「アーサーかジョーカーか」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ イーグルさんの映画レビュー(感想・評価)
アーサーかジョーカーか
誰かに愛されたい。というアーサーが、
惜しくもジョーカーという側面だけ愛されてしまった。
その結果、裁判所は爆破され、アーサーは殺されてしまう。
リーや民衆、そしてジョーカーを期待した映画鑑賞者も加害者になり得るだろう。
リーがアーサーに薬をやめさせたが、歌によってジョーカーの登場を助長させていた。
ジョーカーが出てくるタイミングを思い出すとその多くがミュージカルが引き金になっていたと思う。(うろ覚え)
私もミュージカルがやりすぎだと感じたが、それはリーによる狙いだったのだと最後の階段のシーンで感じた。
リーがミュージカルを始めようとしたが、アーサーは拒否。
アーサーはアーサーで、ジョーカーではなくなったので拒否ができたのだろう。
歌とタバコがこの映画での重要な役割だと思った。
リーに会う前はタバコも吸っていなかった。
薬もやめ、タバコも吸い、ジョーカーとしての自分を自信づける歌が始まり映画は進んでいく。
ざっと他の方のレビューやコメントを見ると、
良いレビューは、アーサーという人間の映画としてみた人
悪いレビューは、ジョーカーとしての物足りなさ、そしてミュージカルの嫌悪感。
下記は私のかなり偏った意見だが、
ジョーカーとしての物足りなさを訴える方は極端な話社会に不満を持っていて、ジョーカーに代弁でもしてもらいたいのかと思ってしまう。アーサーを心配する余裕がないともとれる。
ゲイリーの話から、
「ジョーカーになり得てしまう人には必ず理解者が必要である」
というメッセージ。
囚人を絞め殺した看守が、最後アーサーに会釈(仕事を続けられている)する話から、
「現代社会には変えられない闇が一定数存在する」
というメッセージ。
この映画を見終わってエンドロールの時間で、
自分の周りの人間でジョーカーになり得てしまう人がいないか頭の中で探してしまった。