PERFECT DAYSのレビュー・感想・評価
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心に静かに染み入る作品
この映画の中で印象的なものは、主人公が好んで聴く60~70年代のロックとそれを再生するカセットテープや古本の文庫本である。
過去は捨て去るものでは無く、本質として良いものは良いという価値観。時代の最先端を行く大都会に於いても、時代に無理に追いつこうとせず、自分の価値観を大切にして生きる主人公に次第に共感さえ覚え、平凡にくりかえし生きる生活の意味や何気ないものから見出す美意識に気付かされる。それらは物質主義や大量消費社会へのアンチテーゼかもしないが、決して声高に叫ぶのではなく、静かに語るヴェンダース監督の世界に引き込まれていく。
今、この繁栄する現代社会にあって、色々なことに亀裂や矛盾、天変地異や不穏な動きが世界中で広がりつつある中、この映画の視点は何か大切な事を見る者に伝えている気がする。
今の社会につかれた気分の時に、この映画はそっと和ませてくれる、そんな作品である。
平山氏の贅沢な日常
平山氏の日常は朝起きてから夜寝るまできっちりとルーティーン化されている。とはいえ、人と関われば、そのルーティーンに横槍が入れられることもある。しかし、平山氏は特に不愉快に思っているわけではなく、ちょっぴり歓迎しているようにも見える。毎日同じことの繰り返しの中では、ほんの小さな差異、たとえば神社の木漏れ日の違いさえも、高い感度で感知することができ、毎晩夢の中で反芻する。静寂の中でこそ、微弱な音まで聞こえる。
平山氏は21世紀の物質主義からはほとんど隔絶されたところで生きている。昭和のバブル期以前から時間が止まったようなアパートには、電話もテレビもない。洗濯はコインランドリーで済ませる。自転車はロッドブレーキだし、ラジカセはソニーのCF-1980。愛用のカメラはオリンパスのフィルムカメラ。日本製品がまだ高品質で頑丈だった時代の製品だ。スマートホンはもちろん所持しておらず、携帯電話は会社から支給されたものがあるだけ。軽自動車の中で聞くのは70年代のロックのカセットテープ。
しかし、平山氏はお金に困っているわけではない。毎日銭湯で一番風呂に入るし、毎週のように現像に出すフィルム代もプリント代も金がかかる。大事にしている「エモい」カセットテープには思いもよらずプレミアがついている。
毎日サブスクで少しずつお金をむしり取られながら、否応なく流し込まれる大量の情報の中で、肩までどっぷりどころか、底に足がつかなくなっている我々からするとむしろ平山氏の生活は羨ましい。しかし、その平山氏の生活は、東京という物質主義の権化のような余裕のある大都市の隅っこでしか成り立たないというのもまた事実である。彼が毎日清掃している酔狂なトイレはその象徴だし、この映画の企画自体がその産物である。映画はよかったけれど、我々を情報に溺れさせているのが、まさにこの映画の作り手の側だということにある種の皮肉やあざとさを感じて、ちょっと冷めてしまった。
とにかく役所広司の演技を観るための映画
タイトルなし(ネタバレ)
観賞直後のメモ
・「無言」は時に言葉よりも意味を持つ
・日常をルーティン化して固定化するからこそ、ささやかな変化に気付ける
・経済的には恵まれているものの、不自由で抑圧されていると思われるニコ。彼女がおじさんと過ごした数日間はありふれた日常の数日間よりもずっと深く彼女の中に刻まれる時間だっただろう。日常に戻り、目の前に延びるレールに載ったその後を辿るとしても、きっと初めての家出を忘れることはないのだろう。
・「今度は今度、今は今」という言葉も、その今度が来ないと悟っているようにも見えた。別れ際の涙は何を表していたのだろう。ニコともう会えないことを意味しているのか、妹親子とは生きている世界が違うことへの想いか。
・彼は、他人を毛嫌いしたり煙たがったりしない。大半の人がそういった目を向ける人に対してフラットだ。優越意識から来る腫れ物に触るような態度は取らない。
・自分=ルーティンを、他人が壊していく
名作みたいな2時間のCM
全て良いのがパーフェクトでは無い
のですね。
若者も老人も
良い事も悪い事も
新しい事も古い事も
明るい場所も暗い場所も
金持ちもそうで無い人も
光と影の両方が共存してパーフェクトな日になる
いつもと違う事がいつもの毎日で起きても
我思う故我あり
自分がどうしたいのか、自分がどう見えているのか
周りの評価より大切にしたいと思いました。
明日からがどう生きようか楽しみになる映画でした。
一期一会
名脇役は1/fゆらぎ
前半はいつもの見慣れた都内の景色がカーステレオから流れる音楽にのって、おしゃれに感じました。
先に見た方が木漏れ日が愛おしくなるよと言っていましたがその通りでした。
名脇役は1/fゆらぎ。
木漏れ日、木々の緑、葉擦れの音、鳥のさえずり、虫の音、水面のゆらめき、道をはく竹ぼうきの音さえも。
映画のシーンの多くに緑の木々が配置されています。
私事ですが足を骨折し、同時期に身内を失うという心折れた時期がありました。
リハビリを兼ねて大木が重なりあうように植えられた近所の公園に行きベンチに座り上を見上げた時、まさに映画のあのシーンが目に飛び込んできました。
折からの強い風に揺れる木の葉たち、葉擦れの音、私はそれを浴びて癒やされたことを思い出し、泣きそうになりました。幸せに満ちた瞬間でした。
真に人の心を満たすものは巨万の富でもお金で手に入る物でもない。
だから平山さんが木漏れ日や木々の緑に向ける満足そうな笑顔に激しく共感して「わかる!わかるよ!」と思いながら見ていました。
映画の冒頭で平山さんの部屋が質素できちんと整えられているなと思いましたが、それもそのはず、平山さん、掃除の達人でした。
出かける前のルーティンも必要なものだけをきちんと並べる。
掃除道具は手作り。
腰でシャラシャラ鳴っているのは全て違う仕様の各トイレの鍵たち。仕様が違えば掃除の手順も、使う道具や洗剤も違う。
それを手際よく作業していく平山さん。
掃除の匠、達人、一流のプロです。
匠は無口なのです。
でも、平山さんならどんな仕事に就いても極める事ができる人だと思います。
スカイツリーが必ず背景に出てきます。平山さんの質素な暮らしを見ていると、ここが東京であることを忘れるので、「ここは大都会東京ですよ。でも、自分次第でささやかだけど満ち足りた時間を過ごすことができるんですよ。」というメッセージのような気がしました。
余談ですが、平山さんのアパートのドアの鍵、閉めないで出かけるシーンがあり、オートロックではなさそうだしと心配になりましたが、最後までシンプルに心が満たされ続けたので星5です。
これは、映画館でぜひ見てほしいです。
1/fゆらぎ音、高く低く全身に浴びてみてください。
いい映画です
どんな世界にもプロフェッショナルな人は居る…
そういう事を改めて感じさせて呉れる映画でした。
前半は殆ど役所広司さんの一人芝居の様な無言の世界から始まり、その慎ましやかな生活の周辺・奥行きが少しずつ広がりを見せて行きます。
中盤以降、物語に幾つかの小さな起伏が起きますが、ドラスティックに展開するという事では決してなくて、話は割合と淡々と進んで行きます。
この人は過去にきっと何か有る人なんだろうな…という予感の答えの片鱗だけが、後半で少しだけ明かされます。
孤独を噛み締めながらも、音楽を愛し、人を愛し、本を愛し、酒を愛し、木々の緑に心を癒やされながら、自分の仕事に誇りを持って誰かの役に立っている事を信じている…そういう人の日々の生活は質素で慎ましやかではあるけれども、きっとかけがえのなく満たされたPerfectDaysと言えるのでしょう。
不器用で気の利いた言葉の一つも言えない。けれども、その行間には優しい思いが溢れ出ます。そういう市井の人達が多く居る社会は、きっと優しくて豊かな社会の…ハズ。
石川さゆりさんの歌声がとても素敵で、一曲最後まで聴けなかったのが少し残念でしたネwww
繰り返しの毎日の繰り返しじゃない尊さ。
東京の片隅でトイレ掃除の仕事をしながらひっそりと、でも丁寧に生きる男性・平山さんの日々を描いた作品。
良かった…。
平山さん(演者・役所広司さん)の人柄が良いんだよな…。
誰が見ているわけではなくても、仕事の公共トイレ掃除は妥協せず細かいところまでしっかり綺麗にし、起きたら布団はきちんと畳み、神社の鳥居の前ではちゃんと一礼する。誰かの良いところを見つけて人知れず嬉しそうにする。
好きなものを大切にし、好きなカセットテープは高値がついても売らない。
(でも手持ちがない時のガス欠時は仕方ない。)
平山さんは多くを語らないんだけど、行動の端々から彼の善良さ、誠実さ、真面目さが伺い知れるところや、日常の中の喜びを見つけてちゃんと慈しんでいる姿が本当に素敵だった。
平山さんの毎日は基本はルーティンで同じ。
でもそこに後輩の恋愛事情が絡んだり、女の子にほっぺたにキスされたり、姪っ子がやってきたり、憎からず思うお店のママの元夫が現れて心乱れたり。
この作品でよく出てきた木漏れ日のように、毎日繰り返して見えるものだって、実はそれはその瞬間、ただ一度だけのものだ。
平山さんはそれをちゃんと知っているから写真を撮るのだろうな。
特になじみの店のママの元夫・丸山さんと平山さんが影踏みをするシーン、美しくって泣けた。
あと東京の公共トイレ、色んなタイプやデザインがあるんだなと面白かった。
そして平山さんを見ながら今まで勤めた会社で出会った清掃パートの方々を思い出していた。
仲良くなって連絡先交換して休みに一緒に遊びに行った人、トイレで会うたび話すようになって退職の時にはプレゼントまでくれた人もいたな、と。
今、どうしてるかな。そんなことをまったり考える時間をくれた作品だった。
平山さんの品格。
画面ににじむ諦めに注目
この映画がある種の静謐さを感じさせるのは、その撮影手法に理由があるんですね。ヴェンダースはさすがに手練れで、カメラはもちろん美術も照明も編集も、あるべきものをあるべきところにきちんと置いている。脚本も演技も、主人公の生活をひとつに解釈してしまわずに、広がりをもたせるように作っている。主人公は生活の小さなことに喜びを見出しているかもしれないが、人に言えない暗い思いを抱えてもいる。その余白が、うまいのです。
だから、これを「底辺労働者が低賃金で満足するよう企業家が画策してるプロパガンダ」だとか自称映画評論家がネットで繰りかえしてるのは、自分のフシ穴ぶりを喧伝しているのと同じ。画面にしっかり刻まれている、主人公のあきらめ、後悔、押し隠された不満、それらをぜんぶ見落としているだけなのです。画面をきちんと見ていれば、「貧しい暮らしを美化」などまったくしていない。
べつにどんな感想を持ったって好きにしたらいいんだけど、少なくとも「金持ちが労働者を美しく描いている」とかのコメントは、「主役俳優がかつて自分を振った元カノ/元彼に似ているから気に食わない」みたいな感想と同じで、この映画とはぜんぜん関係ありません。
もちろん好き嫌いというものはあって、ロンドンやニューヨークでも、社会描写の踏み込みが足りないと文句を言う人はいます。だけど、東京は、映画のプロですらこの種のひがみっぽいコメントを言う人が多すぎますね。とくに「トイレが99%の公衆トイレとは違ってきれいすぎる」と言う人は、ハリポタ映画をみても「大半の現実の子供はこんなに美しくない」と怒るんでしょうか? たぶんそうじゃない。自分のビンボーな暮らしをあてこすられたと感じたから怒るのです。でももちろん、日本の経済が上向かないのも平均賃金が上がらないのも、この映画に責任はありません。
十数回登場する主人公の「夢」の映像なんか、うまく作られていますよね。それは単純な貧しさの賛美ではないし、静寂主義への逃避でもありません。もっとしたたかに周到につくられている。映画史に残る傑作だとも思わないけど、そういう巧みさはきちんと評価しなければ。少なくとも映画のプロを自称する人は、ちゃんと画面を正確に精密に見られるようになるべきなのです。そうでないと日本の映画批評は、英語圏の批評に永遠に追いつけないままです。
これも一つの幸せの形?
前半はほとんど記録映画。トイレ清掃員の主人公が「朝起きて身支度して仕事に出かけて清掃して帰ってきて銭湯行って居酒屋でチョイ飲みして寝床で本読んでから寝る」日々がひたすら繰り返される。本当にこのまま最後まで行くのかと思っていたら、後半になると色々関わる人間も増えます。ただ、主人公の境遇自体は変わらない。非常に淡々としていますね。
地味な生活を送る主人公を演じるのは役所広司。そのせいなのかどうなのか、劇中では三人の女性に好意を持たれている。まあ、一人は親戚(姪)だし他の二人からの好意も淡いものとして描写されているわけですが、初老の域に達していながら色気のある男性像を見るとクリント・イーストウッドのようです。してみると、役所広司は日本のイーストウッドなのか。役者としてはちょっとタイプが違う気もしますが。
それはともかく、映画としては台詞回しがぎこちないというか洗練されていないし、演技もところどころ棒読みっぽかったりして、いかにもエンタメでない芸術作品感はあります。ただまあ、これは一種の雰囲気映画だと思えばそこまで気にはならないかな。登場人物が皆、基本的にはおしゃれでもなく、かっこよくもないのは見る方にもわかることだし。
演技について補足するなら、主人公がセリフなしで肯定と否定を示すときに首をふるところはすごくいいと思いました。娘を連れ戻しに来た女性が別れ際に見せる表情とかもそうだし、セリフなしの場面のほうが伝わるものが多いとすら感じます。
主人公が休日に行くスナックのママが石川さゆりで、接客中、急に歌い出したのにはびっくりというか、妙なおかしみがありました。歌ったのは本職の演歌ではなく洋楽(歌詞は訳してある)だけど、それがまた面白い。
古本屋の店主が売れた本に一言コメントをしたり、フィルムを現像する店の店主とはお互い挨拶ともつかぬつぶやきでやりとりをしたり、慣れた者同士の飾らないコミュニケーションがいい。そんなものでもあれば、少なくとも社会的には完全な孤独ではないということでもあるし。
ちなみに、自分は似たような仕事をしていて、そこから興味を持って見に行ったわけですが、仕事そのものの描写は丁寧でリアルだと思います。強いて言うならゴミを拾う時は素手ではなく軍手でもつけたほうがとは思いましたが。
仕事がトイレ清掃であることに特別な意味はない気もします。あくまでも地味で社会的には上等でない仕事という意味でちょうどよかったのでしょう。その日常を描くことで人生とか幸せとは何か、と押し付けがましくない感じで問いかけているのだと思います。
今度は今度、今は今。
何もない。そんなものは無いのかもしれない
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