「事実が力を持たない時代の法廷劇」落下の解剖学 杉本穂高さんの映画レビュー(感想・評価)
事実が力を持たない時代の法廷劇
事件の真実を明らかにしないままに終わる法廷劇というのも珍しい。しかし、極めて今の社会のあり方を的確に表出した作品と言える。要は、「人は信じたいものしか信じない」、事実が力を持たない時代になったのだということ。
夫の転落死は事故か、殺人か。決定的な証拠は見つからないまま物語は進んでいく。そして、事件をめぐる世の中の関心は、夫婦仲がどうだったかへと移り、法廷も主人公の女性に殺意を抱くような動機があったかどうかが争点になっていく。しかし、動機は事件性があったのかどうかの補強情報にはなるが、決定的な証拠とは言えない。下世話なスキャンダルのように世の中が騒ぎ立てるなか、目の見えない息子が証人となる。
タイトルには「解剖学」という言葉が使われている。解剖学は人体の構造を明らかにする学問だ。見えない人体の中身を「見える化」するものと言い換えてもいいかもしれない。
その言葉に反して、この映画で描かれる事件(事故)の真相は見えない。真相は見えないままに物語が進行し、観客である我々はそれぞれに「信じたいものだけ信じる」ように誘導される。
そんな、人の「信じたいものしか信じない」心の弱さを「見える化」している作品と言えるかもしれない。
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