aftersun アフターサンのレビュー・感想・評価
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"こんな父親でごめんね…"な映画
映画レビューを見ると、「嗚咽した」とか「号泣した」とか気になる言葉が沢山並んでいて、filmarksの評価も良い。で、ロッテントマトは96%/81%とかなりの高評価…(2023年6月現在)。
仕事帰りの週末レイトショーは、父と娘の愛の物語に感動してストレス発散!
もうこれで決まりでしょう!笑
で、…笑
ん〜、LGBTQムービーでした笑
正直、苦手なんですよ…。
予告編にはそんな事を匂わせる場面は一切ありませんでした。恐らく、なんだか訳ありな父娘が素敵なひと夏を共に過ごして…という感じでした。ポスター・ビジュアルなんかもスタイリッシュで、爽やかな青春モノかなと…まぁ、青春ものといえば青春ものなんですが…笑
作品は、父親大好きな娘…20年後に、父と一緒に過ごしたバカンスのビデオ・テープを一人見返して、"なにおもう?"
…という作品でした。
レズビアンに目覚めた娘ソフィは、あの日父と過ごした夏、父が言っていた言葉を確かめたくて、ビデオを引っ張り出して来たんですかねぇ?(父親は、故郷にはもう二度と帰らない、捨てたとすら言ってました。そして、別れた妻にはまだ「愛してる」と電話口で告げ、娘ソフィを不思議がらせました)。
しかしながら、この父娘、二人の距離感がなかなかいい感じで、映像の美しさと物語の面白さもあって、実は最後まで結構釘付けでした…なんかひと夏の"出来事"でも起こりそうな、妖しいニュアンスが夏の汗ばむ感触と共に映像に張り付いていたというか…。
日焼けクリームというのは、映画作品の中では、なかなか"変態な"小道具というか、観る側の想像力を掻き立てる何とも"いい仕事"しますなぁ…
まぁ、号泣を期待した分、ラストは結構あっさりとした印象でした…と言うか、こんな回りくどい展開で、"ストーリーの行間"を想像しろ!と観客に丸投げされたら、素直に号泣できましぇん笑
と言うわけで、文化背景の異なるわたしには、何かとストンと合点の行きにくいストーリー設定、物語、テーマの作品でした。
*もう一回ぐらい観たら、面白いのかなぁ?笑
久しぶりに泣いた
前提として
・予告未視聴
・この監督の他作品は未視聴
泣いた。ボロボロに泣いた。最後のシーンで涙が抑えられなくなった。
お父さん、本当は娘に嫌われたまま死にたかったんじゃないかな
けれどどうしても(死ぬため以外には)嫌われたくはないし、だからこそ誕生日の歌で泣いてしまったんだと思う
あの時本当に幸せを感じてしまいそうだったから
未遂の次の日だから余計ね。
父親の最後の思い出がじんわりと離れ離れになっていく感じ。あの時は分からなかった父の気持ちとか葛藤とか……
音楽自体も別に、作品を彩ってるってほどじゃないけど最後の"Under Pressure"で号泣したのも事実
あれは和訳がずるい。逆にいうと和訳がないと泣けなかったと思う
娘が見ることのできなかった父親のシーンがあることによって、この作品はただの現実ではなく映画として成立している。
当然っちゃ当然かもしれないけど、あれがなかったら物語ではない。
思い返しても余韻で泣きそうになる、そんな作品。
陽の光、夜の海、彩度で心が現れる
6月3日名古屋レインボープライド🏳️🌈
多様性や人権
いろんなつなげ方があります。
アフターサン観てきました。
ホームビデオカメラのテープ20年前の父と娘の旅から、あの時の父を思い返す31歳になった娘。
丁寧に観ないと31歳の父親メスカルの心は見えてこない
感情をすくいとるには親目線を持たないと…それと若い頃、思春期を思い返して娘ソフィ目線も
プールの中、海の中のシーンが透明で美しく言葉がない分、気持ちが現れる。
夜の海は哀しみの濃いブルーだった。
映像の彩度に父娘の心が現れてた様に見えた。
太陽の陽射しの中の父親
夜の海に彷徨う様な一人の男性の父
日焼けした肌に残る傷み
まぁ、いろいろありますよね...
パンフレットを読まなきゃ、実際何が言いたいのか解り辛く、
こっちに、いろんな解釈を委ねる、
解ってくれる人だけでいいです。というような作品かなー。
で、これを良いって言うと、ちょっと映画通?みたいな雰囲気なのかなー。
嫌いじゃないけど、たぶん、一年経ったら観たことを忘れてしまいそうな気がする...
画質や、音楽や、父と娘のやりとりとかは、とても良かったです。
なので、少し訳ありな他人様の夏の休暇を、家でお茶でも飲みながら見てる感じ。
そこで、自分の場合を思い出したりするのかな。
記憶は、時と共に見えてくるものが変わる。だけど、、、
人生の一瞬を、誰かと共にすること。
それが、愛する娘であれ 愛する恋人であれ、配偶者であれ、そのひとときは過ぎ去っていくもので、二人は異なる人間だからいつか別々の道を歩んでいったり、お互いが知らない世界を築いていく時もある。
だけど、そのひとときは確かな形で、二人の心に永遠に残っていく。
たとえ、お互いが、二人の世界の外側で悲しみや涙で、心が折れそうな時、壁に覆われてしまった時、そんな時でも、輝いていた一瞬を記憶の底から取り出して、見直す時、当時とは異なる色をしてるかもしれない、だけど、それは確かにその人の生を彩り、今生きてることを肯定してくれるのだろう。
子を持つ親、かつて幼い娘で今は大人になった女性。涙腺崩壊に注意な映画です。
余韻
別れて暮らしている11歳の娘と31歳の父親のバケーション。ずっとカメラで撮影していて、反発し合うわけでもなく穏やかな父娘水入らずの毎日で、ティーン達とビリヤードで出会い、娘は彼らとも親しくなって毎日を楽しく過ごすが、父親は何となく終末に向かっているような悲しげな雰囲気。お父さんには何かある、不治の病?などと不安を感じながら2人を見守る。
父親の年齢になった娘が、当時撮ったビデオを見て父親の心境を想像している。ビリヤードの時に兄妹と間違われたように、20歳の時の子どもとはまたえらく若い。複雑な20代だったろうと容易に想像がつく。一緒に暮らしていないようなのに、甲斐甲斐しく娘に日焼け止めを塗ってあげたりと、父親ぶりは立派。
限られた楽しいバケーションも終わりが来て、空港でお別れする。無邪気な娘は何度も父親に戯けた挨拶をする。娘を見送り、父親が建物から出た瞬間、一斉にフラッシュが焚かれた。
つまりこの旅行は収監される前のひとときだったのか?
カラオケ会場で娘が勝手に申し込んだ「お父さんの好きな歌」が、R.E.M?これはカラオケには向かんわ。
こころのなかに生きる
私の心のカメラにのこすから。
どれほど自分といるソフィは幸せを感じていたんだろう。。。
そして、どんなに願っても離れて暮らさなければならないことを理解していることがわかる言葉。
父はそれを胸にしまい、明るく手を振るソフィを見送る。
…………
太陽の熱が白浜の笑い声に降り注ぐ。
プールサイドの潮風が誘うように渡り歩く。
スパを埋めるタイルの異国情緒。
青い空と星の夜を何度も繰り返しながら時間を忘れていく
一年中の明るさを全部集めたようなリゾート地。
11歳の娘と31歳の父のそのままの夏が揺れるカメラ越しにある。
そして時折父や娘をかすめる陰に気づく。
まわりで華やぐ家族たちが過ごすカラッと乾いた陽気なバカンスとは違う何か。
ソフィは今まで通りの天真爛漫で活発な子供のように振る舞いながらも、どこかで父の様子が少しおかしいことに気がついている。
だけど、受けた違和感に反応できるほどに大人でもなく、憂いを帯びた眼差しをたびたび隠せなくなっている思春期の入り口にソフィはいる。
心身ともに大人になり、近くて遠いところにいた親に追いつける日がくることは、だいぶ後になって気がつくことだ。
こどものときにみた姿の残像をつなぎ合わせ、腑に落ちる瞬間が増えていくのはそのサインなのかも知れない。
でもあのときのソフィはなす術もない。
そして、きっとそれでよいのだ。
心のカメラにのこすからという愛おしくも切ない言葉と去り行く笑顔できっと父は報われまた苦悩の底に沈む。
それも、きっと仕方なかった。
……………
父と同じ歳になったソフィが目にする映像は、もう二度と会えない父の思いと幼い自分が抱えた思いが溢れていた。
今だからわかる父がいた最後の夏。
色褪せて傷んでいく紙の折り目とおなじく、過去は1秒ごとに儚く無情に遠ざかっていく。
しかし時を経てひとつひとつを赦し寄り添うことができれば、思い出はこころのなかに生きていくことを知る。
あの輝く太陽の下でソフィの小さな手をやさしく包んだ父が、人として苦悩もしながらも生き、与えてくれた精一杯の愛が永遠になるのだろう。
修正済み
冒頭部分
人によってはものすごく刺さる映画になります。普通の父娘のアットホームな家族ドラマと思う人も。アップダウンのない淡々とした話運びなので、途中で眠り込んでしまうことになりかねません
映画ならではの繊細かつ先鋭的な手法で、深遠なる感情の揺らぎを表現しようと試みた野心作だ。
英スコットランド出身のシャーロット・ウェルズ監督の長編デビュー作。
11歳の娘がまもなく31歳になる父と過ごしたある夏の思い出に基づく自伝的作品ですが、ありふれた家族ドラマではありませんでした。
20年後、父と同じ年齢になった娘は、ビデオテープの映像からその数日間の記憶をよみがえらせ、父の新たな一面を見いだしていくのです。
文学に例えれば「行間」。映っていることではなく、映っていないことが、この作品を豊かにしています。そのため説明的なセリフを徹底的に省き、映像と音を研ぎ澄ましているのです。あえて残した余白の解釈を観客の感性に委ねるスタイルで、当時は知らなかった父親の新たな一面を見いだしていく姿を描きだし、鑑賞後に深い余韻を残す、記録と記憶の傑作です。
11歳の夏休み、思春期のソフィ(フランキー・コリオ)は、31歳の父親カラム(ポール・メスカル)とともにトルコのひなびたリゾート地を訪れます。カラムは母と離婚し、普段は別々に暮らしていました。同伴者の快活なソフィと優しいカラムの親子仲は良好で、カラムが若いため2人は兄妹に見間違えられることもあったのです。
まぶしい太陽の下、カラムが入手したビデオカメラを互いに向け合い、2人は親密な時間を過ごします。
父は娘の背中に、日焼け止めを塗り、娘は父の顔に塗る。そのかすかな匂い。空には、パラグライダーが緩やかに舞い、海は、その地の名に相応しくターコイズブルーに輝くのです。
カラムと共に、トルコのリゾート地で過ごす数日間。ここに物語はありません。あるのは、ソフィにとって、一瞬が永遠にも感じられる現在なのです。
20年後、当時のカラムと同じ年齢になったソフィは、その時に撮影した懐かしい映像を振り返り、大好きだった父との記憶をよみがえらてゆきます。
プールの中で水中カメラを構える父、隣り合ってバイクゲームに興じた同じ年頃の少年、若い父を兄と思った少年たちとのビリヤード、プールサイドでの昼寝で空に浮かぶパラグライダーを眺めたり、草原で2人で並んで太極拳の動きをしたり。それら鮮やかな光の中に浮かび上がる断片と共に、父としたスキューバダイビングを、いままでの人生でサイコーだったと、ソフィはビデオの中で語ります。
そんなたわいない旅のスケッチ描写は一見ほほ笑ましいバカンス映画のようです。しかし本作には意外な仕掛けがあるのです。
まばゆい光と鮮烈な色彩に満ちた35ミリフィルムの映像には、ソフィが撮影した粒子の粗いホームビデオが挿入される。大人になった“現在”の彼女が、20年前の旅の記録と向き合うという構造になっているのです。
けれども、その一方で、どこか謎めいた父の姿があるのです。ホテルに着いて間もなくの、ベランダで身体を揺すりながら煙草を吸っている父。あるいは、部屋の壁に掛けられた鏡に映るかと思うと消える、父の腕。また、裸の背中を見せながら号泣する父。それを見ているのは誰か。黒画面の中に走る光に一瞬浮かび上がる、大人になったソフィでしょう。そこには11歳のソフィが知らなかった父がいたのです。
すると、幸福感に包まれていた旅の見え方が変わってくるのです。逆光や後ろ姿で撮られた父は孤独の影をまとい、経済的な問題を抱え、精神的にも行き詰まっているようです。幼いソフィには気づかなかった人間や人生の暗い断面がせり上がってきて、父の自死をほのめかす不吉なイメージも映し出されます。愛する者を追想するこの映画は、切ない追悼の映画でもあるのです。
背伸びをしたソフイのひと夏の経験、のような挿話もありますから、父と娘がこれほど親密に過ごした夏休みは、この年が最後だったのでしょう。時折挿入されるビデオカメラの古ぼけた映像、R・E・M・の「ルージンク・マイ・レリジョン」など要所で流れる往年の名曲が、感傷的な気分を盛り上げるのに一役買っていました。
この映画が非凡なのは、時々物語が“飛ぶ”こと。当時30そこそこだった父の姿が、ふとよみがえる記憶のように、断片的に差し挟まれます。20年後、同い年になった私だから、あのときの父の気持ちが分かる、といった具合に。
11歳のソフィと現在。その前後に何かあったかは描かれません。説明しないことで、観客の想像力に働きかけてくるのです。これが映像の力というものでしょう。
そしてクイーン&デビッド・ボウイの名曲「アンダー・プレッシャー」が流れる終盤のダンスシーン。親子のかけがえのない絆と喪失の悲しみが、時を超えてフラッシュするその場面は鳥肌ものでした。
記憶のみならず、写真や映像といった記録も曖昧なものという視点が、この映画を特別なものにしています。どれほど対象に近づいた記録でも全てを映し出すことは不可能で、その部分を補うようにして人の記憶は形作られていくのかもしれません。
ウェルズ監督はそれを説明しすぎることなく、パズルのピースをはめていくように緻密な構成で描き出しています。生活音や呼吸音を際立たせた映像には親密感があり、見る者が自分の個人的な思い出を振り返ってしまう効能も。早くも次回作が楽しみになる新鋭監督の登場です。
最後に、本作は、人によってはものすごく刺さる映画になります。また別の人には、ごく普通の父娘のアットホームな家族ドラマにしか見えません。ものすごくアップダウンのない淡々とした話運びなので、疲れている時に観るのは、注意が必要です。ヘタすると途中で眠り込んでしまうことになりかねないのです。
鑑賞後感とは裏腹に残酷な話
今作はメンタルヘルスを扱っていることは明らかで、今年3月に公開された大傑作(と自分は思っている)『The Son/息子』と重なる。
非常に期待していた作品なのだが、自分とは合わない点が多くモヤモヤした。
まず個人的に、カルムと自分で重なる部分がほとんどなかった。『The Son/息子』では、ニコラスが「人生に押し潰されそうだ」と言っていたことにティーンの時の自分を重ねずにいられなかった。何のための勉強?俺は何を期待されている?そして俺はそれに応える力量を持っている?何も確かなものがなく、一寸先は闇としか思えない人生感を持っていたあの頃の自分が甦ってきて非常に辛い作品だった。
今作のカルムもまさしく「人生に押し潰されそう」になっているが、でもお前には娘という絶対的に確かな存在がいたじゃないか!故郷もなく職もなく頼れる友人も恋人もおらず、ただ人生が過ぎてゆく中で唯一生きる意味を見出せた娘の存在。その彼女から「お金ないのに無理しなくていいよ」と言われたのは胸に突き刺さっただろうが、どれほどのダメージだったかははっきり言って想像するしかない。現在の自分はカラムの年齢に近づきつつあるが、職もあるし、辞めても帰る場所があるし、友人も少ないがいる。それらが全てなくなったとしても、映画が慰めてくれる。ストッパーが多すぎて、彼の気持ちが分からなかった。
また、映画的な決着も『The Son/息子』と比較してモヤモヤした。ソフィはカラムと同じ歳になり、彼の気持ちを理解して、自分の中であの時のまま時を保っていたカラムを行かせることができた。それは美談的な描かれ方で表現されている(と自分は受け取った)が、そこに非常にモヤモヤを感じる。
どんな理由であれ、若者があのような末路に至ることは嘆かわしいことだと思う。彼を理解するだけではなく、救うためにはどうするべきだったのか?メンタルヘルスに関して話すきっかけを作るという観点からも『The Son/息子』から後退している印象を受けた。
11歳の時、将来何してると思った?
映画は、完成した時点でもう観た者のもんというので解釈は勝手にするが。
"sun"は父親との懐かしくも輝かしい、まるで太陽のような思い出のこと、とでも言おうか。おそらく、親父はもういない。たぶん、このバケーションのすぐ後にでも亡くなっているんだろう。だから、この時が親父との最後の思い出でもある。そのムービーを、自分があの時の親父と同じ歳になった時にふと思い出して、引っ張り出し、久々に見た。そして、その時の思い出が走馬灯のように、記録画像を補完するように蘇る。
言ってみれば、ただ、それだけの映画。たいした事件もなく、ただダラダラと過ごした数日間の休暇の記録ってだけのこと。
この映画を消化するには、苦い思い出を持っている大人でなければなるまい。もう会えない肉親を持つ、そしてその人に何かしらの心残りのある大人でなければなるまい。そんな大人であれば、間違いなく、最後の空港の見送りのソフィの笑顔が胸に焼き付いて仕方がないはずだ。
クレジットで涙…
全てが描かれてなくて
全く腑に落ちてないはずなのに
クレジットに入った瞬間
涙が止まらなかった
自分の父の記憶を辿っているかの様な
体験させられるし、録画したビデオを
ふとした瞬間に取り出して想い出に
浸る様に観たくなる大切な映画だった
私的に過ぎてわけわかめ
いやいやいや。
Grade6終了後のバケーションを、同居していない父親とトルコで過ごした少女の記憶。もう、そんだけです。それだけ。思い出なぞってっただけ。劇場用映画として、どこに価値があるのか?
って突っ込みたくなりますよ。普通。
ところがところがところが。
雰囲気、良いんすよ。女の子、可愛いんですよ。思春期のクソガキ感が、無いんですわ、これが。
なんで、ふわっとして良い雰囲気だけを満悦しました。
好き。割と。
考察大変
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第95回アカデミー賞主演男優賞にノミネート作品
概ね見かけるレビューは高評価が多いのですが
個人的にはそこまではまらず…。
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大人になった現在のソフィの状況が
全く描かれていないため、どういう心理状態で
あの夏の日のビデオを見ていたのかがよくわからない。
ただ懐かしむというよりも、映し出された現在のソフィは
物憂げで、悲哀とどこか絶望感を感じました。
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ソフィが抱える苦悩?が、当時、父親が抱えていたものと
似たようなものなのだろうと推測しますが、
全てを見る側に委ねられているので
何が「正解」かがわからず、すっきりしません。
ただ、父娘のひと夏の過ごし方をゆるく微笑ましく
ノスタルジックに描いた世界観は嫌いじゃありませんでした。
断片的ホームビデオ
父娘のバカンスの様子が描かれる本編は、非常に退屈です。
面白い会話も驚くような事件も起きない、何の思い入れもない赤の他人のホームビデオ。
父と同じ歳になった娘が見ている、という設定を知らなければ。
しかし、それを知っていても眠気を誘います。
抑えたBGMに取り留めのない会話、明滅するクラブのインサート、長めの暗転など、ワザとかと思うほど。
カラムへ「11歳のとき将来どうなってると思ってたか」と訊いたり、年上に混ざろうとするソフィ。
ソフィの質問を拒絶したり、時折奇妙な行動を見せるカラム。
徐々にこういったズレが表面化していく。
だらけながら雑誌を捲るソフィと、必死にギプスを切ろうとするカラムの壁越しのカットが象徴的だった。
海の闇へ消えていくシーンは、現実かイメージか、はたまた未来の話か。
何にせよ、カラムは命を絶ち、ソフィは再会することができなかったのだろう。
だが、ビデオ外の一人の姿まで見た観客にすら、その心の内は明かされない。
ソフィは結局、「分からないことが分かった」だけではないのか…
自分に分かるのはこの程度です。
少なくとも、退勤後のレイトショーで観る作品ではありませんでした。
わかりづらく感動できないが嫌いにもなれない
本作のような娘と父親の旅行とは少し違うが、小学生の時に父親と釣り旅行に行っていた。月曜には学校に行かなければならないから、日曜の夕方に電車で1人帰らされたこともしばしば。父はもう一日釣っていくからと。でも、大人になって思う。父には違う理由があったんだなと。
本作は11歳のときに31歳になる父親とトルコ旅行に行った娘ソフィの話。当時撮影したビデオ映像と、彼女の記憶と、こうだったんだろうという想像で描かれる。さらに、31歳になったソフィのシーンもあり、当時はわからなかったことも今なら理解できるって演出がされている。
ただ、その演出はとてもわかりにくい。結局父親に何があったのか、その理由は?なんてことはハッキリと描かれない。それこそ娘のソフィの想像を超えることはないのだろう。本来もっと感動していい話だ。
ただ、わかりづらいし、話の山場はないなんだけど、嫌いにはなれない。1つには音楽の影響。R.E.M.とかQueen&David BowieとかChumbawambaとかがかかって嬉しくなる。特に「Under Pressure」は歌詞も含めてとても印象深い使われ方だった。あと、自分の父との思い出もいい方向に作用したこともある。他の女性のところに遊びに行っていた(という息子の勝手な憶測)父親の姿とは似ても似てつかないんだけど、なぜだか思い出してしまった。
意味不明で退屈でつまらない
若い父親と思春期手前の娘が、海辺のリゾートでバカンスを楽しむ様子が延々と映し出される。大した出来事が起こる訳ではなく、ストーリーとも言えない断片的なエピソードがダラダラと続くだけで、何が言いたいのか一向に分からない。
アカデミー賞にノミネートされた演技はさぞかし素晴らしいのだろうと楽しみにしていたが、目につくのは娘を演じる子役の自然な演技ばかりで、ポール・メスカルの何がそれほど評価されたのかが全く理解できなかった。
こんなに退屈でつまらない話がいつまでも続くはずがない。最後にきっと、あっと驚くような「種明かし」が用意されているに違いないと期待していると、本当にそのまま終わってしまって、思いっ切り肩透かしを食う。
解説にあるような「父親と同じ歳になってビデオを見返す」という設定も、映画を観ただけではよく分からないし、「初めて父親の気持ちを理解する」というプロットも、決して成功しているとは思えない。
何の説明もせずに、思わせぶりな映像を見せただけで、「後はご自由に想像するなり、考察するなりしてください」といった独りよがりで尊大な作り方には、怒りすら覚えてしまった。
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