「超現実的異空間としての夜の森」警官ジジのアドベンチャー 因果さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0超現実的異空間としての夜の森

2023年5月6日
iPhoneアプリから投稿

『警官ジジのアドベンチャー』などという軽快なタイトルからは想像もつかない不気味なホラー映画だった。カルロス・レイガダス『闇のあとの光』というメキシコ映画に雰囲気が似ているなあと思ったら本作の監督もマジックリアリズム的な手法を得意としているとのこと。

カメラはごく狭い範囲を長回しのフィックスで映し続け、たとえ会話シーンであっても切り返しはほとんど行われない。出来事は常にそのとき映し出されている登場人物の所作と、画面外から聞こえてくる音声によってなんとなく外郭が窺い知れるだけで、実際に何が起きているのかは明示されない。パトカーの窓外に見える景色に何か手がかりを求めてみても、そこには延々とのどかな田園風景が広がるばかりだ。

しかしこの田園風景は昼と夜とで大きくその様相を変貌させる。ジジがパトカーで夜の村落をパトロールするシーンは、さながらスタンリー・キューブリック『シャイニング』でダニー少年が三輪車に乗ってホテルの中を右往左往するシーンを彷彿とさせる。視界はフロントガラスのフレームと夜の闇に局限されており、不意に現れるとも知れない恐怖に我々は怯え続ける。

またジジが自宅の暗い森の中で非現実的体験に遭遇するシーンでは、唐突にカメラのフレームレートが上がり、映像はさながらテレビの心霊ドキュメンタリーのように活き活きと動き始める。良くも悪くも一気に安っぽくなった画面にホッと安堵の溜息が漏れる。ブレまくりながら林の中を彷徨するジジを追い続けるカメラ。するとジジはふと立ち止まり、周囲に向かって「お前なのか?」「お前なのか?」と問答し始める。するとおもむろに彼がカメラと目を合わせ「お前じゃない」と言う。我々が自身の目の代替として覗き込んでいた視界が、実は超現実的な何か、言うなれば幽霊の視界だったというアクチュアルな恐怖。その恐怖の対象は他ならぬ自分自身である(のではないか?)という倒錯性が輪をかけて不気味だ。

昼は注意深く隠匿されていた何かが、夜になると闇の中からその姿を覗かせる。しかしこの見立てだけでは片手落ちだろう。ここには昼と夜以外に、人工と自然というもう一つの対立軸がある。パトカーや無線といった文明の利器を駆使した捜索が遅々として進展を見せない一方で、闇の中を己の身体一つで探っていくジジの前には次々と超現実的な啓示が顕現する。ジジが頑なに自分の家の樹木を切ろうとしないのは、ある種の自然崇拝なのかもしれない。またかつて精神病院へ収容された少年について語る彼の表情が彼らしからぬ深刻さを湛えていたのも、彼が精神病院の非人間性=反自然性をよく理解していたからではないだろうか。

物語は快晴の青空と軽快な音楽の中で幕を閉じるが、それが終わると画面は再び闇(=エンドロール)と自然(=野鳥と木々のざわめき)に満たされる。

現実を超えた何かを秘めた夜がまたやってくる。

因果