「裁判で暴かれる女流作家の私生活を残酷に描いたミステリー法廷劇」落下の解剖学 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
裁判で暴かれる女流作家の私生活を残酷に描いたミステリー法廷劇
フランス人監督ジュスティーヌ・トリエがパートナーのアルチュール・アラリと共作したオリジナル脚本の謎解きの面白さが特徴の、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した法廷ミステリー映画。タイトルの意味は、山小屋の4階部分にあたる屋根裏部屋から転落したと想定される夫の死因を巡る裁判劇を通して、事故か自殺か他殺かの考察の解剖を指すが、実体はある家族の壊れた夫婦関係の裏の顔を暴き出しています。 それは国際結婚が珍しくないヨーロッパの夫婦が直面するコミュニケーションにおける言語の壁、不慮の事故で身障者になった子供への取り返せない後悔、同じ作家としての職業を持つ夫婦の成功と嫉妬、妻の浮気から生じる軋轢の心理変化と、多くの問題を抱えていたことが分かります。しかも、そのまだ11歳のダニエル少年が殺人容疑の母サンドラの証人として法廷に駆り出されることで、知る由も無い両親の不和を聴かされる過酷さまであります。それでも、この人物設定の創作を客観的にみれば、ダニエル少年を弱視の視覚障害者にしたことで謎が深まるストーリー展開の物語でした。非業の死を遂げた父サミュエルの本意を探り、ベストセラー作家として成功した母サンドラの日常の会話には表せない満たされぬ胸中を知ろうとする少年の心理には、父を失った悲しみに対峙する子供ながらの好奇心と両親への愛を感じます。今知って置かなければ、これから自分は人格を持って生きて行けない(成長できない)と考えたに違いないからです。このダニエル少年をひとりの人間として扱っている脚本の成熟度は、フランス映画の特長のひとつと言っていい。
これら複雑にして特殊な家族の問題を落とし込んだ脚本の構築度は高く、女性監督の視点も冷酷で厳しいものがあります。ただミステリーの脚本としての完結した物語の徐々に解き明かされる面白さに対して、映画としての演出の鋭さや技巧の高さはありません。映画的な演出で光るのは、サミュエルが録音した事件前日に交わした夫婦の言い争いが法廷に流れるシーンです。私生活の会話を記録するのは、サミュエルが小説のモチーフに活かすことを考えての習慣だったのか。それとも、既に決意があって妻に復讐する深層心理を持っていたのか、色々と想像できます。その日の場面として描写して見せて、生前のサミュエルがサンドラに不満をぶつけるシーン。それを泣き言と受け付けないサンドラ。お互いが犠牲を払っている自負のぶつかり合いで歯車が嚙み合わない夫婦の会話は性的な内容に及び、遂には物を投げる音と共に修羅場を向えます。その前に現在の法廷シーンに戻る演出はとても映画的でした。もう一つは、再び証人に立つダニエルの中立性を保つために同室を禁じられ、家を出てホテルに移動する車中で堪えきれず泣き出すサンドラの姿です。プロローグで女子学生のインタビューに対応する、自信に溢れて感情をコントロールする余裕をみせる女流作家の冷静さからは想像できないものです。裁判の行方に対する不安と、息子の証言に疑念を持たざるを得ない状況に追い詰められたサンドラの子供まで失ってしまうのかの恐怖。取り乱して当然の立場にあるサンドラが気丈に振る舞う中で、唯一弱さを見せるシーンでした。
総評としては、映画としての面白さよりミステリー小説の面白さが勝る作品でした。脚本が優れている反面、演出と撮影の絶賛にはならなかった。それと興味深かったのは、検察が殺人容疑で立件する前提に証拠不足ではないかと思われる点です。もし凶器による外傷なら証拠になるものを徹底的に探し出すものではないでしょうか。日本と比較して、捜査に対する段取りが違うようです。警察側の台詞の中に、凶器はどうにでも分から無くさせられるから調べても無理、の内容のものがありました。
俳優の演技に関しては、不足は有りません。特に主演のサンドラ・ヒュラーの演技は素晴しい。この作品は彼女の演技で映画らしさを保持しています。続いてダニエルを演じたミロ・マシャド・グラネールの演技と犬のスヌープの眼の演技が印象に残ります。子役の上手さと動物の使い方の的確さは、欧米映画の優れた特徴です。
登場人物の中でそのポジションが明確でないのが、サンドラを弁護するヴァンサン・レンツィ弁護士でした。旧知の仲の人当たりの優しい男性で、当初からサミュエルの自殺と断定していました。無罪判決の後2人で食事するシーン。かつて男女の仲だったのか、それとも今回の事件を機に仲を深めるのか、微妙なシーンになっています。もし裁判に負ければ人生が終わると怖れたサンドラは、勝てば何か見返りがあると期待したものの、何もなかったと呟きます。作家の仕事とは、凶悪犯人でさえ獄中で自叙伝を執筆すれば成立する不思議で不道徳的な職業とも言えるでしょう。普通の人生を送るとしても、誰もがあまり知らない世界の人間を描かなければなりません。ですから、この裁判を経験したサンドラが小説にすればベストセラーになることは間違いありません。見返りは自分の文才次第と言えるでしょう。身内の死をも題材にする、自ら身を切る思いで創作する厳しい仕事です。