夏の終わりに願うことのレビュー・感想・評価
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新しい名作の誕生。傑作というよりは名作と呼ぶ方が相応しい気がする。 期待度◎鑑賞後の満足度◎ リピート:是非 シェア希望度:映画ファンとしみじみと…
①作風も描き方も全く違うが小津安次郎の作品(特に『麦秋』)を思い起こされた。
末期癌の弟の、恐らく最後になるだろう誕生パーティーの準備を姉達をはじめとする家族達が
旅立ちを抽象的に描いた作品
あらすじにも記載されているように、主人公のソルが病気療養中の父親トナの誕生日パーティーに参加するために祖父の家へ母ルシアと共に向かっている道中に橋に差し掛かると、渡っている間に息を止めていたら願いが叶うというゲームをやり始める。橋を渡りきりソルがルシアに願ったことを打ち明ける。
パパが死にませんように。
7歳のソルには、父親が今どんな状況におかれているのかも、祖母の死ですら何で亡くなったのかがわかっていない。つまり、人の死という概念がないから理解が出来ない。
わかっていなくて当然だと思う。
だから、父親といつになってもあえず苛立ちを募らせ落ち着いていられない心情が伝わってきた。
その一方で大人たちが話す、トナの治療費をどうすべきか、父親ではもう金銭面で工面が出来なくなっている、延命治療を受けるべきか否かって話も、治療する期間が長くなればなるほどお金が消えてしまう。そんな会話のやりとりで次第に答えが見えてきた。今まさにあの世への階段を上ろうとしている最中なのだ。
そして迎える誕生日パーティーの際に、トナが立つのも支えがないぐらいの弱った身体を、来てもらった招待客に決して弱っている様子もみせずかたやトナが来年の誕生日にはもう祝えないことを重々わかっているから精一杯祝ってあげる。
パーティーが終わり、トナが寝ていたベッドは綺麗に整っていた。たくさんの方々に祝ってもらい旅立ったということだろう。
生きていてほしかったというソルの願いは叶わなかったが、トナがソルに生前に話した"いつもそばにいる"という言葉は間違いないだろう。
別れは残酷
通常スクリーンで鑑賞(字幕)。
病気の父親の誕生日の1日を追うドキュメンタリーを観ているような、自然体の演技が胸に迫って来る。
7歳のソルを中心に据えた作劇で、家族のそれぞれの行動などから、様々に揺れ動く感情が溢れ出していた。
誕生日と云う「生」を祝福する日なのに、目前に迫っている別れから連想させられる「死」がどうしてもまとわりついて来て、心がざわつき、掻きむしられるように痛んだ。
誕生日ケーキを前にしたソルの姿が印象に残る。果たして来年も父の誕生日を祝えるだろうか。台詞無しの表情だけの演技だが、少女の内面を見事に表現していて胸が詰まった。
星はいつも三つです。
リラ・アビレス監督『夏の終わりに願うこと』
奇跡のような作品。
主人公は七歳の少女。闘病中の父の誕生パーティーに親戚や知人が大勢集まる。パーティーの一日を描く。
冒頭、少女と母親が公衆トイレで用を足す場面。少女が便器を空けないものだから母親は我慢できずに洗面台で用を足して
しまう。
また父はもう起居もひとりではできず、失禁してしまうのが厭だといってパーティーに出たがらない。
集まる親類たちの細やかな気遣いや、気遣う者同士であるがゆえのちょっとした諍いの場面がフラットに重ねられていきます。
夜になってパーティーが始まるが父はなかなか姿をあらわさ
ない。少女はいらだち、パーティーの参加者がふざけて操作するドローンに棒を投げつけたたき落とす。
ようやく父が登場。ひとりひとりと心のこもった交流。小さな気球があげられるが、炎が燃え移り気球は落ちる。炎に照らされた少女の表情の美しさ。息を呑みました。
父へのプレゼントとして母
親に肩車された少女がオペラ『ルチア』のアリアを口パクで歌う。見惚れるほどの少女の表情の豊かさ。
そしてバースデーケーキのロウソクに照らされた少女の顔。パーティーのざわめきがスニーフアウトしてなにやらわからぬノイズになる。一分間以上、少女の顔だけを押さえ続ける。目を伏せ、目をあげ、微妙に移り変わる少女の顔。スクリーンを凝視していると少女が急に大人になったようにも見えます。
このカットの演技、監督は少女にどういう指示を出したのか。どうすればこのような表情が可能なのか。ラスト近くの奇跡のカットでした。
アフターソル
ひたすらホームビデオを見せられる、『アフターサン』の亜種のような印象。
父の病状を隠しながら接する親族と、それを受けて何かを感じていく主人公…
といったものを想像していたのだけれど、あまりそういった揺らぎのようなものは感じなかった。
子供たちは当然としても、大人たちもそれぞれ勝手なことをしていて若干苛立つ。
パーティの準備もするが、トナに想いを馳せるような様子はあまり見られない。
多少のピリピリ感はあるが、それが日常かもしれず、必死に取り繕ってる雰囲気でもない。
ソルに対しても「ナイーブな状況だから」という台詞はあるものの、気遣ってるようにも見えず。
そもそも一番複雑なハズの母親が大半で席を外している。
肝となるべき再会も、中途半端なタイミングと状況でヌルッと成され、その後のパーティもダラダラ長い。
トナの喜びや刹那さや遣る瀬無さなどが綯い交ぜになった表情は見事。
最後はケーキの蝋燭に照らされながら、いきなり真顔になったソルのアップで終劇。
無邪気な幼さから、急に大人びた表情を見せる主演の子は素晴らしい。
最終的には父の死期を悟り、覚悟をしたように見えたが、そこに到る流れがまったく見えない。
母を離れさせたのが孤独にさせるためだとしたら、もっとそこを映すべき。
親族、友人など誰が誰だか分からないキャストを大勢出すのでなく、主役を掘り下げてほしかった。
ってか、途中のDAIGOみたいなアルファベット略語は何?
本当の願いは心の中にしまったまま、その灯火の熱とともに昇華されていく
2024.8.13 字幕 アップリンク京都
2023年のメキシコ&デンマーク&フランス合作の映画(95分、G)
少女が大人の事情を理解する過程を描いたヒューマンドラマ
監督&脚本はリラ・アビリス
原題の『Tótem』は「伝統的な家族や部族が信仰する、動植物や自然現象」のことを意味する言葉
物語の舞台は、メキシコシティ
疎遠の父トナ(マテオ・ガルシア・エリソンド)の誕生パーティーのために祖父ロベルト(アルベルト・アマドール)の家を訪ねることになった7歳の娘ソル(ナイマ・センティエス)は、母ルシア(イアスア・ライオス)とともに公衆トイレでパーティーの出し物の練習をしていた
トナは病気療養のために実家に帰っていたが、ソルはそのような事情は全く知らされていない
実家では、トナの姉で次女のヌリア(モントセラート・マラニョン)とその娘エステル(サオリ・グルサ)がケーキなどの準備をしていて、長女のアレハンドラ(マリソル・ガセ)は霊媒師のルディカ(マリセラ・ビラルエル)を連れて部屋の浄化作業などを行なっていた
煙を使う施術にロベルトは怒り出し、そして遅れて、トナの兄ナポ(ファン・フランシスコ・マルドナド)がやってきては、量子療法の儀式を始めてしまう
ソルは意味がわからないまま、なかなか父と会えないことに苛立ちを隠せずにいた
父はヘルパーのクルス(テレシタ・サンチェス)が面倒を見ていたが、家計は逼迫し、クルスや主治医の支払いも滞りがちになっていた
モルヒネによる緩和ケアを選択したものの、姉兄の間では抗がん剤を使用した方が良いのではという意見も飛び出し、それでも本人の意思を尊重すべきという意見がそれらを封じ込めていた
映画は、何も知らないソルが、父の実家に来たことで「いろんな大人たちの会話」を耳にする様子が描かれていく
そして、彼女の中で父に起こっていることを理解していく様子が描かれていたが、その理解をあっさりと壊してしまうのが、父がバースディケーキの前でこぼしたひと言だった
おそらくは末期癌の状態で予後も悪く、ひとりで起き上がれない父なのだが、彼を取り巻く人々は愛情いっぱいに彼に接していく
それぞれには思惑があるものの、そこに溢れるものは確かな愛であって、彼のために何かをしたいと考えていた
また、今回の誕生日が最後になる可能性もあり、それぞれはどことなくそれを感じている
そういった言葉に出さないものをソルが理解する、という流れになっていた
映画のラストでは、バースディケーキを眺めるソルが描かれ、それが長回しの映像になっている
それを吹き消すことなく映画は終わるのだが、これは「ソルがケーキのローソクを父の寿命に見立てている」という意味合いになるのだと思う
直前の父のセリフ「願うことは、ないかな」という言葉によって、ソルは父が長くないことを悟り、その火を自分では消せないというニュアンスになっているのだろう
映画のラストショットはきれいに整えられたベッドが描かれ、それは父の死を意味するのだが、言葉で語ることなく、映像で状況や感情を描いているのはすごいと思った
いずれにせよ、物語としては「ある家庭の日常を眺める」という内容になっていて、一同に介すると、それぞれの諸事情をぶつけ合うというのは家族あるあるのように思える
彼らはトナの病気のために何かをしたいと考えているが、その方法論が彼らの人生を表しているようで面白い
それでも、事情を知らない子どもたちの前では隠語を使って話したりするので、これまたリアルな家族模様になっていると感じた
ひと夏のある1日の出来事だが、ラストのソルの表情を観るために、それまでの時間があるように思えた
パンフレットには人物相関図(家系図)が載っているので、ややこしい人間関係を把握するには最適の素材だったので、迷っている人は「買い」であると言える
エア・オペラ。
病気療養中の為、祖父の家にいる父トナの誕生日を祝おうと、祖父の家に母と一緒に遊びに行った娘ソルのある夏の1日の話。
父トナに久しぶりに会えると楽しみにし祖父の家に着き、パパに会いたいと言うも「夜のパーティーまでは身体を休めてるから」を理由に会わせてもらえず…。
「夏の終わりに願うこと」ってタイトルとフライヤーに惹かれて楽しみにしてたのだけれど…。率直な感想はガッツリ娘と父の物語が観たかったし、感動出来る話かと思ったら全く違った。
トナの誕生日と色んな人達が集まり出てくるのはいいけど、話があちらこちらでとっ散らかってる感じで無駄な描写で時間使ってる様に見えたかなぁ~、上にも書いたけどもっと濃い娘と父の話を期待してた。
首にマイク当てて喋るオヤジのシーンはダメだけど笑ちゃった。ラストの誰もいないベッドの描写はそういうこと!?
【”一夏のたった一日の永遠のさよならパーティー。”今作品は一人の少女が経験した一夏の一日の父親との永遠の別れを徐々に察していく複雑な気持ちを、アーティスティックに描いた作品である。】
◼️7才の少女ソル(ナイマ・センティエス)は、ある夏の一日に、祖父の家を訪ねる。だが、父親トナには"身体を休めているから。"と親類縁者に言われ、なかなか会えない。
ー この、ナイマ・センティエスと言う可愛らしい少女の、何とも言えない切ない表情に引き込まれる。ー
◆感想
・今作品は、かなり、アーティスティックな作品である。少女と父親との涙の別れを期待すると、足下を掬われると思う。
・ソルの父親のトナは、ハッキリとは言及されないが、末期癌であろう。故に友人、知人達が彼の最後の誕生日パーティーに集まったのであろう。
怪しげな祈祷師に頼ったり、トナの親類縁者の心持ちも不安定な事が、随所で描かれる。
・トナの姉妹達は、料理を準備するが、直ぐ上の姉は、ケーキを焦がしてしまったり、酔っ払ってしまい、トナの誕生日パーティーに出る事を拒否するのである。祝う気持ちになれないのであろう。
<パーティーのラスト。
父親トナは、もう望む事はないと言う。
そして、父親の誕生日ケーキに蝋燭が立てられ、ソルは吹き消す前に、その炎を凝視する。
まるで、吹き消すと父親の命が終わってしまうかの様に。
劇中に流れるのは、ゴーと言う凄い音量の不協和音である。
今作品は、一人の少女が経験した、一夏の一日の父親との永遠の別れを察する気持ちを、アーティスティックに描いた作品なのである。>
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