aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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さっぱりわからん! でも尊い
思春期を迎えた少女と何か問題を抱えた父親のバケーションということはわかりました。予告ではもう少し不穏な何かを予期させるものがあったのですが、そんな下心は裏切られます。
とはいえ、子供と大人の狭間にいるソフィの佇まいと娘に向き合おうとする父親の映像は尊い。
それ以上のことはさっぱりわからないんですけどね。
寝息を聞かせる程静かで、優しい映画
この映画は構成が複雑で、時間軸もバラバラだし、誰の視点なのかわかりにくいし、物語にあまり関係なさそうなシーンが続いて中々読解力を求められる映画です。
しかし、ストーリーが進んでいくとこの映画は大人になったソフィがホームビデオを観ながら当時を思い出している映画だということに気付きます。ビデオテープをカチャカチャ動かす音やテープを巻き戻すような音が入るのはこのためです。
そうして映画を観ていくとお父さんちょっと様子がおかしいことに気付いてきます。それはこのホームビデオを観ている娘もきっと同じ。例えばお父さんが最初に手首に包帯を巻いていることやホテルの予約が上手く出来ていなかったり、身に覚えのない痣が出来ていたり、夜も寝ないでバルコニーでボーッとしていたり、大人になった今観ると心配で声を掛けたくなります。
しかし当時11歳のソフィには気付けません。彼女は純粋にお父さんとの旅行を楽しんでいます。
お父さんは31歳の誕生日になるということで、20歳で産んだということ。この娘の存在は大分彼の人生に影響を及ぼしたでしょう。お父さんが1人でいるシーンは基本真っ暗で、夜の海だったり、謎のクラブシーンだったり、何か闇を抱えているだろうということは映像のみで語られます。
ここから少しネタバレですが、
劇中に何回か挟まれるクラブシーンは恐らく死後の世界で、最初は何が映っているのかわからないのですが段々とお父さんが映っているのがわかり、粉語終盤では大人になった娘ソフィがお父さんを見つけて抱きしめます。← 良いシーン!!
お父さんとの旅行の最後では思春期を迎えた娘はお父さんとのダンスを拒否してしまいます。← このシーンに流れるクイーンとで デヴィッド・ボウイの「アンダープレッシャー」の使い方が良かった。
夜に真っ暗な海へ入っていき戻らないお父さん。
ラスト。娘を空港で見送り、娘の最後の姿をビデオに収めるお父さん。そして満足そうな笑みを浮かべて暗間のクラブへと戻っていくお父さん。断片的なシーンが多く頭の中で編集して考えないといけないのですが、それはそのまま大人になったソフィがやっていることで、ビデオテープを編集している音が聞こえるのもそういった意味です。シャーロット・ウェルズ監督自身が体験したことが元になった話で監督は30代前半。ソフィの世代であり、私と同世代!20年前といえばiPhoneなんてないのでホームビデオ。色々懐かしい!
同世代が描いた少しワケありな「お父さんとの思い出」
ボール・メスカルはワケあり男の演技抜群だし、ソフィ役の新人フランキー・コリオちゃんは可愛いし、バリー・ジェンキンス製作の効果なのか音楽の使い方も良い。良い映画でした。
ハートの形と色と質
目に見えないものを見る感覚だったなぁ。
作品の内容を知らずに鑑賞したので、勝手にストルゲーの内容だと思ってたから、正直、なんだこれ…と思ったが、ラストシーンまでの流れは秀逸だ。
ひと夏の経験
11歳の娘ソフィともうすぐ131歳😁になる父親カラムが過ごした夏休みを描いた物語
娘ソフィ目線で進むストーリーからか
父カラムの情報はほとんど無く彼の背景や抱えていた物、事は全く分からない
彼は娘と別れ空港の長い通路を歩いた後どうしてるのか?
そして娘ソフィはどんな風に大人の階段を登って行ったのか?
観手それぞれの感性や想いが「結末」を創り上げ委ねて行く…
大切な人と愛おしい時を過ごし沢山の物が詰まった記憶の結晶になる様に…
帰り道、物語の大きな役割になっていたアンダー・プレッシャー🎵を口ずさみながら
もしかしたら映画を見続け劇場に通うのはこんな作品に出会う為なのかも…と思える程、深い感動と感傷を得られた秀作でした!
大泣きしてしまった
大好きな父と過ごしたバカンスの日々。どうやらソフィは母と暮らしており、離婚した父とは久し振りに共にする時間のようです。
ソフィが撮ったそのビデオフィルムを見ているのは、今のソフィ。
途中に挟まれる断片的な映像から、このフィルムを観ているソフィがどんな想いで観ているのか、今だから見えてくる父の姿に何を思うのか、想像せずにはいられませんでした。
空港で隙間から見えるソフィを一瞬も逃すまいと愛おしそうに撮るお父さん。空港を後にするお父さんの、まるで何かを決意したかのような迷いのない足取りに、涙が溢れ出て、大泣きしてしまいました。
余白を味わう映画なのでしょうね。
視点はかわる。
あの日に帰りたい
"こんな父親でごめんね…"な映画
映画レビューを見ると、「嗚咽した」とか「号泣した」とか気になる言葉が沢山並んでいて、filmarksの評価も良い。で、ロッテントマトは96%/81%とかなりの高評価…(2023年6月現在)。
仕事帰りの週末レイトショーは、父と娘の愛の物語に感動してストレス発散!
もうこれで決まりでしょう!笑
で、…笑
ん〜、LGBTQムービーでした笑
正直、苦手なんですよ…。
予告編にはそんな事を匂わせる場面は一切ありませんでした。恐らく、なんだか訳ありな父娘が素敵なひと夏を共に過ごして…という感じでした。ポスター・ビジュアルなんかもスタイリッシュで、爽やかな青春モノかなと…まぁ、青春ものといえば青春ものなんですが…笑
作品は、父親大好きな娘…20年後に、父と一緒に過ごしたバカンスのビデオ・テープを一人見返して、"なにおもう?"
…という作品でした。
レズビアンに目覚めた娘ソフィは、あの日父と過ごした夏、父が言っていた言葉を確かめたくて、ビデオを引っ張り出して来たんですかねぇ?(父親は、故郷にはもう二度と帰らない、捨てたとすら言ってました。そして、別れた妻にはまだ「愛してる」と電話口で告げ、娘ソフィを不思議がらせました)。
しかしながら、この父娘、二人の距離感がなかなかいい感じで、映像の美しさと物語の面白さもあって、実は最後まで結構釘付けでした…なんかひと夏の"出来事"でも起こりそうな、妖しいニュアンスが夏の汗ばむ感触と共に映像に張り付いていたというか…。
日焼けクリームというのは、映画作品の中では、なかなか"変態な"小道具というか、観る側の想像力を掻き立てる何とも"いい仕事"しますなぁ…
まぁ、号泣を期待した分、ラストは結構あっさりとした印象でした…と言うか、こんな回りくどい展開で、"ストーリーの行間"を想像しろ!と観客に丸投げされたら、素直に号泣できましぇん笑
と言うわけで、文化背景の異なるわたしには、何かとストンと合点の行きにくいストーリー設定、物語、テーマの作品でした。
*もう一回ぐらい観たら、面白いのかなぁ?笑
久しぶりに泣いた
前提として
・予告未視聴
・この監督の他作品は未視聴
泣いた。ボロボロに泣いた。最後のシーンで涙が抑えられなくなった。
お父さん、本当は娘に嫌われたまま死にたかったんじゃないかな
けれどどうしても(死ぬため以外には)嫌われたくはないし、だからこそ誕生日の歌で泣いてしまったんだと思う
あの時本当に幸せを感じてしまいそうだったから
未遂の次の日だから余計ね。
父親の最後の思い出がじんわりと離れ離れになっていく感じ。あの時は分からなかった父の気持ちとか葛藤とか……
音楽自体も別に、作品を彩ってるってほどじゃないけど最後の"Under Pressure"で号泣したのも事実
あれは和訳がずるい。逆にいうと和訳がないと泣けなかったと思う
娘が見ることのできなかった父親のシーンがあることによって、この作品はただの現実ではなく映画として成立している。
当然っちゃ当然かもしれないけど、あれがなかったら物語ではない。
思い返しても余韻で泣きそうになる、そんな作品。
陽の光、夜の海、彩度で心が現れる
まぁ、いろいろありますよね...
記憶は、時と共に見えてくるものが変わる。だけど、、、
人生の一瞬を、誰かと共にすること。
それが、愛する娘であれ 愛する恋人であれ、配偶者であれ、そのひとときは過ぎ去っていくもので、二人は異なる人間だからいつか別々の道を歩んでいったり、お互いが知らない世界を築いていく時もある。
だけど、そのひとときは確かな形で、二人の心に永遠に残っていく。
たとえ、お互いが、二人の世界の外側で悲しみや涙で、心が折れそうな時、壁に覆われてしまった時、そんな時でも、輝いていた一瞬を記憶の底から取り出して、見直す時、当時とは異なる色をしてるかもしれない、だけど、それは確かにその人の生を彩り、今生きてることを肯定してくれるのだろう。
子を持つ親、かつて幼い娘で今は大人になった女性。涙腺崩壊に注意な映画です。
余韻
別れて暮らしている11歳の娘と31歳の父親のバケーション。ずっとカメラで撮影していて、反発し合うわけでもなく穏やかな父娘水入らずの毎日で、ティーン達とビリヤードで出会い、娘は彼らとも親しくなって毎日を楽しく過ごすが、父親は何となく終末に向かっているような悲しげな雰囲気。お父さんには何かある、不治の病?などと不安を感じながら2人を見守る。
父親の年齢になった娘が、当時撮ったビデオを見て父親の心境を想像している。ビリヤードの時に兄妹と間違われたように、20歳の時の子どもとはまたえらく若い。複雑な20代だったろうと容易に想像がつく。一緒に暮らしていないようなのに、甲斐甲斐しく娘に日焼け止めを塗ってあげたりと、父親ぶりは立派。
限られた楽しいバケーションも終わりが来て、空港でお別れする。無邪気な娘は何度も父親に戯けた挨拶をする。娘を見送り、父親が建物から出た瞬間、一斉にフラッシュが焚かれた。
つまりこの旅行は収監される前のひとときだったのか?
カラオケ会場で娘が勝手に申し込んだ「お父さんの好きな歌」が、R.E.M?これはカラオケには向かんわ。
こころのなかに生きる
私の心のカメラにのこすから。
どれほど自分といるソフィは幸せを感じていたんだろう。。。
そして、どんなに願っても離れて暮らさなければならないことを理解していることがわかる言葉。
父はそれを胸にしまい、明るく手を振るソフィを見送る。
…………
太陽の熱が白浜の笑い声に降り注ぐ。
プールサイドの潮風が誘うように渡り歩く。
スパを埋めるタイルの異国情緒。
青い空と星の夜を何度も繰り返しながら時間を忘れていく
一年中の明るさを全部集めたようなリゾート地。
11歳の娘と31歳の父のそのままの夏が揺れるカメラ越しにある。
そして時折父や娘をかすめる陰に気づく。
まわりで華やぐ家族たちが過ごすカラッと乾いた陽気なバカンスとは違う何か。
ソフィは今まで通りの天真爛漫で活発な子供のように振る舞いながらも、どこかで父の様子が少しおかしいことに気がついている。
だけど、受けた違和感に反応できるほどに大人でもなく、憂いを帯びた眼差しをたびたび隠せなくなっている思春期の入り口にソフィはいる。
心身ともに大人になり、近くて遠いところにいた親に追いつける日がくることは、だいぶ後になって気がつくことだ。
こどものときにみた姿の残像をつなぎ合わせ、腑に落ちる瞬間が増えていくのはそのサインなのかも知れない。
でもあのときのソフィはなす術もない。
そして、きっとそれでよいのだ。
心のカメラにのこすからという愛おしくも切ない言葉と去り行く笑顔できっと父は報われまた苦悩の底に沈む。
それも、きっと仕方なかった。
……………
父と同じ歳になったソフィが目にする映像は、もう二度と会えない父の思いと幼い自分が抱えた思いが溢れていた。
今だからわかる父がいた最後の夏。
色褪せて傷んでいく紙の折り目とおなじく、過去は1秒ごとに儚く無情に遠ざかっていく。
しかし時を経てひとつひとつを赦し寄り添うことができれば、思い出はこころのなかに生きていくことを知る。
あの輝く太陽の下でソフィの小さな手をやさしく包んだ父が、人として苦悩もしながらも生き、与えてくれた精一杯の愛が永遠になるのだろう。
修正済み
冒頭部分
人によってはものすごく刺さる映画になります。普通の父娘のアットホームな家族ドラマと思う人も。アップダウンのない淡々とした話運びなので、途中で眠り込んでしまうことになりかねません
映画ならではの繊細かつ先鋭的な手法で、深遠なる感情の揺らぎを表現しようと試みた野心作だ。
英スコットランド出身のシャーロット・ウェルズ監督の長編デビュー作。
11歳の娘がまもなく31歳になる父と過ごしたある夏の思い出に基づく自伝的作品ですが、ありふれた家族ドラマではありませんでした。
20年後、父と同じ年齢になった娘は、ビデオテープの映像からその数日間の記憶をよみがえらせ、父の新たな一面を見いだしていくのです。
文学に例えれば「行間」。映っていることではなく、映っていないことが、この作品を豊かにしています。そのため説明的なセリフを徹底的に省き、映像と音を研ぎ澄ましているのです。あえて残した余白の解釈を観客の感性に委ねるスタイルで、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描きだし、鑑賞後に深い余韻を残す、記録と記憶の傑作です。
11歳の夏休み、思春期のソフィ(フランキー・コリオ)は、31歳の父親カラム(ポール・メスカル)とともにトルコのひなびたリゾート地を訪れます。カラムは母と離婚し、普段は別々に暮らしていました。同伴者の快活なソフィと優しいカラムの親子仲は良好で、カラムが若いため2人は兄妹に見間違えられることもあったのです。
まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごします。
父は娘の背中に、日焼け止めを塗り、娘は父の顔に塗る。そのかすかな匂い。空には、パラグライダーが緩やかに舞い、海は、その地の名に相応しくターコイズブルーに輝くのです。
カラムと共に、トルコのリゾート地で過ごす数日間。ここに物語はありません。あるのは、ソフィにとって、一瞬が永遠にも感じられる現在なのです。
20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆきます。
プールの中で水中カメラを構える父、隣り合ってバイクゲームに興じた同じ年頃の少年、若い父を兄と思った少年たちとのビリヤード、プールサイドでの昼寝で空に浮かぶパラグライダーを眺めたり、草原で2人で並んで太極拳の動きをしたり。それら鮮やかな光の中に浮かび上がる断片と共に、父としたスキューバダイビングを、いままでの人生でサイコーだったと、ソフィはビデオの中で語ります。
そんなたわいない旅のスケッチ描写は一見ほほ笑ましいバカンス映画のようです。しかし本作には意外な仕掛けがあるのです。
まばゆい光と鮮烈な色彩に満ちた35ミリフィルムの映像には、ソフィが撮影した粒子の粗いホームビデオが挿入される。大人になった“現在”の彼女が、20年前の旅の記録と向き合うという構造になっているのです。
けれども、その一方で、どこか謎めいた父の姿があるのです。ホテルに着いて間もなくの、ベランダで身体を揺すりながら煙草を吸っている父。あるいは、部屋の壁に掛けられた鏡に映るかと思うと消える、父の腕。また、裸の背中を見せながら号泣する父。それを見ているのは誰か。黒画面の中に走る光に一瞬浮かび上がる、大人になったソフィでしょう。そこには11歳のソフィが知らなかった父がいたのです。
すると、幸福感に包まれていた旅の見え方が変わってくるのです。逆光や後ろ姿で撮られた父は孤独の影をまとい、経済的な問題を抱え、精神的にも行き詰まっているようです。幼いソフィには気づかなかった人間や人生の暗い断面がせり上がってきて、父の自死をほのめかす不吉なイメージも映し出されます。愛する者を追想するこの映画は、切ない追悼の映画でもあるのです。
背伸びをしたソフイのひと夏の経験、のような挿話もありますから、父と娘がこれほど親密に過ごした夏休みは、この年が最後だったのでしょう。時折挿入されるビデオカメラの古ぼけた映像、R・E・M・の「ルージンク・マイ・レリジョン」など要所で流れる往年の名曲が、感傷的な気分を盛り上げるのに一役買っていました。
この映画が非凡なのは、時々物語が“飛ぶ”こと。当時30そこそこだった父の姿が、ふとよみがえる記憶のように、断片的に差し挟まれます。20年後、同い年になった私だから、あのときの父の気持ちが分かる、といった具合に。
11歳のソフィと現在。その前後に何かあったかは描かれません。説明しないことで、観客の想像力に働きかけてくるのです。これが映像の力というものでしょう。
そしてクイーン&デビッド・ボウイの名曲「アンダー・プレッシャー」が流れる終盤のダンスシーン。親子のかけがえのない絆と喪失の悲しみが、時を超えてフラッシュするその場面は鳥肌ものでした。
記憶のみならず、写真や映像といった記録も曖昧なものという視点が、この映画を特別なものにしています。どれほど対象に近づいた記録でも全てを映し出すことは不可能で、その部分を補うようにして人の記憶は形作られていくのかもしれません。
ウェルズ監督はそれを説明しすぎることなく、パズルのピースをはめていくように緻密な構成で描き出しています。生活音や呼吸音を際立たせた映像には親密感があり、見る者が自分の個人的な思い出を振り返ってしまう効能も。早くも次回作が楽しみになる新鋭監督の登場です。
最後に、本作は、人によってはものすごく刺さる映画になります。また別の人には、ごく普通の父娘のアットホームな家族ドラマにしか見えません。ものすごくアップダウンのない淡々とした話運びなので、疲れている時に観るのは、注意が必要です。ヘタすると途中で眠り込んでしまうことになりかねないのです。
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