「重厚な歴史犯罪ドラマ。甘ったるいものの見方が意味を持たないことを徹底的に思い知らされる。」エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)
重厚な歴史犯罪ドラマ。甘ったるいものの見方が意味を持たないことを徹底的に思い知らされる。
さすがイタリア。ロケ場所には事欠かない。室内、室外ともに重厚な映像が展開する。そして音楽。生ぬるい耳障りの良い映画音楽に慣れた我々の耳には音量も大きく不協和音のように聞こえる音楽が随所に使われている。それはこの映画が史実には基づいているものの不条理な物語であることを強烈に印象づける。
邦題は「エドガルド・モトローラ ある少年の数奇な人生」。少年時代の純粋さ、可愛らしさと、青年になった後の複雑というかややひねくれたような彼の人となりを配してエドガルドの人生を追いかけていることは間違いない。でもこの映画は彼の人生を甘酸っぱく回顧するためのものではない。彼の人生は教皇、もしくは教皇庁によって形づくられた。その本質は何か。原題の「Rapito(誘拐)」の通り。犯罪である。つまりこの映画は教皇ピオ9世の行った犯罪を告発している。
洗礼を利用して子供を取り上げる、このことに本質的なキリスト教の非人間性を指摘するレビューがあるがそれはあたらない。歴史上、事例としては他にもあるにはあるが、ピオ9世が教皇だったこの時代ほど頻繁に、確信的に、組織的に、児童誘拐がなされたことはなかった。
ピオ9世の時代はイタリア独立戦争の真っ最中であり教皇領は日に日に縮小する傾向にあった。世俗勢力と戦いを続ける教皇の編み出した作戦の一つが有力者の子弟を集めた神学校をローマにつくることだった。いわば人質である。そしてこの頃、エドガルドの出身地であるボローニャをはじめとしてイタリア各都市の裕福な実業家はユダヤ人が多かった。ユダヤ人の子供を集める方法として洗礼を受けさせるという手段が編み出された。エドカルドの場合は金欲しさの使用人と土地の司祭が結託して一芝居打ったものだろう。
もちろんこれは異教徒に対するカソリックの寛大さをアピールする目的もあったようだが、エドガルドの場合は米英のユダヤ人社会までこのことが伝わりネガティブな評価がされたという点で全くの失敗だった。これが後々、教皇のエドガルドへの態度に表れるところが実に胸くそ悪いのだが。
まあ、一つの時代の一つの挿話として観るべき映画だと思う。ローマをはじめとして各都市にユダヤ人の協会がありユダヤ社会が形成されているところも面白かったけどね。この時代になるとユダヤ人はゲットーを出て一般社会に溶け込みはしていたようです。でもやがては両社会のズレというかひずみが大きくなりそれがジェノサイドに向かっていくのだけと。
あんちゃんさん、コメントありがとうございます。私もあんちゃんさんと同じ箇所でひぇー!とすごいショックを受けました。自分がされたこと(赤ん坊だから記憶にはないが)を母にするのか・・・。この時の彼はカトリックの教えに従順で、母への愛が大きかったと思う。矛盾だらけに見えるエドアルド、苦しい人生だったのではないかと思う。自分の意志で決めてないから。とにかく重い、でも好きなタイプの映画でした
音楽もすごくよかったです。衰えつつある教皇権力とカトリックのくびきから離れイタリアを統一する運動との戦いの話でした!映画としてとてもよくできていて見てから何度も反芻してます