「存在と死」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ 永田製麺さんの映画レビュー(感想・評価)
存在と死
現実への影響も含め前作へのケリ付けに来たぞ。
日本でも有ったよね、電車内でジョーカー事件とか、安倍晋三銃撃とか。ドナルドトランプのQアノンもそれに見えたり。
あまりに話題の問題作になってしまっての事か今作ジョーカーが法で裁かれる映画。
俺も当時、ほとんど話もした事無いような職場の先輩がジョーカー見た。とか聞いて、うわ!「あのジョーカーは俺らですよね?」って社の飲み会で珍しく語っちゃったもん、横席の上司気にせずにw
てまあ、前作のホアキンジョーカーには心重ねたモンですよ。
で、今作そのホアキンジョーカーが裁かれる、責任能力が有るのか?精神異常者なのか?
そして彼は罪をただの犯罪と認め、情け無く振る舞い周囲を夢から醒めさせ大きく落胆させてしまう。
ジョーカーは俺たちのカリスマじゃ無かったのか?
女にも捨てられ全て無くした彼はボロ雑巾のようだった、あの長い階段で。
そして最後にはしょうもないチンピラに刺されてしまう。
優作の探偵物語最終回みたいに。
ジョーカーはあそこで死んだのかも知れない、終わったのかも知れない。
じゃジョーカーは居なくなるの?いやジョーカーは死なないだろう、ホアキンジョーカーが殺されたとしても。
何故ならジョーカーは僕達そのものの意思で有り、僕達がジョーカーの存在を望むから。
そもそもバットマンのライバルにして、そちらに行ってしまっただけのバットマンだぞ、消える訳が無い。
たぶん100年後もジョーカーは語られて居るだろうな、僕達が望む限り存在し続けるんだ。
例えば知ってる?ミッキーマウスがデビューしたのほぼ100年前なんだよね、未だ僕等はミッキーマウスを知って居る、愛している。
キャラクターは死なないんだよ、例え生みの親が死んでも、あのダミ声が聞けなくなっても死なないんだ。
僕達が存在を求める限り、そこに居続けるんだ。
ドラえもんみたいに、優作みたいに。