「妄想が追い付かない」明ける夜に R41さんの映画レビュー(感想・評価)
妄想が追い付かない
序文
正直この作品は難しかった。
一般的な映画の作り方とは大きく異なる。
この映画の“勇気”は、未完成を肯定すること
意味を与えすぎないこと(砂の男)
劇的に終わらせないこと(恋・不倫・謝罪)
時間ではなく季節に従うこと(8/31の暦)
音や距離や衣服といった“間接的な記号”で語ること
これらが従来の映画の観方と大きく異なっていることが、解釈の難しさだった。
レビュー
明ける夜に――8月31日、季節を終わらせる儀式
1. 暦が主人公である
この映画の主役は、人でも事件でもない。8月31日という暦だ。
夏休みの最終日。季節の終わりを告げる日。
自然の季節は巡る。しかし、人生の季節は巡らない。
青春という一度きりの季節を、誰が終わらせるのか。
この映画は、その問いに静かに答える――終わらせるのは本人だ。
2. 群像の“一歩”――未完成の肯定
ここに登場する人々は、問題を抱えながらも劇的な解決をしない。
ただ、一歩を踏み出す。
星は、電話越しに聞こえるセックスの音で失恋を確定させながら、今日子に告白する。清々しい顔で。
倫子は不倫の果てに包丁を握り、終わりを演じる。しかし、演技は虚偽ではなく、自分に終わりを納得させる儀式だ。
山野辺とキミは、就活の空白を、社長探しという擬似冒険で埋める。恋が始まりそうで始まらない余韻を残しながら。
この映画は、解決という直線を拒み、“夏を終わらせる”という円環的な倫理に賭けている。
3. 砂に埋まる男――季節の司祭
そして、砂に埋まる男。
彼はなぜ埋まったのか。理由は最後まで語られない。
取って付けたような嘘だけが残る。
しかし、彼の存在は、物語の核心に近い。
「夏は終わらさなくちゃいけないんだ」
その言葉は、青春の終わりを告げる儀式のように響く。
アロハシャツの男は、長袖の男に迎えられ、海へと消える。
交代はスイッチではなく、混ざり合いだ。
夏は一人で去らない。秋と並んで沈む。
この余白――意味を固定しない力こそ、映画の礼儀だ。
4. 暦の断層で交差する人生
野球部の男は、4年前のエラーを悔い続けてきた。
止まった時間を動かすために、倫子に謝罪する。
その海岸で、砂に埋まる男に声をかけられる。
「死ぬの?」
その問いは、死ではなく、季節の死を意味していたのかもしれない。
暦が、彼らの人生を交差させる。
時計ではなく、季節の断層で物語を編む――この映画の時間はそういう構造を持っている。
5. 終わらせる勇気
就活、不倫、恋、謝罪。
どれも青春の甘味を脱ぎ捨てるための儀式だ。
人生の季節は、一度きり。
その幕引きは、他人でも制度でもない。
自分の手で夜明けを引き寄せる意志だ。
“明ける夜”とは、その意志の名前なのだろう。
最後に
この映画の勇気は、未完成を肯定すること。
意味を与えすぎず、劇的に終わらせず、暦に従う。
そして、余白を観客に返す。
砂に埋まる男は、その余白の司祭として現れ、仕事を終え、静かに海に還る。
