「カセットテープと木漏れ日」PERFECT DAYS sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
カセットテープと木漏れ日
まず今年公開された江戸時代の汚穢屋の生き方を描いた阪本順治監督の『せかいのおきく』を思い出した。
あちらは汚物そのものを取り扱う人々の物語だったが、公衆トイレの清掃員も誰かが行わなければいけない必要な仕事であるにも関わらず、あまり日の目を見ることがないのは同じだと感じた。
主人公の平山はその生真面目な性格が覗えるように、たとえすぐに汚れてしまったとしても丁寧に時間をかけて便器を磨き続ける。
それでも急いで用を足したい者からは、まるで邪魔者を見るかのように扱われてしまう。
この映画はそんな平山の判を押したような単調な生活の描写から始まる。
朝起きて身支度を整え、出掛けに缶コーヒーを一本飲み、車の中ではアナログなカセットテープをかけて音楽を聴く。
都内の様々な公衆トイレを掃除して回り、代々木八幡宮の境内でサンドイッチを食べ、趣味のカメラで木漏れ日の写真を撮る。
仕事を終えると植木の手入れをし、銭湯で汗を流した後に浅草の地下街の飲み屋へと赴く。
そして寝る前に文庫本を読んでから一日を終える。
休日は現像したフィルムを受け取り、古本屋を訪ね、行きつけの飲み屋で時間を過ごす。
単調な描写だが、観ていて飽きることはない。
平山は寡黙な男だが、決して無愛想なわけではない。
むしろ些細なことに微笑みを浮かべる彼の姿が彼の人柄の良さを語っているようで、観ているこちらも幸せな気持ちにさせられる。
平山がいつも出会う公園のホームレスも写真屋の店主も寡黙だが、それとは対照的に同僚のタカシは必要以上に喋りまくる。
何でも十段階で評価しようとするタカシはかなり軽薄な男なのだが、どこか憎めない愛嬌がある。
そして彼が想いを寄せるアヤも不思議な魅力を感じさせる。
いつもおかえりと出迎えてくれる浅草の飲み屋の店主も印象的だった。
平山の姪のニコが家出をして彼を久しぶりに訪ねてきた時から、単調な日々が変化を見せる。
ニコは平山をとても慕っているのだが、どうやら彼は家族との間に大きな確執があるらしい。
今まで穏やかな表情を崩さなかった平山だが、妹のケイコがニコを連れて帰った後に初めて泣き顔を見せる。
さらにタカシが無責任な形で仕事を辞めたことで無茶なシフトを組まれた時も彼は声を荒げる。
そして彼は行きつけの飲み屋でママが別れた夫と抱き合っている姿を見て、気まずさのあまりにその場を立ち去り、普段は吸わないタバコを吸ってむせてしまう。
前半は単調な描写ながら幸福感に包まれていたが、後半は影を感じさせる場面が多い。
ママの別れた旦那が平山に「影は重なると濃くなるんでしょうか」と聞く場面が印象的だった。
影が重なっても濃くなることはないのだが、平山は頑なに影が濃く無ったと主張する。
そして何も変わらないなんてことがあるはずはないと答える彼の言葉は、まるで自分に言い聞かせるようでもあった。
この映画を観て幸せとは何かを考えさせられた。
どうしても人は日々の生活に変化と刺激を求めてしまう。
しかし判を押したように同じ生活が続くということは本当はとても幸せなことなのかもしれない。
誰かと一緒にいなければ幸せになれないわけでもない。
と同時に、誰かと喜びや悲しみを共有出来ることが幸せなのだとも感じる。
最初は平山が幸せそうに見えたが、彼もまたどうしようもない孤独を抱えて生きていることが分かった。
悲しみや苦しみのない人生などない。
むしろ人生は悲しみや苦しみの方が多いのだと思う。
木漏れ日がとても象徴的に感じられたが、まさに影の間から時折差し込む光があるから人は前に進んで行けるのだろう。
彼が最後に見せる笑顔は流れそうになる涙を懸命に堪らえようとする笑顔だ。
それでもラストシーンに悲しさは感じなかった。
平山の持つカセットテープにセンスの良さを感じたが、アナログなのはカセットテープだけでなく棚に並ぶ映画のVHSもそうだ。
日本人ではないヴィム・ヴェンダース監督だからこそ描くことの出来る風景があるのだと感心させられた。