「揺るぎなき者と揺るぎ惑う者たちの決定的違いが悲劇をうんだ」夜の外側 イタリアを震撼させた55日間 かなさんの映画レビュー(感想・評価)
揺るぎなき者と揺るぎ惑う者たちの決定的違いが悲劇をうんだ
1974年11月から1976年7月までイタリアの首相をつとめ、キリスト教民主党党首アルド・モーロが1978年に極左のテロリスト集団「赤い旅団」に誘拐され55日間の監禁後殺害された前後を約6時間にわたる超大作にマルコ・ベロッキオ監督は作りあげた。
誘拐、監禁されたモーロが生きているのか、すでに死んでいるかどうかわから極限状態のなかストーリーは進んでいく。
この映画は6つの視点で描写されている。
1. モーロが誘拐されるまでの経緯
モーロの仕事に対する実直さ、責任感の強さ、尊厳・威厳のある言動、家族愛、信仰の厚さから映画自体が重厚なトーンを織りなし一貫して描かれていく。その彼がテロリスト集団によって計画的に突然誘拐された。このシーン以降映画はほぼ暗い色調で統一され閉塞感につつまれた暗さをもって描かれていく。
2. 同僚の閣僚、政治家たち
党の仲間でありモーロが親代わりと慕う内務大臣コッシーガをはじめ大統領、党員、その他の政治家の対応が主にコッシーガの視点で描写されている。特にコッシーガは国の尊厳とテロリスト集団「赤い旅団」との見えない駆け引きをし、重苦しい展開のまま推移する。
3. ローマ教皇パウロ6世
信仰心の厚いモーロを友人として信頼しており、なんとしてもモーロを救出するために政府に働きかけ、自ら赤い旅団にメッセージを書き、裏金まで用意しモーロ解放の手立てを講じる。
4. モーロの妻・家族
主に妻エレオノーラがどんなことをしてでも夫を解放すべく政府や教皇に必死に掛け合う。エレオノーラは子供たちをまとめ、家族一団となり決して政府に媚びずひたすら夫の無事解放を求める威厳ある態度で接していく
5. 極左テロリスト集団「赤い旅団」のメンバーたち
モーロを誘拐したが、仲間内で生かすのか殺すかの判断が分かれている。革命という大命題に対して理想と現実の狭間で揺れ動いていく。
6. 殺害前と殺害後
モーロの最後の様子が描写される。しかしマルコ・ベロッキオは、特異な手法をファーストシーンとラストシーンに織り込む。
これら6つの様々な視点からモーロの誘拐、監禁を描いていく。
この6つの視点から明らかなのは「揺るぎなき者」と「揺るぎ惑う者」の二つに大別されることだ。
「揺るぎなき者」は、モーロの妻・家族と教皇である。
「揺るぎ惑う者」は、コッシーガをはじめとする閣僚・政治家であり、モーロを誘拐したテロリスト集団「赤い旅団」もその流れの中にいる。
コッシーガと政治家たちは、国の威厳・尊厳とモーロの命を天秤にかけている。国がテロリスト集団に屈したとなればあとあとどのような状況になるか考える。それゆえモーロ救出の判断が揺るぎ惑うのだ。非常に簡単な決断「人命はなにより優先する」という根本精神を忘却し最後に一番悲惨な状況をむかえてしまう。
「赤い旅団」の主要メンバーの女性は、革命の大義名分のためモーロを誘拐した。ただ革命という命題がただの理想主義だというメンバーの意見が主流派をしめ、国の支配階級、ブルジョアには死をという意見に変わってしまう。「赤い旅団」はモーロを誘拐した後に彼を生かすか殺すか組織の中で揺るぎ惑うのだ。そして主要メンバーの女性も理想と現実の狭間で激しく揺るぎ惑う。
マルコ・ベロッキオは、モーロが十字架を背負って歩くイメージショットとファーストシーンとラストシーンに特異なシーンをなぜ織り込んだのか。非常に興味深い手法である。モーロのように実直で国のために汗をかく政治家が命を狙われ、監禁されたモーロの心中を以下二つを想像させる。
1この政治家という地位に辟易したモーロ自身の告白なのか。
2自分が誘拐されても「人命はなにより優先する」ことをしなかった政治家仲間への恨み辛みなのか。
この問いは映画を見た皆さんが考えてみてください。
ただ、殺害されたモーロの妻・家族は国葬にすることをかたくなに拒んだことは重要なキーを握る態度であったでしょう。
この6時間近い映画を見ていて一度も緩むことなく集中して映画を見ていました。この引き付ける力は単なるミステリー映画という枠を大きくはみだしています。それは
「人命はなにより優先する」この根本精神において「揺るぎなき者」と「揺るぎ惑う者」、この二つの種別の人間を見ていたからです。誘拐されたモーロ自身も「まったく揺るぎなき者」でした。
人間は何を最優先するのかという根本精神を、マルコ・ベロッキオはじめ、スタッフ・キャストが精魂を込め総力を傾けて作り上げた、この6時間弱の映画は、確実に揺るぎなき映画として後世に残る映画になるでしょう。
マルコ・ベロッキオは、なぜ2022年にこの映画を作ったのか。まさにこの時期、世界各地で戦争・紛争がおこっているからです。人間は長い歴史の中で殺戮を繰り返してきた。宗教・民族・イデオロギーによる対立や力による国家侵略が悲劇しかうまないことを知っているのに今なお愚行を侵し続ける「揺るぎ惑う者」たちがいるからです。「人命はなにより優先する」のです。愚かな人間たちよ、そろそろ気づきなさい!
とマルコ・ベロッキオはスクリーンの裏からメッセージをなげかけているのです。