ノック 終末の訪問者のレビュー・感想・評価
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米国ペンシルベニアの人里離れた森の奥深くにあるキャビン。 週末を過...
米国ペンシルベニアの人里離れた森の奥深くにあるキャビン。
週末を過ごすため親子3人がやって来た。
ゲイカップルのアンドリュー(ベン・オルドリッジ)とエリック(ジョナサン・グロフ)、その養女である中国人少女ウェン(クリステン・キュイ)である。
ウェンがキャビンの外でバッタ取りをしているところへ、筋骨隆々の中年男性レナード(デイヴ・バウティスタ)が来、ウェンに告げる。
「仲間とともにやって来た。きみたち家族に重大な選択をしてもらわなければならない」と・・・・。
といったところからはじまる物語で、レナードたち4人の目的はおいおい判る。
終末が近づいている。
アンドリュー、エリック、ウェンのうち、誰か一人がサクリファイス(犠牲)になってもらわなければならない。
でないと、終末は避けられない。
アンドリューとエリックにとって彼らはゲイ差別者か新手のカルト集団にしかみえない。
ウェンも対象のひとりだから、もしかしたら、アジア人差別者かもしれない。
そんな思いが去来する中、「時間だ」として、レナードは仲間のひとりの男性の脳天を叩き割ってしまう。
テレビを点けると、大津波が北米海岸を襲うニュースが流れていた・・・
と展開するが、観ていると、えええ、だ。
なんだこりゃ。
ある種の暴力性が映画全体から放たれている。
ミヒャエル・ハネケ監督の『ファニーゲーム』やセルフリメイクの『ファニーゲーム U.S.A.』に近いが、暴力性や確信性においてはそれ以上。
キリスト教的終末を描いた映画であることは終盤明らかになるのだが、キリスト教の下地がないと木で鼻をくくったような感じになること請け合い。
合理的なオチがあることが当然と思っている観客には「なんじゃ、これ」となること必定。
似たようなキリスト教的帰結の映画としては、ニコラズ・ケイジ主演の『ネクスト』を思い出しました。
個人的には3人がサクリファイスを選ばずに、世界が荒廃する図を観たかった気もするが、現在の世界は、それほど無信心ではないということなのでしょうね。
人間行動(Human Behavior)について、ディベートができる映画
突然4色の見知らぬ輩が7回のノックで訪問してくる
報道ニュース映像で世界の危機を伝えられ、生贄の「選択」を迫られる
家族や自身を信じるのか?信じないことを信じるのか?
幽霊もゾンビもエイリアンも出てこない
ホラーやミステリーの謎解き映画でもない
終末ものワンシチュエーションにおいて
Human Behavior(人間行動)に疑問を投げかけてくる作品
近年、ジョーダン・ピールやA24作品も出てきて競争が激しい中
シャマラン映画も常にリリースされ続け
キャラクターや物語の構想、アイディア、自身の映像演出で勝負している
観客はもう彼の作品に目くじらを立てることはないし
鑑賞後、気楽に話をして楽しくシェアしたい映画
人生は選択
親子👪の愛を
真正面に描いた愛の物語。
世界の為に人類の為に
命を捧げることは出来ますか?
父親役2人が実際に
ゲイ当事者だからこそ
描かれるリアリティに
演技以上のものを感じた。
これをカルトと捉えるか。
信仰捉えるか。
過去作「ハプニング」に似た物と捉えるか。
それはあなた次第だ。
さて私の場合の答えだ。
もし私がこのような状況だったら
愛する人愛する娘
「今」を大事にしたいので
世界が破滅しても家族を大事にしたいと思う。
私もひとりのゲイとして生きている分
子どもを望みたい気持ち
子どもを愛でたい気持ち
愛するパートナーへの気持ち
世界が破滅する結末は
ラースの「メランコリア」で描かれていた
この映画の結末は
「犠牲になり世界を救った」と
周りは言うだろう
でも大事な家族が👪犠牲になったことを
美談にするのか
悲劇にするのか
余韻を残したシャマランならではの
先の読めない展開とストーリーの盛り上げ方
映画史にはシャマランはエンターテイメント界で
必要な人材である
小さい子供でも楽しめるシャマランワールド
限られた環境で繰り広げられる人間模様を芸術的に撮るのがM.シャマラン監督の特徴。
前作『OLD』よりかは刺激的な描写は少なかった。ただ、台詞に合わせたシーンが多かったため、丁寧な仕上がりになっていて情緒を意識した作品でした。
あらすじは、世界終末を告げに来た四人組が訪れたのはゲイカップルとその養子だった。巨漢の教師レナードは「三人のうち一人を殺すことで人類滅亡を阻止できる」と告げる。
聞かされた三人は人類滅亡か、あるいは誰かを生贄にするのか、究極の選択を迫られる...
冒頭のバティスタ氏を見て「ガンダムかよ!!」と思わせるくらい圧倒的存在感。ルパート・グリントが意外にも出番が少なくガッカリ。しかし、この四人組が何をしでかすのかわからないドキドキ感を味合わせてくれたシャマラン監督に感謝。
津波が迫るシーンや飛行機がどんどん墜落していくシーンはリアリティがあって◎。
次回作がどんな作品になるのか楽しみ。
結局4人はホラ吹き?
最後、バラバラにきて、遊歩道で初めて会ったといっていたが、車の中には4人のそれぞれの荷物があり、明らかに1台の車で来ていたんだよね
となると、あの終末論も法螺話?起きてたのは、何らかのテロ行為で起こしてた人的なもの?
そこまでして3人を襲った理由は結局なんだったんだろうか?やはり、昔のバーでの揉め事?それにしてはやることが派手すぎて意味がいまいち分からない
あと、今回の厄災は、彼ら4人が死ぬ事で発生してるようだが、それだと原因作ってるのお前らなんじゃないのか?と死んでいく度に思っちゃいました
また、自分の子供が自分の腕の中で燃えて死んでいくのをビジョンで見たと言うが、でも、その前に自分はここで殺されちゃってそれは現実にはならないんじゃないのと言う、話が破綻してるようにも…
この辺からも、やはり厄災は法螺話で彼らの仲間なりが起こしてる人的なテロ行為なんじゃないかとしか思えないんですよね
なぜゲイカップルだったのか
今までのシャマラン作品と比べると、派手さは無いけど面白く鑑賞は出来ました。
その要因の一つは主人公達の関係性。人類終末の選択を迫られるのがゲイカップルなのはどうなのって意見をチラホラ見たけど、自分は逆の意見です。
これが男女カップルとその子供だったらより凡庸な作品になっていたかなと思います。
彼らは同性愛者だって理由でバーで暴力を振るわれるし、結ばれても家族に祝福して貰えない。アジア人の子供を養子にしていたのは、正規のルートでは同性愛者のカップルが養子を迎える事が困難だからじゃないでしょうか(コーディネーターに関係性を偽っていたし)。
子供ちゃんの唇に傷があるのは口唇裂という先天性異常の跡で、受け入れられない家族による虐待や捨て子が問題となることもあるので、彼女が養子に出された事と関係があるのかなと思います。
つまり男女のカップルが結ばれて子供を育むのに比べて、主人公達が〝家族であり続ける事“には何重にも高いハードルが課せられてるんですよね。
そんな困難を乗り越えて紡いだ家族だからこそ、世界と引き換えに誰か一人を犠牲にしなければならないって突きつけられる理不尽と、主人公達がそこでどんな決断を下すのかが、よりドラマチックになるのかなと思いました。
現実社会でも、〝ゲイは世界を滅ぼす“って偏見を元にしたヘイトクライムは海外で起こっているし、日本でも伝統的な家族観を破壊するって理由で結婚の権利すら認めてもらえない現状もあったりして、、、
「でも本当にそうなの?彼らは世界を破壊する様な選択をする人達なの?」って疑問に対する監督の一つの答えが、映画のラスト主人公達の選択に込められているのかな、とも思いました。
終末論者がやって来た
シャマランの作品は何かとドンデン返しやオチが全てみたいに語られることがあるが、実は家族愛がテーマになっている作品が多い。
不条理な状況下で家族とどう生きて行くか、改めて家族とは何かを追求しているところに視点がいくと別の角度からシャマラン作品を楽しむことが出来る。
見知らぬ人達押しかけてきて世界を救うために犠牲になって欲しいと側から見たら陰謀論と思うような事を告げられるが押しかけられた方からするとたまったものではない。
しかし、押しかけて来た彼らは既に追い詰められており、不本意ながら行動するような意思も見える。
非人道的な事はせず、あくまで対話を主として交渉する。
昨今の世情での兵器による暴力的な支配とは真逆で知性的な行動である。
自分とは意見が合わないと端的に結論づけるのではなく、お互いが歩み寄り、双方の意見を取り入れ、合理的に判断すなければならないのではないかと考えさせられる。
言いたいことはだいたいわかるが
※自分は禅宗です
ヨハネの黙示録
(すごくかいつまんで言うと)
キリスト教の聖書の中でも異色の
将来に関する予言を記した「黙示文学」
キリストの再臨や災厄
サタンの出現や
最後の審判・天国と地獄
などを記したもので
圧政に苦しむ民衆を
励ますために書かれたなどと
言われているが
現在においても信仰において
用いられている
何をいきなり言い出すと
思うかもしれませんがこの映画
感想としては
言いたいことはわかりますが
日本人の宗教観からはなかなか
理解しづらい映画だと思いました
だから見終わった後にちょっと
調べてわかった感じです
主人公の
エリックとアンドリューは
同性愛カップルで同居しており
家族すらも偏見にあふれ
先天奇形(口唇口蓋裂)のあった
アジア系の乳児ウェンを引き取り
人目を逃れた山奥で暮らしていました
するとそこへ奇妙な武器を持った
男女がやってきて中へ入れろと
迫ってきます
わけがわからんので入れませんが
押し入るように入ってきて
エリックもアンドリューも
拘束されてしまいます
エリックはもみ合ったときに
頭を打って意識が朦朧しています
すると一番大男のレナードは
3人から犠牲になる人間を選べ
そうしないと終末が始まって
何万人もの人が死ぬと言います
エリック達からすれば
ただでさえ人目を逃れてひっそり
暮らしていたところにようわからん
人間がやってきて犠牲になれです
まったく冗談じゃありませんが
「時間が来た」と言うと仲間の
ドタマをかち割って殺してしまいます
そしてテレビをつけると
台風で大災害が起こってますと
確かにやり始めます
それでも犠牲になれとか冗談じゃ
ないので逃げ出そうとしますが
それも許されず狂気の儀式は
続いていきます
どうも男女はイメージに浮かんだ
事が現実でも起こっており
全く知らない者同士集まって
導かれるようにエリック達の
元へやってきたとのこと
そして時間が来ると
コックをしているという
女性が今度はドタマを
かち割られテレビを付けると
今度は殺人ウイルス大流行
アンドリューは激高し
こんな事は許されない
全部トリックだデタラメだ
偶然だ陰謀論だと
確かにそうも言いたくなります
いよいよ来訪者もあと二人に
エリックとアンドリューは縛られた
ロープをほどき銃を持ってきて
形勢逆転かと思いきやテレビでは
世界中で飛行機が墜落
落雷で火事や大津波
すべてイメージに浮かんだ
ものだそうです
レナードはキャスターのセリフを
先読みするように読み上げます
しかし彼も時間が来ると
喉を自分で掻っ捌いて絶命
これもイメージの最後
だったというのでしょうか
するとだんだんエリックの
様子がおかしくなり
「イメージが見える」と
そこにはアンドリューと
成長したウェンが幸せそうに
歩いている映像
エリックは「僕を撃て」と
アンドリューに言います
もうどうにかわからなくなった
アンドリューは引き金を引きます
すると世界はだんだん元に
戻っていきます
アンドリューらの側は
いわゆるLGBTQといった
多様性を受け入れようとする価値観
考え方に基づいた現代的なもの
これに対し世界の終末がくるから
救うために犠牲になるものを選べ
という全く別の理屈がぶつかって来る
これは実際に政治運動やネット上で
起こっているある種のイデオロギーの
対立を揶揄しているんだろうと思います
QアノンとかBLMとかもそう
Covid-19の世界的パンデミックでも
更に加速したとこがあります
そういう現代的イデオロギーも
やり方がマズすぎて
最終的には誰の理解も得られずに
滅んでいきそうに感じます
そう考えるとキリスト教と
いうのはそういった教義を長年
培ってきたわけですからそんな
ものがあるのに何をご都合主義で
自分の好きなようにものを言ってるのか
という作り手のメッセージのような
ものを感じる部分がありました
いやある意味
今も昔も変わっていないじゃないか
ともとれます
だからエリックとアンドリュー
ウェンの三人の間にある
愛情は間違いなく「本物」であると
描写されているんだと思いました
シャマラン本人も
ちゃんと出てきたし
変な映画だけどなんか嫌いに
なりきれない作品だったかなぁ
罪のない揚げ物
公開早々、評価は今ひとつと知りつつ、迷走期(エアベンダー、アフター・アース期)を除いて、たいていのシャマラン作品は観ているゆるいシャマラニストなので、観逃すわけにはいかず。本作はサイン+ハプニング風で、出来としてはレディ・イン・ザ・ウォーターぐらい? アタリ・ハズレのあるシャマラン映画を平均したら真ん中という印象だ。
監督のオリジナル脚本と思ったら原作ありで、ヨハネの黙示録が下敷きにあるらしい。3.11の地震津波、9.11の飛行機墜落、ロシアや加州の森林火災、そして新型コロナの疫病など現実を思わせる災厄に、登場人物たちの行動や思考との関連性を考えたくもなる。ただ、そこに深く意味を求めるのは、まさに劇中で語られる信じるか信じないかと同様、元々あるかどうかわからない寓意を作品に求めているように思えて、その辺どうでもいい気もする。
シャマラン映画のおもしろさは、なんでここでそれ?みたいな突拍子のなさにあると思うので。定番の監督のカメオ出演も、今回そこ?みたいな笑いどころでもあるし。相変わらずのハッタリをかました思わせぶり展開をしながら、そうなる前にもっと調べたり聞いたりすることあるだろ!とツッコミながら観るのもまた楽しいのだ。
そんなわけで今作では、頭頂部がプロレス傷で波打ち、両腕ゴリゴリタトゥーのデイブ・バウティスタが心やさしい小学校教師というのがツッコミポイントかもしれないが、ヴィジットでのBBAゲロ吐き級のインパクトがほしかったのはたしか。なお、芸達者な子役ウェンの、口唇裂の意味はさすがになんだったんだろう…?
悲劇的な結論
を迎えるのは、仕方ないし、想像もつきますが、どうしてあの4人なのか?どうしてこの家族なのか?がハッキリしないままなので、なんか消化不良です。展開は斬新で記憶に残るシャラマン監督らしいとは思いますが。
残念、意味不明💦
シャラマン監督の新作と言うことで、期待値バリバリで行ったんですが。
まずは、冒頭のバッタシーンから画面に釘付けに。この観る者を惹きつける画力、演出力はさすがです。
が、洋画あるあるで、キリスト教の知識がない日本人には多分あるであろう"隠された何やら"がさっぱりわからない。
いきなり押し入られて世界が滅ぶか家族の誰かを殺すか選べって言われても、そんなのカルト宗教の妄想としか思えないですよね。
我々は同じビジョンを見ているから間違いない。その証拠にあなたたちが死ななければ我々が仲間を一人殺す。そのたびに津波、飛行機の墜落、疫病パンデミック、次々と終末のビジョンが現実になる。と言ってもこいつらが殺し合う事と災害が現実化することの因果関係がわからない。別に死ななくても起こる事は起こったんじゃないの?
よしんばこの終末預言が本当だとして、家族3人のうち誰かを殺せば世界が救われるという説明にはなっていない。
聖書のどこかにそんな事が書いてあるんですか?
だとしたら信じる者は救われない。
家族の一人を殺して残った親子は幸せになったんでしょうか?
落ち無し
シックスセンスを皮切りに、内容は悪くても、必ずエッ!?と驚く落ちを用意してくる監督、というイメージだったのですが‥
今回の映画はなんと落ちが無く、投げっぱなし‥
結局、なぜあの一家が犠牲を払うと、世界が救われるのかその理由が全くわかりませんでした。
正直、アイデア浮かばないならもう映画作るの止めたらレベル。
前作も結構ひどかったけど、まだ落ちはあったんだけどな‥
もうこの監督の新作出ても見ないと思います。
観る価値
M・ナイト・シャマラン、彼の作る映画はスリラーやホラーというジャンルで言い表すより「シャマラン映画」と表現する方がしっくりくるほど、彼特有の世界観があります。今回もやはりスリラー演出はお手の物ですし、お約束のカメオ出演も含めそれなりの見応えはあります。ただ含みのある言い方になってしまうのは、肝心のストーリーに対して難を感じるからです。ストレートに言えば、作品に面白さや映画化する意義が感じられないこと。要するに「観る価値」を問われると、積極的に推すことは出来ません。
この作品は原作があります。それはキリスト教がベースにあり、ある日突然やってくる終末を食い止めるため、ある家族の前に現れる訪問者とその家族の話です。私は原作未読ですし、キリスト教を含む宗教については全く知識も信仰もありません。ただ、映画などの作品から、聖書には少なからず残酷な表現や内容が含まれることは薄々ながら知っています。そして、この作品もまた不条理で残酷な決断を迫られるわけですが、私にはこの話の教訓が全く理解できません。利他的な行動をとることの意義は解るのですが、その犠牲として命を捧げることを選択、強要されることはむしろ生(せい)に対する冒とくに思えてしまい、スリルを楽しむよりも先に違和感が先立って、さらにはそんなことをエンタメにすることに趣味の悪さすら感じてしまいます。何なら、終盤の状況において物語内における人々に、信仰心を持ち続ける人がどれだけいるのか疑問だったり、何なら生き続ける意味を失う人が続出しそうで、いよいよ作品の意義が見えなくなります。
と、殆ど酷評のようになってしまいましたが、この作品において、まさに「救いの神」とも言えるのがウェン役の子役クリステン・ツイ。利発でキュートな彼女の存在感は大きく、いいキャスティングであり、今後の活躍も楽しみな俳優だと思います。
「どんでん返しがない」という、どんでん返し
最初の週末という事もあって、お客さんたくさん入ってました。
ぜんぜん退屈しないで最後まで見れました。
うーん、強いていうなら、テレ東の昼下がりにやってそうな。
そういう安い娯楽を見せていただいた感じ。
なんのどんでん返しもないのが、最大のどんでん返しなのですかね。
毎回どこかに出てくる監督は、今回はテレビショッピングに出てきました。
ノックは7回
なんだかストレートに終わってしまい、予告以上のものがなかったような。
導入がスムーズなのはよいのですが、そこからが冗長。
いきなりあんなこと言われても信じないのは当たり前だし、せめて最初は武器を隠しなさいよ。
最後にはようやくキャスターの言葉を予言しますが、それを最初にやらない理由がない。
地震の震源地とか津波の被害者数とか、信憑性を上げる方法はあるだろうに。
選ばれた理由とか色々明かされないのは覚悟してたから別にいい。
でも、4人の話を信じる信じないかなんてのはどうでもよくて、信じた先の葛藤と決断が見たかった。
密室劇にゲイカップル、そこに寄り添うアジア人女性など、前日に観た『ザ・ホエール』との共通点が多数。
他作品と比較するのもフェアではないが、あちらと比べてゲイ要素の意味が薄かったような。
サブリナが黒人女性ということも含めて、やたらとLGBTQだのポリコレだの前面に出されても冷める。
ウェンの傷とか、レドモンドだけ本名を偽っていた点とか、意味深なところも活かされない。
『オールド』は割と面白かったし、シチュエーションスリラーは好きなのですが、これは残念でした。
ノストラダムスの大予言…❓
M・ナイト・シャマラン監督による、世界の終末予言をモチーフにした、ミステリー。シャマラン作品と言えば、『シックス・センス』や『サイン』等、霊界や宇宙人、伝説等を取り入れた作品の中で、最後にどんでん返しがあり、インパクトを残す作品で知られ、個人的には好きな監督の1人だ。
しかし、最近の『オールド』もそうだったが、「何が原因?」「その正体は何?」といった明確なモノがないまま、終わってしまうのが、やや物足りなさを感じていたが、本作も「なんで?なぜ?こんなことになるの?」という「?」マークが、並んだままエンドロールを迎えてしまった。観た人が、それぞれに思いを馳せればよいのだろうが、ラストには意外性を期待するシャマラン作品とは少し違っていて、消化不良は否めない。
本作は、小説『終末の訪問者』を原作にした映画化。森のコテージで、平穏に暮らしていたゲイの夫婦と養子の女の子の所に、脈略も無いままに、謎の4人が押し掛けて襲撃するシーンから始まる。4人の言い分によると、家族の誰か1人の命を差し出し、生贄にすれば、世界中の何億という人々が助かるという、自分達が見たという世界終末論のビジョンを話し始める。
当然、そんなバカげた話を聞き入れない家族だったが、次第に世界終末に繋がると思われる、大地震による大津波、死に至る疫病の蔓延、数多くの飛行機の墜落などが、目の当たりに現実となっていく。そんな中で、ゲイの家族は、世界の人々の命か自分達の命かの、究極な選択を強いられていくサスペンス・ミステリー。
出演者は、『ガーディアン・ギャラクシー』のドラックス役を演じた、プロレスラー上がりのディブ・バウティスタが謎の訪問者のリーダー役をつとめ、『オールド』にも出演していたニキ・アムカ=バードや、あの『ハリーボッター』のロン役のルパート・グリントが、髭面で嫌悪感漂う訪問者を演じていた。
そうじゃないだろー
2023年84本目。
たまに石川県スルーされますが、やったら必ず観にいくM・ナイト・シャマラン映画。今回はアンブレイカブルみたいな話ですね。訪問者がお前ら誰か死なないと世界が終わるし、死ななかったらお前らだけは助かるけど他は全員死ぬ、これ何回も夢で見てるから間違いないので信じて協力して!という話。
ここから色々心理戦とか、本当じゃないのか、嘘じゃないのか、と目まぐるしく展開すれば面白かったのでしょうが、定期的にチェックポイントで強制的かつ事務的に話は進んでいき、そのままスーッと終わっていった感じでした。
ちゃんと拒絶したいと思います
よく分からないのはそのように作っているからなのだと思います。設定や物語が意表をつくことに注力している感じで、違和感が至る所に・・・。
終末に怯える心理を大いに利用してやろうということなのかもしれませんが、嫌です、この話。最悪です。救われたかのような感じに持って行ってましたが、見ているこちらが絶望を抱くようなものです。
でも惹かれてしまうような気も、何となく分からないでもないんですけど、自分にとっては今さらという感じしかなくて、引くしかありませんでした。
偶然…かも知れない
ゲイカップルと養女の3人家族が暮らす森の中の家に世界の終末と阻止する方法を告げる4人の男女がやって来て家族の命と世界中の人類の命の選択を迫る話。
世界に厄災が迫っており家族の3人の内の誰か一人が死ねば70億人が救えると言い出すけれど…。
作中でも言っていたけれど、何故ならこの家の3人が?が結局良く解らないし、4人の語ることや事実をみせられても、オカルトですよね?としか思えない。
一人、又一人と証明して行くけれど、あなたたちを守ることの方が大切なのでは?という感じだし。
もし自分だったら最後まで信じないし、映画としてみてもオカルトですよね?いやいやオカルトでしょ?あっ本当にそういう設定だったんだ…というなんだか白けた感覚を覚える。
疑心暗鬼に陥ったり追い詰めらたり抵抗したり決断する家族という意味ではスリリングさとかか哀しさはあったけれど、「そういうものだから」という設定の押し付けが受け入れられなかったり、疑心暗鬼になったら面白くないんじゃないかと。
因みに自分はダメでした。ゲイカップルと養女の3人家族が暮らす森の中の家に世界の終末と阻止する方法を告げる4人の男女がやって来て家族の命と世界中の人類の命の選択を迫る話。
世界に厄災が迫っており家族の3人の内の誰か一人が死ねば70億人が救えると言い出すけれど…。
作中でも言っていたけれど、何故ならこの家の3人が?が結局良く解らないし、4人の語ることや事実をみせられても、オカルトですよね?としか思えない。
一人、又一人と証明して行くけれど、あなたたちを守ることの方が大切なのでは?という感じだし。
もし自分だったら最後まで信じないし、映画としてみてもオカルトですよね?いやいやオカルトでしょ?あっ本当にそういう設定だったんだ…というなんだか白けた感覚を覚える。
疑心暗鬼に陥ったり追い詰めらたり抵抗したり決断する家族という意味ではスリリングさとかか哀しさはあったけれど、「そういうものだから」という設定の押し付けが受け入れられなかったり、疑心暗鬼になったら面白くないんじゃないかと。
因みに自分はダメでした。
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