「「ディメンタスの挑戦」という良作アクション」マッドマックス フュリオサ 不敗の魔術師さんの映画レビュー(感想・評価)
「ディメンタスの挑戦」という良作アクション
長文読んでられない方にお伝えしたい結論: 世紀の大傑作から普通の良作へ
そもそもの話として、フューリーロードの体験をもう一度というのは無理な話で。
シリーズ作を見てはいても、あの体験は「自分はどこへ連れて行かれるのか」「ていうか何を見ているんだ」という未知のド迫力体験だった。
そして20-30分見た段階で「こんなの後2、3回はドでかスクリーンの大音響で観るに決まってんだろオラァ!」という歓喜の叫びを心の中で上げていた。
そういうスペシャルな作品の続編は当然難しいが、とりわけ前日譚というのは更に誤った選択だったと思う。
ただでさえ全てが目新しく新鮮な刺激のカタマリだった前作と違い、同じ世界同じキャラクター同じデザインがずっと映るわけで。「シリーズ作だからこその世界観の統一」ではなく、全く同じものが。
しかも着地点が決まっているからこそ、辻褄合わせとか前作への目配せとか、そういう不要なポイントに制作側も観客側も無駄に意識を割かされる事にもなり、前作の超純粋化アクションには無かった不純物が混ざらざるを得なくなった。イモータンジョーという作中最大の悪役も放置せざるを得ないので消化不良感も保証済みだ。
章立てにしたのも悪手だったと思う。そもそもどんなプラスの効果があったのか良く分からない割には「先の展開を観客に予想させる」というマイナス効果しか無かったように思う。
とにかくそれら引っくるめて前作の「体験」から「鑑賞」という普通のフィールドに落ち着いちゃったというか、「理に落ちちゃった」のが何とも残念。
そんな弱点だらけのこの映画を救ったのは、今作のブラボーな悪役、マイティソーことクリス・ヘムズワースが嬉しそうに演じるディメンタスだ。
最初にその身につけたクマチャンを見た時は、バカっぽい狂ったキャラクターを表すには分かりやすすぎるアイテムだなぁと鼻白んだが、自分の子供の形見だと口にされた時点で、ちょっとコイツは違うぞと。
幼いフュリオサを酷い拷問にかけて実りの地の場所を吐かせようとするとか、何なら殺してしまう機会は幾らでもあった筈なのに、大事に育ててしまうあたり、明らかに失った我が子を重ねていたのであろう。結局ジョーに渡してしまうが、フュリオサがあくまでディメンタスを母の仇として忌避する言動をとったので、あれはああする以外無かっただろう。ぬいぐるみをむしり取るディメンタスの表情が印象に残った。
イモータンジョーのような絶対理解不能なカリスマではなく、「半裸姿でチャリオットみたいなバイクを操るアホでマッチョな見た目と異なり、意外と小知恵が回って人間臭いリーダー」というキャラクター性が狂気に満ちた世界観にスポリとハマっていたと思う。
ラストの「お前は俺と同じだ」というセリフが全てを表していて、彼はフュリオサでもあり、またマックスでもあったのだろうと思わされる。むしろこの映画の主役はフュリオサではなく、有り得たかも知れないマックスの姿でもあるディメンタスだろうと思う。
最後に、この映画本国では近年の反ポリコレの潮流に飲まれて散々な興行成績だという。
たしかに私も昨今のディズニー始めハリウッドのポリコレゴリ押しは創作を殺すと思うので大いに反対だ。だが今作見てみれば分かるが明らかに「ディメンタスの挑戦と落日」がメインで描かれていて、フェミ描写など殆どない。前作の方が余程その辺の描写はあった。それも全く不自然でない形で。
数少ない日本の洋画鑑賞者の皆さんは是非この明らかに間違った判断をせず良作アクションを観に行って欲しいと思う。過度な期待は禁物だが普通に面白いので。これが誤解からとはいえ大ゴケ映画として歴史に名を残すのは間違っている。