「母親になってから、母親初心者の内に見られて良かった」映画 窓ぎわのトットちゃん 主人公のこと我が子と思ってる人さんの映画レビュー(感想・評価)
母親になってから、母親初心者の内に見られて良かった
涙腺バカになってしまって「はい!ここ泣くとこです!」シーンまでにゴンゴン泣きましたわ。今泣き止んだとこだから泣かせないで…を繰り返してました。二人三脚しているのを見る母親を見るだけで泣くんだからもうどうしようもありませんわね。転ぼうが勝とうが喧嘩しようが完走しようがどうでも良いのよ。子供たちを見る母親が存在するだけで泣くのよ。私を泣かせずにいられるならやってみろってーのよ。
間違ったやり方や解釈する人が多く、そのせいで批判の多い「叱らない育児」の見本を見ました。叱らないというのは、子供が間違ったことをしても何も言わない、ではなく、大人の都合で子供のしていることを止めない、なんですね。
気が済むまで話して良い、大人が飽きても止めずに打ち切らない。
あとで片付けるなら汚したって良い。汚してる途中でやめさせる必要はない。
難しいのよ。
だって6時には帰りたいじゃない。
公園で遊びたくても真っ暗になるじゃない。
あなた何時にご飯食べて何時に寝るのよ。
帰ろーって言っちゃうじゃない。
難しいのよ!
でも公園で遊んじゃダメな理由なんてないのよ。大人がついてりゃ夜まで遊んで良いしお腹空いたら勝手に帰るし眠たくなっても勝手に帰るんだから。
子供には子供のタイムスケジュールがあるのよね。大人が子供のそんなん無視するように、子供も大人のタイムスケジュールなんて知らんのよ。夕飯なんて台所から皿だすだけだと思ってるやん。ちゃうやん。子供の気が済むまで遊んで帰ったらパパがもう仕事終えててお風呂とご飯準備して待っててくれるのか???ちゃうやろ!!!!!
でもそんなこと気にしないで良いんだよ、好きなようにしなって育った子供は自分の良きところを思いっきり伸ばしてひとかどの人物になるんだろうなあと考えさせられました。
「大人の都合」で伸ばせるはずの何かを伸ばせなかった子供は、今大人の中に何人いるんだろう。
私は自分の親に抑制されて育ったとは思ってませんが、私にも何か伸ばせるところがあったんだろうか。
私は今我が子の何かを折ってしまっていないだろうか。
たまに見返して何度でも親としてのあり方を見つめ直したくなる名作です。