ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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ホアキンかっこええー
賛否ある歌に関しては、私は意外と気にならず、物語の中にも自然に入っていたなと感じた。
むしろそれによって明確な二面性を表しているようでわかりやすかった。(確かに後半ワンシーンなくても…とは思ったとこもあるけど)
見ていて、誰に対しても何が本当なのか常に不安で、結局ハラハラさせられてた気がする。
とにかく、ホアキンがかっこええ。
何してもその役として様になる。
溢れるプロフェッショナルオーラ。
ホアキン観れただけでも価値あり。
期待通りではなかったとしても刺したら駄目
前回が良すぎたんだよね😅
本作に絶望した貴方、実は監督の思い通りかも
本作に絶望した貴方、実は監督の思い通りかも
本国での公開以降の酷評は勿論知っていて、それでも国内で公開されたら意外と評価高いんじゃないか説という甘い期待も裏切られてから一ヶ月、流石に中々手が出ず進撃の巨人が満員で見れなかったので代替候補として観てきました(笑)
いやあ~まさかまさか、良い意味での裏切りも何も無くそのままクソが出てくるとは・・・・・(呆れ)五年前に感動したあのジョーカーは見る影も有りませんでした。
内容は正真正銘の続編。妄想説などの議論を呼んだ前作ラストもあっさり現実だったという事が分かったのも束の間、刑務所に居るアーサーから始まります。序盤は流石ハリウッドの一線級という映像クオリティで「やっぱり面白いんじゃないか?」という期待を抱かせますが、レディー・ガガが出てきた当たりから不穏(不安)な感じになっていき・・・・。
そもそもレディー・ガガに惚れる理由が薄すぎて、これはアーサーが童貞疑惑もあるほどの非モテだったとしても、それ以上に他人に対して疑り深く拒絶心の強いアーサーがいつ惚れたのかも分からないほどあんなあっさり入れ込んでしまうのは強烈な違和感を感じざる得ない。
むしろジョーカーというキャラクター上、アーサーの方が裏切るじゃないけど最後はハーレイの脳天ぶち抜いてカメラの前でイエーイやって三作目に続く。。。とかの方がよっぽどらしかったと思う。
それがアーサーは終始入れ込んで明らかに彼女から求められるジョーカーを演じちゃってる格下な雰囲気で、もうそういうところも含めて前作で感動したあのジョーカーはどこへやら・・・という感じで。
それ以前にまずストーリーがシンプルにつまらない。前作の日常から非日常へ駆け上がっていくカタルシスであるだとか、その興奮なんかは微塵も継承されておらず、刑務所と裁判所を行き来する低予算も感じさせる絵の変化の無さとそれに呼応したつまらなさで眠ってしまいそうになる。
前作を遥かに凌ぐ予算は一体どこに割かれたと言うのか?ほぼレディー・ガガに吸われたんじゃなかろうか(笑)
既に多方面で言われていたミュージカル要素も意外とミュージカル映画ではないのでフルで歌い切るというボリュームが続くわけではなく、そこは前情報もあってか案外苦にならずに見れた。ただその殆どが妄想であるという点や、何よりハーレイにベタ惚れする理由が謎すぎて終始白けた雰囲気で見せられるのが非常に残念。
そもそも上でも語ったようにジョーカーとハーレイという関係性なのだから、もっと狂気的な愛みたいな感じでジョーカーとの主従関係みたいなのであればもっと面白かったと思うのだが、シンプルに今までモテなかったであろう中年男の青春と片や痛々しい女オタクという感じの構図でこれまたキツイのだ(笑)
ラストも風の噂では聞いていたが突然の展開で取ってつけたように、もうジョーカーは作りませんよ!!と言わんばかりのクソエンドで最後の最後までクソを塗りたくったクソだった。案外良かったという事も無い、正真正銘のクソ映画でした。
道中で良かったシーンや印象に残ったシーンも皆無です。まさかここまで酷評しなきゃならない自分も辛いです。。。。。
何より嫌だったのは、「ほら、これが見たかったんだろ?」と言わんばかりの前作オマージュや申し訳程度のアーサーの病気笑い描写。ほらほら、ホアキンのジョーカーだぞ!と言われているかのようにわざとらしく出てくる前作を彷彿とさせる感じが、安売りされているようで悪い同人作品でも観ているかのような気分にも錯覚させられました。
しかしここで面白い考察が、これすらも全て監督の手のひらの上で、そもそもこの作品に絶望することが監督の狙い通りだという説だ(震え声)
ジョーカーという祭り上げられた一人の男。そんな彼をまた神格化していた一人の実は普通の女性だったハーレイ。そして彼に失望して、絶望して振ってしまうハーレイ。そしてまた別の男はアーサーに怒りを覚え、殺◯。
そのラストも何の捻りも逆転も無く、本当ただ淡々と◯されてしまう。そうして空虚なミュージカルを見せられて特にカッコいいとも思えるシーンも無く最後の最後もあっさりと終わってしまう。
『『これこそが実は全て完成されている、メタ的に観客すらもジョーカーに対して失望させる完璧な2作目だった説・・・・・!!!!』』
いやあ~案外あるんじゃないかとw
それに本作、これが一作目ですげえダークでリアル路線のジョーカーって脳内変換すると案外見れたりします(笑)。飽く迄も前作が神すぎた。
前作が面白すぎて、アーサーがカッコよすぎて、ジョーカーという作品を神格化したまさにリアルな観客すらも作中のハーレイ達のように失望させて期待すらも打ち砕いて最後は最悪な気分で劇場を後にさせる。そこにはもうアーサー(ホアキンジョーカー)に対する期待も何も残っていない。
どこか予定調和なシーンが続き、最後の爆発すらも妙に説得力が無く突然舞台が変化するような奇妙な感覚。それら全てが悪いミュージカルでも見せられているような感覚をあえて観客にも体感させていた。アーサーの笑ってしまうような人生を疑似体験させていた。
そんな巧妙な計算が実は仕掛けられていた・・・・・そんな稀代の名作だったとして、数十年後には評価される時がくるかもしれません。
w
ジョーカーとは
遅ればせながら観てきました。
鑑賞する前に目に入るレビューでは賛否両論で、評価が分かれていました。
観た後に言うならば、確かに今作はほぼミュージカル映画。
ミュージカルを現実と虚構を分ける明確な境界とすれば、個人的に違和感はありませんでした。
レディガガを起用したからミュージカルなのか、ミュージカルだからレディガガを起用したのか。
鑑賞終わった後良く理解出来ていなく、モヤモヤしていたので調べてみると、ラストシーンの意味を知り全てが腑に落ちました。
どんな事をしても自分はみんなの期待するジョーカーにはなれないと罪を受け入れる。
6人に対する殺人は全てはジョーカーではなくアーサー・フレックが行った事だと。
しかし、リーさえいてくれればと思いリーのもとへ向かうが、そのリーが愛するのはアーサーではなくジョーカーだった。
リーに受け入れられなかったアーサーは絶望し、施設に戻され最後を遂げる。
しかし、ジョーカーはアーサーだけではなく、貧富の差が拡がり社会から疎外され続けている人達がいる限り、ジョーカーは存在し続ける。
アーサーの死は新たなジョーカーの誕生なのだろう、と。
個人的に理解したうえでもう一度観てみたいと思う。
そら平均評価3.3くらいになるわなって内容でした。
面白かったです。
ただ、ミュージカル映画くらい歌うし、主演の1人がレディ・ガガなので、あーーそのためのレディ・ガガね。ジョーカーの続編でそれやるんだ。って思いました。
いわゆる賛否両論ってやつですね。
観ながら、ワンピースREDを思い出しました。
あの作品は、歌わせることに重きを起きすぎてストーリーがゴミだったので、ちょっとビクビクながら、今作を観ました。
出会いが、"歌っている彼女"だったので彼女との関係の深さに応じて、音楽の種類が変わっていくのは面白かったですが、まあ多いですよね。
ハーレイがもともとアーティストで、それで歌うなら分かるんですが、別にそんなことないので、どうしても"レディ・ガガ"過ぎるんですよね…
だから、ジョーカーの新作をレディ・ガガの実力お披露目会に消費されてしまったっていう感覚があり、複雑です。
もちろん、歌唱が多かったことには意味があると思うのですが、誰しも繊細に裏を読んで、映画を視聴する訳では無いので…
最悪
最高の続編
フォリ・ア・ドゥ=フランス語で「2人狂い」、「伝播する」、「感染する」といった意味があるそうだが、まさにアーサーと言う1人の男が生みだしたジョーカーという世の不満の代弁者たる虚像が同調する人々に伝播し、感染していく物語であった。その結果、リーのような人間達を生み出し、やがて虚像はジョーカーという名の虚が剥がれ落ち、アーサーという名の実に戻る。しかし、一度拡がったジョーカーという名の病は本人の意思とは関係なく拡大感染しつづけ、新たに生まれた純粋悪のジョーカーにオリジナルであったはずの虚像は実像と共に刺殺される。つまりこれは、悪の象徴となるジョーカーを生み出すキッカケとなったジョーカーでありアーサーの物語なのだ。
ラストの自ら口を裂く音と共に次なるジョーカーの誕生を感じさせるシーンにフォリ・ア・ドゥのタイトルの真意を見たような気がします。
ミュージカル映画ですね。
ここ数年でワースト
テンポが劣悪。これに尽きる。
ジョーカー予備軍やアメコミオタへのアンチテーゼ的な内容が
ウケが悪いとかそんな大層なものじゃない。
ただただくどいミュージカル要素が没入感を
阻害しているだけ。
前作はアーサーの感情が痛い程に伝わってきたから
共感にしろ嫌悪にしろこちらに響くものがあり
それが評価につながっていたと思うのだが
今作はそれをミュージカルが悉く冷まして来る。
断っておくが自分は別にミュージカル映画は
むしろ好きな方だし、ミュージカルそのものや演出、
演者の演技等は引き込まれる所も多い。
だが一本の映画としてみればとにかくタルい。
まあストーリーラインそのものも
蛇足な続編といった感じであまり良い評価では無い。
それをさらに歌で台無しにしている感じだ。
上映中にこんなに時計を見た映画は今までに無い。
歌が始まるたびに「あと何分で終わるんだ」と
まるで苦行そのものだった。
この監督の作品は二度と見たくない。
期待外れと言うには心動かされすぎる20年後の名作
余り評判良くないけど
フツーに楽しめたけどな
でも、評判良くないのはわかる
たぶん面白くないと言っている人の半分ぐらいは
ミュージカルだから。
なんで歌ってるのか意味分からないと言う意見の人は楽しめないと思う。
あとは、前作のような弱者救済というか強者をやり込めて社会をひっくり返すような爽快感が本作には全くない。主人公アーサーのダメなところばかり目立つ
でも、駄作っていうには
心動かされる。動かされすぎる。
ミュージカルパートはアーサーとリーの心理描写を本当にうまく表現できている。
普通はそのミュージカル作品のために作られた歌を作中に使う事が多いと思うが、本作ではほとんど誰もがどこかで聞いたことのあるスタンダードな曲でちゃんと表現できてるのはすごい。
前作の暴力シーンの代わりに今回はミュージカルシーンが主人公の見せ場。
ラブロマンスなのか妄想の世界なのかわからないけど歌ってる時はアーサーが主人公。
ミュージカルパートがアーサーの高ぶる心を表現しているのなら前作のこともあるし、もしかしたら、レディオガガ演ずるリーも。。。なんて思うとまた違った意味でミュージカルシーンが見られる。
基本、鬱展開、ミュージカルパートがないと本当に彼の境遇がひどすぎてみてられないと思う。
気になるのが、これってちゃんとバットマンの世界に繋がるなかな?ってところ
なんか評判悪いし本国の興行成績も悪いみたいなので実現しなさそうだけど
もし、パート3が作られるのなら必ず観に行くと思う。
オレ、アーサーと一緒に夢を見てたんだ
確かに冒頭からちょっとやな予感はしてたんだ。でもさ、周りは自分をクズか病人扱いしかしない中でさ、あんな風に自分を認めてくれる人がいたらさ、そりゃ夢見ちゃうじゃない!?
挙句母親の本音まで言う必要ある!?すみませんデリカシーを売ってください!!
澱が膿になって爆発して、よーしここから全員皆殺しだ!!ついでにカノジョとキャッキャウフフしちゃうぜ!
と思ってたから落差がすごい。この気持ちどうすればいいの…
このジョーカーは、あのジョーカー?
直前に前作のリバイバル上映を見てから、新作を見ました。前作を見ておくのは、必須ですね。
バットマンの敵のジョーカーは、バットマンを振り回し、笑気ガスを使ったり、場合によってはおちょくって、騒ぎを起こす印象。この映画のジョーカーは、周囲に振り回されて、酷い目に遭ったり、逆に祭り上げられたり。ようやく愛せる相手ができたのに、その相手も彼の本質ではない一面にしか興味がないという悲劇。
この2作だけを他のバットマンとは別系列として、この2作におけるジョーカーというキャラの人生を見れば、非常に興味深いストーリー。周囲の影響を受けて、自分の思う通りにならないフラストレーションを抱えている人は多いでしょうが、それが原因で爆発しても、挽回はできないということを示しているようにも思います。
ミュージカル仕立ての部分は、アーサーが現実逃避しているということなんだと思って見ていました。昔のスタンダードナンバーが多く使われていることに関しては、そういう曲を観客が知っていることが前提になっている感じがしました。それらの曲の一般的なイメージが各シーンに関係しているような。
前作では、ブルース・ウェインはまだ小学高学年ぐらい。本作のラストで、ジョーカーがどうなったのかを明確にはしていませんが、ここで息絶えてしまっていると、バットマンの敵にはなれないですね。
出自不明
めちゃくちゃよかった、確かにミュージカルだし「ダンサーインザダーク」がうっすら頭をよぎったけど、ひたすらに良かった。
「前作より規模を拡大させたクライムアクションサスペンス!」だったらホアキン・フェニックスは出演しなかったんじゃないかな。この内容でこそトッド・フィリップスもホアキンもガガもやったんじゃなかろうか。
観ながら「やっぱり普通に異常者なんだな、アーサーって」と感じながら鑑賞してたけども、これって凄いんじゃないかと思います。
「誰が見てもサイコパス」じゃなくて「普通に異常」というか、ナチュラルにオカシいと思わせる演技が出来る俳優って今いるんでしょうか。
ガガ扮するリーも得体がしれないのが更に好い。
これで良かった
タイトルをアーサーにすればしっくりくる
いい曲、いっぱいあるんだな~
1作目に増して完全に単館系の作品だなと思いました。
不条理・哀しい・辛いなどの負のオンパレード。
重厚というか、『重っ』。
最初は『重い』感じでそれをの残しつつ、『緊張感』が加わってきて、それら一纏めにして『哀しく』なります。
ジョーカーでこれをやろうとした心意気がスゴイ。
この作品だけでも、わかるっちゃわかりますが、1作目を観たほうがいい作品です。
『ミュージカル調』仕立てみたいな作り方が、冒頭の方ではちょっと違和感のように気にかかっていましたが、監督の作り方の『方向性?』『クセ?』というか『やろうとしてること』が何となく伝わってきて、良い演出だなと思うようになりました。
この作りで映画を作り上げるのは大変だろうと思いました。
『すごいな』と思った。
歌を使うことで理屈ではなく感覚的に登場人物気持ちが伝わって来る感じがしました。
ホアキン・フェニックスやっぱウマすぎ。日本人でやるならなら年齢があれですが、役所広司やなって観てました。
戦争じゃないけど「悲しいけどこれ~」というスレッガー・ロウのセリフがずっと頭を過っていて、観終わって「悲しいけどこれ“THAT'S LIFE”なのよね~」って感じだなと勝手に納得してました。
「歌はいいから話そう」(ウル覚え)的なセリフと、
Close to youと 、
レディ・ガガの自然に歌うますぎ、なのがとても印象に残りました。
評価が低いので観に行くのやめようと思っていたのですが、観に行って良かったです。
ジョーカーと化した「彼」の、その後。
賛否の嵐が巻き起こっている「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」。ロッテントマトでとんでもない低スコアを叩き出した事が話題になっている。
私個人としては「賛」寄りだ。勿論言いたい事は沢山あるが、この映画をそれ程嫌いにはなれない。
前作で逮捕され収監された「ジョーカー」ことアーサー・フレック。そんな中での運命的な出会い、そして裁判を描いた物語である。
この映画は前作「ジョーカー」をどういう作品として捉えているかによってかなり評価が変わってくるだろう。
「夢だけが支えの持たざる者、アーサー・フレック」の物語として、あるいは「悪のカリスマ、ジョーカー」の誕生秘話として。恐らくは後者として捉えていた人が「否」寄りなのだろう。どちらが間違っている訳でも無い。そりゃ賛否も分かれようというものだ。
内容に関してだが……物語の殆どがアーサーの獄中と裁判所で展開される為スケールはかなり小さい。ミュージカル調である事がよく叩く材料にされているが、ミュージカルにでもしなければ非常に退屈な作品になっていただろう。選曲・歌唱共にハイレベルではあるのだが、事あるごとに歌い出すので少々のくどさは否めない。
しかしストーリー自体は、前作「ジョーカー」の流れを汲んだ、心を抉られる展開が満載だ。裁判やその後の展開でアーサーが「現実」と向き合う場面などは、実に陰鬱とした展開に胸が締め付けられた。
ホアキン・フェニックスの凄まじい演技は健在。「ボーはおそれている」でかなり増量していたが、そこからまた絞り直したというのだから恐れ入る。その役者魂には感服するばかりである。
ハーレイ・クインを演じたレディー・ガガも良かった。その妖しい存在感はホアキンと並べても全く見劣りしていない。
言いたい事はあるものの映画としては良く出来ていたが、大傑作だった前作には及ばないといった所だ。そして何より、前作の醍醐味であった様々な「考察」に明確な答えを出してしまった事は一部のファンにとってはマイナスポイントだろう。本作の哀しきストーリーの大部分を担ってはいるのだが、あの余白だらけの雰囲気が好きだった方にはお勧めできない。
「アーサー・フレック」の物語の続きが観たい、という方は是非劇場へ。レビューに影響されず、自分で鑑賞して、感じて欲しい。それが人生だ。
「アイコン」はつらいよ。
良い映画でした。
前作、そして今作はともに、クリスチャン・ベールの敵役としてのジョーカーの「誕生物語」ではなく、完全な「別作品」として観るべきだと思います。そもそもこの映画には、スーパーカーも秘密基地も出てこないし(超科学的設定ナシ)、っていうかバットマンすら出てこないので、アメコミとは「ねじれの位置」にある作品です。
次いで、巷で言及されている「ミュージカル仕立て」ですが、場面や心情を台詞で表現しようとすると「臭く」なったり「説明的に」なったりしてしまうところ、歌(メロディと歌詞)で表現すればそれらを回避できるし、さらには、より奥行きのある意味を持たせることも出来るので、この手法は「断然アリ!」だと思います。また、選曲も「古き良きアメリカ」をイメージさせるスタンダードナンバーとなっており、『アメリカン・グラフィティ』的な「アイロニカルなズレ」を感じさせます。
で、本題です。
いつの時代においても、民衆は「しるし」を求めがちです。前作『ジョーカー』では、アメコミから出てきて更にパワーアップした「空想上の絶対悪」である「ヒース・レジャー・ジョーカー」とは異なる、「リアル世界の、等身大のジョーカー」が描かれました。そんな前作では「観たかったのはこんなジョーカーじゃない!」という反応も多くあったと聞いています。絶対悪としてアイコン化された「ヒース・レジャー・ジョーカー」との対比において、等身大の「ホアキン・ジョーカー」は「絶対悪のアイコン」たり得なかったわけです。でもそれは、制作者が端から意図したところだと思うので、そこに観客とのズレが生じたのは仕方のないことでしょう。
しかし、ここで更なる捻れが生じます。世の中の弱者全体の悲哀と怨念の「器(うつわ)」として、「ホアキン・ジョーカー」も「アイコン化」してしまうのです。前作『ジョーカー』を観て、劇中の「ピエロ仮面たち」よろしく「不公平で退屈な現状をブッ壊してくれる『リアル・ジョーカー』、『この世のジョーカー』の誕生だ!」と一定数の観客が盛り上がる・・・というこの事象は、監督としては「えっ、そうなります?」だったと思います。「ホアキン・ジョーカー」が製作者の意図を離れた形で再度「アイコン化」してしまったわけです。
「人の世」は、人間の社会は、実のところ、真の善悪とは無縁な「猿芝居」です。でも人間は「善悪の基準」無しには社会を作れませんから、社会を維持する上で障害となるような存在、「善と悪」・「支配と服従」の境界線を曖昧にするような存在は、キチッと排除します(排除されます)。そうしないと社会の「底が抜ける」からです。
また社会は「1人の英雄」「1人のアイコン」により形成され変化するようなものではなく、そのプロセスは本来漸次的です。民衆がアイコンを祭り上げて「新しい世が来る!」と願っても、騒いでも、その波は、たとえ出現したとしても長続きはしません。
そもそも、ほとんどの人間(すべての人間?)は「絶対悪にまで突き抜ける」 なんてことはできないのです(「両面宿儺」もそうでした)。
がしかし、と言うより「だから・・・」なのか、人(ひと)は「しるし」を求めてしまいます。爽快に、痛快に、馬鹿げたこの世を「壊してくれる」ダーク・ヒーローを「アイコン化」します。しかしそれは、どこまでいっても「フィクションのなかでのカタルシス」「束の間のガス抜き」を刹那もたらす存在でしかなく、それを尻目に、真の「人の世」は淡々と日常を再生産していくのです。
前作『ジョーカー』では、しるしを求める民衆と、アーサーという苦悩を抱えた人間とが、「交わりながらズレる」&「ズレながら交わる」様子を描いていたように思います。しかしラストで、「リアルな」「この世の」ジョーカーであるアーサーは「異常で危険な厄介者」として、病院とおぼしき管理された白い空間に閉じ込められてしまいます。社会とは、「近代社会」とは、元来そういうものです。
ここで、前作を観て感じたところを整理すると・・・
「リアルな人の世に、ジョーカーなんていない。そこにはただ、人(ひと)が居るだけ(cf ガビ・ブラウン)」
「個人の抱える苦悩と社会におけるそれへの共感は、往々にして重ならない」
「民意は共感を欠いたまま、時に暴走する」
というところになりますが、その「ズレ」の狭間で、惨めにも社会的に抹殺される…それが、前作『ジョーカー』で描かれた「アーサー・フレックス」という1人の人間の物語だったと思うのです。しかし「抹殺された(抹殺した)」と思っていた「アーサー・ジョーカー」が「アイコン化」したことを受けて、前作において意図していたその視点・構図を再度聴衆に示すことが、本作品で監督が「自身の責任」として引き受け、実行したことなのだと思っています。
というわけで、ホアキン・フェニックス、サイコーでした!レディ・ガガ、サイコーでした!二人ともホントに良く役に「ハマって」いました。
あと驚いたのが、出演者のみんながみんな、歌が上手いこと。ホアキン・フェニックスは歌手ではないのにその歌いっぷりはバッチリ決まっていましたし(本人歌唱ですよね?)、ガガ様におかれては「ハイ、参りました!」でした。あと、拘置所の看守役の方もめちゃくちゃ歌が上手くて、「アメリカン・エンターテイメントの世界は層が厚いなぁ…」などと思いました。
最後に。ラストシーンで登場した「歌の上手いおじさん看守」と「イカれた若い兄ちゃん」は、「グル」だったのでしょうか?だって、看守のおじさん、戻って来ないんだもん・・・。
そう考えると、アーサーの人生は、ある意味「ジョーカー(=道化師)そのもの」だったのかもしれません。まさに「That's Life」・・・といったところでしょうか。
アーサー父となる、のかと思ったが
世のインセルのみなさんには言いづらいが、前作ジョーカーにそこまで熱狂も共感もしたわけではない自分にとっては続編公開と聞かされてもあまり心躍らず。結果、なんとなく義務感で観てしまって、本作の世間の酷評ぶりを検証する以前に、話そのものにやはり興味をもてないがために集中力を保てずじまい…。
そんなわけで、刑務所と裁判所の往復ばかりの退屈な展開なんでガガ様ならではの歌唱を加えてミュージカル風味にしたの?という程度の薄い感想しかないけど、看守たちが宣っていた「ワンちゃんもカトリックでしたよね?」とかの意味不明なアメリカンジョークに対抗して、ムショ内でリーの逆夜這いで童貞喪失のアーサー、鼻血ブーとはならなくてよかった、とだけ一言(©︎谷岡ヤスジ、ダジャレです…)。
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