「シモーヌ、または終わらない民主主義への夢」シモーヌ フランスに最も愛された政治家 コバヤシさんの映画レビュー(感想・評価)
シモーヌ、または終わらない民主主義への夢
シモーヌ・ヴェイユの伝記的映画。よく伝記映画は退屈な代物になりがちだが、脚本家と監督の頭がよく、時系列を廃したことで緊張感を保ち二時間半を飽きさせないものとしている。
面白いのは、シモーヌ自身の伝記が、全体主義の敗北、民主主義の勝利という2000年くらいまでの歴史と同期していることである。
自身が全体主義の犠牲者であるシモーヌは民主主義に希望を託してやまない。これは、戦後のヨーロッパのみならず、とりわけ、冷戦後はアメリカもロシアも抱いた夢、もしくは希望であり、事実2000年過ぎてロシアやポーランドへ訪れた私は本当に時代が変わったと思ったものであった。今や、全体主義は過去であると。
シモーヌの幼少時代の描き方からも想像できるがシモーヌ自身非常に恵まれた環境で育ってきており、強制収容所体験がなければヨーロッパの一ブルジョワで終わったかもしれない。
民主主義を追求するには金がいる。皮肉ではなく。そしてその金はある種搾取を経て周り回るのである。
シモーヌが勝ち得たものはおおきい。女性の権利。イエス。刑務所の囚人の権利。definitely yes。戦後ユダヤ人として過去を語る権利。イエス。考えてみればなんと不自由な時代だったことか。人権なんて言葉、最近までなかったに等しい。(日本には今でも微妙)
その一方で、民主主義は格差をもたらし、結果、新たな敵を生む。全体主義は、思想ではなく、貧困と無教養の必然である。民主主義が富と知識から生まれ出るのと相反して。
ネットで拡散するニュースやデマを信じる無教養層、貧困から右翼化する若者、難民として受け入れられたものの貧困から抜け出せず宗教が認める暴力に身を晒すテロリスト。この世は相変わらず人類の醜さと精神性の貧しさを曝け出しており、情報と富を持つものと持たぬものの差は広まる一方に見える。
従ってこの映画は、面白い。
その面白いというのは以上に挙げた点を全て含み、なおかつ、シモーヌの夢と希望にその焦点が向けられるからである。
全体主義、この映画ではナチスだが、そこでの生き延びたということは、大きいが、しかし一つのエピソードである。生き延びた後、何をしたかが大事である。
日本も全体主義の国であった。わずか80年足らず前までは。そこでも人権なんか、全くなかった。ナチスの残虐さは日本兵の残虐さと類似する。権力によって補償された暴力や殺人がどこまで人類を野蛮にするかという好例である。
そして、今後また、いつ、それが起こらないとも限らない。民主主義を唱えることがいつ、「反逆行為」になるか、わかったものではない。
この映画を見て人類の行き先を考えるのも、夏にいい。