パスト ライブス 再会のレビュー・感想・評価
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みんないい人、みんな良識ある大人すぎて、正直しんどい
久しぶりに等身大で共感できる大人のラブストーリーに出会い、観終わって今もまだ胸がドキドキキューンとしています。決して多くはない自分の恋愛経験が、記憶の奥からそっと顔を出し、映画の出来事とリンクします。結ばれなかった初恋は、いつの日も一番美しい思い出です。あの時、あの彼ともし結ばれていたら?なんて妄想が止まらなくなり、映画の余韻とあいまって、美しい初恋の迷宮に迷い込んでしまいそうになります。危ない危ない…帰ってこ〜い、自分🙄
さすがにアカデミー賞で評価されただけのことはある見応えのある映画でした。登場人物は、ほぼ3人。派手な演出シーンもありませんが、計算されたシーン割、カメラカットなどにより、洗練された大人の物語を終始、上品に自然に演出しているのがお見事!!
自分が主人公でも、多分あのラストでヘソンを選ぶことはできなかったと思います。旦那さん超絶エエ人すぎるんやから…。せめて旦那さんが、ほんの少しでも悪人であってくれたなら、ヘソンもキスくらいはできたでしょうに…それすらも許されないとは、なんとも切ない…🥲
切ないぞーーー😭😭😭
みんないい人
みんな良識ありすぎて、正直しんどい😓
ヘソン、そこでガッとキスしろ〜
奪い去って、タクシーに乗せろ〜
なんて心の中で叫んでいたのは
私だけでしょうか…
初恋は、叶わないから美しいなんて言いますよね。実際はほろ苦い思い出の方が多い気がしますが、時間とともに美しい部分だけが切り取られてたりしますよね。
いつまでも忘れられないし厄介です。
イニョン(=縁)
東洋的哲学、輪廻転生を主題に盛り込んだところも、西洋の人たちにとっては新しい感覚であったかもしれません。
前世(= パスト ライブス)で縁あるあなたと
今世でも出会い、そして別れた
来世こそはと願う
イニョン(=縁)あるあなたと
また出会い、そして人生をともにしたいと
あなたがもし鳥ならば、
それを止める枝になりたい。
あなたが、もし花ならば、
それを咲かす大地になりたい。
あなたにも来世で会いたい人はいますか?
ふたつの名前
日本や韓国、中国人などアジア人がアメリカに移住すると「アメリカンネーム」を設定する人が多い。アジア人の名前はアメリカ人には覚えにくいし発音しにくいからだ。この映画は韓国人一家が北米に移住し、一家の娘がアメリカンネームを決めるところが冒頭に描かれる。
ノラと自身のアメリカンネームを名付けた彼女は以後、自分のアイデンティティをノラとして生きていく。考え方も生き方もアメリカに生きる女性として、彼女は成長していき、白人の夫アーサーもできる。韓国人の母親ですら、彼女のことをノラと呼ぶ。
そんな彼女を韓国名で唯一呼ぶのが、韓国時代の幼馴染の男性、ヘソンだ。24年振ぶりに再会した2人には不器用だけど、あたたかな時間が流れる。アーサーはノラとヘソンの間にある強い何かを感じで疎外感を覚える。
名前は重要なアイデンティティだとすれば、彼女の韓国名ナヨンを知るヘソンは、彼しか知らない彼女のアイデンティティを知っていることになる。
作中では、縁(イニョン)という言葉で愛とは異なる特別な絆が説明される。カルチャーの違いと乗り越えられない何かがありながら、それとは別に生活のレイヤーがあり、そこにも手放せないものがある。とても上質なすれ違いのメロドラマ。
エンドクレジットでは主人公の名前はノラとだけ記載されていた。彼女はこれから一生ノラとして生きていくのだろう。ナヨンはヘソンの心の中にだけ生きるのだろう。
人生を経るにつれ熟成され味わい深くなっていくであろう名作
ふっと溜息がこぼれるほど味わい深い作品だ。人生は刻々と移り変わる。でも初恋どうしの二人はなかなか再会できないーーー。ソン監督の半生をベースにした本作は、韓国生まれで現在はNYで暮らす主人公のアイデンティティを表情豊かに映し出す。おそらく彼女は昔と今の自分は違うと強く意識しながら生きてきたのだろう。確かに文化や環境はその性格を逞しく変えた。だが一方で、彼女にとって初恋相手ヘソンは、封をしていた記憶や感情をゆっくりと思い起こさせる存在でもある。二人が辿ってきた人生。そして今この地で巡り合う縁。心象を彩るNYの街並みが壮麗なカメラワークによって映し出され、感情と思考が散りばめられた脚本は一言一言を噛みしめたくなるくらい洗練されている。男女の台詞にこんなに魅せられたのは『ビフォア・サンライズ』以来かも。極め付けは夫役のジョン・マガロだ。柔らかな口調と佇まいにこちらも思わず頬が緩みっぱなしになった。
これは...
これは.....切ない..
なんて切ないの....
私がナヨン(ノラ)だったら...どうするかな...
私がヘヨンだったら....どうするかな...
温かいけど切ない....
なんといっても旦那のアーサー、あんた良い人すぎるよ...
「彼は13時間かけて君に会いにきた。会うなとは言えないよ。
凄い物語だよ。20年後に初恋の相手と再開。。この物語で僕は運命を阻む邪悪な米国人の主人だ。」
邪悪な米国人ってあんた...自分を卑下しすぎだよ....どんだね良い人なんだよ...
もっと怒ってもいいんだよ..
もっと引き留めてもいいんだよ...
もっと泣いていいんだよ...
超絶に優しいんだなあ...
12歳以来に、実際に会って再開した36歳のとき、再開シーンがなんともあたたかい。無言で見つめ合って微笑んでお互い「わーお...わーお...」と言って、ほんっとうの本当に懐かしい時って言葉って出ないんだな...
再開したときにハグし、その後もう一度ハグ。
なんだかこの2度のハグシーンに泣けた。
お互い思うものがあったのだね...
ベタな映画だったら↓
よるあるベタな映画だと、ウーバータクシーまで見送ると言ってタクシーまで行ってから「ナヨン!オレと韓国へ来い!」「ヘヨン!ええ!もちろん行くわ!」
でそのまま駆け落ち→ラストは旦那のアーサーがナヨンを探すが去ったことを現実にうけとめ、アーサーの「くそぅ!」と言いながら床を叩いて泣きじゃくって、そのままエンドロール。。
がよくあるパターン。というか視聴者もちょっとこういうパターンを求めてる傾向にもあるよね。
でもでも、
こちらはそうではない、
...これがA24なのか...素敵なラストすぎるんだけど...
でもでも、
ヘヨンはカッコいいイケメン俳優だったけど、もし超絶ブサイクのブ男だったら、、笑
ずっと探されていて若干恐怖にも感じるよね笑
基本的に恋愛におけるifものが苦手なので、この作品も好みではない気...
基本的に恋愛におけるifものが苦手なので、この作品も好みではない気がして避けていたけど、
パストライブスは、そんな恋愛におけるあのときこちらを選んでいたらとゆう甘い幻想を切り捨てる非常に現実的な目線で描かれていてすごく良かった。
ノラの最後の涙は何の涙だったのか色んな人の意見を聴いてみたくなった。
私はヘソンはノラにとって韓国とゆう故郷の象徴のようで、とうの昔に捨てたもの、戻ろうとしても決して戻れないことを、ヘソンに会ったことで改めて確信し
戻れぬ故郷に涙したのだと思った。
今がうまくいっていないとき、過去の運命の分岐での選ばなかった方の道を選んでいれば良くなっていたのではという鏡像の幻にすがりたくなってしまうかもしれないが
過去に選ばなかった選択肢は、選ばなかったとゆう形で今を形成する一部になっていて、もうあと戻りはできないのだとゆう大人な終結が私は好きでした。
あなたのところに、少女の私を置いてきたとゆうセリフがとても沁みた。
夫、いいやつすぎた。3人でバーでいるとき完全に夫に背中を向けるノラ、韓国語で盛り上がる2人、もはや文字通り背景になっている夫の絵には笑ってしまった。
女は、今を生きているけど、男は過去と未来に生きているんだね。
とてもよかった。
品の良い映画で、女性監督、脚本らしい繊細な映画で、感情を抑えた描き方で、じわじわと効いてくる。
ラストが素晴らしい。あの主役の二人の気持ちを思うと心が痛くなってしまう。
女は、今を生きているけど、男は、過去と未来に生きているんだよね。
男はあの頃の彼女を恋したまま。で、そのまま付き合っていたら、どうなったかとそれからの未来を思い描いてしまう。
で、男は、やっぱり、彼女の今の気持ちを確かめずにはいられない。それで韓国からはるばるニューヨークへ彼女の気持ちを確かめに、それだけの目的でわざわざ。
状況は変わらないのにもしかして、と。
それでも来世に希望を持とうとする。男って女々しいね~。
撮影にもセンスが感じられるし、ゆったりとした引きの画の長回しが、気持ちの機微を想像させる撮り方がよかった。ラストがいいのです。
切なくて良い映画でした。
感動というよりじんわり染み入る映画
生きることの縁(えにし)
<映画のことば>(英語)
「私たち、あの頃は、まだ幼かった。」
「12年前に再び会えたときも、まだ子供だった。」
「今はもう子供じゃない。」
<映画のことば>(韓国語)
「あなたの記憶のナヨンは、もういないの」
「そうだね。」
「でも…。あの日の少女はいるわ。
いま目の前にいなくても、消えたわけじゃない。20年ほど前、あなたの元にあの子を置いてきたの。」
「そうだね。まだ12歳だったけど、僕はあの子を愛した。」
「私たちは、前世できっと何かあったのよ。だから今、私たちはここにいる。」
幼少の頃の淡い思慕と、長じてからの成熟した大人同士の恋愛観・結婚観―。
ヘソンとノラ(ナヨン)との埋めがたい歳月の隔たりは、とりも直さず、二人の関係性の隔たりを体現して余りがあったということでしょう。
作中でノラ(ナヨン)とヘソンとによって語られる「イニョン」は、日本語に訳すれば「摂理」とか「運命観」とか。あるいは「前世から続く縁(えにし)=人間関係」みたいな意味になるようですけれども。
少なくとも、本作のノラ(ナヨン)とヘソンとの関係性については、容易には測りがたいような、もっともっと深淵な意味が含まれていたように、評論子には思われます。
そこに、生きることの縁(えにし)を感じ取ったのも、評論子だけではなかったことと思います。
そして、自らの意思・選択によるものとはいえ、生活する国が変わり、すなわち生活環境や言語、習俗・習慣、価値観のパラダイムに大きな転換を余儀なくされる「移民」ということによっては、そういう「深淵さ」に、いっそうの深みが与えられ、ノラ(ナヨン)としての今の人格を大きく規定されていたことにも疑いがないかとも、評論子は思います。
本作は、評論子が入っている映画サークルの2024年中に札幌で公開された映画のベストテン集計結果を発表する催しの席上で、会員のお一人が「男の自分でも、キュンキュンしてしまう」「私的にはベストテンに入って欲しかった」と言っていたことに関心を惹かれて鑑賞することにしたものでしたでした。
その発言に違(たが)わない秀作で、もし事前に鑑賞できていれば、評論子のベストテン順位にも変わりがあったことは間違いのない、いわば「ダークホース」の一本だったことを、付言しておきたいと思います。
<映画のことば>(韓国語)
「僕たちの来世では今とは別の縁(えにし)があるのなら、どうなると思う?」
「分からないわ。」
「僕もだ。その時に会おう。」
(追記)
二人にとっての24年の歳月を経ての再々会、おそらくは、そしてそれが最後になったであろう再会の場所は、24年前に遊んだときと同じように、やはり石のモニュメント(後世に残る不朽の記念物)の前-。
それは、それは、二人の想いが、実は後世にまで残る不朽のもの(モニュメント的なもの)だったことの象徴でもあったように、評論子には思われました。
(追記)
いささかカンニング的で、面映(おもは)ゆいのですけれども。
本作のDVDに収録されている特典映像の「運命に導かれて」と題する関係者インタビューにおける本作のセリーヌ・ソン監督の発言によれば、同監督は、本作では「他人と暮らすことの意味を表現したかった。ノラとアーサーとの関係性は本作の核心だが、本作を観た人全員に、それぞれの感情を抱いてほしい。同時に人生や愛、そして物事の考え方について、新たに気づくことがあれば嬉しい。」と、コメントしていました。
ノラ(ナヨン)今の夫であるアーサーとの関係性や、そして、彼女の想いの中にはヘソンへの思慕…それを「愛(異性愛)」と言ってしまって良いのかどうかは、ひとまず措くとしても…が20余年の歳月を経ても、なお炎々と残っていたことなどに思いを致すと、セリーヌ・ソン監督のその意図は、本作では見事に開花しているとも、評論子は思いました。
例えばノラ(ナヨン)の中では「幼少の頃のヘソンに対する淡い思慕」と「長じてからのアーサーに対しての成熟した大人同士の恋愛観・結婚観」というものとは、決して両立し得ないものではないのだろうとも、評論子は思います。
(評論子が今の夫のアーサーの立場でもしあったとすれば、少なからず「ヤケる」ことは間違いがないでしょうけれども・恥)
<映画のことば>
結婚とはお互いのオムツを替え、同じお墓に入ること。トイレを共用する関係でもある。
(追記)
多くのレビュアーが正当に指摘しているとおり、本作ではアーサーが「いい旦那さん」過ぎるので、お話として成り立っているという部分もあったと思います。
本作の冒頭で、明け方近くなってからバーに現れたノラ(ナヨン)、ヘソン、アーサーの3人の関係を周囲の客があれこれ憶測するシーンがありましたけれども。
その場面での、アーサーの「どっしり」ぶりは、刮目すべきことだったのかも知れません。
別作品『あまろっく』では「どっしりと構えたお父さんぶり」がキーになっていましたけれども。
やはり、「どっしりと構えた男」というのは、こんなにもカッコいいものなのかも知れないと、評論子は思いました。
(追記)
お互いに幼かりし頃のヘソンとナヨンとの間の思慕は、大人の都合(片方の家族の外国への移住)によって脆(もろ)く引き裂かれても、お互いが子供同士であってみれば、抗(あらが)うことのできない、運命・宿命といったものだったことでしょう。
心の奥底にヘソンへの思慕を熱く秘めていたからこそ、ナヨンはヘソンには何も告げずに(告げることができずに)、彼の前から忽然と姿を消すという選択をしたのだと、評論子は思います。
24年の歳月を経て、夫をもつ身でヘソンと再会したノラ(ナヨン)の心中(心の奥底)は、往時と、そうは変わっていなかったのでしょう。
その意味では「結ばれなかった初恋は、いつの日にもいちばん美しい思い出」というレビュアー・ななやおさんのコメントは、もうそれだけで、本作のエッセンスのほとんどを言い尽くしてしまっているのかも知れません。
的確なレビューで、そのことを改めて思い知らせてもらったということについては、末尾ながらなおやなさんのハンドルネームを記して、お礼に代えたいと思います。
(追記)
「初恋を美しい思い出として、心の奥にしまっている男にとっては、全身で共感してしまい、もうヤバい」というレビュアー・bionさんのコメントには、評論子も往時を思い出して「全身で共感」してしまい、本当に「もうヤバい。」という状態です。
往時は中学生ということで、もう今を去ること半世紀も前のお話なのですけれども。
思い切って声をかけてみたものの、彼女の返事は「今はお互いに距離を置きましょう」みたいな返事だったと記憶しています(あまりのショックに、アタマが真っ白…よく覚えていません)。
それが、半世紀も経た令和の今になって「今は距離をとって」と書かれたポスターが公権力によって街中の至る所にベタベタ貼られているというのは、これは、実は、コロナに名を借りた評論子への嫌がらせなのではないかと、勘ぐってみたりもしています。
こういう思い出を引きずっている評論子には、たまらない一本でもありました。
末尾ですが、ハンドルネームを記して、bionさんへのお礼に代えたいと思います。
ラストのアレの演出とか天才だろ💯
タクシー乗り場に送って行く時の沈黙の時の情報量の多さがとんでもないです!(あれを演出してるってどういう事?どうやったらあのシーンが思いつくのか想像すら出来ないくらいの場面です🔥)
あとオープニングシーンを回収する三人の飲み屋の場面の旦那の気持ち考えたらなんとも言えなくなるし🥹
あと恋愛系の作品としてはかなり画期的な部分があって悪人が居ないし 略奪愛にも 不倫にもならない話って逆に凄いと思うわ🧐
あとアメリカ人はハグするのが当たり前の文化で韓国とはそういう文化ではないのを考えると見えてくる部分がかなり違いますよ!
セリフで全てを説明してなくて本心が実は・・・って部分の演出が普通に神演出です(普段マイナスゴジラみたいな作品で全部説明してくれるやつに慣れてしまうと本心をこちらが考えるみたいな部分が衰えて画面で見た事とセリフで話をした事が全てとしか思わなくなって結局説明不足でこちらに答えをブン投げてくる作品は嫌いですとかって意見とか言うようになりますから)
一回長文の感想書いてたのに消えてしまってもう一回書くエネルギー無いからこれで辞めて起きます!
あと感想で共感出来ないから面白くないって意見が多数あるけど自分は全員に共感してないけどめちゃくちゃ凄い作品でアカデミー賞ノミネートも納得で去年観た作品でも上位に入るくらい映画の手法としては凄い事やってると思ってます。
三人の表情の翳りに感じ入る
切ない気持ちを持ち続けるのが人生です
すれ違いとめぐり逢いを繰り返す、3つの世代にわたる、大人のラブストーリー。
冒頭。
誰かに見られながら関係性を噂されている風変わりな組み合わせの三人。
最後に、第四の壁を破るがごとく観客側を見るヒロイン。
子供時代での別れ。
いつもは戯れながらの帰り道なのに、この時は全く会話が無い。
そして真っ二つに別れた道で、少女は右へ階段を登っていく。少年は左の平地へ進んでいく。
分かりやすすぎるくらい分かりやすいメタファーで、更にクライマックスでの布石になってくる。
そして12年ぶりの再会。
決して若い年齢ではないが、そこまで老いてもいない。絶妙な大人のラブストーリー。
やろうと思えば、もっと激しく官能的なラブストーリーの、ドロドロな三角関係ものにも出来たところを、
真逆でこれほど爽やかな空気感で、ひたすらに抑えた抑えた映画にしているところが素晴らしい。
同じくやろうと思えばもっと長尺に出来たところを、本編106分という割とコンパクトにしているところもいい塩梅だ。
なんといってもノラとヘソンの、ただ互いに見つめ合うだけのシーンが本当に良い。
個人的には「ドライヴ」のライアン・ゴズリングとキャリー・マリガンを思い出した(内容はまるで別物だが(笑))
タラレバの想いにがんじがらめに遭っているヘソンが、
「君は君だから旅立った。君が君だから僕は好きになった。そして君は去っていく人なんだ。」と、吹っ切れることで、やっと未来へと進めることができるヘソン。
別れることで、先に進む。
こんなに爽やかなラブストーリーがあったなんて。
これほど余韻たなびく映画はそうは無いのではなかろうか。
あえて深夜に、ゆったりと観たくなるような逸品である。
なお指摘している人もいるが、某有名監督の某アニメーション映画に近いところがある。
現実を直視
勝ち気な女
相手を翻弄する女の人がいる。
じぶんは男だから、女の人は反発するかもしれないが、自由奔放でサクッと思い切ったことをする女の人がいる。
たんに男と女のちがい、ともいえるし、めずらしい現象でもないが、ナイーブな男は、そういう女に振り回されることがある。
映画はよかった。初監督となる新人だが日本の新人監督とは別物。しかるべき場所でしっかり映画を学んだ痕跡のある映画だった。事実あちこちで賞をとりアカデミー賞でもノミネートされている。(作品と脚本。)
が、ノラ役のGreta Leeには強気な女の気配が濃厚で、顔も性格の印象も伊達公子風で、是非はともかく苦手な女だった。
女心と秋の空というが「regretへ引き寄せられる気分」というのがあると思う。それは男にもある。なぜか本心にそぐわないことをしてぶち壊しにする。それは若気とも言えるが、名状しがたい気分でもある。
男女がいて、ふたりの理想があって、そこへ突き進んでいるときに、このままではいけない気分がこみあげてくることがある。とりわけ自律心が旺盛な人orストイックな人は、安楽モードに居るとき、むりやりハードモードへ軌道修正しようとする癖がある。
だから「わたしは立身したい、こんなんじゃだめだ、もう交流しないほうがいい」ということになる。映画でよく使われる活発な女の定番構文であり、この映画内にもほぼ同等の会話があった。
男には、離れたがっている女にすがりつきたくないというプライドと、すがっても拒まれてしまうのが怖いという臆病さがあって「きっと君が正しいと思う」と同意する。
そのとき学校帰りの三叉路がフラッシュバックして、そこからふたりの人生は別々になった。
やがて、月日を隔ててみると、まだノラはヘソンに想いがあって、とはいえ良人に不満はないが、とはいえじぶんの結果はなんだったのかと思って泣く。そうなることは解っていたし、自分が選んだ道だし、心は千々に乱れる。それが「regretへ引き寄せられる気分」。
人生には大なり小なり「regretへ引き寄せられる気分」によって本心とは別のことになっていることがある。誰にもあるであろう、後悔するのは解っているのに、やってしまったこと──がこの映画の哀感になっていてそれは大いに共感をおぼえた。
しかし映画の冒頭からしてテストの得点でノラがヘソンに負けたから泣くという、ノラの負けず嫌いをあらわす描写だった。概して負けず嫌いは一生ものの気質であり、よって映画の出来は確かだったがノラのキャラクターがじぶんの情けない過去や、気が強かったあの人、を思い出させるのが嫌だった。笑
imdb7.8、RottenTomatoes95%と93%。
時間は誰にでも平等に流れている筈なのに
12歳の時ソウルで淡い恋心を抱き合ったまま別れた二人が36歳になってニューヨークで再会するお話です。それだけを聴くと在り来たりのメロドラマの様ですが、誰もが心の何処かに抱いている「もしあの時、違った決断をしていたら」を静かに見つめる非常に上質な物語でした。
女性のノラは既に心優しいアメリカ人男性と結婚しており、夫も妻が幼馴染と会う事に理解を示しています・・いや、もしかしたら理解を示す振りをしています。そうした微妙な緊張感が漲る三人の間には、特別劇的な事は起きないのですが、言葉のないまま交わされる表情や無言の間(ま)に溢れる様な思いが語られ尽くします。
タイトル「パスト・ライブス」は「過去の人生」の事ではなく東洋的な「前世」の事で、本作中では「縁」を意味する「イニョン」という韓国語(朝鮮語)が度々登場します。しかし、この映画は「前世の縁」ではなく、僕には「時間」の物語である様に映りました。
僕はしばしば感じます。時間は誰にでも平等に流れている筈なのに、自分の周りだけゆっくり、又は足早に、はたまた歪んで流れていると感じるのは何故なのでしょう。時間はいつも素知らぬ顔で僕の傍を歩き去り、気づいた時には遠い後ろ姿です。本作中の三人の心の中に流れる時間もそれぞれに熱くうねっています。その熱量は、マンハッタン計画の爆発より僕には強く感じられました。
終盤、男女二人がタクシーを待つ間の静かな映像は、「何かしゃべるのか、何か起きるのか、何か行動を起こすのか」の観る者のドキドキを喚起する濃密な時間でした。これこそ、「作中の人物と同じ時間を体験する」という、映画の「時間芸術性」を遺憾なく発揮した瞬間です。
わたくし、絶賛の一作であります。
よくできている作品だが、内容から共感できない
Unext(配信)で視聴。
なるほど、アカデミー賞作品賞候補にあがっただけのことが
ある。恋愛、幼馴染みがテーマ。よくあるテーマで色々、
考えさせられた。
ただ、作品内容を観ているとあまり共感できない。まず、
幼馴染みがいない人や恋愛が苦手な人には辛い内容に思えた。
イニョン(縁)と言う言葉のトリック・・
外国のインテリは東洋思想の言葉に思い以上の解釈しロマンテュシズムを増長しがちだが、この主人公の女性の無神経な対応は二人のインテリでしかも自己主張の乏しい、女性にとって都合がいいだけのやさしさを兼ね備えた優柔不断の二人の男を携えて単なるエゴサーチに明け暮れた鼻持ちならぬ、インテリ女性の自分探しに付き合わされただけの二時間。解釈によっては色々あろうが、3人で会う必要がどこにあろうか?夫を前に理解できぬ韓国語で延々と語り合う無神経さは少なくとも僕には全く理解できない。韓国男の屑さを差し引いたとしても、異国でのアイデンティティの確立がテーマであったとしても、人への気遣いが出来ないの出来ないアジア女性を描いてほしくはなかった。★1.5でも過大評価と言えるかもしれない。監督の韓国女性のインテリさ加減が鼻持ちならないと云う事も付け加えておきたい。
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