「期待は満たせなかったがアーサーの物語としてはアリ?」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ Taiさんの映画レビュー(感想・評価)
期待は満たせなかったがアーサーの物語としてはアリ?
前作と『ダークナイト』視聴済みです。本作視聴直後の評価は終幕で苦笑いしながら星1、改めて考えて演技音楽表現で+1、ヴィランは無理だったけどアーサーを表現しきった点で+1しました。①ヴィラン(ジョーカー)の物語として➁アーサーの物語として2点で感想を述べます。
①まず本場アメリカでの興行収入が伸びない様子。おそらく前作を観たファンが期待するのはジョーカーに覚醒したアーサーがどのようにヴィラン(悪役)として飛躍するのか。これまでのジョーカーのイメージは劇場型犯罪を好む知能犯です。
例えば法廷劇の中で法の目を搔い潜って無罪を獲得する、あるいは脱獄劇で外部の信望者や虜にした看守を利用するといった話、ハーレークインは協力者でジョーカーが理想。
しかし描かれているのは一般人としてのアーサーです。前作で針が振り切れて倫理観や善悪の概念は捨て去っていますがあくまでジョーカーという悪意が突然宿って人格が切り替わったわけでなく正気のままでジョーカーを演じていただけ。だから終盤で「ジョーカーなんかいなかった」(うろ覚えです)そんなセリフが出てしまう。
彼の弁護人が無罪にしようと尽力したりハーレークインや外部の信望者もいて期待のストーリーになるフラグはあったのにあえて全部回避して最後●●?です。前作でバットマン自体がアーサーの空想であるかのような描写ありましたけど●んだら空想も伝えられません。アメリカの方からすると幼いころから知っているヴィランも暴れる前に●んでバットマンも無かったことになるような描写は受け入れがたいのではないでしょうか?
ただ俳優さんの演技力や歌唱力、最新の表現技術は素晴らしいです。ガガはモチロン、ホアキンはタップダンスも踊れるんだと感心。
➁要はアーサー=どん底の男性いう視点からですけどこれは良くも悪くも表現しきったと思いました。前作でどん底を演出しておいて2作目でさらに二番底を用意してくるという徹底ぶり。全てを失った所からジョーカーをあえて演じることで承認欲求の充足や恋人を手に入れた。でもあくまで一般人アーサーの感覚ではジョーカーは続けられないので断念する。終盤で信望者と逃げてヴィランに祭り上げられるとか彼からすると有り得ないのです。
一般人として恋人と自由に暮らしたいのが最後の願いでしたがリーが愛しているのはジョーカーでありアーサーではない。結果彼女も離れていき梯子を外された挙句、再逮捕され●●●エンドでは本当に何の救いも無い。
その罪を考えれば当然と言えますし加害行為は全く共感しません。●しか終着点がなかったとも感じます。ただよくここまでどん底感を表現できたなと思います。
落ち込みますけどあえてどん底を表現しきった先にあるカタルシスなるものは想像できますがそこまで気持ちの整理をつけるには時間がかかりそうです。これは初見の評価なので他の方の評論も参考に理解を深めたいです。