ジョーカー フォリ・ア・ドゥのレビュー・感想・評価
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期待外れと言うには心動かされすぎる20年後の名作
余り評判良くないけど
フツーに楽しめたけどな
でも、評判良くないのはわかる
たぶん面白くないと言っている人の半分ぐらいは
ミュージカルだから。
なんで歌ってるのか意味分からないと言う意見の人は楽しめないと思う。
あとは、前作のような弱者救済というか強者をやり込めて社会をひっくり返すような爽快感が本作には全くない。主人公アーサーのダメなところばかり目立つ
でも、駄作っていうには
心動かされる。動かされすぎる。
ミュージカルパートはアーサーとリーの心理描写を本当にうまく表現できている。
普通はそのミュージカル作品のために作られた歌を作中に使う事が多いと思うが、本作ではほとんど誰もがどこかで聞いたことのあるスタンダードな曲でちゃんと表現できてるのはすごい。
前作の暴力シーンの代わりに今回はミュージカルシーンが主人公の見せ場。
ラブロマンスなのか妄想の世界なのかわからないけど歌ってる時はアーサーが主人公。
ミュージカルパートがアーサーの高ぶる心を表現しているのなら前作のこともあるし、もしかしたら、レディオガガ演ずるリーも。。。なんて思うとまた違った意味でミュージカルシーンが見られる。
基本、鬱展開、ミュージカルパートがないと本当に彼の境遇がひどすぎてみてられないと思う。
気になるのが、これってちゃんとバットマンの世界に繋がるなかな?ってところ
なんか評判悪いし本国の興行成績も悪いみたいなので実現しなさそうだけど
もし、パート3が作られるのなら必ず観に行くと思う。
オレ、アーサーと一緒に夢を見てたんだ
確かに冒頭からちょっとやな予感はしてたんだ。でもさ、周りは自分をクズか病人扱いしかしない中でさ、あんな風に自分を認めてくれる人がいたらさ、そりゃ夢見ちゃうじゃない!?
挙句母親の本音まで言う必要ある!?すみませんデリカシーを売ってください!!
澱が膿になって爆発して、よーしここから全員皆殺しだ!!ついでにカノジョとキャッキャウフフしちゃうぜ!
と思ってたから落差がすごい。この気持ちどうすればいいの…
このジョーカーは、あのジョーカー?
直前に前作のリバイバル上映を見てから、新作を見ました。前作を見ておくのは、必須ですね。
バットマンの敵のジョーカーは、バットマンを振り回し、笑気ガスを使ったり、場合によってはおちょくって、騒ぎを起こす印象。この映画のジョーカーは、周囲に振り回されて、酷い目に遭ったり、逆に祭り上げられたり。ようやく愛せる相手ができたのに、その相手も彼の本質ではない一面にしか興味がないという悲劇。
この2作だけを他のバットマンとは別系列として、この2作におけるジョーカーというキャラの人生を見れば、非常に興味深いストーリー。周囲の影響を受けて、自分の思う通りにならないフラストレーションを抱えている人は多いでしょうが、それが原因で爆発しても、挽回はできないということを示しているようにも思います。
ミュージカル仕立ての部分は、アーサーが現実逃避しているということなんだと思って見ていました。昔のスタンダードナンバーが多く使われていることに関しては、そういう曲を観客が知っていることが前提になっている感じがしました。それらの曲の一般的なイメージが各シーンに関係しているような。
前作では、ブルース・ウェインはまだ小学高学年ぐらい。本作のラストで、ジョーカーがどうなったのかを明確にはしていませんが、ここで息絶えてしまっていると、バットマンの敵にはなれないですね。
出自不明
めちゃくちゃよかった、確かにミュージカルだし「ダンサーインザダーク」がうっすら頭をよぎったけど、ひたすらに良かった。
「前作より規模を拡大させたクライムアクションサスペンス!」だったらホアキン・フェニックスは出演しなかったんじゃないかな。この内容でこそトッド・フィリップスもホアキンもガガもやったんじゃなかろうか。
観ながら「やっぱり普通に異常者なんだな、アーサーって」と感じながら鑑賞してたけども、これって凄いんじゃないかと思います。
「誰が見てもサイコパス」じゃなくて「普通に異常」というか、ナチュラルにオカシいと思わせる演技が出来る俳優って今いるんでしょうか。
ガガ扮するリーも得体がしれないのが更に好い。
これで良かった
いいとこ取りした予告編の印象とはかなり違うけど、これはこれでいい。...
いいとこ取りした予告編の印象とはかなり違うけど、これはこれでいい。ミュージカルか、そうきたか、と。虚実入り混じって、実は作品全体が主人公の妄想なんではないかとさえ思わせる。
タイトルをアーサーにすればしっくりくる
ハッキリ言って続編は作るべきではなかった。無理矢理こじつけて作った感が否めない。全体的に暗くて精神的にかなりやられる。観るには覚悟が必要。お勧めできない。jokerの物語ではなくアーサー個人の物語。joker1で感動した人はこの作品は無視した方が良い。
いい曲、いっぱいあるんだな~
1作目に増して完全に単館系の作品だなと思いました。
不条理・哀しい・辛いなどの負のオンパレード。
重厚というか、『重っ』。
最初は『重い』感じでそれをの残しつつ、『緊張感』が加わってきて、それら一纏めにして『哀しく』なります。
ジョーカーでこれをやろうとした心意気がスゴイ。
この作品だけでも、わかるっちゃわかりますが、1作目を観たほうがいい作品です。
『ミュージカル調』仕立てみたいな作り方が、冒頭の方ではちょっと違和感のように気にかかっていましたが、監督の作り方の『方向性?』『クセ?』というか『やろうとしてること』が何となく伝わってきて、良い演出だなと思うようになりました。
この作りで映画を作り上げるのは大変だろうと思いました。
『すごいな』と思った。
歌を使うことで理屈ではなく感覚的に登場人物気持ちが伝わって来る感じがしました。
ホアキン・フェニックスやっぱウマすぎ。日本人でやるならなら年齢があれですが、役所広司やなって観てました。
戦争じゃないけど「悲しいけどこれ~」というスレッガー・ロウのセリフがずっと頭を過っていて、観終わって「悲しいけどこれ“THAT'S LIFE”なのよね~」って感じだなと勝手に納得してました。
「歌はいいから話そう」(ウル覚え)的なセリフと、
Close to youと 、
レディ・ガガの自然に歌うますぎ、なのがとても印象に残りました。
評価が低いので観に行くのやめようと思っていたのですが、観に行って良かったです。
ジョーカーと化した「彼」の、その後。
賛否の嵐が巻き起こっている「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」。ロッテントマトでとんでもない低スコアを叩き出した事が話題になっている。
私個人としては「賛」寄りだ。勿論言いたい事は沢山あるが、この映画をそれ程嫌いにはなれない。
前作で逮捕され収監された「ジョーカー」ことアーサー・フレック。そんな中での運命的な出会い、そして裁判を描いた物語である。
この映画は前作「ジョーカー」をどういう作品として捉えているかによってかなり評価が変わってくるだろう。
「夢だけが支えの持たざる者、アーサー・フレック」の物語として、あるいは「悪のカリスマ、ジョーカー」の誕生秘話として。恐らくは後者として捉えていた人が「否」寄りなのだろう。どちらが間違っている訳でも無い。そりゃ賛否も分かれようというものだ。
内容に関してだが……物語の殆どがアーサーの獄中と裁判所で展開される為スケールはかなり小さい。ミュージカル調である事がよく叩く材料にされているが、ミュージカルにでもしなければ非常に退屈な作品になっていただろう。選曲・歌唱共にハイレベルではあるのだが、事あるごとに歌い出すので少々のくどさは否めない。
しかしストーリー自体は、前作「ジョーカー」の流れを汲んだ、心を抉られる展開が満載だ。裁判やその後の展開でアーサーが「現実」と向き合う場面などは、実に陰鬱とした展開に胸が締め付けられた。
ホアキン・フェニックスの凄まじい演技は健在。「ボーはおそれている」でかなり増量していたが、そこからまた絞り直したというのだから恐れ入る。その役者魂には感服するばかりである。
ハーレイ・クインを演じたレディー・ガガも良かった。その妖しい存在感はホアキンと並べても全く見劣りしていない。
言いたい事はあるものの映画としては良く出来ていたが、大傑作だった前作には及ばないといった所だ。そして何より、前作の醍醐味であった様々な「考察」に明確な答えを出してしまった事は一部のファンにとってはマイナスポイントだろう。本作の哀しきストーリーの大部分を担ってはいるのだが、あの余白だらけの雰囲気が好きだった方にはお勧めできない。
「アーサー・フレック」の物語の続きが観たい、という方は是非劇場へ。レビューに影響されず、自分で鑑賞して、感じて欲しい。それが人生だ。
「アイコン」はつらいよ。
良い映画でした。
前作、そして今作はともに、クリスチャン・ベールの敵役としてのジョーカーの「誕生物語」ではなく、完全な「別作品」として観るべきだと思います。そもそもこの映画には、スーパーカーも秘密基地も出てこないし(超科学的設定ナシ)、っていうかバットマンすら出てこないので、アメコミとは「ねじれの位置」にある作品です。
次いで、巷で言及されている「ミュージカル仕立て」ですが、場面や心情を台詞で表現しようとすると「臭く」なったり「説明的に」なったりしてしまうところ、歌(メロディと歌詞)で表現すればそれらを回避できるし、さらには、より奥行きのある意味を持たせることも出来るので、この手法は「断然アリ!」だと思います。また、選曲も「古き良きアメリカ」をイメージさせるスタンダードナンバーとなっており、『アメリカン・グラフィティ』的な「アイロニカルなズレ」を感じさせます。
で、本題です。
いつの時代においても、民衆は「しるし」を求めがちです。前作『ジョーカー』では、アメコミから出てきて更にパワーアップした「空想上の絶対悪」である「ヒース・レジャー・ジョーカー」とは異なる、「リアル世界の、等身大のジョーカー」が描かれました。そんな前作では「観たかったのはこんなジョーカーじゃない!」という反応も多くあったと聞いています。絶対悪としてアイコン化された「ヒース・レジャー・ジョーカー」との対比において、等身大の「ホアキン・ジョーカー」は「絶対悪のアイコン」たり得なかったわけです。でもそれは、制作者が端から意図したところだと思うので、そこに観客とのズレが生じたのは仕方のないことでしょう。
しかし、ここで更なる捻れが生じます。世の中の弱者全体の悲哀と怨念の「器(うつわ)」として、「ホアキン・ジョーカー」も「アイコン化」してしまうのです。前作『ジョーカー』を観て、劇中の「ピエロ仮面たち」よろしく「不公平で退屈な現状をブッ壊してくれる『リアル・ジョーカー』、『この世のジョーカー』の誕生だ!」と一定数の観客が盛り上がる・・・というこの事象は、監督としては「えっ、そうなります?」だったと思います。「ホアキン・ジョーカー」が製作者の意図を離れた形で再度「アイコン化」してしまったわけです。
「人の世」は、人間の社会は、実のところ、真の善悪とは無縁な「猿芝居」です。でも人間は「善悪の基準」無しには社会を作れませんから、社会を維持する上で障害となるような存在、「善と悪」・「支配と服従」の境界線を曖昧にするような存在は、キチッと排除します(排除されます)。そうしないと社会の「底が抜ける」からです。
また社会は「1人の英雄」「1人のアイコン」により形成され変化するようなものではなく、そのプロセスは本来漸次的です。民衆がアイコンを祭り上げて「新しい世が来る!」と願っても、騒いでも、その波は、たとえ出現したとしても長続きはしません。
そもそも、ほとんどの人間(すべての人間?)は「絶対悪にまで突き抜ける」 なんてことはできないのです(「両面宿儺」もそうでした)。
がしかし、と言うより「だから・・・」なのか、人(ひと)は「しるし」を求めてしまいます。爽快に、痛快に、馬鹿げたこの世を「壊してくれる」ダーク・ヒーローを「アイコン化」します。しかしそれは、どこまでいっても「フィクションのなかでのカタルシス」「束の間のガス抜き」を刹那もたらす存在でしかなく、それを尻目に、真の「人の世」は淡々と日常を再生産していくのです。
前作『ジョーカー』では、しるしを求める民衆と、アーサーという苦悩を抱えた人間とが、「交わりながらズレる」&「ズレながら交わる」様子を描いていたように思います。しかしラストで、「リアルな」「この世の」ジョーカーであるアーサーは「異常で危険な厄介者」として、病院とおぼしき管理された白い空間に閉じ込められてしまいます。社会とは、「近代社会」とは、元来そういうものです。
ここで、前作を観て感じたところを整理すると・・・
「リアルな人の世に、ジョーカーなんていない。そこにはただ、人(ひと)が居るだけ(cf ガビ・ブラウン)」
「個人の抱える苦悩と社会におけるそれへの共感は、往々にして重ならない」
「民意は共感を欠いたまま、時に暴走する」
というところになりますが、その「ズレ」の狭間で、惨めにも社会的に抹殺される…それが、前作『ジョーカー』で描かれた「アーサー・フレックス」という1人の人間の物語だったと思うのです。しかし「抹殺された(抹殺した)」と思っていた「アーサー・ジョーカー」が「アイコン化」したことを受けて、前作において意図していたその視点・構図を再度聴衆に示すことが、本作品で監督が「自身の責任」として引き受け、実行したことなのだと思っています。
というわけで、ホアキン・フェニックス、サイコーでした!レディ・ガガ、サイコーでした!二人ともホントに良く役に「ハマって」いました。
あと驚いたのが、出演者のみんながみんな、歌が上手いこと。ホアキン・フェニックスは歌手ではないのにその歌いっぷりはバッチリ決まっていましたし(本人歌唱ですよね?)、ガガ様におかれては「ハイ、参りました!」でした。あと、拘置所の看守役の方もめちゃくちゃ歌が上手くて、「アメリカン・エンターテイメントの世界は層が厚いなぁ…」などと思いました。
最後に。ラストシーンで登場した「歌の上手いおじさん看守」と「イカれた若い兄ちゃん」は、「グル」だったのでしょうか?だって、看守のおじさん、戻って来ないんだもん・・・。
そう考えると、アーサーの人生は、ある意味「ジョーカー(=道化師)そのもの」だったのかもしれません。まさに「That's Life」・・・といったところでしょうか。
アーサー父となる、のかと思ったが
世のインセルのみなさんには言いづらいが、前作ジョーカーにそこまで熱狂も共感もしたわけではない自分にとっては続編公開と聞かされてもあまり心躍らず。結果、なんとなく義務感で観てしまって、本作の世間の酷評ぶりを検証する以前に、話そのものにやはり興味をもてないがために集中力を保てずじまい…。
そんなわけで、刑務所と裁判所の往復ばかりの退屈な展開なんでガガ様ならではの歌唱を加えてミュージカル風味にしたの?という程度の薄い感想しかないけど、看守たちが宣っていた「ワンちゃんもカトリックでしたよね?」とかの意味不明なアメリカンジョークに対抗して、ムショ内でリーの逆夜這いで童貞喪失のアーサー、鼻血ブーとはならなくてよかった、とだけ一言(©︎谷岡ヤスジ、ダジャレです…)。
JOKERにオリジナルはいない
アーサーは狂人を演じていただけだった。自分の器以上に大きくなったJOKERはアーサーの手を離れ、オリジナル無き模倣へと変わる。
最後のシーンでアーサーの腹をめった刺しにした青年はおそらく新たなJOKERになるだろう。
そして、裁判所の爆発で逃げ出したというカリスマ絶大のエピソードに酔いしれるゴッサムシティの人間はJOKERへと変貌する。
壮絶まさしくオリジナル無き模倣であり、アーサーは生け贄となったのだ。
というよくわからん感想になりました。
そもそもあんなに知能の低いアーサーが、我々の知る頭脳明晰なJOKERになりえるはずがない。(笑)
この映画のJOKERとダークナイトのJOKERは別の人間です。
②ミュージカル的法廷劇を観よ!
前作が1999年に僕が劇場で観た映画37本(卒業アルバム的SNS 2020年2月4日記載)中、1番良かったので、本作はとうぜん観ました。
この作品は、前作を観ていないと、内容が繋がらないので、この映画を観る前に、前作を観ておく必要があります。
薬物を使ってドーピング演技をしていたので、ヒース・レジャー氏演じたジョーカー「ダークナイト(2008年)」は、僕にとっては、語る価値はナシ
本作のぶっ飛んだ脚本は、映画「タクシードライバー(1976)」に近くもあり、「時計じかけのオレンジ(1962年)ぽくもあるが
これで、色彩感覚が飛んでいたら、完全にジャンキー"サイケ映画"と決めつけねばならないが、
本作はギリギリなところで、ミュージカルの域に踏み込むことで、その世界に足を踏み入れずに済んだ気がします。
本作は、アメリカンヒーロー映画でなく、バットマンシリーズのスピンオフ作品でもなく
完全に、オリジナルな世界感を持った作品なので、アメリカンヒーロの世界観を、本作に期待した鑑賞者からは、
大苦評が来ることは、容易に予想できる。
人の好みは、好きずき
僕は、アメリカンヒーローものが、嫌いに近く、本作の様な世界感が非常に好きです。
本作のジョーカーは"トランプのJ"ではなく、"バットマンの好敵手"でもなく、単に詰まらない"ジョークを発する人間"だということ
本作は、アーサーと言う いかれたオジサンの人格@害(多重@格)の中での物語、
おそらくレディ・ガガさん演じるはリーは、初登場のシーン以外は、すべてアーサーの妄想の中での出来事だと推論できる。
それでも、リーは、ジョーカーの相棒ではなく、単なるジャンキーのファンであった。その部分が、妄想を否定するような点ではあるが、彼の人生はいままで こうして裏切られ続けてきたのだから、
妄想の世界でも、落胆するような展開に、自分の無意識が導くような気がする。
まして、女性とは、まるで触れ合た事も付き合った事もない 童@ゆえ、弁護士にキスしたのも、もちろん妄想での行い。
ホアキン・フェニックスさん と レディー・ガガさん 両俳優の歌唱力は、実に素晴らしい。サウンドトラックが欲しいくらいだ。
撮影のライティングも構造も、実に考え込まれており 作品の芸術性が高い事を物語っています。
この映画を観たら、もう1度 本作ではなく、1作目「ジョーカー」を観て、これまでの経緯を おさらいしてみるとよいでしょう。
ミュージカルは好きじゃない
ハーレイ・クインの華麗なる覚醒とか、スーサイド・スクワッドとかあのイメージで映画を見始めたら、悲惨なことになった。
爽快感ゼロ。面白いところを見つけることが困難であった。
ミュージカルならミュージカルと宣伝して欲しかった。
今作まで見ることできれいに話が腹落ちする凡作
前作を見たとき、世間の高評価とは違い、個人的には非常に疑問が残りました。
ジョーカーとは歴史に名を残すような悪党です。相当なカリスマと警察の裏をかく天才的な知略がないと成り立たないわけです。その点ヒースレジャー版はそこをうまく描けていたと思っています。
この作品のジョーカーは(言い方は悪いですが)そこら辺にいそうな世間に不満を持っている量産型重犯罪者という感じで、器ではないなと思っていました。これではすぐに警察に捕まるだろうし、脱獄したり、法廷で弁舌を尽くして刑罰を逃れることはおおよそ不可能だろうし、いったいどうやって本物のジョーカーになっていくのやら???と疑念を感じていましたが、本作を見ることでその結末に非常に納得しました。
と同時にSNSやインターネットの発達により実際よりも大きく誇張された虚像を人々があがめている現代に対する風刺も(勝手に)感じています。
非常に納得のいく本作ですが、結論としては驚きもなく退屈な時間が長い凡作と感じたため星3としました。
所詮敗者は敗者でしかない
カリスマジョーカーが“躁”だとしたら、囚人アーサーは“鬱”。“躁”と“鬱”の振り幅が大きい作品だと思いましたが、“鬱”が9割を占めてました。興行が悪いのも皆さんがトリッキーな“躁”ジョーカーを見たいからではないでしょうか。だって、ほとんどの人が貧しくて惨めでしみったれた“鬱”状態で生きていますよね?映画くらい“躁”になって現実逃避させてくれよ?みたいな。
アメリカは“ジョーカー”公開時の5年前より、さらにカオスになってきて、アーサーやリーみたいな人がキャラクターではなくリアルになってしまった。社会が貧困化してテロもありうるかもしれないし、全体的に理解ができない状況。ジョーカーという存在がジョークではなくなってしまった。
リーはアーサーがジョーカーになれば歓喜し求めてくれましたが、アーサーがアーサーのままだと失望し去ってしまいます。つまり、ジョーカーを求めるリーは私たち観客の象徴であり、本作でそれを断固拒否したアーサーは監督の心情そのものに思えました。ジョーカーは単なるアメコミのキャラクター。それがひとり歩きしただけ。
あのギャグ映画“ボラット”や“ハングオーバー”を撮った監督とは思えないくらい大きな不安感を作品から感じましたが、これも監督流のジョークなのでしょうか?
“所詮敗者は敗者でしかない”のか?
歌って踊って沈む映画
役者やカメラワークはいいけど、
ストーリーが残念。
ミュージカル調な妄想シーンを多用しすぎで、
物語はなかなか進まないし、
前作のインサートを使うのも気になった。
本作だけで強固な作品に仕上げてほしかった。
このストーリーで
何を描きたかったんだろうか。
エンターテイメントから逸脱したかったのか?
最後までカタルシスは得られず、
嫌な気分になるが、
それも狙いなのだろう。
このストーリーでGOを出したのは、
悪手としか思えない。
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