「シャマラン、ホラー、法螺話」ノック 終末の訪問者 高森 郁哉さんの映画レビュー(感想・評価)
シャマラン、ホラー、法螺話
初期の出世作「シックス・センス」「アンブレイカブル」「サイン」によって、“どんでん返し”や“予想外の展開”の名手と称されるようになったM・ナイト・シャマラン監督。ただし好んで扱う題材としては、幽霊、エイリアン、超人的な存在、謎の奇病など、伝統的な怪奇譚で定番のネタが多い。英語のホラーと日本語の法螺(ほら)は偶然音が似て駄洒落みたいだが、人間が本能的に恐怖を覚える対象を空想で誇張したり、想像を膨らませて非現実的な存在を創り上げたりと、意味的にも通じる部分がある。シャマラン作品の本質は、映画で上手に法螺を吹くことなのかもしれない。
さて、最新作の「ノック 終末の訪問者」は、前作「オールド」と同じく原作小説があるのだが、シャマランの過去作に類似する着想のストーリーであり、だからこそ監督も自身の手で映画化することを望んだのだろう。シャマラン映画を知る観客は、登場人物が必ずしも真実を語っているとは限らず、また目に映るものが“真実”とは限らないと、疑いの眼差しで臨む。私たちはゲイのカップルと幼い養女の3人家族と同化し、訪れた謎の男女4人が突きつける「家族のうち1人が自ら犠牲にならなければ、全人類が滅びる」という究極の選択に対し、狂信的なカルト集団の妄言を聞かされているのか、テレビで流れる大災害の映像を含め何かのトリックを見せられているのか、それともすべてが真実なのかと思い悩むことになる。シャマラン節を疑ってかかる観客の心理をもうまく利用した映画と言えるだろう。
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