「なぜニセAIドラマなのか? 今なら「本物」を元にして作れるはずし、その方が絶対面白い。 人類に忖度した旧態依然の会話内容よりも。 革新的なはずが、逆に超古臭い内容で残念。」SINGULA ITOYAさんの映画レビュー(感想・評価)
なぜニセAIドラマなのか? 今なら「本物」を元にして作れるはずし、その方が絶対面白い。 人類に忖度した旧態依然の会話内容よりも。 革新的なはずが、逆に超古臭い内容で残念。
「先生」と呼ばれる者により作られたAIたち15人が、人類との共存を討議。
その結末とは?
舞台劇を元にした実写映画だそうだが、なぜ、ニセAIドラマなのか?
椅子と役者15人さえいれば作れるので、確かに舞台劇っぽい。
人類は殺し合う、愚かな存在。
AIは1から1000まで、それ以上、瞬時に造れるが、人類は0から1を生み出せる。
人類は芸術を創造する。
その前にはAIも感動し、涙する。
単なるSF戯曲として作られた脚本で語られる討議内容は、それこそ50年以上前から繰り返し語られつくしてきたロボットSFと何ら変わらない。
今の世なら、「本物」を元にして作れるはずだ。
本当にAIに学習させて、本当にディベートさせた方が絶対面白い。
それをそのまま上映したらエンタメとして観るのはしんどいから、その実験成果をブラッシュアップして役者が演じる、というのならわかる。
しかし、AIがディベートした「体」(てい)で、昔のSF作家が書いたような、AIが人間に忖度したような旧態依然とした陳腐な会話内容「ステレオタイプの人間賛歌」では全く面白くない。
ビジュアル面も、同じ顔15人と言っても、一堂に映るシーンはほとんどなくて、語る一人一人を切り返しで撮ったりしてる。
しかも、黒バックだから、2,30年前かそれ以前でも撮れたレベルの映像。
ビジュアルすら現在のCG技術が不要な内容で、多少は奇妙であっても、別に革新的なわけではない。
黒づくめのイケメンが、インディアンポーカーのように頭に番号をつけて、真面目に語るのは滑稽ではあるかもしれない。
自分が一番面白く快感を感じたのは、エンドタイトルの15人勢ぞろいで同じ振り付けのダンスシーンだ。
これも昔からあった、ただ単に一人を15人にコピーしてずらりと並べたただけの映像で、別に革新的でも何でもない。
映像から得られる快感が、技術革新と正比例するとは限らないということだ。