PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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トイレだからベンダースじゃないよね
以前から、カンヌの賞からみの作品とはどうも相性が悪いなと思っていたが、本作もその例外ではなかった。 映像は見事だし、役所広司の演技も素晴らしいんだけど、この脚本で映画化する必然性あるのとか思ってしまう。無名の監督、無名の主演俳優のインディペンデント映画だったら、人知れず消えていくレベルの内容じゃないかな。
たとえば、日々の繰り返しのくらしを淡々の描写していく作品だと「ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地」は好きなんだけど、本作は飲み込めなかった。
渋谷区の公衆トイレプロジェクトに絡んだ企画が端緒の映画だそうだが、企画会議で
「で、監督はだれに依頼しますかね?」
「トイレだけに、やっぱりベンダースじゃないの。ガハハ」
みたいな会話はなかったと信じよう。
お後がよろしいようで。
日常タンタン
このような平凡な内容で、鑑賞に堪える映画はそうそうないかなー
ただハグする場面は不自然で、如何にも西洋人が〝日本人のタンタン〟に物足りなさを感じ西洋人用に〝過剰演出〟したのはどうかと思うが、総じて良い映画でこの映画で2023年閉めれて良かった。
「日常」ってなに?
トイレの清掃員が主人公の人間ドラマ…なんて聞くと、それだけで「汚いシーン」「虐げられた生活」「世間からの偏見」を想像してしまうし、観ている間ずっと「何かが起こるぞ」「ひどいことになるぞ」と思い続けている自分がいる。
が、これはそういう映画ではない。
逆にこうして、私こそがひどい偏見を持っていることに気付く。
(トイレ清掃に従事されている皆さん、すいません)
それどころか、都心の公衆トイレのデザイン性や機能、そして綺麗に維持してもらっている様子を楽しみにさえ見てしまう。
いつも通り(に見える)変わらない日常を暮らす主人公。でも、彼は人一倍「その一瞬」や「変化」に執着している。
ファインダーを覗かないで撮る写真や、○✕ゲームに応じる姿なんかはその象徴的なものだろう。
「日常」とは、繰り返される何事もない日々のことではなく、人が「今」に誠実に向き合って生活を送った結果としてそこにあるものなのかも知れない。
思えば、我々にとっての「日常」って、まさにそういうものだから。
上映時間の2時間強の間、誰も死なないどころかケガさえしない。
怒りに任せて怒鳴る人もいない。
泣きわめく人も突然走り出す人も誰かを憎む人もいない。
でも、飽きずに見守っていられるのは、やはり監督の腕ってことなんだろう。そもそも、こんな日本人の庶民の生活を、ちゃんと共感できるレベルで外国人監督が撮るってすごいことだと思う。
セリフ自体が非常に少ないのに、画面に情報がてんこ盛り。
そのすべてに対して何らかの説明があったり、物語に絡んだり、回収されていくワケでもないんだけど、それは「日常」ゆえ。
役所広司の演技は言うまでもなく、登場する人たちの「そこにいる」感、そして東京の街、スカイツリーをバックに流れる6、70年代の渋い選曲に石川さゆりの歌のパワーも。
日常や人間の生活を描く作品って、すごく苦々しいシーンや、ぶつけようのない憤りを描くものが多いけど、本作は全くそういう映画ではない。
多くの皆さんに観てもらいたいとは思う。ただ、エンタメとしては物足りないと感じちゃう人もいるのかな。
でも、これだけ多くの人が好評価してるって、ある意味健全なことだと思う。
あふれる日本愛
外国人が日本を舞台に撮った最高映画はこれまでソフィアコッポラのロストイントランスレーションだったが、さすが日本通に年季の入ったヴィム。NO1です。世代間の隔絶、家族、生きること、全てにおいて令和にアップデートした小津安二郎と言うと安っぽいだろうか?
規則正しくて、つましい生き方だと思うけど、さみしくないのかな?
私だったら、とても淋しくて堪えられないと思う。まず、無口なこと。いろいろな思いを内に秘めて、つらくないのかなぁ? どんどん膨らんでいって破裂しちゃわないのかな? 「王子さまの耳はロバの耳」ではないが、穴を掘ってその穴の中にすべてぶちまけるとかしないとおかしくなってしまいそうだ。次に、情報がないこと。新聞を読んでいなかったし、部屋にテレビもなかった。今身の回りで起きていることを全然知らなくて、不安じゃないのかな? 現在は情報過多で、誤った情報も流れてくるけど、取り残される気がしないのかな。それから、友だちや家族がいないこと。知合いはいても、友だちらしき人はいなかった。家族とは絶縁状態。人って、人と交わっていかないと生きていけないんじゃないかな。いろいろ考えていって、それらが欠けている平山の生き方は私にはできない、到底無理。監督のインタビューなどを読むと、平山の名前の由来が「東京物語」から取っているとか、僧をイメージしているとか答えている。私はリアリティに欠けていると思ったが、もしかしたら、現実では絶対無理だから、理想の生き方として描いたのかな? だんだんそう思えてきた。ラストシーンの平山の泣いているような、微笑んでいるような表情はどういう意味だったのだろうか? 木漏れ日という言葉は、英語では一言では言えないそうで、日本人として響きもすてきだし、誇りに思えた。
変化のないように見える日常だか、そこには楽しみを見出せる。
毎日決まったような日常が繰り返される。人は年齢を重ねると若い時のような新しさや、驚くなような出来事が少なくなる。はたからみると変化がないように見えるが、本人にとっては自分の好きなことをしつつも仕事をしっかりとこなして生きてる。
ちょっとした些細な変化があったりする中にさまざまな人の人間模様が見える。
人間交差点という漫画を思い起こさせてくれた。
そして渋谷区の公衆トイレがオシャレすぎることに感動した。
濁りなき生命
無駄なし
ブレなし
時に他者の感情と共鳴し、健やかな揺らぎあり。
一話完結の一日が
美しく折り重なる一つの物語。
新しい喜びと共に目覚め
自身の務めを賢明に果たし
安静と共に寝入る
芸術的なリズム、完璧な習慣。
知恵と工夫。
完全な自己一致。
自分の命を生き、他者の命を尊ぶ。
それが、パーフェクトデイズの過ごし方。
一番シンプルで、一番難しい生き方。
洗われました🧤🪥
何かあると思えばあるが、何もないと切り捨てることも可能
それっぽい感想をこしらえようと思えばいくらでも語ることはできそうな内容だが、なんだこの映画、何もねーなぁと思ってしまうことも可能ではある。
几帳面な性格と興味のあることは突き詰める性分からして、頭も良く、きっといい大学も出ていることでしょう。また、妹の身なりや車からして、いい家柄であることもうかがえる。望みさえすればいくらでも裕福な生活を手にする機会が得られるであろう恵まれた環境にありながら、そういったシガラミから全部解放される生活を敢えて選択したということなのでしょう。
シガラミから解放されたいと思うことは、特に研究者気質の人間には往々にしてあることだが、好きな人ができ、家族ができ、それに伴って自分一人で自由に生きるという選択肢は除外され、それなりの生活を送るという選択をするというのが一般的でしょう。
自分以外の人のために生きるという選択の可能性がスナックのママぐらいしかなかったのか、とても気になるところでした。
プリズムの揺らぎ
Perfect Days
彼には世界が美しく見えている。そして誰かの日常と合わさることで、それは更に輝きを増してうつる。
(社交的とは言えなくても)生き方に感銘を受けて、近づく人がいる。
過去にあったことの仔細は不明だが、何か理由があるはず。しかしそれ以上に、皆が生きている世界は、実は繋がっていないという。多様性を認めながらも、自身は習慣に回帰する。
だから人の無関心は敵ではない。それでも居なくなるときには、少しだけ世界に痕跡を残したいと迷う
孤独だけど豊かな生活
孤独な男の日々。
都会の喧騒の中で平穏で緩やかな日々の生活を描く。
起伏にとんだ内容ではないのだけど、観てるこっちが彼の生活に安らぎとほっこりした温もりを感じさせてくれた。
何か素敵なものに触れた
寡黙なトイレ清掃員のおじさん「平山さん」の日常を描く作品です。
彼の日常はささやかで、けれども退屈にならず、ずっと観ていられます。
役者さんの非常によいお仕事を観られた気がします。
平山さん(役所広司)は夜明けに目覚めるとせんべい布団を畳み、手際よく身支度を整える。
小さな古めかしいアパートから外に出ると、空を見上げてにっこりと微笑む。
トイレ掃除に向かう車中のBGMは、お気に入りのカセットテープから選ぶ。
仕事が終わったら銭湯へ行ってサッパリし、駅改札前の居酒屋で一杯飲む。
今日は何かあったような無かったような、それでも眠りにつくときには印象的な出来事が思い起こされる。
毎日同じことの繰り返しのようだけれど、まったく同じ日はなく、平山さんはその日その日を大事に愛おしく生きています。
作品は多くを説明しませんが、平山さんはきっと過去に、ここで根を生やしこの暮らしをすると覚悟を決めたことがあったのでしょう。
寡黙な平山さんの言葉はやさしく相手に寄り添い、同時に自分に言い聞かせるようです。
さびしそうに、誇らしそうに、不安そうに、清々しそうに、ちぐはぐなものを抱えながらも平山さんはにっこり微笑むのです。
木漏れ日
美しい映像と世界観。主に描かれるのはストーリー性のない平穏な生活ルーティンだがずっと見ていられる。東京の下町をちょっとディープな雰囲気に描いているのが良かった。
何気ない毎日にある小さい幸せを噛み締めるってこういう事だなぁと素直に思える。
休日を映画館でゆっくり過ごすには良い作品。
追記。2/25に2回目の鑑賞。
「えっ、ヴィム・ヴェンダースってまだ生きてたの?」
高校生の頃、当時地元では上映していなかった、いわゆる単館上映映画にあこがれていました。
その後、上京した時に超ロングランしていたヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン天使の詩」を観たのが私の単館上映映画の初体験でした。
正直、内容はよくわからないけど美しい映像が印象に残りました。
この「PERFECT DAYS」を知った時に「えっ、ヴィム・ヴェンダースってまだ生きてたの?」っと驚きました。
「ベルリン天使の詩」の時、パルムドールも金獅子賞もすでに取っている巨匠だったので、勝手に高齢なのだろうと思っていたのです。
前置きが長くなってしまいましたが「PERFECT DAYS」感想ですが、トイレ掃除を仕事にしている訳ではありませんが、未だ独身一人暮らしの自分には重なる部分もあり、感じるところが多い映画でした。
10代の時にはよく解らなかったヴィム・ヴェンダース映画ですが、30年以上たった今は自分が成長したのか、またヴィム・ヴェンダース監督の変化か、その両方か、とにかく10代の頃とは違って自分の中にすっと入ってきました。
当時とは全く違った印象のヴィム・ヴェンダース映画でしたが、夜の高架道路を走るシーンの時、昔の映像がよみがえるようでハッとしました。
ほとんどあり得ない話
登場するトイレは「THE TOKYO TOILET」の宣伝であり、そもそも汚物が目に付かない公衆トイレなどあり得ない。
元々は運転手付きの車のある家に育ち、読書や洋楽に親しむインテリと思わせる主人公の設定もリアリティに欠ける。失礼ながら、このような境遇の清掃員の存在は極めて稀であろう。
卓越した演技力のある役所広司が主役で、ぎりぎり成り立っている作品。
そして、このような感想を持つ観客をはじめから相手にしていないような演出をしている制作陣の高飛車な姿勢に反感を覚えた。
レンタルで…
良い映画だと思いますが、映画館で観るほどでは無いかな?。
1度だけ、怒の感情が剥き出しになってましたが、、それなら喜哀楽の感情を、もっと出せるのではないですかね?と感じました。
三浦さんとのシーンは、メロドラマ風な感じになってしまっていて、何だこれ?と。
それで評価ガタ落ち。
そのシーンから…最後の名シーンとなり得るカット。
自分の気持ちは、モヤモヤしていて感情移入が出来ずに終わりました(^_^;)
この映画の良さがわかることに嬉しくもあり哀しくもあり
私は役所広司が道路工事の交通整理員の制服で出ている損保会社のCMが好き。なんとも言えず好きなのだ。
劇伴も最高だった。アニマルズの朝日のあたる家(朝日楼)からやられた。オーティス・レディングのドックオブザベイも。
カセットテープ。売り値は高いと思うけど、下取り価格でもそんなにするのかと。市販のものはほんの少しだけならある。人にあげたり、失くしたりしてしまったものが多い。しまったなぁ。
コラ! 時生!
こういう役の時生は実にリアルで面白い。
あの軽ワゴンは30年以上乗っているのか?
あの生活スタイルには銭湯がまずネックになる。それと長屋スタイルのメゾネットアパート。一度も鍵かけてなかった。
湯呑み茶碗などで育てる盆栽。
向島から浅草界隈にアパートを借りてみたくなった。
寝床の部屋のタンスひとつだけのガランとした感じからはミニマリストかと思ったが、台所や押し入れにはものがぎっしり。思いでが詰まっている様子。
大切なものがちゃんと分かっているからブレない潔さ。
憧れる。
男は無口でなくてはイカン。
こんなマイ・ペースでちゃらんぽらんな私でも、仕事はきっちりする方だと思っている。
だんだん役所広司に同化していき、世界に没入しようとするのだ。
そして、淋しさもちゃんと分かっている。
翌日になっても、まだ半分は役所広司が体の中に残っている感じがする。
映像もたまらない。
首都高速の架橋下の公園、神社の木洩れ日、寝入りばなのにみる夢。
ヴィム·ヴェンダースのベルリン天使の詩はとても難しくて、歯がたたなかったけど、こちらはOK。
共演者もみんな私のツボだった。
安藤玉恵、甲本雅裕、田中泯、三浦友和、研ナオコ、モロ師岡、芹澤興人、松井大悟、松金よね子、吉田葵。
あがた森魚がギター持った客でいる石川さゆりが女将の店。一週間に一度決まった日に行くぐらいが嫌われなくっていい。ほんとは「ウィスキーが、お好きでしょ」も聞きたかった。コンビニでピースといっしょに買ったあの3本は缶酎ハイじゃなくて確か濃いめのウイスキー角ハイボール(Alc9%)だった。仕事の日の毎朝の缶コーヒーはボスのカフェ・オ・レだったような。どちらもサントリー。
アオイヤマダ?が素敵だったなぁ。
ほっぺにチュのあとの銭湯でのニヤニヤがまたいいのよ。
心の平安=パーフェクトな日々
【鑑賞のきっかけ】
本作品は、カンヌ映画祭で、主演の役所広司が主演男優賞を受賞したこと、監督がヴィム・ヴェンダースという著名な監督であったことで、劇場鑑賞して来ました。
【率直な感想】
<物語の概要>
本作品は、主人公の職業が、トイレの清掃作業ということで人目を引く部分があるかと思いますが、もうひとつ、この作品で強調されているのは、「こんなふうに生きていけたなら」というキャッチコピー。
つまり、主人公の平山は、一見すると、同じ繰り返しの日々を過ごしているが、彼にとっては、毎日が新しい日であり、幸せな毎日なのだ、と。
<彼の生活はリアルか?>
作品の舞台は、東京スカイツリーの立つ、東京・墨田区。
彼の変わらぬ日課のいくつかのうち、印象的なものは次のとおり。
1.仕事場に向かう自動車内で音楽を聴くこと
2.昼休みにコンビニで買った昼食を食べながら、風に揺れる葉に覆われた樹木をカメラで撮影すること
3.仕事が終わった後の入浴
4.帰宅後に、寝落ちするまで本を読むこと
この作品は、現代を舞台にしています。上記の行動は、毎日ではなくとも、日々の日常生活で行っているという方は多いことでしょう。
でも、その行動を支えている方法自体は、恐らく違っているかと思います。
1.音楽鑑賞→カセットテープに録音したもの(デジタルオーディオプレイヤーではない)
2.写真撮影→フィルムによる撮影(デジタルカメラやスマホではない)
3.入浴→銭湯を使用(内風呂ではない)
4.読書→古本屋で購入した紙の本(電子書籍ではない)
昭和の時代ならまだしも、令和の時代に、すべてが、平山の方法と同じという方は、まずいないのではないでしょうか。
<平山の日常の持つ意味>
平山は、スマホを持たず、家にはテレビもありません。
また、新聞を購読している気配もない。
一体、どうやって自分が暮らしている社会で起きている出来事に関する情報を得ているのでしょうか?
これは、彼の昭和のノスタルジックな生活と無縁ではないのかもしれません。
平山は、独身で、一人暮らしをしており、私は、本作品では、彼の肉親は登場しないものと思っていましたが、後半、どういう立場なのかは明かしませんが、ある肉親が登場します。
この肉親との会話から、平山は、昔から、清掃の仕事をしていたのではなく、何かの転機があって、今の生活に落ち着いたようです。
詳しい説明は作中にはありませんが、相当に辛い過去があるらしいことが想像されます。
そんな彼にとって、恐らく幼少期を過ごした昭和の時代のアイテムは、心の平安をもたらす重要な要素なのだと思います。
カセットテープから流れる古い音楽は、古き良き時代を想起させる。
フィルムで撮影された写真には、古き良き時代のぬくもりがある。
銭湯には、内風呂にはない、ゆったりと湯につかって疲れを癒やす効果がある。
古本の読書には、ページを繰るごとに、著者からのメッセージがマイルドに伝わってくる感触がある。
などなど。
【全体評価】
平山は、昭和のアイテムを使って、自分らしい日常を演出していますが、恐らくデジタルの環境でも、自分独自の日常を演出することは可能なような気がします。
なお、彼は一人暮らしで、無口だけれども、決して人間嫌いな訳ではなく、適度な距離を取った人間関係も築いています。
私生活・仕事・人間関係。
これらの要素をバランス良く、かつ淡々と過ごす平山の生き方には、豊かな人生を歩んでいくためのヒントが隠されているように感じられました。
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