君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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うーむ…
『借りぐらしのアリエッティ』同様、期待していただけに残念…。
タイトルの本を以前読んでいたはずですが、関連性は感じられませんでした。
切り離して考えても、どうにも納得いかない展開。
何を伝えたいのか解りにくいし、結局解りませんでした。
アニメの絵もガッカリ。
おばあちゃん達はそこまで描かなくてもよくない?と思わせるほど皆深いシワ顔でまるで湯婆婆だし、アオサギも気持ち悪いし、無駄なシーンが多すぎました。(服着るシーンとか、パンにジャム塗るシーンとかあんなにタップリ必要ですか?)血の表現とかも子供のお絵描きなの?というほどの量と質感…。
そういう技術点でさえ、新海作品に大きく水をあけられてしまってる気がします。
あんまり悪く言いたくないから、この辺で。
でも、観なきゃ観ないで後悔しそうだったので、観た事は自分に納得(笑)。
押井守っぽい
死んだ母ちゃんに対する後悔と新しい母ちゃんとのわだかまりを乗り越えるお話し。
それをファンタジーになんかそれっぽい用語を使う事で凄く難解に見せてる。多分もっと色々込めてる思い(皮肉も含め)もあるんだけど考えるのも面倒臭い。
でもハイクオリティな映像と構成で見ていて楽しいのが素晴らしい。
あと、イメージイラストのカッコいい鳥は出てこない、サギだけに。
これじゃないジブリの集大成を裏考察してみました 謎が分からなかった人は参考にして下さい
これじゃないジブリの集大成
エンターテイメント性のある冒険活劇を妄想してワクワクで映画館に脚を運んだのに、全てが想像の真逆を行ってました。純粋に面白さを追求し老若男女が楽しめる作品を目指してもらいたかったから本当に残念でなりません。
内容はファンタジー冒険活劇ではなくオカルトホラーです。
※一日経ったので他で説かれてなかった自分なりの解釈を裏考察として記しておきます
裏考察なので他でやってる物は省きます。アオサギ、ペリカン、インコなど象徴的に鳥が出てきます。これは天を支配する者達、天使の意味合いが強いでしょう。鳥は日本では太陽に住む鳥、八咫烏を始めとする天孫族を意味し、それが住まう場所を鳥居と言うわけですが、神社は神道、そのトップは天皇陛下です。
作中の塔は天から降りてきた力を建物でおおったといい、その力を操れるのは大叔父。彼は世界のバランスを保つために墓石の積み木を毎日少し動かして世界の崩壊を食い止めている。大叔父とは今上天皇(当時なので昭和天皇)その人に他ならないでしょう。国民と世界の安寧を願い祈るお仕事をされている方はこの世にただ一人です。
神との契約でこの力は血族の男子に継がれています。地位と名誉と血脈。主人公の眞人はそれを受け継ぐ皇太子。しかし自らの悪意で下々の者に怒りの矛先が向かうよう自らの頭に拾った石で傷を負わせた悪意をもって自分には崇高な祭司の御子の資格無しと断りました。
そこに後ろからやってきたインコ大王、王の下に王を作ったのは大叔父である天皇は別格だという意味でしょうね。そして欲にまみれる後続の権力者達を表現しているんでしょう。ロートシルトとかロックなんたらとか……世界を牛耳ったつもりになってる方々。それがやってきて積み木を適当に積み上げて壊してしまう。このような人達に世界を託したら一時と保たずに崩壊する。それを説いてるんだと思います。
塔とはタロットの大アルカナの一枚で正位置でも逆位置でも凶。破滅のカードです。いずれは崩れる13個の積み木の塔は大きな世界と象徴的な建物のひな形として存在し、その崩れそうなバランスが世界の均衡をうまく表現しています。13の積み木は小アルカナ、私達が親しんでいるトランプの1から13であり世界の構成要素。
そして御子としての主人公も夏子の子もこの塔の中で生まれる特別な血脈の子孫である事を知らせていますよね。神の契約なので他の魂とは分けて表現されていると思います。戦争や経済的な計略で沢山の人が死んでいく。鳥が人の命を間引く。折角現世に向かって飛んでいく魂をペリカンが食べてしまう事で表現しているのかも知れません。自然界も強者が弱者を捕食するので、大差はないと考えての事かも知れませんが、あの世でもそんな事になってるのかと想像すると落胆しますね。
そして最後に大叔父の威光は継承されず、皇統が失われ塔は崩壊。近い将来そうなるかもしれないですが、その先にある欲にまみれた支配者達の易しくない超監視社会の中で君たちはどう生きるか……ああ考えたくない世の中です。
最後の希望は清き積み木の記憶を絶やさず、アオサギやキリコ達多くの友達を作り意識を共有し世界へ伝播させる力、それは愛の力とか言うと痒いけど、隣人を愛し世界が繋がる心が邪を払うと信じて、主人公の眞人が進むと決めた道なのでしょうね。ああ本当に良いテーマなんですが。娯楽性は殆どない作品でした。
※2日経ったので更なる深読みを記しておきますね
主人公の眞人は大叔父との言い合いの中で、その仕組みにも悪意が含まれていると言ってましたよね。これは積み木に対する思いなのか、大叔父の生き方に対するものか、はたまた皇統に対するものなのか……少なくとも現状の皇室のあり方を完全なる善とは認めていないのかもしれません……議論は尽くされぬままインコ大王が力を手にして壊してしまったので後は分からないですが、これからの神無き世を私たちはどう生きるか。作品全体を通してそれを問われているように私は思いました。
※3日経ったので多くの人が分からないと言ってる夏子の出産の謎について記します 今回で最後の追記です
作中の出産は塔の中で神の御子を迎える神事になっています。なので、血脈の男子を迎えるのはこの場所でなくてはならず、眞人の出産も弟の出産も同じように神事になっていたのです。神聖な石室の中で神社の紙垂のようなものがぐるぐる回っていますが、あの輪の中が神界へと通じているのでしょう。紙垂は現世と神の世界を分ける境を示す物です。石室は御船代(契約の箱、失われたアーク)として存在しているのでしょう。そしてそれに直接触れることができるのもまた神の御子だけです。ここで神の御霊が宿るのでしょう。そういう神事の場所です。石室に入ることのできる人間は神の御子のみ。夏子には神の御子が宿っているため入れますし、眞人は神の御子なので入れますが、ヒミ(ヒサコ)は入ることができません。入ることを拒否したのは、自分の愛する旦那の子を孕んだ妹の夏子の子が見たくないからという感情的な理由ではないんです。入れないんです。ヒミが薄情な者だからではありません。
ここでもう一つタロットの話をしましょう。広く知られているタロットカードはライダー版と言いますが、もう一つマルセイユ版のタロットが存在します。マルセイユ版タロットカードでは塔のカードは神の家と呼びます。きっと神の御子は神の家で産むものという事なのでしょう。巨匠がそんなマイナーなカードをネタにするだろうか?と皆さんは疑問に思うかも知れませんね。塔のカードと神の家のカードは大枠で同じ意味を持ちますし。でも神の家には一生懸命に築き上げてきたものが壊されるという塔の象徴的な意味の他に、神の家独自の解釈があり、それが神の意志によってもたらされた人生の選択という意味なんです。これって君たちはどう生きるかと何だか重なりませんか?神の家のカードには破滅だけでなく前向きに考えられる希望が有るんですよね。それは神から与えられた人生の岐路だった訳です。
という訳で、あの塔と呼ばれていた建物は実は神の家という激レアカードから着想を得ているだろうと私は推察しています。眞人はきっと破滅の中で希望的選択をしたのです。作中の最後に太平洋戦争が終わった後の世界が描かれている事がその証拠なのでしょう。そして志有る者達が、一人一人が清く正しく美しく世界を紡いでいくのでしょう。いつか忘れてしまう聖なる心を受け継いで行くのでしょう。この重いタイトルに(戦争へと傾いていく)時代が追いついたという鈴木敏夫さんの言葉と共に僕達はどう生きるか一人一人ちゃんと考えなきゃいけないのでしょうね。ここまで読んでくれてありがとうございました。
原作のことを考えずに見る方がよいかも。
宮崎駿監督の映画を見たのは『紅の豚』以来です。紅の豚がピンとこなくてジブリから遠ざかっていましたが、久しぶりに映画館でみたくなりました。
婆やがゾロゾロでてきて急にファンタジー寄りになった時点で、私の好みではないと思いました。
話があちこち言って教訓を探しつづけましたが、なんとなく2時間経って唐突に終わりエッ?!となりました。
ジブリ作品に詳しい人ならわかるアレコレがちりばめられているのかな。
エンドロールをみてびっくり!。
菅田将暉は誰の声をしてたのかな?わからなかったからすごく上手だったと思います。主役の子も上手でした。
アニメーションを継ぐ人たちへ
アニメーションが美しかった。
画面に映る人や動物がどこにいるのか、何が彼らの身に起きて、どんな風を体にうけ、何を見ているのか。描写や表現が美しすぎました。風、水、波、重さ‥リアルをアニメーションでどうやって表現するのかが詰まりに詰まっている。
大叔父様がマヒトに世界を受け継ぐ話をしていたけど、あれは宮﨑監督からアニメーション業界で働く人たちへ向けた言葉だったのではないだろうか。
宮﨑監督が愛する「アニメーション」を継ぎ、残していく人間でいてほしい。そしてそれは、ジブリという中ではなく、それぞれがそれぞれの世界の中で「アニメーション」を続けていってほしいというメッセージのように感じた。
多くの作品を作り続け、最後はアニメーションの未来を担う若い人たちへのメッセージ…君たちはどう生きるか。
そこまでするか宮崎駿
さすが宮崎駿という作品の映像美で良作だと思います。
しかし近年では他の監督も映像美にはかなり迫っており、宮崎駿らしさ、ジブリらしさは既にある物語の再創作というウォルト・ディズニーを彷彿とさせた魅力に翳りを感じます。
この作品そのものに説教臭さはそれ程ありませんが、手放しで絶賛するのにはやや難解な作品だというのが個人的な総評です。
尚、タイトルにした「そこまでするか」はパンフレットは後日販売として、劇場で公開初日は買うことができない点です。
事前の宣伝なしに続いて徹底的に内容(ネタバレ)から鑑賞予定者を遠ざける事に徹している点を考えると早めに観に行くのが良いと思います。
恐らくジブリと宮崎駿でもなければおいそれと同じような方法は取れなかったでしょうけど、昨年末に『THE FIRST SLAM DUNK』でも近い情報非公開主義によって成功した例からネタバレの致命的であるというのを作り手側がとても強く意識しているのだと思います。
ジブリ作品らしい演出といえば名脇役の存在ですが、『もののけ姫』ならこだま、『千と千尋の神隠し』で言えば湯婆婆やカオナシですが、今作はワラワラと七人の婆やが愛らしいです。
以降はネタバレ含みます。
一言で表現するなら本作は宮澤駿(少年)版の『不思議の国のアリス』また『七人の小人』、
作品タイトル『君たちはどう生きるか』は作中に眞人が母からの贈り物として手にした吉野源三郎の同名書籍にちなみ、家の周りの森の中にある本好きだったという大叔父が建てた不思議の塔がその伏線と考えられます。
不思議の世界は幾つかの世界で構成されていて、死後の世界(地獄や極楽)と生前の世界など時間軸も無茶苦茶な各世界には青鷺のライバルであるペリカンや色とりどりのインコが暮らしています。
こうした物語のアウトラインを振り返るといつものジブリの描くファンタジー風ですが、難解さと最初に表現したのは眞人が転校先の学校でケンカをしてボロボロになって帰る途中で大きな石を掴み、自らの右側頭部を打ち付け大量の血を流し父母、使用人の婆やたち家族全員が心配するシーン。
父親は「誰にやられた?」とイジメだと判断し、学校に抗議。しかし眞人は転んだと言い張ります。
ケンカやイジメと親の気を引きたいなら泥だらけになった服だけでもいいのに、頭を縫うほどの自傷行為をするのは破滅願望なのか、自らをあまり大切にしていない印象を受けます。
その一方で身重で行方不明になった継母が行方不明になると危険を顧みず森や不思議の塔に向かい青鷺たちと戦い、救い出そうとします。
眞人は口数は少なく、落ち着いた口ぶりですがやっている事はかなり無鉄砲。子どもの先のことを考えないで感情のまま突き進む姿を描こうとするにしては大人びています。
主人公に共感するというより物語(宿命)に翻弄されながら、生きる意味を探そうとする経済的には恵まれている家庭環境の子供の親離れ(乳離れ)がタイトルに込めた意味という点では実に様々な風刺(皮肉?)もあるでしょうか。
最後は無事に現実の世界に帰ってきて喜び合いますが、時間軸は数年後に一気に、弟が幼稚園児くらいまで成長し、この家を家族四人で去る日に飛びます。
そこに見送る婆やたち使用人の姿はなく、がらんとした部屋の様子と合わさり物語を閉じる余韻に引き込まれます。
物語の起伏がないわけではないですが割と淡々としていて、大叔父とのやり取りも心象描写中心で、パンフレットなしに答え合わせできずモヤモヤさせられる点は賛否分かれる作品かと思います。
このある意味でチグハグさを抱えながらも一つの作品をなんだかよく分からないけど完成させてしまう情熱は本当に凄まじいと思います。
宮崎駿(82)の年齢を考えると前作『風去りぬ』から10年。本作が最後の作品にするつもりはないのかもしれませんが、どうにも個人的にはスッキリはしない作品でした。
このため殆ど事前に宣伝や公開情報がなかったら逆に物語の破綻によって宣伝のし様がなく、パンフレットもスケジュールが間に合わなかった説を個人的には推したいと思います。
子供は最初の30分に耐えられるか?
公開初日に鑑賞できました。平日だった為席数にもゆとりがあり、大人の方が多かったです。↓以下ネタバレ、物語のざっくりとした説明と個人の感想あり
最初は戦争、焼夷弾がいくつも落ちてくるシーンから始まります。階段を駆け上がり、駆け降りる臨場感、外の景色、火の粉。これぞジブリ!!と感動しました。
以降主人公が大切な人を亡くして(母 父親が再婚し引っ越しをするところから物語は進んでいきます。ここでポスターの表紙になっているアオサギが出てきます。
そして引っ越し先で再婚相手の義母さんがいなくなってしまい、その義母を探すために異世界のような空間に迷い込みここからやっとファンタジージブリに突入します
(アオサギは異世界の案内人のような役です
現実感の緊張感が続くので、ラピュタやトトロのような、最初からワクワクするようなストーリー展開ではありません。ここまで見るのに子供は少し退屈かなぁ?と思いましたので題名に30分耐えられるか?にしました。
異世界に突入してからは、景色や風景の細かさがたまりません。あーこのシーンはあの作品みたい、ここはあの作品みたい。そして食べ物はやはりどれも美味しそう!笑 ツタのある家の壁を登るシーンはこれぞジブリ…とワクワクしてみていました。
ゆるゆるなキャラも出てくれば、馴染みのあるおばあちゃん達も沢山出てきますし、声優は豪華だし、2時間あっとゆうまでした。
ラストシーンだけ え?あれ?急に終わり?え?とゆうなんのラスト感もなく終わるのでもう少し周りにある家具や風景を観察したいと思いました。
いろいろな事を書きたいのですが、まとまりがなくなるので、あとは是非劇場で見ていただければと思います。
印象に残っている動物は、カエルとインコです。
個人的にジブリは何回も見て、何年も見て、年を重ねてまた見て、新しい発見や昔とは違う捉え方をして楽しむ作品だと思っています。2度見た時はきっと違う気持ちになるでしょうし、何年後かに見ると新しい気づきがあると思います。是非最初にこれこれー!と宮崎駿を味わってから、じっくりゆっくり時間をかけて物語の全貌を知っていきましょう。
君たちはどう生きるか
まだまだはっきりと言語化は出来ませんが、「悪意のない石を世界のあらゆるところへ行って探し出してきた。これを使ってお前がもっと平和で優しい世界を作れ(セリフはうろ覚えです)」という台詞には思わず涙腺が緩みました。
作者が作品に込めた思いなど視聴者の思い込みでしかないですが、今戦争や暗い出来事で揺れ動く世界で、子供達への一縷の望みが、監督の切なる願いが込められているように思われました。
そしてこの願いに自分は悪意のある人だから、と断る主人公。この異世界で出会った人達のような友達を作って暮らしますと返すその平凡でささやかな願い。
誰も無垢なまま完璧で完全な世界は作れないけれど、手の届く範囲くらいは信じたり許したりして生きていきたい
そんな気持ちになりました
宮崎駿監督の人生そのもの
宮崎駿監督が興行収入とか気にせずに、今好きなように作ったらこうなるんだろうな、と思いました。見終わった後、ほとんどの人が「なんか凄い気がするけど、意味がわからない!」となりそうな作品。
私が思うに、おそらくこの映画に伝えたい想いなどはないんだろうな。と。
宮崎駿監督の生い立ちがかなり近しく映画に反映されているところを見ると、自分の半生を走馬灯のように思い出しながら、ご自身のやり方で自分の人生を表現なさったんだろうな、と思います。
あの時声をあげればよかったな、とか。
母への想いとか。
そういう自分の後悔から大切にしていたことまで、走馬灯や夢のように自分の人生を回想してらっしゃるんっだろうと思いました。過去や未来やあの世やこの世がぐちゃぐちゃです。
そのぐちゃぐちゃな世界が、燃え上がる炎、人混みを走り抜ける臨場感、大群で迫ってくる鳥の不気味さなどさすがな表現力で描かれているので見る方はただ圧巻。
きっと一般ウケはしないし、その意味で予算も見込めないし、、だけど人に受け入れられる物を作りたいわけではないし、ということでこのような宣伝手法になったのかな、と思います。
この映画の積み木や鳥などの細かなイメージに意味はないのではないでしょうか。
監督の中にある人生においてのそれぞれの概念に一番近いものをはめ込んでるんだと思います。アート作品のような、ぼんやりと作者の内面を感じる。
伝えたいメッセージも具体的なものとしてはないような。。。。
あるとすれば感受性が豊かな壮大な人生を見せつけられて、その上で、
「君たちはどう生きるか」という問いかけです。
宮崎監督、こんな映画を作れてよかったですね!!私も見られてよかったです!!
最後に、声優で参加されていた菅田将暉さん、すごかったです。
ゾッとする不気味さもありつつチャーミングさもあって。
すごい役者さんだな〜
〇〇の子は宮崎駿自身であり作品の後に宮崎駿の人生が続いている
…追記&余談……
宮崎駿の生い立ちから、ラストに登場した夏子が産んだ小さな男の子が宮崎駿だと考察しています。
この物語は主人公の少年が大人になる物語であり、本当の母との決別、新しい母を母と認め、自らの過ちを受け入れ大人になる物語でした。
物語で中盤に生命の誕生についてあれこれ説明があり、わざわざその内容を入れている点や、身ごもっている夏子を助けに行くという進行にしたこと。
宮崎駿の幼少の体験と照らし合わせると、むしろ後妻夏子と父の間に生まれた幼子こそが宮崎駿監督になります。
2013年発行『腰ぬけ愛国談義』に宮崎駿監督は父親の再婚後の子供だということが記されています。
(宮崎駿の父は大恋愛で結婚した最愛の妻に結核で先立たれました。後妻との間に出来たのが宮崎駿監督です。)
書物によると
・就職時戸籍謄本を取寄せ判明
・前妻と父は学生結婚
・前妻と父は生きるの死ぬのと大騒ぎして結婚
・結婚後1年も立たないうちに前妻は結核にて死去
・宮崎駿の父も結核を患っていたので自分の結核が伝染したと言っていた
(戸籍謄本を取寄せ判明した後監督自身が父親に聞いたことが推測できます。)
・前妻との間に子供はなかった
・大恋愛の末の結婚で妻が亡くなった後父は周囲に心配されていた
・父は前妻の死去後1年も経たずに宮崎駿監督の母と再婚
だそうです。
ただ、もしそれが本当であれば、この映画はもうそのままですよね。ド直球過ぎますよね。
ちなみに夏子の子供が宮崎駿自身であればこの話は宮崎駿がこの世に生まれ落ちるための話。この映画の後から宮崎駿監督の人生は続いていきます。
父と前妻が幸せに大往生していれば存在し得なかった世界。誰かの不幸の元に産まれた世界。それでもそれぞれでその苦しみと葛藤を乗り越え、受け入れられ、認められ、祝福され、存在を赦され産まれた醜くも美しい世界。そんな世界線に産まれた小さき者が今やアニメの歴史の頂点とも言える場所に生きて立っている。
みなさんこの考察どうでしょ?
宮崎駿はこう生きた。それを作品で示し、さぁ君たちはどう生きるか?という問いに繫がるのです。
そう考えると評価がひっくり返りそうな、もう一度くらい足を運んでもいいんじゃないかと思いませんか?
・宮崎駿自身が大人になり地位と名誉、文字通りの莫大な富が手に入って満たされても過去は変えられません。作中で描かれる「気持ち悪い」と思えるような描写も後に生まれる夏子の子を前妻や世界に存在を認めさせるための儀式であれば辻褄が合う。きっと寂しい幼少期を過ごしたのでしょうね。
庵野秀明監督がエヴァシリーズの終幕で少年が過ちを認め大人になる物語を描いた。新海誠は(参考にしているかどうかわかりませんが、)震災に惹かれ「君の名は」から遂に「すずめの戸締まり」のように直接的に描きたいものを描いてしまった。
もっと、自分の言いたいことを直接やっちゃっていいんじゃないのとジブリ制約を守りつつもやったのがこの作品だと思っています。
そう考えると芸術家ですよね。ただのアニメじゃないですよ。これは芸術作品です。
…追記余談終わり…
以下殴り書きちょい酷評と讃美
(先の考察が合っていれば壮大なストーリーですが、そういう裏テーマはネームバリューがあるから出来るだけでフェアじゃないのでそれ抜きにして批評↓)
アニメーションは素晴らしかったです。キャラクターの一つ一つの描写。目の動き、これだけで映画館で見る価値はあるので足を運んでも無駄にはならないと思いますよ。ただ、脚本がね。
他の監督が同じ内容でつくったら大酷評だろうなと安易に想像できる内容ではあります。
さすが、庵野監督のお師匠様ですよ。庵野秀明のエヴァ終幕を受けて、俺もここまでやりたいってなったんだと勝手に想像しています。
失礼を置き捨て言ってしまえば2人とも性癖がちょっとね…オブラートに包まず言えば…気持ち悪いんだよ!!!
幼少の頃のトラウマを克服せずずっと引きずっている感じが拭えない。いい年した大人でしょ?ボケも入るような歳でしょ?過去を思い出し大笑いするどころか忘れるくらいになっていてくれ!頼む!!
と思わずにはいられませんでした。普通の人ならウン十年前のことなんて「そんなこともあったっけなぁ〜」くらいですよね。でもどこまで行っても芸術家。執着心は果てまでですね。
これは少年が大人になるお話です。
この物語は少年が母親の死を受け入れ、また同時に母親の妹である夏子を母として受け入れるという物語です。お母さんが亡くなった後、お母さんの妹と父親が結ばれたらトラウマにもなりそうなもんですけどね。母にとっては夏子は愛すべき妹であり、色々な視点から少年が母という存在を理解し、同時に新しい母や自分自身を受け入れ成長するという物語なんですよね。
でも一般的に見たらそんな簡単に受け入れられるもんでしょうか?いくら冒険があったって、母自身が受け入れているからと言って、無理じゃないですか?
私には『ちょっと少年物分り良すぎじゃない?』あと、『宮崎駿監督自身女性とか母とかに幻想を抱きすぎじゃない?』と思わずにはいられませんでした。
お母さん、ラストパートで自分の現実世界に戻ったら最後自分が死ぬことも妹が自分の死後最愛の夫と結婚することも知ってるんですよね。だんだんその現実が近づいてきて理解も追いついてきて体も精神的にも成熟する頃、さすがに怒りはないですか?子供と出会えるからとそれだけで受け入れられますか?それとも記憶が消えてしまうからよいのですか?わざわざ眞人に異世界からの物を持ってこさせてそれがあれば記憶が残っている、なければ記憶は消えるというシーンを入れたのが最高に気持ち悪い。(お母さんの記憶は消えてるよと強調してる)
記憶なければオッケ~ってエグいことしてるなぁと思います。
母親は記憶残ってたら恐怖ですよね。どんなに恐怖でも子供からは逃げられないしね。母性ってそういうもんです。それを人質にエッグいことやってんなぁと。
眞人が夏子を受け入れるシーンも何もわざわざ本当の母親の前でやらなくたって…
私の評価へのコメントで「子供は意外と受け入れちゃうもの」みたいなコメント有りましたけど、それって愛してくれる実母が眼の前にいる時に新しい母のことを受け入れるって言えますか?言わせますか?やり方がエグいですよ。残酷すぎる。
宮崎駿はね、それでも母親なら、女性なら、慈愛を持って受け入れてくれるだろうと思っている。女性を神聖化し過ぎだと思います。(むしろそうではない女性を女性として捉えていないと思う)
(…更に追記…
考えてみれば、宮崎駿が恋い焦がれていたものは母性ではなく、父親の方なのではないでしょうか?父親に愛されたくて仕方なかった。本当の自分を見てもらいたかった。でも父の前では立派に振る舞わなければならない。父は自分の子供を心配している素振りは見せるものの本質は無頓着。そんな父親に、もしいつまでも忘れられない人がいれば。…追記終わり…)
アニメーションなのでオブラートには包まれていますし、深く考えない人も多いので気付きにくいですが、純粋に気持ち悪いですよね。
まぁ私はそんなことを思いましたが、気持ち悪さを抜きにしたら単純に面白くなかったというのが一番の本音です。
序盤は面白かったです。どんな冒険が始まるのかとワクワクしました。夏子さんが消えて異世界に行ってからは単純に面白くない。
感性色々なので仕方ないですが、私にはハマりませんでした。
でもね、ジブリという制約がありながらここまで自分を出してきた宮崎駿は讃美したいです。これでいいんだよ。気持ち悪くたっていいんだよ。本当は最初からこういうものが描きたかったんでしょ?ジブリの皮被りながらも綺麗なアニメーションでオブラートに包みながらも御年82歳まで幼少のトラウマやコンプレックスを忘れられなかったド変態なんでしょ?それとも歳を取ると赤ちゃん返りするって言うけどそれなのかしらね
これが遺作なんてもったいない。もっとやってちょうだい。そう思いました。
何度も言いますがアニメーションは良いです。人物描写も良いです。物語の脚本は面白くない。
元々のライトなジブリファンにもこの作品は頂けないんじゃないかなとも思いました。世間が駿に求めてるのはこれじゃなかったのよね。
でもですよ、宮崎駿が死期を前にここまで性癖を出してきた事実、これについてはかなり面白いです。
これだけでご飯100杯食べられます。
もう一作作ってくれないかなぁ。
今度は若い人の助言や世間に受けそうなキャラや今流行りの動きなんて取り入れずに宮崎駿の純度100%を見たいです。
この作品が『宮崎駿の原液』とか言ってる人たちが目が醒めるようなのお願いします。
↑以上は冒頭の追記考察に行き着く前に書いた文であります。冒頭の考察がもしあっていれば、このお話は壮大なテーマ過ぎて小さいことワ〜ワ〜噛み付いてる自分が恥ずかしくなりますね。アニメーションは素晴らしいけど1回でお腹いっぱいと思っていたのですがもう一度くらい見たくなってきました。
宮崎駿すげぇ。
………
1点だけ。もしそうだとしても。
今作は宮崎駿監督に興味がある人達にとっては考察が楽しく、興味深い作品だと思います。ただ、そういう見方をしない人達にとってはアニメーションはいくらすごくても作品自体は面白くはないと思います。かく言う私も、いくら監督推しだったとしても作品自体はそれぞれ冷静に見るので、そういう意味では今作は面白くなかったです。
でも今まで長いこと世間が求めるような作品を日本の模範となって、世界に発信できる作品を沢山作り上げてきましたよね。最後の1回(?)くらい自分のための作品があっても良いと思いました。
これは文字通りの芸術作品です。
今はきっと評価されないけどね、数百年後もアニメの歴史に残りますよ。逆に、現在の世間が求めるものを作っても後世に語り継がれるものにはならないでしょう。偉大だと思います。
80代の宮崎駿が引退してなおどうしても撮りたかった、「少年」版の『千と千尋の神隠し』。
あれだけあえて事前情報を伏せて公開した映画なので、一応ネタバレ扱いにするのが礼儀なのかな?
もう引退したと思っていた宮崎駿が、辛抱たまらなくなって撮り始めた最新作。
ほんとにコペルくんとおじさんの出てくる『君たちはどう生きるか』のアニメ化なのか。
ただひとつ明らかにされていた、アオサギとハシビロコウのあいの子のような謎生物はいったい何なのか。
まったく何の予備知識もなく観に行って、2時間、映画に正対して思った。
まずは、まごうことなき「宮崎駿」の映画だった。
それもいったん引退した監督が撮ったとは思えないくらいの、重量級の長編映画。
そこには、今まで宮崎が扱ってきたありとあらゆる要素がぎっしり組み込まれていた。
その意味では、宮崎駿という円熟した監督の晩年を飾る作品としては、じゅうぶんにご褒美感のある映画だった。
いっぽうで、面白かったのかといわれるとちょっと首をひねるところがある。
いや、マジで宮崎駿らしい映画だったし、思ったよりは辛気臭くも説教臭くもなかったし、思いがけないくらいの宮崎アニメ的なアクションとキャラクターにも満ちていたんだけど、なんとなく作りとしては諸要素がかみ合っていないというか、序破急のバランスを逸しているというか、物語としての緊密さを欠くというか、個人的にエンタメとしては消化不良感のいささか残る作品だったような。
― — — —
総じていうと、本作は少年版の『千と千尋の神隠し』だ。
異界に迷い込んだ「少年」が、奇妙な動物たちに囲まれて、「アオサギ」や「姉御」や「幼母」の助けを得て、「神」のごとき「大叔父」との邂逅ののち、「世界の理」の一端を体感したうえで、一定の成長とイタ・セクスアリスを経験して、現世へと帰還する。
そういう話だ。
物語の祖型としては、西洋における『冥界のオルフェ』や日本における『黄泉平坂(よもつひらさか)』の神話がベースになっているといってよい。
すなわち、「妻」のかわりに「喪われた母性」を地下の冥界へと探しに行って、それを連れ帰ろうとする「少年」の物語である。
異界へと入っていく描写は、コクトーの『オルフェ』を思わせるところがあるし、義母の寝所に入ったときに、「禁忌」に反応した御幣のような「紙」に襲われる陰陽道ふうの描写は、まさに「イザナミ・イザナギ」の神話を想起させる。
この大枠に、宮崎駿がこれまでに積み重ねてきた様々な要素が注ぎ込まれる。
まず冒頭は『風立ちぬ』や盟友・高畑勲の『火垂るの墓』のような、先の大戦における大火災の描写で幕を開ける。出だしから「乗った重みによる車体の沈み込み」や「高いところから下りたとき足に来る衝撃」といった、重力と身体性をめぐるネチネチとしたアニメーション描写が執念深く繰り返され、「ああ、俺いま宮崎アニメ観てる!!」という気分にさせてくれる。
疎開先に少年がやってくる描写は、少し『となりのトトロ』や『借りぐらしのアリエッティ』(宮崎は脚本参加)を思わせる。そこに「オールド・ダーク・ハウス」ものの怪談めいた話が出てきて、その「妖しさ」の象徴として登場するのが、謎めいたアオサギだ。ヒッチコックの『鳥』を意識しているのは間違いない。
今回、久方ぶりに「少年」を主人公としたことで、ある意味ファンが待ち望んでいたような「初期様式」への遡行が見られたのも確かだ。
西洋的な城や洋館、階段や壁を用いた垂直アクション、空中浮揚と重力のせめぎ合い、手に手を取って走る少年・少女といった、『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』といった「初期宮崎アニメの鉄板ネタ」が随所で見受けられ、個人的にはとても懐かしい感じがした。
おばあちゃんの若いころは「きっぷのいい魔法の使える姉御」だとか、お母さんの若いころは「ヒロインオーラ全開のパイロキネシス美少女」だとか、「ロリババア」要素が唐突にぶっこまれて来るのも、『ラピュタ』とか『ハウルの動く城』で見られた宮崎駿の特殊性癖の一環だ。
少女として異界に生きる母親は、わかりやすく「不思議の国のアリス」の装いをまとって漫画チックな城内を闊歩し、トランプの兵隊と女王ならぬ、インコの兵隊と王様を蹴散らして、やがて産むはずの我が子を守り導く(ただし、母親役の泣き演技はひどかったなw)。
主人公の少年は、基本的に寡黙で、常に姿勢がよくて、頑固で、ひたむきだ。
よくいえば武士のような佇まいがあって、きりっとしたキャラクターにも思えるが、
悪く言うと、何を考えているのか今いちつかめない、軽くアスペっぽい感じのある少年だ。
もちろん、この少年には宮崎駿自身の少年時代が重ねられているのだろう。
ただ、少年キャラの「得体の知れない」感じは、少なくとも初期の『コナン』や『ラピュタ』には全くといってなかった要素で、むしろこの依怙地で人の言うことをあまり聞かない感じは、『崖の上のポニョ』の宗介に近い感じがあるように思う。
主人公の少年を異界に導き、反撥し合いながらも、やがて「友」となる「アオサギ」は、最初に変化したときのその風体から『千と千尋』のカエルみたいなキャラかと思ったのだが、ふたを開けてみればまさしく『未来少年コナン』のジムシーに近い、究極のバディ・キャラだった。
おそらく本作で一番の、愛されキャラではないだろうか。
アオサギというのは、実際になかなか面白い鳥で、人間に対して総じて警戒心が強い鳥種なのだが、その割に、水前寺公園や不忍池などで常駐している個体にはやたら人なつこいものもいて、釣り師に魚をねだったり、手から投げた餌をキャッチしたりと、飼い鳥のようになっている場合もある。住処として、神社や屋敷森や公園の林地の樹上に、かなり規模の大きいコロニーをつくるのも特徴で、要するに「妙に人と近いところで」「得体の知れない威圧感をかましながら」「結構貪欲かつ傲岸に生きている」。いかにも本作のマスコットキャラにはぴったりの選択ではないか。
建築空間の設定については、一定の法則性を感じる。
まず出てくるのは、紙のように戦火に燃える東京の木造家屋。
疎開先には、豪華な書院造の和洋折衷建築の母屋と、洋館の離れが立っていて、少年の部屋は洋館のほうにあてがわれている。さらにその後背に広がる森には、謎の(ちょっとサグラダファミリア風の)廃塔が呑まれている。
塔から通じている「異界」には、「魔女の隠れ処」や「西洋風の城」が立っていて、さらにその深奥部にはタルコフスキー的な哲学的空間が隠蔽され、海辺のあずまやに異界の神として君臨する「大叔父」が坐している。
つまり、少年の生活圏から離れて「幻想」へと近づくにつれて、世界の「西洋」度が増していく。おそらく宮崎駿のなかでは、少年にとっての異界(ファンタジー)の極限にあるのが「西洋のお城」なのだろう(だからこそ少年の心をもつルパンは城の壁面に挑むのだ)。
異界を象徴する「ペリカン」と「インコ」は、どちらも「日本の鳥ではない」のがポイントかもしれない。
疎開先で異界と現世を結ぶのは、日本にも西洋にも生息するアオサギで、完全に異界で暮らしているのはペリカンとインコという「完全な洋鳥」である。
インコはもともとオセアニアの鳥なので、ヨーロッパ的な文脈ではエキゾチックな博物学的興味を喚起する鳥でしかなく、「華美」を象徴する程度のイコノロジーしかない。一方で、ペリカンは自らの血で我が子を養うとされたことから「キリストの犠牲」の象徴と解されていた。
このイコノロジーが興味深いのは、本作ではペリカンが、無垢な精霊として宙に還ってゆく魂を「捕食して妨げる存在」として登場するからで、しかも実際に胸を「血まみれ」にした姿で一羽は出てくるので、つい深読みをしてみたくなる。
あのまるい精霊(ふわふわ? 忘れちゃったww)を浄化したうえで地上に返す「装置の機能」は、「賽の河原」を体現しており、そこの番人として捕食して数減らしをしているペリカンは、「無垢なる赤子の魂」の「敵」でもあり「守り手」でもあるという「鬼子母神」に近い存在といえるのではないか? みたいな。
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以上観てきたように、本作にはいろいろと宮崎駿ワールドの集大成的な部分があって、総じて面白い映画ではあったし、想像していた以上に活劇としても力が入っていたし、あまりえらそうな人生訓とか大所高所からの価値観の決めつけがなかったのもよかった。長年のファンとしては、まずは一安心といったところ。
正直言って、80を過ぎた老人がすべてを取り仕切って作った映画とは、とても思えないくらいの密度とボリュームがある。
とはいえ、凄く面白かったかといわれると、うーん、なんか回答に悩むなあ(笑)。
まず、出だしから異界に行くまでが、いかにも長い。
異界に行って、インコの城に入ってからは俄然テンポ感が良くなって愉しい映画になるが、そこまでの展開も間延びした印象が強い。で、ラストの大崩壊と現世への帰還のあたりは明らかに足早だ。ラスト付近のインコ大王も、一体なにがやりたかったのかイマイチよくわからない感じで、物語を急速に終わらせるために、「鉄砲玉」よろしく適当で便利な扱い方をされているような気がする。
それから、主人公の少年に感情移入するのがたいへんに難しい。
とくに、いきなり自分の頭を石で殴るシーンは非常にショッキングで、映画としてはこの少年を語るうえでたいへん重要な要素であることはわかるが、観客の少年への共感度は駄々下がりである。
久々に、ちょっとコナンやパズーに似たような少年キャラが出てきたので、心の中で愛でる気まんまんでいたのに、なんだこいつ、頭おかしいのかと(笑)。
宮崎駿という人は、キャリアの初期から「間違わない正しい子供」と「間違ってばかりの大人」の対比で、なにかと物語を構築する人だった。
その点、『ハイジ』や『赤毛のアン』や『火垂るの墓』など、「間違う子供」を描くことにためらいのなかった高畑勲とは、じつに対極的なスタンスといえる。
そもそも海外でだって、『トム・ソーヤの冒険』にせよ『大草原の小さな家』にせよ、大半の子供たちは「間違ってばかりの不完全な存在」として描かれているわけで、いかに宮崎駿の「間違わない子供」が特異なスタンスかがわかろうというものだ。
その「正しい子供」の極北にあるのが『千と千尋』の千尋だが、この法則が「崩れた」のが、先にも言ったように『崖の上のポニョ』の宗介で、それ以降の宮崎アニメでは、少なくとも少年は無謬の存在ではなくなった(『ゲド戦記』のころあった長男・吾朗との確執が遠因かもとか思ったりもする)。
『借りぐらしのアリエッティ』の病弱少年も、自分のサイズがアリエッティのそれに合わないことで性的懊悩を高まらせたあげくに、地下のこびとの住居にドールハウスをねじ込んで擬似レイプを果たす変態(何もない部屋にティッシュだけがある)で、最後は別のこびとにNTRされてざまあ、みたいな身もふたもないお話だったと記憶する。
あと、これまで「自然と文明」「田舎と都会」「墜ちてきた少女」など、「二つの異なる存在」の出逢いと衝突を描き続けてきた宮崎が、今回の作品を完全に閉じた「血族の物語」に仕上げているのは、「進化」とか呼んでいいものなのか。
母親を火事で亡くした子供と、あえて妻の妹を後妻に迎えた軍事産業社長の父親と、異界で少女として生き続ける母親と、姉の夫の種を宿した妹(少年の叔母)と、屋敷を守護する「式神」めいた老婆ズ(布団での老婆人形を並べる扱いがまさに陰陽道)と、ラスボスの超セカイ系大叔父。なんかちょっとイタい横溝正史みたいじゃないすか。
で、それが一緒くたにまとめて崩壊&救済されちゃうハッピーエンドって、『ポニョ』のPTAで世界の未来を決めましたエンドと同じくらい、「えええ、それでええのんかいな」感が個人的には強かったんだよね……。
と、まあくさしてはみましたが、宮崎駿ファンなら必見です。
平日昼に調布くんだりでもしっかり満席になってるのは、さすがとしかいいようがない。
宮さんのマルチバース
今流行りのマルチバースかなって思いましたが、
いや、流行ってるとかではなくて、さまざまな次元の様々な時間が
混じりあってる世界感をご老人が思う少年が好き勝手歩きまわってる。
物語的には、宮崎家にまつわるお話で
お自身の高慢ちきで身勝手だった父や彼が思いを寄せる母が重なりあって
挙句に最後には俺の跡を継ぐなと言う息子への強烈なメッセージ。
SF的にはテッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を基にドゥニ・ヴィルヌーヴが監督した「メッセージ」がひじょうに近いところにいる。
宮さん、最後に長編が撮れてホントに良かったですね。
何を伝えたいのかが分かるかどうかで満足度が変わるのではないだろうか
個人的な解釈による感想です。
冒頭で主人公マヒトの母親が火事で亡くなるところから始まります。新しい母親はナツコという名前です。
劇中で、マヒトはナツコのことを「お母さん」ではなく、「お父さんの好きな人」と言います。このことからマヒトは、火事で亡くなった母親にまだ執着があり、ナツコを母親と認めることができない葛藤を伝えたいのかなと感じました。
塔の中で出会ったヒミは、マヒトの火事で亡くなった母親に当たる人物であることが判明します。マヒトとヒミが抱き合ったところが印象に残りました。
最後にマヒトとナツコは、無事に元の世界に帰ることができたので、晴れやかな気分になりました。
積み石の場面は、残念ながら何を伝えたいのか、解明が難しいです。
ジブリの世界観は、よく出ていて、とても引き込まれました。
追記 積み石の場面は、今置かれている現状を打破してほしいという宮崎駿監督のメッセージが込められているのではないかと後から感じました。
ジブリワールド
評価を見ると意味わかんないってコメントが多くて 観る前から少し複雑な気持ちで見ましたがいざ見てみると圧巻されました。 というのもなにか 千と千尋 ハウル もののけやその他色んな作品を融合させたような世界観 現実の話から急にファンタジックになる感じ 確かに 最初は ??? と思いましたが観てると少しづつ理解出来てきて ほんとに見る人によって感想 感じ方は違うんでしょうが 個人的にはかなり感動しました 伏線もあり ラストシーン かなり刺さるものがありました。
世界観と言い、鳥たちと言い あのおばあちゃん達の既視感 もう一度みたくなる作品でした
やっぱりジブリは大好きです。
私はどう生きるか。
この世界でどう生きるか。そう投げかけられた気がしました。
ペリカンが亡くなるシーンがすごく印象的であった。
人間の赤ちゃんの卵を食べることで生きるペリカンは人間からしたらすごい悪役だけれど、それが食物連鎖というものであり、人間はあたかもその連鎖から外れているような気でいると感じるのは私だけだろうか。魚を捌くこともできない私は内臓が出てくるシーンをちゃんと見れなかったのが情けなく感じてしまった。
また大叔父の世界では食う食われる立場が逆転していたにも関わらず、人間を食うインコを嫌な奴だと捉えてしまう。
つまり私はどこまでも人間視点をやめられない。
悪意と感じるのも立場によるものではないか。
大叔父が作った世界が壊れても、現実世界は何一つ変わらなかったことから、真実や理想の世界に囚われすぎるとかえって自分の世界が脆くなるのかなと思った。今生きる世界は真っ白ではないかもしれないけど、その世界でどうやって生きるか。人生は心の持ちよう、解釈問題なのかなぁとも思った。
さぁ、私も今の母と向き合おう。
理解できない?しようとしなくていい。
あの宮﨑駿の、おそらく最後になるであろう長編アニメ「君たちはどう生きるか」
正直、どんな感想をもてばいいのか、伝えればいいのか、分からない。発してしまってもいいのか。そんな思いに駆られる。
言葉にできない、どう言葉にすればいいのか分からない。そういったものに出逢ったとき、、それをなんとか自分の内側を掘り返して、なんとか言葉にしようとする時が1番人間らしい気がする。だから、書いてみる。
世界を良くするのも、悪くするのも、人間の知恵や知識?
本当と嘘。
現実と空想。
実感と夢。
石=永遠。西洋文化。
木=生命力と成長に満ちた世界。日本文化。
ぼくたちはどう生きればいいのだろう。
マスクがないと生きられないナウシカのような世界になろうとも、
神殺しを肯定しないと生きられないもののけ姫のような世界になろうとも、
新しいものだけに価値を置き、古いものを捨て去るコクリコ坂の世界になろうとも、
不完全で未完成な世界だからこそ、生きるに値するんだと。
嘘にまみれたこの世界を
有限だけど失敗と成長を繰り返す世界を
バーチャルな空想世界に逃げるのではなく、
現実を。
一貫して宮﨑駿が伝えたかったのは、
きっとそれでも「この世は生きるに値する」ということだろう。
平等でも公平でもない世界だからこそ。
初日の朝に見れたことに感謝します。
きっともう1回は観に行く。
その時また今とはちがった感想をもつと思う。
うちの子も積み木が好きだ。
積み木って、倒れるか倒れないか、崩れるか崩れないか、ギリギリのところで保つのが楽しい。
挑戦することに似ている。
積み木ってどんどんどこまでも高く積み上げたくなって、最後の1つ、、これで終わりと思って積んだら崩れてしまう。
人間の欲に似ている。
積み木って崩れたときってだいたい1番下らへんの土台の部分
残ってる。またやり直せる。
挫折から立ち直れる。
人生に似ている。
理解はできなかった。しようとしないほうがいい。
観た人の心に委ねられるのであれば、ぼくの感想は以上です。
いつか観たボーイ・ミーツ・ガールを…
私が好きな作品は、ものの姫や天空の城ラピュタ。ボーイ・ミーツ・ガール系の宮﨑監督の作品が大好きです。
今回は内容を一切明かさずに上映するといった、なんとも逆にワクワク感を募らせる手法、鈴木さんにやられちゃいましたね。
ただ…この映画のウリはなんだろう🤔何を伝えたかったのだろう…考えさせられました。
本作は…確かに主人公の年代に近い女性は出てきますが、冒頭のシーンの演出などでその正体はバレバレでガッカリしてしまいました。これじゃまずボーイ・ミーツ・ガールは成り立たない😮💨
叔母さんが(ここでは敢えて叔母という立場で)主人公に対して本音をぶつけるシーンも…あれ?こんなシーン某監督の去年の作品にもあったよね…スペクタルシーンも某監督の作品を観ているような気がしてまさしく本末転倒…
劇中に出てくるタイトル名の本、宮﨑監督はやっぱりこの本を読ませたいという事を伝えたいだけだったのか?
今回も俳優さんがたが声をあてられています。新海監督の作品もそうだったんですが、セリフが胸に響かないのです。
素晴らしい演技をする俳優さんでもやはり声だけでは何も伝わらない。目を瞑ってセリフを聴いていると…おっと意識が遠くに…キャラクターの背景の描写についても弱いからご都合主義が全体から漂ってくる…
ソフト化されれば購入しますが…こんな作品が最後の作品になって欲しくないです
プロモーションがなかったのは
あえてやらなかったのではなく、
やりようがなかったんだろうなーと思える作品。
この破綻した映画のキャッチコピーは、鈴木Pも思いつかなかったんだろう。
登場人物たちの行動の動機がすべて曖昧なので、感情移入しようがない。
主人公の少年が、アオサギや異世界に一切驚かないのも、不自然すぎて、主人公が無感情に見える。
千尋は、異世界にいちいち驚いてたから、応援できた。
白いモフモフたちも、もはや、あざとく見えてしまう。
唯一のメインビジュアルのアオサギの行動に期待したが、絵的にインパクトがあっただけなんだと分かった。ヒミにすべきだったが、絵的に弱かったのだろう。
他の方のレビューにあるように、大叔父が駿さんなら、確かに息子は、金欲主義の平凡な人間として描かれているけど。
偉大な駿さんの作品だからといって、たくさんの人が共感できるストーリーでないなら、ぼくも含めたバカには何も伝わらないし、劇場公開したのはエゴでしかない。
つまらない。なぜこの映画を公開しようと思ったのか?
ひどかったです。あまりにつまらなすぎて上映中ずっと早く終わらないかなと考えていました。完全にお金と時間の無駄でした。しょうもないにも程があります。
この映画を面白い、いい映画だとスタジオジブリのスタッフさん、キャストさんが本気で思っているのであれば私は相当感のおかしい人なんだと思います。この映画を見てスタジオジブリの今後が大変心配になりました。
この映画を宣伝なしにしたのは、あまりにひどいから予告やあらすじを出したら人があまりこないと思ってなのかなと思いました。鈴木さんはそういう意図じゃないと思いますが、そう思ってしまうほどひどかった。
こんなにつまらない映画を作ろう上映しようとするスタッフのいるスタジオジブリに未来はないと思います。こんな映画にいったい何年かけているんでしょうか?スタジオジブリの黒歴史になると思います。
以下ネタバレありです。要注意!!
主人公に魅力が全くない。でも声優さんは上手。異世界に行くまで長すぎつまらなすぎ。アオサギに何度も会っているのに展開遅すぎて肩透かしくらいまくり。アオサギが何者なのか、というか全員何者なのか最後まで理解できず。夏子さんとパパのイチャイチャシーンいる?
背景の絵がすごく上手いんですが、木など木の葉の揺れが全くなくてただ絵!という感じ。少しでも動きが欲しかった。お母さんが書き置きを残していた君たちはどう生きるかの本、読んで号泣してたけどそれだけだった。映画のタイトルなのにただ本読んだだけって。その後何が学んだ~とかのシーンもなし。登場人物みんな何がしたいの?行動意味不明。やっていること、起きていること全てが理解不能すぎて感動っぽいシーンも全然入ってこない。感情移入できない。何も共感できない。フリフリエプロンの女の子が呪文唱えるところなんか恥ずかしくて共感性羞恥。中盤~終盤ずーっと共感性羞恥。最後も突然終わってえ?て感じ。
最後米津玄師さんの歌が流れている間周りの人たちこの映画を見てどう思っているんだろう?ひどいと思ったの私だけ?と自分の感性を疑ってた。けど帰りに周りの人たちも理解不能みたいなことを言っていて少し安堵。
良かった点
白くて丸い生き物が可愛かった。この子たちが映るとテンションが上がりました。癒しは人を元気づけますね。次回作はこの子たちが主役の映画を見たいです。
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