんだんと加速度的に面白くなっていった。
この映画は何度も観ることをおすすめする。観るたびに初期衝動を揺さぶられ、アイデアが浮かび、創作意欲につながるだろう。
旅しないロードムービー
日常の何気ない光景を名匠ヴィム・ヴェンダースが丁寧に描き出した旅しないロードムービー。
役所広司が演ずるのはトイレ清掃員。TOKYO TOILETというプロジェクトで著名なクリエイターが手がけた芸術的な公衆トイレがたくさん出てきて聖地巡礼したくなります。
随所に流れる洋楽の使い方の上手さ。映像美の素晴らしさ。ヴィム・ヴェンダース監督の最高傑作ではないでしょうか。
ラストの役所広司の顔だけのアップの数分間の長回し。泣けます。
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