「観ながら分かればもっと面白かったと思うが」aftersun アフターサン つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
観ながら分かればもっと面白かったと思うが
この映画に対して多くの人が何かを感じとりそれぞれ好きに考察するレビューを見て、懐の深い作品だなと思った。
考察の多くは、一部、何言ってんだ?なものもあるけれど、そうかもしれないなと思えるだけの説得力のあるものであり、且つ結構バラバラなことを言っていて、面白いと思った。
私個人は、観終わった直後はよく分からなくて、多くの引っかかりがあるものの、その答えが見つからずにいた。
まあそれでもいいかなと思ったのだけれど、いつものように妻とのディスカッションを経るころには薄っすらながら見えてくるものがあった。
なので、自分なりの、いわゆる考察を書こうかなと思う。
ポール・メスカル演じる主人公のカラムは、大人になりきれない人なのだ。そのことについて自身でも自覚し悩んでいる。
具体的にどういった部分で大人になりきれていないと本人が考えているかは定かではないが、少なくともソフィの保護者としては不適切なところは垣間見える。特に後半は。
分岐点はカラムが誕生日を祝われるシーンだ。ソフィが周りの観光客に根回しして皆でバースデーソングを歌う。
このときのソフィの行動は大人びたものだったと言えるだろう。
もうカラムの導きなど必要としないかのような自立した行動だった。
カラムはここで泣くが、誕生日を祝われたことに対する喜びなどではない。ソフィが自分を飛び越えて大人になっていくことへの絶望の涙なのだ。
このシーンを境にカラムとソフィの関係性が逆転する。
カラムとソフィの見た目を無視し冷静に判断すると分かるが、どっちが保護者なのか分からなくなるのだ。いや、どちらかと言えばやはりソフィの方が保護者に見えるのだ。
兄弟に間違われたことに対して、執拗に父親であることをアピールする。
おそらく貧しいであろうにもかかわらず、高価な絨毯を買う。
作中でカラムは、カラムなりに大人になろうともがいた。しかし⋯。
批評家の評価が高い作品で、そこまで面白いとは感じなかったものの、最初に書いたように、自身で好きに埋められる余白の多さ、懐の深さは興味深いと思った。
観ている最中にもっと理解できれば面白いと感じたかもしれないけれど、残念ながら自分の理解力でそれは無理だった。
