君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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「自分を写す鏡」であり「風の時代」を象徴する作品 ~じっくり考察あり~
2回見ました。
●●「本作は自分を写す鏡」
岡田斗司夫さん曰く
「本作品は自分を写す鏡」
であり、自分もしっくりくる作品評です。
「内容が難しい」と感じるとしたら、普段から物事を難しく考える癖が付いている。
「内容が分かった」と感じるとしたら、普段から物事をシンプルにとらえている。
「つまらない」と感じるとしたら、「こういう展開、物語だったら面白さを感じる」という枠組みを無意識のうちに、自分の中に設定しており、それに合致しなかったから。
「面白い」と感じるとしたら、様々な事柄に対して、自ら面白さを見出してしまうから。
また
「この作品はエンタメではなくアート」
とも述べておられました。
ですので、エンタメを求めて映画を見た人からすると、物足りなさを感じ「駄作」という評価になるのかもしれません。
一方、先入観なく映画をありのまま見て感じ取ろうとする人は、十人十色のものを感じたうえで「これはこれで面白い」という評価になるのかなと思います。
その意味で、万人受けする映画ではないという評価も妥当かもしれません。
●●作品から受け取ったメッセージ
・現実を受け入れる
・運命を受け入れる
・自分の意識をありのまま反映したものが世界の姿
・自分の意識・内面ときちんと向き合う
・誰もが自分の中に、悪意、闇を抱えており、それを認めて受け入れる
・世界を良いものにするか悪いものにするかは自分次第
・人間には自由意思があるので自由に決めていい
・さあ、君たちはどう生きる?
●●感想
面白かったですし、考察自体も楽しいです。
「風の時代」を象徴するスピリチュアルな作品だと感じました。
●●シーンごとの考察1
○火事で母が亡くなる夢から目が覚めて、ベッドで涙する眞人
○亡き母からの贈り物「君たちはどう生きるか」を読んで涙する眞人
→亡き母を忘れられず、継母・夏子を受け入れられなかったが、小説を読むことで、実母からのメッセージを受け取り、夏子を母として受け入れようと心境が変化。
→だからこそ、行方不明になった夏子を探しに行き、必死に連れ戻そうとした。
○人間を食べようとするペリカン
(眞人は青鷺の羽根を持っていたから無事だった)
○わらわらを食べるペリカン
○目の前で力尽きようとするペリカンが語る下の世界の状況
→下の世界は、食べ物を得るにも事欠くありさま
→どこまで飛んでも、同じ地点に戻ってしまう無限ループな世界
→ペリカンは飛行能力すら失われつつあり、種の衰退、忍び寄る滅びさえ予感させるような絶望的状況
○殺生を許されていないため、漁ができず、キリコが捕った巨大魚のおすそ分けを待つ半透明人間たち
○狭い石造りの巣に、押し込められるように暮らす多数のインコたち
○インコ大王のお付きインコ「(果物がなる木々を見て)ここは楽園か~?(涙)」
→支配する側の大叔父だけが、天国のような生活をしており、支配される?側の大多数の生き物は、いつも苦しい生活をしている。
○宇宙から飛来した隕石
→宇宙には高度に発達した文明、高次の存在(宇宙人)がいることのメタファー
○「石」との契約
→新たな世界を創造できるようになる。
○「石」
・宇宙からやって来た
・意識を持つ
・世界を新たに創造する力を持つ
・契約を交わした人間に対し「世界創造の石」を与え、その人間はこれを使うことで、新たな世界を創造できるようになる
・その石は、最初は、善悪、陰陽などの色に染まっていない(性質や属性が何もない)
・石には意思が宿る
・創造主の意識・意思が、そのまっさらな「世界創造の石」に、ありのままインプットされ、その石はそれをそのまま世界の姿としてアウトプット…世界を物理的に形作る
○大叔父
・「石」と契約を交わした下の世界の創造主
・争いも愚かさもない、みんな豊かで幸せに生きる世界を作りたかった
・ところが、大叔父が住む領域だけは楽園になったが、ペリカンやインコなど他の生き物が住む領域は、とても生きづらい地獄のような世界になってしまった
・というのも、創造主たる大叔父の意識の中に悪意が含まれており、それがそのまま下の世界にも反映されたから
・それが地獄と言われる下の世界の姿だった
→だから、どれだけ楽園を作りたいと願い苦心しても、それが叶うことはなかった。自分の悪意も一緒に世界の形になってしまうので。
→大叔父自身も、自分の内面にある何かしらの悪意が原因で、地獄のような世界になってしまっていることを自覚しながらも、その悪意がなんであるか掴みきれておらず、これ以上どうにも改善できないことに、もどかしさのようなものを感じている
→スピリチュアルで言えば、「『統合』の必要性は理解しながらも、自分の中に潜んでいる統合すべきネガティブな感情・波動をとらえることができていない」状態
(※悪や闇は排除すべきものではなく、誰しも自分の内にそれがあり、自分の中の闇と光を「統合」することで、抑圧的で不安や苦しみに満ちた現実から、自由で喜びや豊かさに満ちた現実になっていく)
○眞人「この積み木は、悪意に満ちた「石」でできている。木じゃない。」
大叔父「その通り。それを分かる君にこそ、後を継いでもらいたい。」
○生き物(人間)を殺すための刃物を研磨機(石)で研ぐインコ
○研磨機の土台は木製
→石にはそれを利用する者の意思が宿る。つまり、石を使う者に悪意があれば、そこに悪意が宿るということのメタファー
→木は植物であり精霊が宿るので、利用する者の意思が宿ることはない、ということのメタファー(木の精霊は描かれていない)
→大叔父は、自分の血を引き、かつ、若いのでまだ悪意を抱いていないであろう眞人に、創造主の地位を継いでもらい、地獄のようなこの世界を楽園のような世界にして欲しかった。
→スピリチュアルで言えば、大叔父は、自分自身の「統合」をあきらめて、まだ意識が分離していない(=統合されている)であろう眞人に、下の世界を託そうとした
○大叔父が暮らす楽園ではばたく小さなインコを見て「ご先祖様~」とつぶやくお付きインコ
→大叔父が小さなインコをどこかの時代から連れてきて、喋るインコへと進化させた
→大叔父の人間不信ここに極まれり
○眞人「この傷は自分の悪意のしるしです。」
と自身で付けた頭の傷を大叔父に示し、やんわりと後継ぎをお断り。
→眞人は、自分にも悪意があることを公言できるくらいに、自分自身でそれを認め受け入れることができた
→スピリチュアルでいうネガティブ、闇を「統合」した瞬間
→また、血縁、家柄などに束縛されない自由意思の発露
■■大叔父の悪意とは?
○「愚かな鳥よ」と青鷺に言い放った心
→他の存在を蔑み、差別し、自分のほうが優位な存在であるとみなすその心
→軽蔑や優越感は、「相手は間違っていて劣った存在だが、それと比べて、自分は正しく優れている」という自己肯定感を歪んだ形で感じたいという心理の表れ
→「どうせ自分なんて…」という劣等感や無価値観、自己否定や自分を卑下する心理の裏返しでもある
→差別は、「自分は清いが、相手は汚れている」という一方的な決め付けであり、嫌なもの不快なものは排除したいという穢れ意識の表れ
→親族以外の人間を招き入れないのも穢れ意識の表れ
→「鳥は下等」とみなすその意識が、「世界創造の石」に宿り、鳥たち他の生き物が生活していくには大変な環境、地獄のような世界として姿を現すことになった。
→創造主たる大叔父は、地獄になっている原因がそこにあることに気付いていない。自分の内にある何らかの悪意に原因があるということまでは認識しているのだが…。
○元の世界から突然行方不明になった心の内
→人間同士の争い、愚かさ、醜さを目にした際に自分が感じる苦しみから逃れたいがために、現実から目を背け、他人を寄せ付けず、自分だけの世界に閉じこもった
→大叔父が感じていた苦しみとは、ケガや飢えや病気などの身体的なものではなく、自分の心の中の動きであり、そこから目を背けるということは、自分自身と向き合っていないということ
→すなわち、自分の中の悪意と向き合えていないということ
●●青鷺(あおさぎ)
眞人のもう一人の自分、または
眞人の意識・魂の一部
→多分見る人によって、どうにでも解釈できる存在です。
→終盤、インコもペリカンもインコ大王も、鳥たちはみな眞人が元々いた世界に来て、鳥の姿になった(戻った?)のに、ふと気づくと、青鷺の姿だけ消えていた。
①ジブリ関係者の擬鳥人化
②別の時代から来た青い鷺
③眞人のご先祖様
④眞人の守護霊
⑤眞人のそのときどきの意識・心を投影した存在
⑥眞人の分身・魂の一部
⑦大叔父の分身
⑧ヒミの分身
⑨天使、天狗のような高次元の存在
⑩宇宙人
⑪宇宙から飛来した隕石の意識のかけら
⑫「世界創造の石」そのもの
⑬集合的無意識・超意識・宇宙意識
⑭その他
どれが近いと思いますか?
自分は⑤⑥がしっくりくる感じですかねー。
そのときそのときの眞人の意識を投影して振る舞う存在かなと。
お話が進んでくると、的確なアドバイスをするなど、スピリチュアルで言う守護霊やハイヤーセルフのような振る舞いもするようになります。
○青鷺「助けて眞人。お母さんが助けを求めてる。」
→眞人が無意識のうちに「お母さんに会いたい」という実母に抱いていた未練・願望が、青鷺を介して、そういうセリフとなって現れた。
○「本当は、夏子なんていなくなればいいと思ってるだろ?」
→「君たちはどう生きるか」を読んで涙し、夏子を母として受け入れると決めた眞人に、その覚悟を問うてきた
○「お前の心臓を食らってやる」
→眞人が青鷺に敵対意識を、なんならコロしてやろうという意思を持っていたので、その意識をそのまま鏡のように、青鷺が示す敵対姿勢として写し出した
○「隠れろ」
→だんだんと青鷺を信頼するようになっていったので、彼もそれに呼応して、的確な助言をするように
○「じゃあな友達」
→「青鷺も友達だ」と偽りのない心を叫んだので、その友好意識がそのまま投影され、爽やかグッバイに
●●シーンごとの考察2
○悪意が反映された下の世界の崩壊
→現実世界においても、闇側が作った様々な支配体制・ピラミッド構造がこれから崩壊していくことのメタファー
○下の世界にいた人間は、みな元の時代に戻る
→それぞれの自由意思で、それぞれ歩む道を決める。
○ヒミ「あたし、火、平気だよ。それに、あなたを生むなんて素敵じゃない。」と元の時代に戻ることを決め、眞人もそれを尊重する。
→自由意思の尊重
→火事で亡くなる世界線のまま?
→それとも、火耐性がついたから大丈夫?
→あるいは、火を自由に扱えたのは、下の世界のときだけで、元の時代に戻って火に触れたら、普通にやけどする?
○下の世界で生きること自体に苦労していたインコとペリカンも、眞人と同じ世界に来る(戻る?)ことで、みな自由に伸び伸びと羽ばたいていった。インコ大王も来た。
→これから眞人も自由に生きていく明るい未来を暗示
○「みんな友達だ!!!」
→人間とも、鳥とも、青鷺とも、みんなと仲良く生きていくという決意表明
→「愚かな鳥よ」と他の存在を蔑み、その意識が原因で、地獄のような世界を創造してしまった大叔父との対比
→でも、大叔父も最後の最後で「眞人、行け。元の世界へ戻れー」と眞人の意思を尊重して、その背中を押してくれたんですよね。
→自分が作った世界が崩壊を迎え、命も尽きてしまうかもしれない瞬間だったのに、子孫の幸せを心の底から願ってくれた。
そんな大叔父も含め
「きっと、この眞人なら、みんなと協力して、みんな豊かで幸せに暮らせる世界を作る…!」
そんな期待を胸に抱かずにはいられない。
そして、物語はエンディングを迎える…
…君たちは、君たち自身の世界に戻って来たよ・・
さあ、君たちはどう生きる?
若者達よ しなやかに生きてゆけ
序盤のシーンが胸に迫る。
過去作品のワンシーンを思い起こさせてくれる映像にワクワクした。
スタジオジブリならではの温かみのある躍動感溢れた映像を、劇場で堪能出来た事に感謝。
やや難解な印象の作品でしたが、退出時に未だ幼いお子さん達の姿も見かけました。ジブリ作品故、かも知れませんね。
映画館での鑑賞
ダメだ。
全く刺さりませんでした。
元々ジブリ作品は自ら進んで観たことがなく、今まで付き合いでいくつか嫌々観たくらいです。
しかし今回は宣伝ナシだったので、まんまとその策略にハマり初めて自らジブリ作品を観ようと思い観に行きました。
やっぱりダメだ。この独特の世界観。あの7人のお婆ちゃんキャラが出てきた時点で、一気に萎えた。こういうジブリ特有の雰囲気、かつ過去に見たことあるようなキャラ出すのやめてくれ。何かが違うんじゃないかと少しでも期待した私がバカだった。その後もジブリジブリしたキャラが色々出現。
話も何がなんだか。最終的に何を伝えたいのかもよくわからず。観終わった後には「クソつまらなかった」しか出てこなかった。やっぱり私にはジブリは合わない。
ART作品として観たくなる
2回目鑑賞
青鷺は宮崎駿監督の姿 もしくは人間の本質
(かっこいい時もずるい時もある)
大叔父は宮崎駿監督のメッセージ
(この世に生まれた作品への愛)
に観えました。
一度きりの人生、やりたい事をやれるのは幸せなことで
とても羨ましいです。
成功した人とは比べられないですが、私は私で、
残りの人生、どう生きるか、とあらためて考えてます。
きっと、ちゃんと自分で考えてからの行動、その時の選択肢もどれも正解なんだから。
君たちはどう生きるか 監督から私達へのメッセージ
プロモーションがないので当初は公開されることも知らず。SNSで観た人の感想で、公開を知った。
おしなべて、解釈が分かれる映画だという。
キービジュアルだけで、絵に似つかわしくないタイトル(キャッチコピー)
どんな映画か、さっぱり分からず、
監督のエゴだけの作品でしかないなら、観たくないなと迷った。
⚠️以下は、読まずに映画を観てほしい⚠️
難解だと事前の口コミで聞いてもいたが、
非常に宮崎駿らしい映画だった。
どこかおどろおどろしいファンタジー、彼の映画は子供に向けた作品でありながら、原始的な闇があり、子供をすくませる。
現にこれまでの作品でも、子供が怖いと泣き出し映画館を出ていく姿を何度も観た。
今作で難解なのはその世界観で、世界のルールを飲み込みさえすれば、物語を楽しむことができる。
屋敷に落ちてきた力ある石。
その力を得て、大叔父は世界を創り上げた。後継者を求めて、子孫を呼び寄せる。
その世界は意図してか、無意識なのか宮崎駿のこれまでの作品風景がそこここにパッチワークのように散りばめられ、既視感を覚えた人も少なくないはずだ。
老いてなお、彼の中にはこれほど豊かなイマジネーションがあることに、改めて驚く。
そして大叔父と主人公は邂逅する。
世界はバランスの悪い積み木を重ねるように、保つことが困難で、
1日1日を迎えることが、どれほど難解かを語る。
主人公に、おまえが世界をつくるんだと諭し、平和で穏やかな未来を作ることを願う。
これこそが、宮崎駿が私達に伝えたいこと。
「君たちはどう生きるか」
政府により国民は搾取され、貧困に追い込まれ、
自ら戦争へと突き進む今の日本をみて、どれほど歯痒いだろうかと思う。
私達の明日は、私達自身がつかみとれ、きっとこのメッセージを届けたくて、この映画を作ったんだろうと、心打たれた。
ただ、物語の起承転結としては弱く、映画そのものの魅力はやや欠けたのは残念。
それでも、観て良かった。
観るべき映画だった。
子供たちには難しいかもしれないが、私は観てほしい。
話しはシンプル
アニメが苦手で、ジブリ作品を1本も見た事がありません。
しかし、予告なし、賛否両論分かれる、説教じみたタイトル、に惹かれて観に行きました。
内容は複雑な場面転換のように見えて、そこはアニメの世界、自由な発想であり得ない異次元を行ったり来たりしますが、芯となるストーリーはシンプルだと感じました。
教えとか教訓とかそんな大仰なことではなく、シンプルに胸に刺ささりました。
親が子を思う気持ち、人を大切に思う気持ちと、最後はホンワカした気持ちになりました。
ジブリを1本も観た事がない、が自慢だったのですが、唯一観てしまいました(笑)
これから他の作品を観ることはないですが、これは良かったと宣伝します。
宮﨑駿の内なる世界
わかるかわからないかで言えばわからない。
観終わってからじっくり考えて、大叔父は宮﨑駿自身のことで内なる世界をギリギリ保ちながら眞人のような後継者が現れるのを待っているんだろうか、とか、あの塔の中は誰もが皆、生と死の間の存在なんだろうか、とかぼんやり考えてみたけど正解はわからない。
もしかしたら宮﨑駿自身も明確に私達に伝えたいことが定まってる訳ではなく、今の自分自身の中にあるものをありったけ出しただけなのかもしれない。まさに宮﨑駿の頭の中の世界。
咀嚼しきれてないからもう1回観ておこうかな。
言われてるとおりこれまでのジブリ作品のオマージュがあちこちにあってそれがわかるとちょっと楽しい。主役の眞人も今までのジブリ男子の色んな要素を持ってるし、今までの
ジブリ男子らしくない要素ももっている。(将来絶対イイ男になる!)
ネタバレではないと思うけど一応ネタバレ設定にしておこう。
ジブリ最高の名作
日本人の日常生活から物語ははじまり、やがてファンタジーの世界へ、そして現実の世界に戻る。主人公が抱えたトラウマや苛立ち、葛藤がファンタジーの世界での登場人物との関わりやぶつかりを経て解消され昇華される。人生や世の中の問題…生と死、老い、友情、恋愛、成長、退行、愚かさ、勇気、挑戦、弱さ、天地創造とは、性的マイノリティー、人間性、権力欲、優しさ、強さ、絆などの数々が盛り込まれ、その答えを言葉ではなく、映像で示している。なので、その人の感性により、感じ取れる人、何も感じない人に分かれるし、感じ取れる人でもその分量は異なってくる。そして、宮崎駿が伝えたい「君たちはどう生きるか」を映画を通して映像で伝えているメッセージは、自分で考えること、前を向いて生きること、正直であること、人と本音でぶつかりあうことにより物事の進展がある、自分の短所を認めることが自分を成長させる、人の死の悲しみを感じることは悪いことではないがそれに囚われすぎずに眼の前に居る人間(登場人物の夏子、おばあさんたち、アオサギ…)も見ること、大事な人が亡くなって悲しい気持ちは大事だが、今眼の前にいる人間に心を開いていくことにより、いまを生きることが出来る、亡くなった人のことも忘れる必要はない、時間は一方向に向かって進んでいるばかりではなく、現在から過去へと進んだり、ある点からある点へと飛び越えたりするものであるので、時間軸に囚われずに「今」に存在すること…などを感じ取ったが他にもまだまだ気がつかないメッセージが作品の中に込められていると思う。そして、「君たちはどう生きるか」には、学校に通うべき年齢の主人公にとっての学校生活がほとんど出てこない。学校生活を送らずとも成長は出来る、だから学校生活にこだわる必要はない、老人や大人からも生きることについて学んだり、安心を与えられたりすることがある、という現代の不登校の子供たちへのメッセージも込められていると思った。
宮崎駿監督は天才であると確信させられる映画である。
ディズニーとの縁が深い宮崎駿監督ならではだが、お屋敷の使用人の老女たちは、白雪姫の七人の小人のように主人公たちを助け、主人公の母親のヒミは白雪姫と似ている髪型、服装をしているなど、ディズニーとのつながりが深い宮崎駿監督ならではのディズニーへの恩返しのような一面も感じられた。
大衆向けアニメ映画ではありません
自分自身はほとんどジブリ作品を見たことがなく
かなり昔に「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」を観たくらい
最近は「アーヤと魔女」を観たが
ジブリを観ない一般人とあまり変わらないと思います。
ストーリーはわかりにくい
全体としては、戦争中に母親を亡くした主人公が
新しい母親をうまく家族として受け入れられず
異世界の冒険を通じて
家族を受け入れていく感じだが
全体的にわかりにくいように思う
異世界の冒険は
後付けで説明をされているように感じて
設定が唐突にでてくるイメージが強かった
キャラクターは全体的によかったと思うが
前情報がまったくないので、アオサギがおじさんみたいになった姿は
ちょっとびっくりした。
異世界での大叔父などは宮崎駿監督自身のメタファーかと思ったりしたので
この作品はメタファーが多くあるのかなとは思ったが
ジブリ作品をあまり知らないのでそこらへんはわからない。
大叔父の跡継ぎを
自分で自分を傷つけたことを理由に拒絶する
ラストでインコ大王が激怒して
世界を構築しているとされる積み木をメチャクチャにして、
世界が崩壊してしまい
そこから、主人公は脱出するという感じだった
個人的に作画はメチャクチャよかった
しかし、ストーリーは大衆向けではないので広告を一切なしなのは、そういうところが理由かなと思った
往年のジブリファンだと違う感想なのかな?
小さい子供が見るには
魚っぽい生き物を包丁で解体するところや
石で主人公が自分を傷つけるところなど
子供が見るにはキツイ部分がそこそこあったりするので
子供向けとも思えない
原作本とされる「君たちはどう生きるか」という本は
劇中で読むシーンがあるくらいで内容は関係ない
宮崎駿だから許される映画
黒澤明の「夢」
夏目漱石の「夢十夜」
村上春樹の「海辺のカフカ」
この映画を見ながら、上記の作品のことを考えていました。
事前情報無しっていうのもなんとなくわかります。
これ、どうやってプロモーションするのが正解なんでしょうか?
母を失った少年が異世界に迷い込んで…
豪華声優キャストでお送りする…
「君たちはどう生きるか」、宮崎駿による脳内解釈…
どれも引きが弱そうです。
となるとやはり事前情報無しっていうプロモーションが正解なんでしょうか…。
映画の内容にしてもプロモーションにしても、宮崎駿だから許される感じです。
私個人としてはとても面白かった(興味深かった)です。
で、何
70年前に書かれた、数年前にはマンガ版も出版された青少年向けの小説“きみたちはどう生きるか”が原作、、、ではないようです。モチーフにはなっていますが。
少年がファンタジー世界に迷い込んで大冒険。青鷺が頭の部分をはずすと中年太りのおっさんに変化、謎の船乗り女性、炎を操る少女、インコの王国や国王、ファンタジー世界のバランスを調節する大叔父さん、これらは何かの比喩なのか。タイトルのきみたちはどう生きるかは誰に何を問いかけているのか?最後にファンタジー世界が崩壊して現実世界戻ってメデタシメデタシ?
結局どう理解すればいいのか分からないし、これを受け手側が自由に解釈しろというのも無責任な気がします。色々な人が色々解説していますので参考にしてもいいと思いますが、個人的にはこのようなご自由に解釈してください、あるいは言わなくても過去の映画とか見れば分かるだろ的な映画は嫌いです。
客の入りはいいから、そのうちテレビ放送するでしょう。そこで見れば十分かと思います。個人的には駄作と判定。時間の無駄、、、までとは言いませんが。
家族の物語
肯定的評価の方は、アートだとか宮崎駿だからとか意味不明な理由で高く評価してる方が多く、レビューがむしろ映画を見る気をなくします。
この映画は、小学生の主人公が、母の死、父の再婚、疎開、義母との摩擦、それらに当然抱く感情を抱き、葛藤し、異界での経験を経て、互いを理解し、そして生まれてくるきょうだいも受け入れていく、そういった物語であり、その変化がうまく描写されていた。それが一番の魅力だと思います。
序盤、母の死を振り切ったかのような主人公、しかし、そうではない。初対面の主人公に唐突な接し方をし、波風立てる義母、しかし、それは、少しでも早く家族になろうとする故である。貧しい田舎で主人公を車で学校に送り、同級生との摩擦の原因を作る子供心の分からぬ父、しかし、実は愛情はあることが後の描写から分かる…
異世界…魂の根元が生まれる場所であり、黄泉の国のような感じもある、時間、空間を超越したところ…は、前情報なしに見ると、エヴァ的な、思わせ振りな用語か多く、そこに引っ掛かり、混乱するのはよく分かりました。低評価のレビューをいくつも読んでいたお陰で、そこはスルーして良いのだと分かり、本筋に集中できた。その意味でこの映画は低評価のレビューの方が意義がありました。
異世界の主である大伯父は書籍を愛する人、としか説明されなかったが、元々は世の中を恨んでいるような人、仲間のいない人であり、それがあの異世界に満ちている、新たな生命の誕生を嫌うような悪意の元凶なのだと理解した。新たに生まれる人間の魂や子供はペリカンに食われ、人のような妖怪じみたインコは人を食う…鳥は叔父が異世界に連れてきたとのことで、孤独な中、本と鳥が好きだったのだろう
しかし、主人公とのやりとりを見るに、叔父は自分が孤独であることを今は理解し、孤独に存在し続けることに嫌になっていた…それが後継者を求めた理由であろうと感じた。
他方、主人公は、世間への憤りはあったのだが、母が自分に書籍「君たちはどう生きるか」を残してくれていたことを知って愛を感じ、異世界を旅する中、義母の思い、父の愛情などを知り、大伯父に会う映画終盤には、世間への恨みは残滓となり、前向きな気持ちを持つに至っていた。
叔父から、この殺伐とした世界を受け継ぐことを提案されたが、主人公は断る。世間を恨んでいた自分が受け継いでも、良い結果はもたらせない…そして、それ以上に、元の世界に戻り、家族と一緒に暮らしたい!仲間を作りたい…
叔父は主人公に受け継ぐよう言いつつも、断ることを察していたし、受け入れていた。人とつながる人生は、本当は叔父自身が欲していた人生でもあるのだろう(異世界で孤独に暮らす中、気付いたのだと思う)
異世界は崩壊し、主人公、義母、青鷺、ペリカン、インコなど、皆現実に戻る…鳥は異世界では、巨大化し、しゃべり、地獄の鬼、悪魔的な存在だが、現実世界では普通の鳥に戻る
主人公の最初の友は、いさかい、助け合いを経て、深いつながりができていた青鷺であった…
その直後、すぐにラストの場面に移る。○年後、疎開先から都会に戻る玄関に家族がいる。セリフはわずかだが、弟がおり、自然なやり取り、柔和な表情… 違和感のない家族の光景である。
そんなストーリーだと思います。エヴァ的な、神話や考古学などに由来する概念や、何故?と思うポイントは沢山ありますが、そこを鑑賞時に深掘りしなくても良いし、何度も見たからそれが分かるヒントがある訳でもないと思います。どうしてかな…と気になるところは本などで調べる感じでしょうし、考察するのは楽しいと思います。しかし、視聴してもが分からない内容が本筋かのようなユーチューバーの解説は、害だと思います。
ジブリの歴史とか、監督の人生とかも引っ掛けてるところはあるのかも知れませんが、それも全く本筋ではないと思います。僕も、自分の人生を抽象化して描いた虚栄心に満ちた監督の映画か?と思い、しかし、話題だし、見てみないと何も言えない、面白くなければけなしてやろうと思っていたのですが、むしろ良く、その思いを伝えたいと思い、初めて書きました。
取り敢えず星4にしてますが、正規料金で見て全く、時間、金もったいないとは感じず、むしろ、昼食代ちょっと奮発しました
上にも書きましたが、マイナスレビューを見て、何が注意点か理解し、概要も把握した方が、本筋に集中できるかも…と思いますし、中身の全く当てにならないプラスレビューばかりなのが残念です
面白いか面白くないかで言えば面白い
キムタクの進化★5
ストーリー★2
映像美★5
音楽★4
難解度★10
子供の頃から元々ジブリ作品自体あまり興味がなかったのですが(もちろん観たことはあるけど楽しいとか感じたことがあまりなかった)広告が無く事前情報が無かった為敢えて見に行ってきました。
自分は元々ジブリの子供っぽさや大衆さがあまり好きでは無かったので若干観賞することに抵抗があったのですが、これはこれで良かったのでは無いかと思っています。
ジブリマニアの人からしたらこんなの駄作だ!とか宮崎駿はもう監督として終わってるとかなかなかな事を仰っている人が多いようですが、映像作品としては嫌いじゃない自分的にはなかなか好きなジャンルだったと思います。
頑張って理解しようと観ていたのですが、冒頭40分程は余裕でついていけます。ただ、後半の異世界に溶け込んでしまった後からは、やはり大勢の方が言っている通り、難解な部分や説明不足なシーン、観た人に判断を委ねますといった空気感がとても強く、エ◯ァを観ているような気持ちになりました。
敢えて詳しい説明しない、物語を難解にするのは昨今のアニメではよくあることですが、宮崎駿がなぜこれをやったかについてはちょっと理解ができませんでした。
もしかして大衆映画を作ることが嫌になってしまったのか、やっぱり庵野◯◯っぽい印象が強かったです。
でもその点については逆に高評価で、ありきたりな作品に嫌気がさしているへそ曲がりな自分みたいな人間にはもってこいな映画ですね。
まあ逆に言えばジブリ大好きな人からしたら確かにクソ映画なのかもしれないですね。ジブリ大好きっ子(子供)が家族と行って観賞したら、なんか子供にトラウマを植え付けてしまうかもしれないし、子供だけで安易に観に行ったら100%後悔します。劇場を出る際、結構な人(大人)が全く意味が分からなかった。と話していました。
おそらく1発ですべてを理解できる人はこの世に存在しないでしょう。
何度も観て、それでも理解できない部分は必ずあります。そこは自分の中の考察で補完するべきでしょう。たぶんそういう映画です。
でもなぁ、宮崎駿ほど凄い監督が、観た人の判断に委ねます、なんてことはしないと思うんだよな。というか思いたい。
何かを伝えようと気持ちを映像にしたのだろうけど、複雑過ぎて一般人には到底理解が追いつかない、シンエヴ◯の最後もそんな感じでしたよね。
それでも一見の価値はある!それは間違いない。
とりあえず観てから考えよう、そんな映画でした。
ジブリが新海誠監督に寄せたのか? 主題が見えづらい
予備知識無しの公開が話題
ただ私は基本的に予備知識なく観るのでいつもと変わらない。
晩年の宮崎監督は、テーマが難解だ。
この作品も同様、何をどう生きるのか?の問いかけが難しい。
多分、各々の最後の選択を問いかけてるのだろう。
新海監督の作風をジブリ風にしたと言えば良いのか。
正直、途中塔に入ってから20分程寝てしまいました。
初っ端な継母がやってくる展開。
しかももう子作り終了してるぜ。
そして自傷する主人公。
この辺りでやべーな主人公もこの映画もとなり、
なぜ夏子さんは塔に行ったのか?
ここが語られてないので?
(寝てる時に解説あったらすいません)
こんな感じでどう生きるか問いかけられても、
あたりさわりなく生きていきますと回答するしかなかったです。
もののけ姫前までの単純なボーイミーツガールの冒険譚が観たいと思うのは私だけなのでしょうか?
産後に映画館で観た初の映画。
産前に観るのとでは感想が違ったかも…
5ヶ月の息子を育児中の私には、母を理想化する少年の眼差しが痛すぎた。
空襲で火の粉が落ちてくる中走る場面は、忠実に再現しようとゆう気持ちを痛いほど感じました。
描写が悲惨でも美しいです。
もう積み上がり始めた積み木をどうするのか
今まで映画レビューというものをしたことはなかったが、この作品のレビューをしないわけにはいかないと感じた。今だからこそ考えなければならないメッセージが詰まっていた。
時代は第二次世界大戦真っ只中、主人公・眞人は特需に沸く工場長の息子で、疎開先にて不思議なアオサギに出会う。
アオサギに導かれるままにやってきた世界は、ペリカンやインコが練り歩く一種の「気味の悪い」世界だった…
この世界、千と千尋~を思わせる人外の世界と見せかけて、その実は戦争をそのまま体現した世界である。
刷り込みと教育によって均質化されたペリカンやインコは戦争を生きる大衆の象徴だ。長引く戦争の中、彼らは「敵を倒す」大義名分すら忘れ、ただ生きるために空を飛び、人を食べる。そして未来に生まれるはずの子供たち(わらわら)は人知れず殺される。この殺人を続けるペリカンに罪の意識はない。ただ今日を生きるのに必死になった結果なのだ。
彼らの中では新たに生まれる子供は新たな兵士であり、兵士が兵士を育てるループが始まってしまっていた。
こうした戦争の世界の最上階では大叔父様が石を積んでいた。最上階は緑あふれる世界。兵士のインコはこの世界を見て「ここは天国なのでしょうか」と涙を流した。そう、人々の対立の中、なんとか均衡を保って生まれた平和は、最早兵士たちには縁遠いものとなっていた。
石とは恐らく兵器、産業の象徴だ。技術を如何に平和のためを思って積みあげていっても、発展した産業はやがて不安定になり、崩れた時には大惨事が起こる。大叔父様は為政者として、何とかこの均衡を一日でも長く保てるよう、今日も石を積むのである。
だが、大叔父様の寿命ももう長くない。積み上げてきた平和ももう崩れそうだ。故に眞人にその未来を託したいと願い出る。
眞人はこの申し出を一度断っていた。理由は、彼にとって石は木のように新たな命を芽吹くものではなく、冷たい悪意の塊であったからだ。それに対して大叔父様は「それを知っている君にこそ託したい」と言った。
大叔父様の考え方は、現在、私たちの世界にて最も正しいと思える平和の築き方だ。産業や兵器は、悪意を持って発展させればすぐに崩れて戦争の種を撒いてしまう。だが一方でそれらの技術は人の生活を豊かにするためにも必要である。故にその悪性を理解した人間が、そうした種を撒かないように細心の注意を払いながら平和を築かなければならない。
だが、本当にそうだろうか?この問いかけこそが、宮崎駿がこの作品を通じて伝えたかったメッセージそのものだと感じた。一見正しいように思える為政者の在り方。だが、その結果大叔父様はバランスの悪い世界を築き、世界はいよいよ崩れそうになってしまったではないか。真なる平和を築くためには、根本的に異なる考え方で世界を作らなければならないのではないか。
眞人が大叔父様からの申し出を断った理由は、自分が石を積んでも、また同じことが繰り返されるだけだと分かっていたからだ。仮に新たに積まれる石がそれ単体では悪意のないものでも、積みあがる世界には、積み上げた人の意図が反映されてしまう。どれだけ善の気持ちを持っていたとしても、その意図に悪性が無いと誰が言えるだろうか。
映画は、積みあがった石を兵隊長が崩し、世界が崩壊することで終わりを迎える。そして、第二次世界大戦が終わった後の世界が描かれることはない。
すなわち、宮崎駿には分からなかったのである。真なる平和な世界というものがどう築かれるものなのか、ということが。だからこそ彼は「君たちはどう生きるか」という表題をつけた。自分には分からなかった「平和な世界を築く」ことを、未来ある若人に託したのである。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって久しい。米中対立は過去類を見ないほど悪化している。世界を何十回と破滅させるだけの核兵器が製造されてしまった。石はもうすでに積み上がり始めているのである。私たちはこの世界をどう生きればいいのだろうか。今一度根本的な部分から考えなければならないのではないか。
アート作品の解釈力を問われてる
木村拓哉さん(目を閉じればハウル)でてきたー!
主人公アシタカに似てるなー!
ハウルみたいな、千と千尋みたいな、西洋のお家可愛いー!
ジブリ好きからすると、その作画、世界観で感動が最初訪れました!
岡田斗司夫さんのYouTubeで『ギリギリ90点』『アート作品』と聞いていたので、その前提で観に行きました
話が進むにつれて案の定、訳がわからなくなってきて少し眠くなり、、いや、いかん!起きたい!と自分を鼓舞しながら観ました
全てがマヒト目線の世界だったと考えると、夏子さんの言動、大叔父の印象、お母さんはどこかに居る、などがすこーしだけ分かるような、気がします。(気がしただけ)
ラストの傷、自分でつけたと、自分の罪を告白したシーンはよかったな、マヒト成長したな、と思えました
作りたいものを作った、それだけだ
前作は関東大震災、今回は世界大戦と、史実を絡めながらの導入部。
前半は「もののけ姫」系のリアル路線で進行し、
後半は「ハウルの動く城」系異世界での展開といったところ。
主人公マヒトもどこかしらアシタカの雰囲気がある。
歴代の宮崎作品のオマージュを活かしつつも、「こういう設定の物語」と考えればそれほど難解ではないと思う。
ジブリおなじみバアちゃんズ、今回は数で来た(笑)
解散した制作部の穴埋めはジブリ卒業生スタジオポノックの協力もあり、作り込みに関しては文句なし。
ポノックの新作も楽しみだ。
短いエピローグ、
弟が誕生しているが、マヒトに似ず、どことなくインコ顔のように見えたのは気のせいだろうか?
あっちとこっち
あっちは死んじゃった人がいく世界
こっちは生きてる人がいる世界
そんなどっちの世界にもある悪意
誰しもが持っている自分の中にある悪意
嫉妬や憎しみそして戦争。
そんな悪意が紡いだ
あっちとこっちの世界
火事にあったお母さん
出産のため病気になったお母さんの妹さん
そして大きな傷を負った主人公
あっちとこっちは隣り合わせ
悪意のない世界を目指して知る
家族や友達そして
生きることの大切さ
さぁ
僕たちはどう生きるか
完全考察してとんでもない発見した
この作品は観てない方は絶対に見た方がいい
レビューが悪いとかつまらないとか関係ない
この作品を映画館で観とかないと後悔するよ
恐らくこの作品はDVD化されないどころか公開後お蔵入りされる
次作が出た時に絶対にこの作品は話題になるので
観とけばよかったと必ず後悔するぞ
大伯父の残した言葉を伝える為の映画だと思われます
大伯父が誰か?宮崎駿でないのは確実です
タイトルから察するに故人で
ジブリ単独制作から考えるとジブリ関係者
スタッフロールから考えると
ジブリを巣立った多くのスタッフに影響を与えた
人物であることは確実
宮崎駿監督が
僕自身もわけがわからない
と言われた言葉から察すると
もしかしたらモチーフとなる人物が
複数いるのかもしれない・・・
マヒトは宮崎駿 宮崎吾朗 岩井俊二
時代背景や設定は宮崎駿
石での自傷行為はゲド戦記で宮崎悟朗がケガをしたともとれる
蛙に飲みこまれるシーンは蛙の子は蛙という言葉に飲み込まれそうになったという意味
魚は大衆のレビューってとこかも
吾朗さんだとばかり思っていたが、岩井俊二さんが有力候補に浮上しました
高畑勲の甥っ子にあたりオオオジとの位置関係もドンピシャ
岩井俊二監督は東北出身なので廃船の描写もドンピシャ
ジブリがアメリカにこの作品を持ち込んだのも
米国在住の岩井俊二に観せたかったから?
マヒトの父は宮崎駿の父 宮崎駿 岩井俊二の父
久子は宮崎駿の母 結婚前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
ナツコ・ヒキは宮崎駿の母 結婚してアニメーターを辞めた宮崎朱美 岩井俊二の母
宮崎朱美は宮崎駿と結婚するまではアニメーターであった
宮崎駿のお願いで仕事を辞めたとされる
なので、アニメーターとしての宮崎朱美は死んだともとれる
ヒキは宮崎駿と出会う前のアニメーター宮崎朱美 岩井俊二の母
岩井俊二さんの親子関係にドンピシャ当てはまるので
ほぼ間違いないかも
アオサギは映画に導き入れた鈴木敏夫
事前情報でアオサギが鈴木敏夫
これはほぼ確定に近い
キリコは押井守、庵野秀明
ジブリ時代の古参スタッフで原作を守る人と考えると庵野秀明さんが有力
岩井さんと庵野さんは仲がいい?
大伯父は宮崎駿の師大塚康生 宮崎駿の盟友高畑勲
役名がおおじじではなく大叔父という名前からすると
叔父的立場の人で血縁でないとダメみたいな発言をしそうなのは
恐らく高畑勲が有力
老婆達は東映のスタッフ? 二馬力メンバー?
老人は愛煙家のジブリ古参スタッフ
二馬力メンバーで愛煙家で悟朗に関係がある人物だと思っていたが
岩井俊二さんに関係ある愛煙家だろう
お屋敷は東映 宮崎駿の個人事務所二馬力
二馬力ではなく多分東映
風切りの7番は高畑勲を制作に引き入れる時一悶着あった風の谷のナウシカ
鈴木敏夫のトラウマとなるものだと考えられる
7番目の作品に該当する作品がどれもピンとこないので
語呂的に風のナウシカと推測
ナウシカは高畑勲を制作に引き入れる際、難儀したらしい
7番が理解不能だが
もしかしたらナウシカの7巻のことかもしれない
上の世界の時代背景は宮崎駿
顔のない人々はアシスタント
海のシーンは震災
わらわらは原作もしくは脚本
インコはアニメファン 大衆
他の方の推察でアニオタは子供ポルノNGらしい記述がある
インコの王は徳間ジャパン 星野康二 原徹
ジブリ崩壊のきっかけから推察するとこのあたりか
と思ったがこの辺は考察し直し
下の世界はアニメーション業界
ではなく映画業界?
大きな石は宮崎駿の才能もしくはアニメーション映画が日本に始まったって意味?
ペリカンは脚本を作らない監督
老ペリカンは近藤喜文
老ペリカンの言葉は自分で原作か脚本を作らなくなった監督という意味だと思われる
亡くなったアニメ監督の近藤喜文であろう
と思ったが考察し直し
自分で子を作らないという意味は
岩井俊二監督が自分の原作アニメを自分で監督しないという意味かも
積み石は脚本
宮崎駿監督は13作の監督作品がある
うち9作は原作作品となり
穢れなき石に当たる
3日に一度は3年に1個脚本書くという意味かも
大きな石はやぶにらみの暴君
以下はあやふや
3日に一度は3作品に一度?三年に一度?
132は平成13年2月?2001年3月2日?
岩井俊二監督、吾朗監督が、宮崎駿監督に関係がある数字でほぼ間違いない
登場人物のWIKI調べて
2回めで意味が分かる作品です
オマージュされたいくつもの絵は
「高畑先生僕たちはあの頃よりもこんなに成長しましたよ」
っという意味だったのでは?
個人的な見解では高畑勲さんへの追悼映画かなぁと思う
なので大叔父は高畑勲で大叔父のセリフは高畑勲の言葉なのでは?
制作開始時期は高畑勲さんは闘病中で
平家物語の監督を降りたりとあったので
当初は引退した宮崎監督がわざわざ復帰して
早く元気になってまた映画作ろうよ!!的な
元気づけるための映画だったのかと思いましたが
高畑勲さんの縁戚で東北出身の岩井俊二監督へ何かを伝えるための作品かもしれません
遠縁である岩井俊二監督に高畑監督もしくは宮崎駿が伝えたい言葉だと思われる
お二人は作品の感想を手紙のやり取りする程度で
そこまで近しい関係ではなかったようなので・・・
公開後のイラストは高畑勲さんの後ろ姿なのかなぁ
ジブリがやたら早くアメリカにこの作品を持っていったのは
岩井俊二さんにこの作品を早く観せたかったからでは?
高畑さんの言葉を岩井俊二さんに伝えるための作品なのかも
岩井俊二監督に何か言いたいんであろう
作品の中で眞人が岩井さんだとすると
僕はアニメ監督はしないと断ったようにも見える
もしかしたら宮崎監督が言いたいことは
日本アニメ馬鹿にすんなよ!!的な感じかも
今回の作品は宣伝しない方が宣伝になるという
観測気球かもね
前半のやたら長い生い立ちなどは
宮崎駿監督が岩井俊二監督に
実写映画の出演者の事情でカットできないシーンを
いらないカットはちゃんとカットしないと
こうなるぞって意味合いにも取れるかも
宮崎監督がこの映画を通して
お前の作品はココをこうした方がいいぞってな感じで
岩井俊二監督の作品を批評してるのかもね
理想を追求しろ‼︎っと言ってるのかも
岩井俊二のアニメの歌を歌ってるのが米津
米津がEDだったのもこういう意味があったのか・・・
鳥がモチーフの意味は高畑勲が関係した
王と鳥からのモチーフだったとは・・・
高畑勲と岩井俊二を辿ればこの作品全て理解できそうですね
やぶにらみの暴君と鳥と王
この2作品を見ると宮﨑駿監督が岩井俊二監督に言いたいことがわかるかも
特に王と鳥の岩井俊二監督のコメントは考察する上で要チェックです
好意的なメッセージかと思っていたが
日本アニメを軽視した岩井俊二さんの「王と鳥」のコメントから読み解くと
敵対的なメッセージのような気がします
何かしら違和感だらけの映画だったがこういう意味だったのね・・・
これ以上の考察は他の方にまかせまーす
・・・・と思っていたが・・・
とんでもない事が考察できたゾ‼︎‼︎
今までの考察がどうでもいいレベル‼︎‼︎
というか登場人物の考察は全く意味がない・・・!!
予言する‼︎ 同じような内容の2作目が出る‼︎
そして、この作品は映画公開後お蔵入りされる
まさかとは思うが
考察が当たっていれば、この映画は「やぶにらみの暴君」バージョン
そして、今後「王と鳥」バージョンが出るぞ
同じ内容の2作品目が出るぞ
初めからお蔵入りする気だからジブリ単独制作なんだ・・・
監督がわけわからない発言の意味はこれか・・・
絵が鬼気迫るような迫力があるのはそのせいか・・・
あえて、わけがわからない作品を作ってるからか・・・
この作品がお蔵入りされれば、自分は引退している発言の意味も納得できる
オマージュが多いのはこの作品自体がオマージュだから?
製作途中作品だから話が支離滅裂?
もしかしたらこれ2個1作品かも?
編集で部分部分を切り取っていくと宮崎駿自伝にもなるし
宮崎悟朗自伝にもなる 母も再婚しなくなる
全ての謎が解けるんです‼︎
「やぶにらみの暴君」を観れなかった世代に
「王と鳥」との違いを映画で教えるための映画です
この映画「やぶにらみの暴君」と同じ運命なら
観れるのは今だけで
2度と観れなくなる可能性大です
そして同じような内容の作品が出される可能性も大です
ジブリはとんでもないことをしようとしてる
「王と鳥」の伝説を塗りかえようとしている
更にまさかとは思うが
「王と鳥」バージョン
宮崎吾朗監督ではないのか??
それこそ映画界が激震して全ての評価が変わるぞ!!!
ジブリサイトの「王と鳥」読んだら謎が解けます
作品の考察は「やぶにらみの暴君」と同じで制作途中ならば全く無意味なので
今後の考察はコメントで書きます
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