「自らジョーカーの仮面をはずした男の最後」ジョーカー フォリ・ア・ドゥ エビフライヤーさんの映画レビュー(感想・評価)
自らジョーカーの仮面をはずした男の最後
エンドロールで流れるダニエル・ジョンストンの歌がダイレクトにテーマを伝えてくれている気がするので、うろおぼえの歌詞を記載する。
きっと真実の愛があなたを見つける
でもこれは条件つきの約束なんだ
それはあなたも真実の愛を探すこと
きっと真実の愛もあなたを探しているから
アーサーは「誰も僕に見向きもしなかった」と言ってジョーカーの仮面を被り、すべてを暴力という形で破壊した。かつての職場の同僚ゲイリ-はそんなアーサーの心優しい部分をきちんと見てくれていたが、目の前でアーサーに同僚を惨殺され、法廷で「いまでも恐怖で眠れない」と目に涙をためてアーサーに訴える。「僕の気持ちが分かるかい?君だけが、僕を笑わないでいてくれたのに」と。アーサーはこのとき、自分の暴力によって心を深く傷つけられた友人を目の前にして、かなり動揺したんだろうと思う。その後、自己弁論を無理やり切り上げる。
これまで誰かと親密な関係になることがなかったアーサーは精神科病棟で出会ったリーを愛すようになるが、リーはアーサー本人ではなく、最初からジョーカーという仮面のみを愛していた(ふたりの間にあるのは愛というより共依存っぽいけど)。だから、独房でセックスするときもリーは「本当のあなたを見せて」と言って、アーサーにピエロの化粧をほどこす。本当の姿のアーサーを彼女は求めていない。その後、法廷で自身の罪を懺悔し、ジョーカーの仮面を捨てたアーサーのもとを彼女は去っていく。
ゴッサムシティの民衆もまた、本当のアーサーを見てなどはいない。すべてを破壊する象徴としてのジョーカーとしてアーサーを見ている。爆破された裁判所からアーサーの脱走を手伝った住民は、車を降りて走り去るアーサーの背中に「ジョーカー!愛してるよ!」と叫ぶ。爆発が起きる前に、アーサーがもうジョーカーを演じることを降りてしまっていることも知らずに。民衆はアーサー本人の意思に関わらず、彼にジョーカーであることを求める。ジョーカーという影はアーサーから切り離せない。逃げる背中に浴びせられた叫びは、アーサーが求めた愛のかたち、もしくは承認のかたちなのだろうか。たぶん違うだろうと思う。
アーサーの「誰も僕を見向きもしない」の反対は「僕を見てほしい」で、「僕を愛してほしい」だったのかなと思う。でも、真実の愛と出会うためには、自分から真実の愛を探すこと、つまり自分から他者を愛することが必要。アーサーはそれができず、孤独・不満・不安・鬱屈を暴力という形で他者にぶつけて発散し、民衆にジョーカーとして持ち上げられることに快感を覚えてしまった。ゲイリーのように本当の自分を見てくれるひとが傍にいたのに、そのようなひとたちと正面から向き合わず、ジョーカーという歪んだ形で世界から認められようとしてしまった。だが、最終的に法廷でみずからジョーカーの仮面を外し、アーサーとして「彼らを殺さなければよかった」と告白する。
愛は実らなかったけれど、そこまで見られてわたしは満足です。加害者と被害者のあいだを行ったり来たりする、アーサーの複雑な人生と内面を言い表すのは難しい。けれど監督は、これでもかというくらい丁寧かつ真摯にアーサーの人生を最後まで描いてくれたと思う。
素晴らしいレビュー感謝です!
自分もこれは傑作だと思います!
ミュージカル仕立てもジョーカーというキャラにあってて、最高でした!本当に名曲揃いで、個人的に
1作目はこの2作目の為の前説だったとしか思えません。
エンディングの曲にグッときました!^ ^ m(_ _)m