君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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子供向けではありません。
タイトル通り、お話の導入までの下積みが長く、またキャラクターや背景をそのまま受け取れないハイコンテクストな作品ですので、子供向けではありませんでした。
少なくとも、寝る前に読み聞かせていた絵本を勝手に読み進めてしまうとか、小説や物語を貪るように読むような子でないと厳しいと思います。
以下、ネタバレを含みます。
初見なのでキャラクターや背景が何を表しているのか、まだ掴めていない部分もありますが、少なくとも大叔父は宮崎駿自身で、隕石は想像力、積み木は宮崎駿自身が作り上げてきた映画、もしくはスタジオジブリではないかと思います。
塔の中の世界は宮崎さん自身(大叔父)がかつて美しいと感じて取り入れた物(海、帆船、鳥たち、魚たち、青鷺、ヒミ、キリコなど)を表しており、時間が経つにつれて自分の悪意や美意識と現実の捩れの影響を得てしまうのではないか、と解釈しました。
キリコは大叔父が見染めたんでしょうか、可愛らしい上等な(奉公に来る女の子には買えない)ワンピースが吊るされているそうです。
キリコやヒミが成長していないところを見ると、一度塔の中に取り込まれるとイメージ体だけが塔の中の世界を保つために取り残されるのかな、という風に考えています。
さらに言うと、本体が再度取り込まれるとイメージ体の、大叔父が美しいと感じ時の姿のまま動くことになるのではないか?とも思いました。
ラストで母であるヒミとキリコが元の時代に戻っていくシーンが?でしたが、本体がイメージ体として動いているので、本体を取り込んだ時期に戻してやらないと戻れないのだと思います。
インコ人間が楽園のセキセイインコを見て「ご先祖様」と言っていましたが、楽園が世界を生み出す場所なのだとしたら、世界はイメージ体が解き放たれる場所なのでしょうか。
青鷺はどういう存在なのか、インコたちは何を表しているのかなど、疑問が尽きませんので、もう一回見てこようと思います。
映画における要素の重要性
一切の情報を明かさず公開して賛否両論が渦巻く中での鑑賞。
物語は眞人という少年が地獄に迷い込む話、みたいなのが簡潔な物語のあらすじだ。
全て観て、大変驚いた。
伏線を全て回収せずに謎を謎のまま終わらせたのだ。
よく映画の中には「これはあなた達が考えて下さい」と投げ、皆が考察するみたいなものがあるが、これはマジで何にも言いようがない。
いろんな魅力的なキャラもいる。
だが、物語としてあまりにも破綻しすぎている。
これに★5を付ける人は、ジブリと宮崎駿というブランドを過大評価しただけだと思う。
しかし衝動的な感覚だけかもしれないので、今の状態ではこの評価。
難しい。
【生と死】【あの世とこの世】壮大な宇宙観の物語
◎ストーリー
戦時中、母を火災で亡くし、父の再婚を機に2人で継母・夏子の実家でもある立派な屋敷で暮らすことになる。ここは母の生まれ育った屋敷でもあった。真人が屋敷にやってきた時から不思議な出来事が度々起きるようになる。ある日、夏子が敷地内の森の中から帰って来なくなった。真人は、アオサギの仕業だと感じ、夏子の大叔父が建てたと言われる敷地内の不気味な塔に入り、夏子を探しに行く──。
その塔はあらゆる世界、宇宙を繋ぐ不思議な塔で、そこから真人の摩訶不思議な冒険が始まる。
◎感想
死の世界、動物との共存などのテーマを散りばめた宮崎駿らしい作品である。『千と千尋の物語』をはじめ、他の宮崎駿作品とも通ずるところが……。時間を忘れて夢中で見てしまった。だけど、見終わった後の余韻や高揚感は、過去作品と比べると劣る気がする。今作の評価が分かれる理由の一つに、スピリチュアル要素が大きく関係しているのではないだろうか。スピリチュアルや輪廻転生、あの世この世の話が嫌いな人にとっては、訳の分からん物語、あるいは白けてしまうかもしれない。だけど私のように、目に見えない世界を信じている人、興味関心のある人にとっては、とてもワクワクする世界観になっている。
そして、“君たちはどう生きるか”。
これからの未来を生きる若者へ──。というタイトルには、世界は君たちの手によって作られていくというメッセージが。平和な世界にするのも、不安定な世界にすることも君たちの手にかかっているのだと。
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⭐️⭐️以下ネタバレのレビューと考察⭐️⭐️
義母の夏子と真人の実の母は姉妹だったということだろうねど、真人にとっては複雑だっただろう……。
黄泉の国で出会う、火を魔法を使う女の子は実の母がの幼い頃の姿だったということか……!?
真人の窮地に彼女が現れ真人を助ける。そして、最後のシーンのセリフではハッキリとそのことを口にしている。
キリコさんはあの仕様人のお婆さんの生まれ変わる前の姿?
白いモフモフした物体(名前なんだっけ?)が、これから生を受ける人たちというのもなんだか感慨深い。
ちょっと謎が多かったり、話の筋が合わないことも多かったので★4つですが、それでも宮崎氏の強いメッセージ性を感じました。
ラストメッセージ
今伝えなければならない想いを最後に全部詰め込んでくれた。
そのメッセージをどれだけ受け止められるかで評価が分かれる作品。
まだまだ描きたい、伝えたい事がある中で抗えない老い。後継者の難しさ。残る世界の危うさへの不安。現実問題をも投影した宮崎駿の集大成としては最高傑作だと個人的には感じました。
印象的だったのは鳥たちの描き方。
欲を持てば人間のように醜くなり飛ぶことも出来ない。元の姿になれば自由に空を飛べるが糞を撒き散らす。
美しさと汚れと儚さこそが生命。
生命への畏敬の念が宮崎駿作品全体のテーマだった気がします。
終盤のセリフと描写には宮崎駿の想いが詰まっています。
主題歌も良かったです。
もう彼の作品が見れないと思うと切なくて自然と涙が出ます。
想いを引き継いで行きましょう、皆で
ジャムパンのシーンに感じ入った。
宮崎駿監督は、ちゃんと汚いものは汚く、臭いものは臭く描くのが好きですね。千と千尋の神隠しに近いがあれほどエンタメしてなくてメッセージ性が強いと思います。
眞人は自傷も厭わないし、自分を汚物で汚すことも厭わない、あるいは何者かを殺傷することも厭わない。それだけ母の死が大きく自分をないがしろにした自暴自棄。
夏子は夏子で眞人の最も信頼ある人物、彼の父の様に裕福さや安心の暮らしを眞人にアピールして受け入れられたいのに、そもそも眞人は母そっくりな姿で現れた挙げ句父の様に振る舞い、母の愛した男と愛し合う夏子に心を開けない。
眞人には自分がやってる事への罪悪感が確かにあるのに意固地で表に出せない。これ見よがしに自傷して父に甘えても夏子は拒絶する。戦時中にしてはあり得ない位恵まれた生活を送れているのにそれも態度で反発する食事シーン。それでも眞人と何とか分かり合いたい夏子への酷いお見舞い。そこに垣間見える子供の未熟さ。
その結果として、あの世界に閉じ籠った夏子の吐き出した本音は眞人が初めて生で触れた己の罪深さそのもの。ここではまだ罪悪感や贖罪から夏子を母と叫ぶ。夏子は大人で、眞人へ酷い本音をぶつけた自分に思わずハッとして、何とか弱った心で姉の声に応えようとするところが私は好きですね。
あの世界で、人に助けられなければまともに生きることも出来ない眞人が己の小ささを思い知りながら周囲の人達の愛に気付きながら、自分を破壊して再誕させる物語に感じられました。夏子も眞人とは違う形で自身を再誕させている。
あの汚ならしいジャムパンの食べ方、母を相手に子供の純真な幼さがよみがえったんでしょうね。それにあの時、我が子へ口を拭うものを母が差し出してました。あれは眞人と夏子への愛に溢れるシーンなんだと思ってます。
あれ最後のシーンで夏子も眞人もインコの糞まみれになったのに、次の瞬間顔がキレイだったのは、母の愛と同じく拭ったんですよ、母から貰った愛を同じく母である夏子に返した事で親子になれたシーン。ここに生きてたシーンだと勝手に思ってます、あの汚ならしいジャムパンのシーンw
「君たちはどう生きるか」の題を借用した意味とは?
この映画の感想をどこかに吐き出しておきたい、と思った。
映像と構成は素晴らしかった。
この映画は
「(少なくとも後半については)『眞人』の年齢向けの空想冒険活劇」
「眞人が(当時の)宮崎駿監督本人の投影」
「『大おじさま』が宮崎駿監督の映画創作の投影」
いずれにも受容できるように作ってある、と観た。
そういう意味で、構成の完成度は高い。
ただ、いずれの読み方をしても、正直なところピンと来なかったのが率直なところ。
「すごいのに好きになれない」というのはあまり無い鑑賞経験だった。
本作はあくまで宮崎駿監督のオリジナルで、「君たちはどう生きるか」は作中で主人公が読む本として登場し、実際は全く違う本を下敷きにしているらしい。
ただ、本作はそれでも「君たちはどう生きるか」と題している。
その「本歌取り」の責任を果たしているかというと……個人的には、到底そうは思えなかった。
元の「君たちはどう生きるか」は、太平洋戦争の前、日本が軍国主義的に傾いていくなかで、「人間としてのよい生き方」について、明確に軍国主義へのアンチテーゼとして書かれている。
必ずしも吉野源三郎のスタンスを盲信すべきとは言えないかも知れないが、本作は果たして「君たちはどう生きるか」の「本歌取り」足りえるだろうか。
本作の冒頭は戦中の、まさに「君たちの」発刊よりしばらく後の情景から始まる。
しかし、眞人は「君たちの」のテーマの大半とは向き合わず、畢竟自分の内面と向き合うだけで終わってしまう。
自らの(経済的に)恵まれた状況とそうでない者とのギャップ、人間に対して何を与えうるか……といった「君たちは」のテーマも、そもそも「君たちは」が軍国主義・全体主義へのアンチテーゼであることも、本作では一切触れられないし、配慮もされていないように見える。
インコたちもペリカンたちも、「眞人の元の世界」に飛んできた途端、ただの「可愛い鳥」になってしまう。
眞人は(父の軍需産業の恩恵を受けて)戦中から戦後まで一貫して豊かな暮らしを享受し、何の疑問もないまま本作は終わる。
これが宮崎駿監督自身の投影なのかはさておき、眞人は作中で「君たちは」を読み、涙していたはずなのに、一体何を受け取ったのだろうか。
単に「自身の悪意や弱さに向き合う」だけで、その他のテーマを何ら顧みないのでは、「わたしは好きに生きる」にしかなっていないのではないか。
「君たちは」を冠しながら、自身のエディプスコンプレックスに向き合って終わり……では、原題に応答できているとは到底言えないのではないか。
本作が敢えて事前情報を遮断したことは、国粋主義的なフェイク情報が氾濫するインターネットと距離を取ったのだと思えば、ある意味では「君たちは」に対する現代流の応答になり得たのかもしれない。
ただ、本作を観た限りでは、吉野源三郎に対する応答ができていたとは思えなかった。
何をおいても吉野のスタンスに準じるべし、とは思わないが、原題を借用する以上は、少なくとも「君たちの」に現代の立場から応答するのは当然の筋なのではないか。
それが為されていない、というより放棄されていたように見えるのが、個人的には非常に残念だった。
熱中して見ていました
妄想かもしれないし、解釈というところまで昇華できたものではないかもしれませんが。
私はこの話を、眞人、なつこ、眞人の母の3人が
大叔父や眞人の父が作って来た世界に墓石のような積み木を足して生きていくか、それとも古い時代に捕らわれずに1から積み木を積み上げるかを選択していく物語だと捉えました。
だから、全編を通じて、大叔父からのメッセージとして「君たちはどう生きるか」が問われていたと思います。
時代背景も無意味なものではなく、家父長制のもとに言いなりになるしか無かった女性や長男が、戦争の前後という過渡期に、その自由を選びとるという選択肢を示されていたのだと思いました。
ファンタジックな描写が多かったですが
青鷺が眞人を連れて偽の母親に会わせる場面は、父親が眞人を連れてなつこさんに会わせる様子によく似ています
外面ばかりしっかりしている、エゴっぽくて内心は醜さのある父親って、青鷺そっくりではないでしょうか。
私はずっと出てこない父親の代わりを、青鷺の姿に投影して見ていました。
また、「下」の世界を地獄と呼び、生まれゆく命を喰らって生き延びるペリカンは、私には軍人達のように見えました。
ペリカン達に押しのけられ死の扉を開けてしまう眞人くん、ボロボロのペリカンに敬意を払う青鷺。
この辺りは眞人君の将来に「人を殺し殺される人生」の選択肢を仄めかしていたように思います。
また、多くのインコ達は時にヒミや眞人を喰おうとしたり、一方で妊婦のなつこに不可侵だったり、賑やかしてフンを落としたり…
このインコたちは、おばあちゃん達や、クラスメイトを彷彿とさせました。
私はインコたちを「世の中の人々」なのではないかと思ったのです。
世の中の人々は、最終的には眞人の積み木を無理やりに組みあげようとするが上手くいかない。
自由な生き方に対する、世の中の固定概念の敗北だと捉えました。こうしなければならない、という時代が終わったと。
ファンタジー世界の中で、眞人もなつこも、現実ではぶつけられなかった本音を語り合い、互いに互いの事情を知り、前に進むことが出来ました。
「眞人?どおりで死の匂いがプンプンすると思った」なんてフレーズもありましたが、どこまでも本音を隠す子供の名前が真実の人だという皮肉に対するものだったかもしれないですね。
教訓めいたものを見出すのは好きではないですが、敢えて意味深いものがあるとしたら
自由になりすぎた今の時代に、「初心に帰って」、自由の芽生え始めた時代を生きた人々を見てほしかったんじゃないかと私は思います。
父親のような青鷺に翻弄され、軍人のようなペリカンに翻弄され、大衆のようなインコに翻弄され、それでも自分の生き方を見出した眞人に、すごく感動しました。
他の作品ほど分かりやすくはないし、ポップな明るさ可愛さもほとんどないけれど、一場面一場面自分の感覚で落とし込んで見たこの作品はとても意味深いもので
正解、不正解は分からないけれども、私は戦い続ける眞人くん、なつこさん、お母さんにとても胸を打たれました。
手放しには人にオススメできないけれど、私はこの作品が好きです。
走馬灯
自分の中で絶賛と酷評が二つある
なので星は三つ
具体的に何か?と羅列するのは難しいが、あくまで気持ちの面で、思いつくままに書いていこうと思う
先ずは何度目かの引退を撤回して宮崎駿のおかえりなさい作品を拝めたのは眼福
でもこれは監督の本意なのか少し懐疑もする
ご年齢を考慮してか今回は絵コンテに徹し、名だたるアニメスタジオの猛者達が作成したとの事で、なんか豪華な感じはするし、なんか胸熱ではある
で、今回、この作品は本当に宮崎駿が作りたいと思って作ったのかな?とも感じた
頼まれて背中押されてそんなモチベーションでつくったのでは?
嫌々作ったのではないにしろ、コクリコ坂と同じようなテンションで関与したのかな?という印象を受けた
(コクリコ坂の時も大人しくはしてなかったようですけど、今回はどうだったのでしょう?)
これまでのジブリ作品のセルフオマージュなのか、サービス精神によるものなのか、それは企画の時点で決定された事なのか、はたまたそんなんじゃなくて単純に引き出しの限界なのか?わからない
確固とした世界観があるようでないような、行き当たりばったり感は千と千尋やもののけ姫でも見受けられたけど、あの作品には夥しい満腹感があった
それはやはり動画、キャラの動きに説得力、こだわり、気持ちの揺れ、それらを的確に演出出来たからだと思う
今作はそれが薄い
きっとこれはセルフオマージュなのかもしれない
でも、だとしたら幾ら何でも分かりにくすぎる…
考察に意味があるのかも謎だが、もしかしたら何も考えずに観るのが正解なのかもしれないが、今度こそ最後かも知れない宮崎駿の絵柄にジブリのブランド?これらが何かを期待させてしまうのだ
それにしても最後のクライマックスで神様っぽくなるところや、エヴァのATフィールド取捨選択のくだりのようなやり取りがあったりだとか、どうしてこうなった感が大きい
かと言って駄作とも思えない
絵画的な美しさや、設定に感じる神秘さには惹かれるものがある
でも、君たちはどう生きるか
そのタイトル回収はいささか投げっ放しがすぎる…
(*'▽'*)
巨匠の最後の作品はこうなるのだろうか。
事前情報一切無し。
宮崎駿監督の最新作、そして「君たちはどう生きるか」のタイトルと一枚のイラストのみ。
こんな事前情報なしで(なんだかんだで)巨匠の最新作を観る機会なんては貴重ですから、せっかくなので初日に観に行きました。
冒頭のシーンでうぉっと思わせつつ、後妻さんの作画の細やかさに流石だなーと唸らせつつも物語は徐々に混沌に……。
思わせ振りなのか意図しての支離滅裂なのか。
それでいて淡々と物語は進みます。
ストーリーに触れるのは御法度っぽいので、結論のみ書くと、これは巨匠の最後の我儘だったのかな、と。
客に見せてお金を取る以上、エンターテイメントの側面はあるのでしょうが、そんことはあまり考えていないのかなと思いました。
1番近いのは夜見る夢を映像化したってところ。
カリオストロ伯爵っぽいムーブの王様(鳥)の追尾シーンで強くそれを感じました。
あとはセルフオマージュというか。
とにかく、監督は好きに作ったのでしょう。
これに対し、ああだこうだ言うのも無駄な気がします。
酷評もしないけど、判ったなんて言うつもりもない。
ある意味、ずるい立ち位置ですが、そんなところ。
あばよ、 友達。
あえての宣伝なしに、今までと違ったメッセージを投げかけてくるのかと期待した。しかし、その期待は無意味だった。悪くも悪くもジブリ。けして良くも、とは言えない。それをジブリファンは真意を理解できていないと非難するかもしれない。だけど、正直な感想は、結局ジブリ。メインキャラ、サブキャラ、モブキャラすべてそう。役者を起用した声の配役も従来通り、もはや奇抜さも感じないデフォルトと化した。「ポールのミラクル大作戦」のようなパラレルワールドは若干新鮮味があったかもしれないけど、困難を乗り越える主人公の成長記のストーリーは相も変わらずだった。単なる衣替えしただけの作品だった。たぶん、もうこの手には乗らない。
今を生きる人々へのメッセージ性を感じる作品
完全にネタバレレビューです。
作品を観た直後『なぜこの内容でこの題名なのだろう。』という疑問が浮かんだままでした。後からゆっくり内容を思い返し、【生きる】というメッセージにフォーカスを当てて 私なりの見解をしたところ、やっと自分の中で腑に落ちました。主人公 マヒトは、戦争で母を失い、転校先では友達からのいじめを受け、馴染めない土地で急に叔母が母となり、父はそんな叔母に夢中。…となれば人というものは孤独であり、悲しみに暮れ、最悪『死』さえ意識するかもしれません。そんなマヒトが迷い込んだ世界では 自分の思うような理想の世界を創り上げられる。しかしその世界は殆どが『死者』であるとの事。その死者の世界の王として暮らしていた大叔父にここに残らないかという選択を迫られる。 しかしマヒトはそこでの暮らしを選ばず 現実の世界に戻る。現実の世界で自分を理解する友達を作り、母の死を受け入れ生きていくと…。現代の世界では悲しいことに人生に悩み、疲れ、死を選ぶ人々が多くいます。そんな方々もこの主人公 マヒトのように 生きることへの苦しみを感じているのではないか。しかしこのストーリーではマヒトはいくら苦しくても、孤独でも この大変な世の中で強く生きていく決意をします。宮崎駿監督はこの作品を通して、多くの苦しむ人々に生きるという選択肢を選ぶ事。そして自分自身で生き方を選んでいく事ができるというメッセージと希望を与えてくれたように感じます。
マヒトは真っ当にこの世を生きるが、悩みが多きひとりの人の象徴でしょうか。アオサギは死の世界へ誘う死神のようなポジションでしょうか。数多くの人を喰うインコ達は現実世界で人の心を蝕む人や物の象徴でしょうか…。
完全に私なりの解釈ですが、直接的な表現ではなく間接的に、そしてジブリの世界観を使い 大きなメッセージを届けてくれたように感じました。
この見解で正解ならば高評価ですが…全然違ったりして(笑)なんて思って遠慮の星3です。
わからん、からこそもう一度観直したい
2017年、自分の中で衝撃が走った。“宮崎駿監督、新作を作る”。引退したはずなのに(何回引退するんや)、もう一度観れるのか。もう期待でしかない。いつ出来るのかと待ちわび、コロナという未曾有の事態を乗り越えられ、ついに2023年に公開。
しかも一切の情報公開なし。
これは自信の表れか?それとも何かの実験か?はたまた広告出しまくり、煽りまくり、いろんな特典をつけてリピーターを生産する宣伝手法へのアンチテーゼか?それでも、何も情報なく観るのは違った、恐いもの見たさをに似たような興味をき引き立てられる。今回は先入観なく鑑賞しました。
正直、わからん・・・!?
ホンマに、どう解釈してええのかわからんのです。ストーリーも、キャラクターの行動も、世界観も・・・謎が謎を呼ぶ展開に「どうしてこうなった?」「どう解釈すれば?」と悩みながらの鑑賞になりました。しかし個人的に事前情報一切なしは正解かと。先入観なく純粋に観てたからこそ、次の展開が気になる。謎が気になる。ゆえに思いの外食い入るように観てしまう。その先入観なき没入感は、不思議と心地良いもの。しかし宮崎駿監督だからこその手法ではないか。他の作品でも余程の自信、戦略がないとやる事すら難しいと思います。
結局はわからん、と思うてしまった本作。しかし、それゆえに、
もう一度観直したい
という気持ちに駆られている今の自分がいる。
若干絵のタッチが変わったかな、とはいえ宮崎駿監督作品によく観られる躍動感は相変わらず流石というべきか。それにタッチも良い感じに変わっていると思います。また、やっぱり映画の魅せ方が上手いというべきか、ぽかーんとなったとしても“面白くない”わけではない。いや、面白い。先の展開が気になってしゃーないんです。それは事前情報がなかったことも関係してるとは思うけども。
ほんでも冒険要素を踏まえたファンタジーに仕立てたのは良かった。個人的には冒険ファンタジーこそ宮崎駿監督の土俵と思っています。最近の作品よりかは冒険要素があったことも魅入ってしまった結果ではないかと思います。
「わからん=面白くない」ではなく「わからん=もう一度観たい」と思える作品。それが本作の特徴ではないかと、個人的には思うています。
もしかしたら、そうやってリピーターを増やすつもりか?そうであれば、あえて言葉選ばずに言えば、“エサを撒かずとも観客を動員できる”映画ということか?はたしてそうなるか、その答えは未来に託すとしましょう。
それに、私自身この映画についてまだまだ考える余地は残されていると思います。再度観て、違う視点を持てた時、またレビューを更新します。まずはこれまで。
夢
千と千尋の神隠しのクライマックスとその感動を今でも覚えている。
その川の名はコハク川・・・
コハクがわたしを浅瀬に運んでくれたのね・・・
もし千と千尋~を見ていない人にそのクライマックス部分だけを見せてもなんのことか解らないだろう。
千尋とハクがスカイダイビング状態でかわす会話に感動できたのはそこに至るまでのストーリーを見てきたからだ。
あたりまえである。
君たちはどう生きるかを見た印象は「知らないアニメ映画の感動的なシーン集」だった。
観客には何がおこっているのかわからないのに眞人とヒミは突如としてクライマックスをやっている。
いきなり感動的なシーンを見せられると案外いらいらするものだ──ということがこれを見てわかった。なんならすこしむかつく。
このむかつきは映画ぜんたいがセルフパロディに見えることにも起因している。
どのキャラクターにも既視感がある。男勝りの鉄火女キリコはエボシやりんやクシャナの路線である。眞人はアシタカでヒミはソフィーである。ワンパターンとは言わないがいずれも宮崎駿が今まで扱ってきたヒーロー像・ヒロイン像を踏襲している。それが悪いと言いたいのではなくセルフパロディに見えるという話である。なぜセルフパロディに見えるのかというとストーリーが見えないからだ。
したがってもっと言えば「宮崎駿の熱烈なファンがつくった超精巧な宮崎アニメあるあるシチュエーション集クライマックス編」。
眞人は『ひみは生きてなくちゃだめだ』と言うんだがその劇的な台詞に観客は追いついていない。追いついていないのに眞人とヒミは千尋とハクのスカイダイビング状態時のような会話を繰り広げている。
わらわらが空へ登っていくときペリカンの群れに襲撃され「みんな食われちまう」とキリコが叫ぶんだが、こちらとしてはまだその白いのにシンパシーをもつには至っておらず、タイミング悪すぎんだろ。もっと上手に昇天しろや。と感じても罪はない。
ものすごく巧いあるあるを見るのと同様に眞人は過去の宮崎駿のキャラクターを想起させるセリフまわしやしぐさを数え切れないほどやる。ただしそれらはみんなハイライトシーンでの劇的な台詞まわしやしぐさなのだ。が、観客の気分はハイライトではない──わけである。
ただしストーリーがまったくわからないわけではない。
あまりにも大きな悲しみを負ったとき人は防御本能がはたらいて観念へ入り込む。そこからは不思議の国のアリス構造になっていてうさぎの案内人をここではアオサギがやる。壮大な夢おちといってもいい。ようするに眞人が母の死を克服する──だいたいそんな感じの話であろうことはつかめる。
が、チュートリアルしないでゲームをしている感じ。それもわりと難しいゲームでじぶんが何してんのかわかんなかったりする。
にもかかわらずヒミは「石がおこってる」とか「ドアの取っ手を離したらだめ」とかいろいろとその世界の特長的構造のことを言うし、なんならドアに近づきすぎて倒れるが、つうかヒミさんて言ったっけね、夏子さんの関係者なんだっけ。いや、おれらなんでふたりでがんばっているんだっけ。・・・。
──という感じでこっちは相関性も話も生煮えなのに、ぐいぐいと「あるあるシチュエーション集クライマックス編」を食わされる。
難解なのではなくもともと漠然としたものを漠然としていることを知った上で出している。なぜそうするのかというと、そうしたかったからでもあるし、漠然としたものを投げてみることができる作家だから──でもある。みんなだって、なんなのか解んないのに、ただ宮崎駿がつくったというだけで、これを買ったんだ。
そうはいっても絵やアニメはいい。
個人的には冒頭がよかった。火事だといって跳ね起きてだだだだと階段をかけおりて、その躍動がすごかった。もののけ姫のドキュメンタリーで宮崎駿がポーズを考えているところを見たことがある。アシタカがすべり落ちるところで腕を十字にするところがあったでしょ。草木が生い茂っているところをあるていどスピードでずざざざと落ちていくから腕を十字にして頭を防御するんだ。それを宮崎駿が自分でやってみてこんな感じだろとか言っているんだ。そういうアニメキャラへの魂入れはやっぱすげえなって思った。君たちはどう生きるかの冒頭見てあのじぶんでポーズしてみている宮崎駿を思い出した。
特長は蝟集と鳥。うじゃうじゃ恐怖症と鳥恐怖症にはつらいだろう。アオサギは醜悪を隠さないし狙ったようなグロテスク描写もあった。まったく子供向けではないと思う。が絵やアニメはよかった。
黒澤明が夢をつくったときに似ている。黒澤明が夢をつくったとき多くの映画ファンが「おれたちは用心棒とか椿三十郎みたいなのを望んでいるんだ」と言って受け容れなかった。しかし用心棒とか椿三十郎みたいなのが見たいって、そんなん当たり前でしょ。黒澤明は枯淡へ入って軸足のちがう映画をつくったんだよ。夢自体は悪い映画じゃなかった。八月の狂詩曲もまあだだよも悪くなかった。
これも単体でみたらすごい技術が集約されている。たしかに「おれたちはもののけ姫やナウシカや千と千尋の神隠しみたいなのを望んでいるんだ」と言いたいかもしれないが宮崎駿も枯淡へ入ってざっくりした夢を披露した──ってことなんじゃなかろうか。
毎日をただ丁寧に、積み重ねる。
製作期間7年と確か、聞く。
しかしながらちょうど、今、この時にマッチするようなモチーフがちりばめられ、まるで昨日おとつい、作られたのでは? と疑いたくなるほどだった。
戦争も、複雑な家庭環境、その母子、父子、居場所のなさ、自傷自罰的行為と子供。もしかしてマルチバースも?
マルチバースは別格として、いつの世にもあるモノなのかもしれないが、どうしても目がいって仕方なかった。
表面的には異世界を冒険するファンタジーである。
そこには救出すべくヒロインがおり、仲間が現れ、出会いと別れが織り込まれ、ピンチと決断に満ちる。
だが一方でどうしても監督自身についてを巡らせずにおれず、
大叔父が長い月日をかけ、一つ一つを積み上げて創り上げた石を中心とした世界こそ「会社」、もしかすると「ジブリ」そのものではないのだろうかとうがってならなかった。
そこに継がせたい者はおれども、自分にはふさわしくないと、自身の世界を生きる事を宣言されるなど悲しすぎ、
創り上げた世界すら、すぐに積み上げることが出来る、と功を奏するあまり本質を見誤った内部者に崩壊させられ、そんなのないよ、と悲しみのあまり熱が出そうになった。
だとしてもう諦めるしかないのは、人生には終わりがあるからで、
だからこそ大叔父も、袂を分かつこととなった主人公へ毎日、少しづつ積み重ねて行く事だけは忘れるな、とメッセージを託している。
それでいいのか。
判断の是非を自身へ問いかければこそ、肯定を求め、根源であり存在理由の「母」は登場することとなったのではなかろうか。
きっと優しく、間違ってないよ、と言ってもらうために。
ああ、やっぱり切なさのあまり熱が出る。
はたして「君たちはどう生きるのか」。
自分たちの手で再び創るしかなくなった現状にお手並み拝見。
問いかけ、挑戦し、おそらくいくばくかの期待をよせていると思いたい宮崎監督の、厳しさが優しい眼光が目の前に浮かび上がって来るのである。
いや、私にはそう見えた。
そして同時にこれを色々なモノに置き換え、なら、わたしたちはどう生きるのか。
手品のように、全てが一度に変わることなど崩壊への序曲なら、
やはりひとつづつ丁寧に、毎日を丁寧に、積み重ねていくほかないと、
心に沁み込ませるほかなく。
最後かもしない監督からのメッセージを握り絞めるのである。
それって、当然のことなのだけど。
追記)
宣伝しなかったのは、一般のお客さんへ向けてつくった作品ではない、という意味ではなかったりしないのかな。
そうおもうと、毎日コツコツ積み重ねは、手書きセルのことで、一気にバババっとやって潰したインコが象徴するのは、3DCGとかコンピュータ技術のたとえでは。。。うがる。
傾倒して本来の姿を失い、バランスを崩して塔は崩壊とか深読みしてしまう。。。
まあまあよかった
主人公のキャラがない。そして声がこもっていて主役を見るありがたみに欠ける。継母が塔にこもる理由が説明されない。それはおそらく物語の構成で、主人公に冒険をさせる必要があって、継母を探させることにしたけど、理由については何も思いつかなかったのだろう。意味ありげに匂わせる表現が多々あるが、中身はそれほどないようだ。考えても無駄だと思う。でも改めてもう一度見たい気がする。お父さんがノリノリだ。お母さんが魅力的な少女の姿で現れる。しかもやたらと有能で、頼りになる。それに対して魅力を感じるのは倒錯していてちょっと気持ちが悪い。
往年のジブリ映画風と13個の積み木
面白かったです。確かにストーリーは破綻しているし、テーマも主張も分からないし、成長物語ですらないのだけど、往年のジブリっぽさや、ハラハラドキドキ感もあって、満足できました。
考えてみれば、子供の頃の冒険ごっことか、大きく言えばこの世界の成り立ちとか、ストーリーも起承転結も無く流れていくわけで、この映画の訳の分からなさも、こんなものなんじゃないかと、そんな感じです。
自分が年取っただけかもしれませんが(汗)
追記
菅田将暉が声優をやっているというのでどの役だろうと思って見ていました。主人公かなとも思ったけど、声が若々しすぎるし。で、調べたらアオサギ役をやっていたと!これはかなりの驚きです。というか、めちゃくちゃ上手い。それだけでももう一回観てみようかなと思っちゃいました。
因みに眞人の父が木村拓哉、老婆のキリコ が大竹しのぶ、大叔父が火野正平、キリコが柴咲コウ、ヒミ役・若き日の久子があいみょん、とのこと。豪華だ。
追記
13個の積み木。宮崎さんが監督した13本の映画。なるほど。だから全編過去の作品の繋ぎ合わせな感じなのか。わざとそうしたんだ。それを継ぐことを拒否した眞人。映画自体に二重の意味を持たせているのね。
理由や動機が分からないので、没入できない(ずっと第三者目線
なぜそれをしているのか、なぜそれをする必要があるのか、世界観についての説明や、キャラクターの行動に対する動機の説明がないので、没入できません。
自分事化して、「マヒトがんばれ!」「お母さんがんばれ!」と応援するスタンスになりにくく、どうしてもボーッと起きてることを眺めているだけになりがちです。
その為、こちらの感情が揺れ動きにくくて、退屈な時間が続いてしまいます。
青鷺はマヒトに「お母さんは生きています。お待ちしていますよ。」と伝え、マヒトを建物内(塔内)に誘ったが、なぜマヒトに来て欲しかったのか、建物に入ったマヒトに何をさせたかったのかの説明がないので、観る側に目的を共有してくれません。
おばさんも、なぜ建物内で出産したかったのか、体調が悪い中でなぜ1人で建物内に向かったのか、その理由が分からないので、目的が不明という点では同じです。
パラレルワールドの中のヒミ=マヒトのお母さんも、なぜ鳥を燃やしているのか、理由を教えてくれません。
ワラワラを助けると何が起こるのか、逆にワラワラが死ぬと現実世界で何が起こるのか、説明してくれないので、ヒミの行動を応援してあげることができません。
各キャラクターたちは恐らく大切な事をしているのだと思います。使命感を持って取り組んでいるのかもしれません。ただ、その行動の目的意識や、動機の説明がないので、自分事化できないのです。応援できないのです。
スクリーンで起きてる行動を観てはいるのですが、キャラクターの心情や上記部分の説明がないので、「なんでやってるんだろう?」という疑問を持ち続けながら観ることになります。
例えば、「それをしないと世界が滅んでしまう」とか、「それをすれば現実世界で母が生き返る」とか、「あることをすれば青鷺にかけられていた呪いが解けて人の姿に戻れる」とか、分かりやすい目的や動機があって、その説明が冒頭にあった上で、パラレルワールドでのやり取りが進んで行くのであれば、もっと素直にマヒトの冒険劇として楽しめたと思います。
何かやってるし、何か起きてるけど、理由や背景が分からないので、ただボーと観てるだけだし、悪くいえばそういう風に観させられてるだけでした。
もっと子供たちでも分かりやすく、マヒトの冒険を応援できる理由付けがあってもいいのではと。
ジブリって、そういうシンプルなストーリーでいいんじゃないのかなと思いました。
映画を見ながら想像を膨らませ状況を整理する
※厳密にはネタバレしてないと思いますが、念の為ネタバレにしてます。
ただ淡々と思い出しながら殴り書きになってること、ご容赦ください。(個人的なメモみたいな感じなので)
個人的には、"とても好きな作品"となりました。
たぶんこの話を大枠で考えた時、戦時中という時代背景となっている事で良さをより分かりやすく実感できたなと思ってます。
仮にこの話が現代近い時代だった場合、この家族関係は実現しなかったのでは?と思ってます。
全体的に登場人物が、みんな"人間臭い"のがとても好みでした。
完璧者は基本おらず、良い部分もある中、人によっては悪い、やらない方が良いことをしてしまう部分も持っている。
実際に存在していそうな"人間"というキャラが敷き詰められてて好きです。
そして、話を見進めていく中でそのキャラクターの心理描写(思ったことを台詞として声あてしてるなど)がなかったのが余計にキャラの関係性を考えながら見れました。
事前情報(あらすじなどを含め)全くなかったことで、絵画を見て人によって感じることが違うを映画で体感できた気分です。
細かい伏線を全部回収したい!知ってこその作品と思う方もいらっしゃれば、絶妙に残されることで想像を膨らまし、「もしかしたらこういう事なのかな」を考えるのが楽しい方も生まれるのもまた人間らしいなと見終わったあと、レビューをいくつか拝見して思いました。
(私は後者ですが、、)
この作品をこの年で見れたこと、とても嬉しいです。
隣の家族連れの方はお子さんが冒頭の演出で泣かれてしまっていたので、お子さんには少しショッキングなシーンがあります。
そんな子も今後大きくなって、見て、どう感じたか聞いてみたいです。
ジブリ感は満載も、、、。
事前情報無しで鑑賞。
先ずは子供向けではないなと感じました。
ジブリ作品を見た気にはなりますが、幼少期から見てきたジブリ作品という感じではなく、色んな作品の良い所を取り入れたら失敗しちゃった感じかな。
得るモノが無いので子供に見せたいとは思いませんでした。
あと、「君たちはどう生きるか」というタイトルが間違いだった思います。
作る側は引けなくなり、見る側は付いて行けなかった。
他の作品から取り入れたであろう内容
・異世界もの
・新海誠の世界観
・過去のジブリ作品
ジブリは大好きなので次回作に期待しています。
母の愛に救われるファンタジー
他人の感想を聞く前に、自分の目で確かめたくて公開3日目に映画館に行って良かった。
タイトルから想像した説教くささは微塵もなく、少年の母への思慕を描いたシンプルな映画でした。
以下の4つに分けて雑感を記します。
① 母への思慕全開
実母が結核で幼少期不在であった体験が「となりのトトロ」で描かれている事は有名。ナウシカの母性溢れるスーパーマンぶりも、母への思慕の反映だと論じられる。男であれば、無意識に女性像に母がある程度反映されているもの。宮﨑映画の女性キャラに、その影響が出ていても不思議はない。
にしても、本作は母への思いが丸出し。
空襲の中、母がいる病院に向かう冒頭のシーン。風景が溶け、前方に視点が集中する。逃げ惑う群衆、自身が爆撃されるリスク、行っても何も出来ない無力さ、そんなものはお構いなしに、ただただ母の身を案じる少年(牧眞人)の視線。とても印象的。
疎開先の屋敷で自分の部屋に招かれて、直ぐに寝落ちする眞人。表面上矍鑠としていても、慣れない環境で、知らない人たちと初対面すれば気疲れして当然。自身の幼少期の体験も思い出した。
母がメッセージを遺した図書「君たちはどう生きるか」を読んで涙する眞人。メーッセージに感じる愛と、もう会えない現実への絶望。
その他、シーンを挙げるときりがないが、尤も印象的なのは最終盤の扉のシーン。崩壊する塔からのが得るため、ヒミ(母)に連れられて、いろんな時代に繋がる扉が並ぶ場所に向かう。ヒミが神隠しにあった時代に戻ろうとする処、眞人が問いかける「その扉でいいの」(台詞はウル覚え)。眞人の真意は「お母さんは、空襲で死んでしまうんだから、その時代に行って、自分を救わなくていいの?
」。しかし、塔は崩壊してしまうので、行く時代を選べるのは1度きり。もしヒミが自分の少女時代に戻らなければ、眞人が生まれてくる事実さえなくなってしまう恐れがある。だからヒミは迷わない。「だって、眞人のお母さんになれるなんて、素敵でしょ」。この場面には、母への絶対的な信頼がある。母は仮に自分が若くして死んでしまう運命が待っていても、自分の母に為ることを選んでくれる。母自身の命をより、息子の命を優先してくれる。この台詞をヒミになんの衒いも重々しさもなく言わせている演出が心憎い。
②映画「メッセージ」との相似
未来を知っている母の決断として印象的な映画に「メッセージ」(Arrival)がある。言語学者ルイーズは、異星人の言語体系を解読する事で、自分自身が時を越えた記憶を獲得する。つまり、生まれた直後から死ぬ直前の体験を、現在と同じ様に思い出せる。そして、今隣にいる共同研究者と結婚し離婚する事、生まれた娘が不治の病で若くして死んでしまう事を知る。それでも彼女は、彼と結婚し娘を身籠る。この映画を見た時、自分はそこまで強くいられるだろうか慄いた。当然彼女は、娘の病を知って以降の辛さも、産む前から知っていた筈。それでも、その娘を産めるだろうか? 娘の運命を知った上だ、娘を明るく育てられるだろうか? でもルイーズが産まなければ、娘の存在した事実すらなくなってしまう。ならば、自分でも産めるだろうか?
ヒミは自分の早逝、ルイーズは娘の早逝、抱える十字架は少し違うが、待ち受ける運命を知っていたも、愛する子供を産むことに迷わない母の強さを感じる。
③世界を救うのではなく、「世界」が滅びる映画
自分が幼少期に胸を踊らせた「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」は、世界を救っていた。ナウシカに至っては、人間の肺を腐らせる腐海の生物すら救おうとしていた。しかし、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」になると主題は家族や少女の内面に写った。「紅の豚」「ハウルの動く城」は戦争の陰はあるが、やはり主人公の内面が主題。やはりスケールの大きさは、人間が自然や神を凌駕する室町時代を描いた「もののけ姫」が最期。世界的評価を得た「千と千尋の神隠し」も少女が異世界で成長するが、戻ってきた世界に何の変化もない。
本作も、宇宙から飛来した塔の中でおきるドタバタであり、外部の世界で影響を受けたのは、旧家の4名(大叔父、母姉妹、息子)と女中1名だけ。世界は救われるどころか、変化しない。ただ、塔という閉じたモノではあるが、「世界」の崩壊を描いているのは今まで無い特色かも。「天空の城ラピュタ」はバルスでラピュタが崩壊するのがクライマックスだが、ラピュタはあくまで破壊兵器であり、やはり世界の崩壊を防ぐ物語。基本的に、物語の主題や舞台を世界や宇宙に求めるのは、人生経験の少ない若さの象徴な気がする。年を重ねると、自分の周辺にドラマが溢れている事を実感する。
④「わらわら」とは何か?
下の世界で出会う「わらわら」は生まれる前の命であり、浮上してペリカンに運ばれると生まれると説明される。しかし、この世界が塔の一部であれば、積石がぶった斬られた時点で一緒に崩壊する筈。塔の世界の住人がインコであるなら、わらわらの大半はインコとして生まれるのか?
それとも、生命誕生の象徴として描いているなら、下の世界は塔の一部ではなく、地球全体の生命の源なのか? 個人的には、禍々しい塔と簡単に繋がっては欲しくはないので、わらわらから生まれるのは主にインコと考えた方が、心が休まる。
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