君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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解説してほしい。でも知識なしでまずは観てほしい。
事前に知っていたのは、宮崎駿監督の作品であること、菅田将暉が声優で何かの役をやっていること、米津玄師の曲が使われていること、でした。
ポスターから鳥のお話かと思えば、そうでもないようなそうでもあるような、不思議なお話でした。
ただ、千と千尋の神隠しより面白くないし、ハウルほどインパクトもないけど、ポニョよりは理解できて面白かった、という印象です。
ジブリは私にとって解釈が難しい作品もあるので、
今度は考察などを幾分か拝見してからもう一度観てみたい。
でも事前に何も宣伝なし、情報なしというのはすごく面白い試みだと思います。
菅田将暉の声での演技が良かったので、⭐︎3つです。
これが無ければ⭐︎1.5だったかも。
焼き鳥を食った
『君たちはどう生きるか』を観た。
「この映画を見て 君たちはどう感じるか?
其々各々が自由に感じてくれたまえ。(笑)
正解も不正解もない。不正解も正解。正解も不正解。
さぁ君たちはどう生きる」と言われた。気がした。
映画監督 宮崎駿 を 宮﨑駿 を通して振りかえさせられた。させてもらった。
映画の内容はあっちとこっちの世界の話。
1から10まで説明する事はない。1と13を与えられて2〜12までとそれ以降は自分で考えろと言う映画。
へい!わかりました!(笑)
・主人公があっちの国で血を理由に跡を継げと言われて辞退する話。
生みの母へ子供ながらの甘えは(とても人間らしい)ありつつも時代的にも男という事であまり表に出さず奮闘するもやはり、、という印象だったが終盤はかなり成長が見える。わぁまるで誰かのお話だぁ。
・主人公の継母がこっちの世界を捨てる話。(主人公(姉の子)をあっちの世界の世継ぎ問題から守る、(血筋の子を自分も産める)、家や旦那から離れる)等の理由があっちに行った理由として考えられそう。墓石と産屋、、石、、ふむふむ。
考察なんて個人の自由だからサ!
なんてったって至る所に過去作だぁ!
あっちを死後の天国か、魂のみが生まれる場所(この世で肉体を得た時以外いる場所)と仮定。
この世ではない世界とするなら千と千尋の湯屋がある世界が思いつくのだけど、千と千尋のトンネルの先にある駅のようなポツンとした場所。ふむふむ。
それに銭婆に会いに行った時に車窓から見える、同乗者が降りて行ったあの世界。ふむふむ。
ゴッホの星月夜の糸杉に似た大きな木が墓石のところやあっちの世界で描かれていたけれど、糸杉はヨーロッパでは天と地を結びつける死の架け橋だと聞いたことがあるぜよ。
こっちの世界が現世(戦時中の日本)とするならば風立ちぬが連想されやすいけれど、今回の登場人物がお金持ちだからか、、なにか少し違った雰囲気にも感じる。裏山はまるでトトロの世界。
山を見るたびトトロトトロと喚いていた6歳の私の中の何かが!あぁ!心が、左腕が疼く!笑
お父さんはどうやら主人公とは違うタイプの人間で主人公の感覚とどこかズレていそうだけれど、家族への愛はあるのかもしれない。あれ、どこかで見たことのある父親のようだぁ。
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ところであの石の国、我が祖国に置き換えて考えるとどうだろう……、、、インコは増えすぎて良くないかあ、、、、、さぁさぁここからの考察は焼き鳥でも食べながら朝まで語り合おう。
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朝ごはんはパンにバターとジャム死ぬほど塗って食べたいなぁ。
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追記
ネタバレを恐れて事前知識無しに鑑賞しましたが、改めてたくさんの考察に触れると多種多様でとても興味深い。ジブリ一族のお話。ジブリからアニメ界、世界のお話。なるほどなるほど。宮崎駿の人生とは思いつつどちらかと言うと日本と日本人、世界のお話として受け取っていたのでとてもわかりやすく、また合点がいった点もたくさんありました。是も非も受け取りての数だけ解釈があって、それがまた面白い。
今の世界がどの様な形であれ、「 今 がある 」事は多くの祖先達が生きてきた過去の結晶で奇跡だ、世界はアンバランスで紙一重とどこかで読んだことがある。
積み木はその様なことか?と思っていたけれど監督が積み上げてきたジブリ史としてみるのも面白い。
皆さんの知識、知恵を拝借し考察を見れば見るほど面白い。また映画をみる必要がありますね!
案外脳死で見れるけど多分理解はしてない
宮崎駿の世界観とやらを二十年ぶりに映画鑑賞させていただきました!序盤の火の海のシーンを見て、こりゃあ映画館じゃないと体感出来ない迫力を感じさせていただきました。
宮崎駿作品はほとんど視聴していないに等しいので、背景の美しさや装飾品達の美しさに圧巻でした。もはやほとんど映画館で見てないからこその感想です。
Twitterでは哲学的な考察やら色々なものが出ていて、んんんそんな難しいのかぁと気張って見ていたので、思ったよりも脳死で見れて良かったと安堵いたしました…笑
子ども連れでもきちんと見れるようなシーンも見受けられていたので、逆に肩透かし食う気分でした笑
私は普通に楽しめましたが、これを人に勧めるか?と聞かれたら微妙なところです。
いい経験をしたな!!といった感じです。
もっと自伝自伝した内容かと思ったが違った
全体的にいつものジブリ映画。
最初のお墓と産屋の奥は別物なんですね。最初のは邪悪な者、産屋のは大叔父さんと契約している石。あれは紛らわしいと思います。
最初のお墓のところの墓の主が起きるっていうのはナウシカの怒り狂った王蟲とかもののけ姫のタタリ神みたいなのが出てくるってことなのかなとしばらくたってから思ったりしました。
最初の火事のところの作画だけでも観に行けてよかった。
やはり私はジブリが苦手だ
全く広告をしないことが逆に広告になっていた本作。予告編や他の方のレビューも観てないので内容について事前知識は無く、「賛否両論らしい」というのは風の噂に聞いている状態でした。多少覚悟を持っての鑑賞になります。
結論ですが、私の感想は「否」です。
ジブリらしい圧倒的な作画と幻想的な世界観には引き込まれるものがありましたが、逆に言えばそれ以外の部分は微妙に感じましたね。
ストーリー構成が支離滅裂だったり、取ってつけたような設定や展開があったり、声優の演技が下手過ぎて耳障りだったりして、正直全然楽しめませんでした。私はこの映画が苦手です。
自分の理解力がないから楽しめなかったのかと思い、色んな方のレビューを漁ってみました。「主人公の眞人は若き日の宮崎駿である」みたいな考察が主流のようですが、私は全然ピンときません。
私は、作り手の顔が透けて見えるような描写が嫌いです。だから最近の映画によく見かける、作り手の歪んだポリコレ思想が透けて見える描写には嫌悪感を抱きます。作者とは切り離して作品は作品として楽しみたい。本作を絶賛しているレビュアーは宮崎駿の半生や過去作にまで話を広げて賞賛する方ばかりで、「この映画単体で観てどこが面白かったのか」について言及している人は極めて少ない。映画に描かれてなければ一般教養でもない、裏にある作者の生い立ちやら思想信条やらを慮って観ないと楽しめない作品は、面白い映画とは私は思えません。
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第二次世界大戦中の物語。空襲によって母親を喪い、母親の生家がある田舎に引っ越してきた牧眞人。父親は母の妹であるナツコと再婚し、ナツコのお腹には赤ちゃんを宿していた。母を亡くした喪失感から抜け出せず、新しい家庭での生活になかなか馴染めずにいた眞人の前に、喋るアオサギが現れる。アオサギは屋敷の近くに立つ塔に眞人を誘うのだった。
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最初はまだ良かったんですが、塔の世界に入ってからが分かり辛く、ストーリーについていけずに置いていかれた感じがありました。私が頭悪いだけかと思いましたが、他の方のレビューを見ても「分からなかった」という方が多いように感じます。
どうにか分からなかった部分を補完しようと、映画レビュアーの方の考察などを拝見し、何となく本作への理解は深めることができました。しかしだからといって本作の評価が高くなるかと言えばそんなことは無く、「難解でつまらない映画」という印象だったのが、「単につまらない映画」という印象に変わっただけでした。
私は別に考察が嫌いなわけじゃないんです。でもそれは、考察しなくても面白いのが前提で、考察することでより楽しめるのが良いんです。本作のように難解でつまらなくて、楽しむために考察が前提となっている作品は苦手です。しかも考察したところで出てくるのが「宮崎駿の半自伝的映画だった」なんですよ。宮崎駿のファンでも何でもない私からすれば、オッサンの半生なんて興味ありませんし、それを描きたいなら分かり辛い比喩的なファンタジー描写じゃなくて直接的に描いてくれた方が面白かった気がします。あと、一部のファンが「この作品を楽しめなかった人には読解力がない(意訳)」というレビューをしているのも気に食わないです。
考察要素や難解な内容や宮崎駿の自伝的描写について、そういう要素を入れるなとは言うつもりはありません。しかしそれでもその要素を入れたいなら、映画としてしっかり楽しめる内容にした上で入れてほしかったというのが本音です。本作は製作委員会方式を取らずに宮崎駿が自由に製作した映画とのことだったので、彼の作家性が悪い方向に出てしまったのではないかと邪推します。
あとこれはジブリ作品の多くに共通する不満点なんですが、プロ声優はほとんど起用せず、タレント声優を使っているため、キャラクターによっては演技が壊滅的に酷いです。特にヒミを演じるあいみょんの演技は聞くに堪えないレベルの棒読み演技で、映画鑑賞のノイズになっていました。宮崎駿監督は声優のわざとらしい演技が嫌いだからプロ声優を起用しないというのは有名ですが、その結果がこの耳障りな棒読み演技なら本末転倒です。
普通の人にはオススメしにくい映画でした。宮崎駿の妄信的ファンの方、考察ジャンキーの方には超オススメです。
事前情報0で観た
米津さんが曲を担当している以外事前情報なしの状態で観ました。
開始3秒くらいで“この時代の話か・・・“と正直がっかりしました。
しかし、想像した内容とは異なりこれまでのジブリ作品を彷彿とさせるシーンが盛り込まれた世界観、声優もジブリに携わった事のある方も登場し胸に込み上げるものがありました。
大伯父のセリフ「3日に一個積み上げればいい(※正確には違うかも)」は宮崎駿監督が3年に1度作品を作っていたから、という考察を読んで改めて感動しました。
「君たちはどう生きるか」というセリフ、宮崎駿監督は作品を通しこれまで私たちに監督としての人生を見せてくれていたように感じますし、大伯父のように跡を引き継ぐものが必要だと感じているのかも知れません。エンドロールでは新しい宮崎作品を観れるのはこれで本当に最後かもしれないという想いに苛まれ自然と涙が出ました。
パンフレットが発売したらまた観に行きたいと思います。
それまで色々な方の考察も読みたいと思います。
喪失と受容、命が糧で共生している世界、死生観
めっちゃネタバレしているので、まだ見ていない人は
読まないでください。
生きるとは、命を糧にして他の犠牲の上に生きている、それを日頃意識しているでしょうか。
私はもう人生の折り返し地点を過ぎているので時々己の死や死後を思います…
生きているということは死ぬ存在でもあるという事です。
そして人は他の存在に依存して生きています。
火事から救い出したいと思っていた母を救うこともできず、母にソックリな叔母を母としてその実家の屋敷に移り住む。大好きな母と似ていてでも他人で少しなまめかしくて、手を取られてお腹を触らせられて義母というより、母に似た他人としか思えません。
また叔母が父に後妻に入ると言うよりも…叔母の屋敷に父と入るのは…主人公マヒト目線で見ていると…まるで父を引き込み招き入れた女主の牙城に囲われる様な感覚に陥ります。
マヒトは坊っちゃんのくせに、大勢にボコられた後に自分で大きな傷を作るくらいの知恵があります。奴等と共に行動をしなくて良いという特権を生み出す引きこもりがマヒト。
そう、ここは、
トトロのサツキが…一人っ子の男の子で、
母は生還せず病より酷い火事で亡くなってしまった世界線。
サツキの様に饒舌ではなく、カンタの様にあれやこれや用事を言いつけられたりする田舎の農家の子でもない。おまけに唯一の頼るべき父親の一番は今や後妻になる叔母。
そう、主人公の少年の冒頭目覚めた顔は、アシタカに似た目をしていると思ったけれど…つまりは拠り所を得ていない一人ぼっちの目をしている。(本当は愛され守られているのに。)
パズーのように動くと思ったけど、自律していても、生かされている事に気づいていない目をしている。
多分昔宮崎駿は、女の子のために千と千尋を作ったと言っていたけれど、男の子のためには既にラピュタがあると言っていたけれど、
人との繋がりの中で生きる事を描くために、人との繋がりを拒否して生きている所からスタートさせなくてはいけないと感じて描いた作品なのかもしれません。
火垂るの墓は絶望で終わることにより人に気付きを与えるのですが、宮崎駿は絶望というエンディングではなく、
希望と他者への理解や慈しみを掴み取る冒険活劇を感じてほしかったのではないでしょうか。
セキセイインコ達が包丁を持っていてもどこか可愛らしいというか、悪ではなく、彼らなりの生きる為に行動している様に感じます。
なんだかどこにも悪人はいない、そして、大オジはまるで石に支配されて生きているまるで隠れたところで人を操作している様な気になっている引きこもりの王の様に見えました。
私にはとてもシンプルな映画に見えたのですが、
人によって感じ方は違うのですね。
難解と思う人とはこれまでの生き方がちがうのかな…と思いました。
母は死んだことを苦しんでいなかった、そう思えた事がマヒトにとって大切で、とても母親の存在と最期が子どもにはかけがえのないものだということを感じます。
少なくとも宮崎駿の世代にとってはとても大事でした。親を親ガチャと言われる時代には意味が通じない映画なのかもしれません。
米津が主題歌じゃなければ劇場には来なかったかもしれません。でもとても面白かったです。
タイトルが全てを物語っている
最初のシーンから圧倒された。千尋からポニョからジブリでは登場人物が走る場面が今までにもあったが、一人称視点で描かれたのは初めて見た。街ゆく人は歪み、対して目指す病院の燃え盛る情景は鮮明に目に映る。事前情報の全くない状態でどんなものだろうと考えていたら最初のあの場面で一気に物語に没入させられた。
「ジブリ世界」に行く前、まひとは喧嘩で負け、自分で自分の頭に傷をつけた。彼はどう話したとしても父親が「自分でつけた傷」だと信じず騒ぐであろうとわかった上でそうしたのだ。その傷こそ彼の「弱さ」、「汚さ」の証左であり、大叔父の提案を「自分は汚れているから」と断った所に繋がってくる。
また、ジブリ世界では同じく頭部に傷を持つキリコが登場するが、彼女はその傷について戦ってつけられた傷だとしていて、「強さ」、「勇猛さ」の象徴となっているキリコの傷と、「弱さ」「汚さ」の象徴となっているまひとの傷で対比がされている。
そしてアオサギとは嘘をつかないまひととつくアオサギで対比されている。だが、先述した通り嘘はついていないが「弱さ」が見えるまひとに、アオサギは「弱虫」と煽っている。そしてその後にタイトルの元となった「君たちはどう生きるか」を読んだまひと。まひとはこの本の読前と読後で明らかに行動が変わっている。
この作品はまひとの成長を描いていて、作中で成長したまひとは「弱さ」の象徴である傷を受け入れて、「弱さ」を抱えながら人として現実で生きていくことを選んだ。そんな、1人のまだ青い少年が一人の人として生きていこうとするまでの成長を、一つの例示として描いたのだ。そして、それがタイトルにつながってくる。
「この少年はこのようにしてこの現実で生きていくことを選びました。
さあ、君達はどう生きるか」
もっといい映画はたくさんあります
まずメッセージ性はすごく高いと思います。
各キャラクターが誰を、何を象徴していて、彼らの行動にどういう意味があって、展開、エンディングから監督が伝えたいものは何か。
それを感じたい、考えたい人にとってはとても面白いんじゃないかと思います。
これが漫画や小説だったら私は楽しく読んでいたでしょう。読後感も良いものだったと想像できます。
しかしタイトルの通りこれはアニメ映画であり、わざわざお金を払って劇場で観ていると考えると、私としてはイマイチと言わざるをえません。
開始数分でアシタカは呪われて村を出ましたし、シータは空から降ってきましたし、千尋は名前を失いました。その後の冒険のボリュームとその面白さたるや。
一方で今作の主人公「眞人さん」は、結構お家でグダグダしています。体感、20〜30分でしょうか?もっと?私は辛気臭いという印象を受けました。早く本筋に入れよと。
あとは好みと見方の問題です。
この映画を「冒険活劇」と取るのであれば、この映画はとにかく辛気臭くて、展開とメッセージの出し方が雑です。
冒険活劇はわかりやすいストーリーの裏に、実はそこそこ深いメッセージがある、というものが多いかと思いますが、メッセージが「メッセージ」として結構露骨に描かれている印象でした。もちろん比喩の皮は被ってますが、それが逆に雑さというか、こなれていなさを感じて、私はなんだか悲しい気持ちになりました。
身体が動かなくなったベテランアスリートを見るような感覚でしょうか。。
この映画を「宮崎駿による黙示録」と取るのであれば、お世辞抜きにめちゃくちゃ面白いと思います。特に2回目です。冒頭に書いた通り、いろんなものがいろんなものとして描かれていると思います。
監督の言いたいことはなんだろう?何を表現しているのだろう?
眞人さんのお家での暮らしも、冒険に旅立つまでの過程を丁寧に描いたといえます。
彼の心の動きとは何か。彼の行動や発言が何を表しているのか。
そしてこの映画は何を表しているのか。。
他の方の考察や評価、この映画に至るスタジオジブリと宮崎駿のバックグラウンドを含めて考えるのであればとても面白い作品だと思います。
繰り返しになりますが、これが進めるペースを自分でコントロールできる小説や漫画であれば私は楽しんだと思いますが、これは2時間縛りつけで展開スピードは提供側任せの映画というコンテンツです。
キャラクターの顔も、情景も、音もスピードも、全て決まっている中で、出てきたものに対して私はあまり良い印象を受けませんでした。
同じ条件下で存分に楽しませてもらった他の映画や、私が大好きな過去のジブリ作品と比較したら、「つまらない」という感想になります。
誰にでもわかるエンタメの中に深いメッセージを隠すのがかっこいいと思ってるので、この作品は好きではありません。
メッセージを無理矢理アニメ映画の形に押し込んだようなものでした。
まあ、何を求めるかによります。
考察等々を読んで2回目見れば面白いのではないでしょうか。
うーん
観てすぐの感想
うーんわからない 正直つまらない
序盤の火事のあたりは描写もすごくて良かったけど、
途中から映画というより絵画を見てる気分だった。
要素要素に宮崎駿の人生が詰まってるとは感じたけど、
それがストーリーと結び付かなくて作品としてなにが伝えたいのか分からなくて難しいと感じた。
劇中で主人公が『君たちはどう生きるか』を読むまでと、読んだ後からの描写が本当に違った。
でも、よく考えたらあえてそうしてるとしか思えない。
あの館に入ってから、どんどん物語が分からなく、つまらなくなっていった。
主人公は自分の意志というより周囲に流されてるようにみえるし、
突拍子もなく新しいキャラクターが登場してくるのもよくわからない。
あの世界は壮大な絵画のように美しいのに、単調でつまらなかった。
なんでそう描いたのか、わかるためにもう一度見たい。
*2回目鑑賞したので備忘録
わりとシンプルな話だった気がする!1回目のときは映画に人見知り?してたのかも。スッと入ってきた。
もしかしたら自分が大人になってあれこれ考えながら見てしまってただけで、子供はすぐに理解できるのかも。
読書してからあきらかに主人公が変わってるし、行動力もあった。ごめん。
何度見てもたぶんこの読書のシーンが映画の中で一番好きかもしれないな。
火事のシーンと産小屋のシーンはやっぱり描写がすごくて良い意味でアニメーションを見てるなと感じた。
夏子さんが大っ嫌いと言ったことだけが引っかかってる。夏子さんの言葉というより、真人の言葉だと思った。
直前の会話で真人は夏子さんのことを「母親じゃなくてお父さんが好きな人」って言っていたからこそ「母さん」と呼ぶ変化が心に刺さる。
アオサギは初見はただ怖くて気持ち悪いだけに思えたけど、だんだん愛着がわいてくる。いつのまにか芽生える友情も理屈じゃなくわかるって感じがする。
記憶がある真人に対して、マズいよ。でもどんどん忘れてく。あばよ友達!的なこと言ってたのすごい好きだったし切なかった。忘れちゃうんだ。
ジブリ作品は子供の時におきた不思議なできごとはぜんぶ忘れちゃうことになってるので、自分にも忘れてるだけで不思議な冒険をしたことがあるのかもと思わせてくれる。
冒頭のタイトル『君たちはどう生きるか』が出るシーンで流れる音楽が挿入される箇所に共通点がありそうで気になってる。読書のシーンと、石が崩壊するあたりのシーンで流れてた気がする。
大叔父様は謎なんだけど、あの世界はやっぱり綺麗だった。鳥たちも天国だ〜みたいなこと言ってたし。だからこそ、そんな楽園のような場所じゃなく現実の、戦争が起きてる自分の世界に戻る選択をするのが対比になっているのかな。
綺麗だけど、ひとりで寂しそうだったな叔父様。
真人は友達を作るって言ってた。えらい。友達なんかいらないと思ってただろうに。
あともう1回くらい観ておこうかな。
たぶんファンタジーだって知ってから観たら見え方が違う気もした。
いまの私がみるべき映画だった
今私は2ヶ月前に初めて出産したばかりだ。
とても応援された気持ちになってしまった。
宮崎駿が作ってきた世界は今までとても美しく可愛く強かったが、本当はこんなに不穏で気持ち悪いものだったんだよって提示し続ける。
そのなかでいつも以上に可愛く描かれる、白いわらわらは赤ちゃんの産まれる前の姿だと思った。妊娠初期のとても小さい頃とか。産むまでの葛藤がペリカンに見えた。食べてしまうペリカンにも悩みや正義がある。
いつもなら母性で包んでくれた、母は協力してくれるが少年というかただの人のようだし、完璧なものであるべきとか外から主張するインコはいるけれど、主人公は傷ついていても自分とは違う変な友達がいてそれでいいと言う。そして完全なる世界を変える力はなくたって、みんなその白い欠片は持っているのだ。過去の分岐を変える必要はないと母とババアは言う。
世界と母性と無垢さを美しく書いてきた人が、そうじゃなくてもいいって言うときに、可愛さや綺麗さを残してよかった、美化ではないのしたのは子宮と胎児だけなのかもなぁ。(あの庭は子宮で痛みは陣痛だろう)
現実に戻ったら、外部から小言を言うインコはとても小さく可愛くなっていた。禁忌なあの部屋は生まれる前の生命をいじることだろうか。
次の世代を産む人を励ます映画だった。
いや、まぁ、こう見えちゃったけど、別にそうじゃなくてもよくて、エンドロールで泣いていた私は勇気をもらったので感謝をどこかに書いておかなければとアカウントを作った。
いつか子供にこの映画の意味がわかる人間になって欲しい
レビューをみて心配しながら娘と鑑賞。
結果、最高に面白かった。夏休み中、もう一度家族で観る約束をした。
小説を読む子なら小学生でも理解できる映画。が、昨今の読みやすさに特化したものしか読まない子(我が子)には後妻と母親の関係など直ぐに理解できない場面もあったようだが、そこはジブリ。十分に楽しむことはできたよう。
ミレーの種をまく人や他ジブリ作品を彷彿とさせるような映像美も楽しめる。
尚、たまに絵本のよう、と下げる意味でのレビューを見るが、いやいや絵本て凄いんですよ、と声を大にして言いたい。
後ろの席の小学生男児は終わっていの一番「面白くなかった!」と大きな声で叫んでいて可愛かったw彼のご両親も「ほんと意味わかんない」などと仰っていたので、映画に求めるものが違うと、確かに星イチも有り得る映画。
小さい子は、200分座り続ける事自体が難しいかもしれない。
題名の通り「どう生きるべきか」を少しでも考えたことがある方なら年齢に関わらず楽しめるし、今はまだ理解しきれない娘にも、後々この映画や原作が糧になることを願っている。
因みに映画2本分位の言いたい事詰め込んだよ、なボリュームでお腹いっぱいにはなるので、私はcospaの面でも大満足である。
が、これも確かにゴチャゴチャしてると感じる人もいるかもしれない。
君が、誰か他者ではなく、君自身を生きるヒントにと
作られた映画、届けられた映画。
そういう感想を持った。
この映画のタイトルは『君たちはどう生きるか』だけれど、1937年出版の吉野源三郎の著書とは別物だ。
敢えて、『君たちはどう生きるか』としたのは、「この本は今、若い人たちに再び手に取られて、読まれなければならない」と宮崎監督が強く感じたからではないか。
かつて「君たち」の一人に過ぎなかった宮崎駿少年と、少年眞人が、この本から受け取ったことはあまりに大きいのだろう、もしかするとこの現実世界を生きていく「よすが」となるほどに。
大きいからこそ、具体的には描かれなかった。そこは描いてしまいたくなかったのだ。
この映画をキッカケに実際に読んで、受け取る体験をするよう願っているのではないか。
大叔父の塔が崩れたのは、「誰かが作り上げた虚構の世界」、もしかするとアニメーションの創作群、それらよりも「君と一冊の本」との結びつきのほうが素晴らしいんだよ、人生にはよっぽど大事なんだよ?と諭す寓意があるのではないか。
本当に素晴らしい一冊との出会いがあれば、(眞)人は生きていける。
大人たちが性欲のまま動き淡い想いを踏みにじり、かと思えば独善だったり人生のレールを敷いてくるような醜い世界であっても。
他者の悪意や冷笑も、自身に渦巻く悪意も、どちらも制御不能であっても。
それが一番言いたいことなんじゃないかと受け止めた。
その他思いつくままに書き留めると…
・思いもかけず関わってくる他者も、なんだかんだと行動や時間を共有し交流することで情が湧き、もはや無関係ではいられないし、友情や絆のようなものだって生まれてくるだろうこと。
・自分の手を動かして、ナイフで削ることで武器を作れること。だがコツを掴むまで練習しないことには、その物は道具や武器として用をなさないこと(アオサギを射抜こうと弓矢をこしらえる場面)。
・人と、自然という「異界」との親しさは、里山的、田園風景的な(自然)環境の中でしか育まれないこと。
・男性にとって、母親は永遠に「はじまりの女性」なのだということ。
・威圧的な他者(インコ王)、神のような存在(大叔父)がruleする世界は、所詮は他人の「世界」であってそれは「君自身」がゼロから関わった世界ではない。 それを譲り受けるのではなく(それは例えば「とても流布した他者の見方」をそのまま信じることにもあてはまる。そうするのではなく)、未熟でも不完全でもとにかく君の実感、思うままに重きを置くこと、信じてみること。
君自身オリジナルの内的世界(観)を少しずつ築いていくことのほうがよっぽど価値があること。
この荒々しい、悪意に満ちた世界にあって、それは簡単ではないとしても。
私が勝手にそんなメッセージ、思いを宮崎監督から受け取った。
なので、この映画に関するいくつかの考察を検索やTwitterで読んでからも
「いやいや、自分はこう思うね」
とどこかに書いてみたくなりました。
眞人は部屋を出た。
私も「君たち」の一人として、「どう生きるんだい」、その監督からの問いかけに、まずは書くことで答えてみたくなった。
この先も、この映画を見たから出力された行動、動いてみようという衝動が、湧いてくるかもしれない。
私にとってはそんな映画。
いつもの、 ぶっ壊せ。自由に生きろ
本当に、いつもの駿です!!
ナウシカ原作組や、もののけ姫ガチ勢、駿ヲタにしか気付かれなさそうな比喩が沢山あります。
観ようによっては唯のファンタジー。
2行目にあたる人々は立派な駿ヲタなので大丈夫です、トトロやラピュタを想像してる人は止めておきましょう。
詰まるところ、いつもの、
先人達の作った都合のいいルールなどぶっ壊せ。自由に生きろ。というメッセージ。
表現方法は、今までの作品の総括で、芯は同じもののオリジナルでありながらそれとは違う進化を遂げています。
特に序章の炎表現なんかは息が詰まる程の衝撃を受けました。最初こそ母親を亡くすショックや戦禍の凄惨さをぼやかしつつ爆撃等の恐ろしさを伝えているかと思ったけど、アレはその程度では無かった。国を失ってしまう、やるせ無さ、痛み、苦しみ、恐怖、のような、激情の二重表現だった。
最近よく見かけるジブリ好きすぎて影響受けたりパクっただけの作品とは一線を画し、強烈な宮崎駿というオリジナリティを感じられて幸せでした。
個性の嵐に打たれた衝撃、これだよこれ 宮崎駿に求めていたのは!
まるで攻殻機動隊の笑い男、ライ麦畑でつかまえてを体現したようでした🌾
最後にジブリの大将として
グッズ化されるであろうキャラクターが沢山🤣ぬい化を待っています笑
以下、
▼比喩設定📝メモ
※個人の解釈です。
・青鷺=嘘つき、戦後の天皇、弱点は第七の羽🪶つまり現日本国憲法第7条(国事行為について内閣の承認が必要)
・母親(火の使い手)=火の国、母国、戦争により死亡
・新しい母親(母親の妹)=敗戦後GHQによって作り直された現日本国 、義母とは呼んでない多分、新しい母親、色々な制約や悪意あるしがらみにより病んでいて子を産みたくない(継がせたくない)、白い絡みつく紙はそれらの比喩、囚われ身動き取れないでいるところを主人公(未来ある若者)によって解放される
・舵輪柄の女性(お婆さん、黄色)=真の意味で自立した人間、黄色は自由と幸福、自分の意思で動き地を踏みしめて歩ける人
・帆船(↑の舵輪柄の女性も含む)
自分の意思で生きている人達、風来坊、荒波に揉まれ彷徨い沈む船もある
・帆船にのる黒い影の顔無し集団
社会の集団として生きる人達、集団で漕ぐ船は大きくて安全、でも自分たちで獲物を狩れない(判断できない?もしくは判断できても動けない)意思や個性の表れである顔が無い
・ペリカン(何でも食う、死人)=他人を未来の子供達すらをも食いものにし暴利を貪る人間、または無自覚に誰かの犠牲の上で何も考えず生かされている人間、望んでなくともそうなってしまった人間達
※ ペリカンが火を恐れる理由が分からないから違うかも→一応、生者を貪り生きる亡者なので単純に光が嫌いor亡者(悪意ある老輩)たちにとって戦前の日本が眩しすぎるとか戦争がトラウマ???
・墓の主=神、天皇(昭和天皇を含む以前の)
・ワラワラ=受精卵😂未来の子供達、臓が好きとか生々しいんよ…👌👈
・インコ(外来種、日本国民が国内に連れ込んだもの、駆除された日本烏🐦⬛に取って代わり増殖し放題、現在の空王)=戦勝国、軍事主義者。日本に生まれる子は準植民地の労働力として育てる為、子を産む新しい母親(戦後日本)を食え(潰せ)ない。母親(戦前の日本)と主人公(現日本国の若者)は御馳走😋大好物💰搾取するのみ。
・大叔父=先人達、日本を創ってきた人達
・積み石の石=先人が積み上げてきたもの、日本国憲法や社会システムなどの一つ一つ
・積み石=不安定でギリギリ生きながらえている、明日には崩れるかもしれない、というかすでに壊れて始めている歪な日本社会
・インコの王様(ストーカー監視、破壊者)=戦勝国のリーダー、アメリカ合衆国🇺🇸。大叔父(過去)から主人公(未来)へ渡すはずだった善意の積み石🇯🇵を積み損ねて一刀両断にした、結局王様以外のインコ(軍事主義者)は生きていけず普通の姿に戻り現世界に戻った。共存しているとも言える。
・主人公=君たち、日本国民。悪意も善意も持ち合わせた未来ある若者たち、悪意ある石を見分けられる
・父親=王配、もしくは盲目的に天皇を信じる人達、男は馬鹿だねってのが駿の持論なとこある。
※念の為、私個人は天皇の存在を支持します。
普通に面白かった
初日鑑賞後にぼろ泣きしてる人のインタビュー映像見てどんなもんかと鑑賞。
時代設定が戦時中だったんで火垂るの墓的ヘビーな内容だったら嫌だな〜と思って若干萎えてたら、疎開先の継母(母の妹?)屋敷で不気味な青鷺にチョッカイかけられ、さらに後妻の失踪をきっかけに空から降ってきた不思議な塔の鏡の国のアリスとダリの絵みたいな怒涛のファンタジー展開で安心した。
基本色々と説明がないので深く考えたら意味分からんだろーと思い何も考えずに見てたんで楽しめた。
色々隠された意味やら象徴があるんだろーが一回見て全て理解はできないと思う。
おそらく岡田斗司夫が考察やら解説してくれるだろーからそれを見てからもう一度見ようと思った。
君たちはどう観るか?いや鑑賞レベルに達していない…残念!
映画やアニメーションを製作して仕上げる人達には尊敬を致しますm(_ _)m
そしてその内容がどうであれ、やろうとして取り組んだ姿勢には頭が下がります。
今作の宮崎駿作品は確かに冒頭のシーンの動きや演出は目を見張るものがあり、流石と思いましたが、後半につれてあれ?あれ?と
変わってゆき…最後は過去作を取り混ぜたような脱出劇的なアプローチで斬新さは感じませんでした。
まず、なぜ何故火事が起きたのか?
隕石はどういう類のものなのか?
祖父ではなく親戚の大叔父に設定した意図は?
鳥ばかり出てきたが火の鳥のオマージュ?
塔の世界とその下の世界の規模の差がありすぎて…個人レベルなのか地球レベルなのか設定がよく分からず…などなど
疑問だらけで鑑賞終わりました。
極めて身内レベルのお話で冒険活劇とは言えず、それならそれで予告があれば良かったのですがあまりにも狭い世界の物語になっていて感動というものは得られませんでした。
よく言うカタルシスが設定されていないのも監督とスタッフとの意思の疎通が計れず訳の分からないことになったのでしょうか?
例え今作がエンタメでも、そうでないシュールで個人的なイメージの世界でも僕としては受け入れてやろうと劇場に足を運びましたが、結果としては全体に不完全燃焼であり
シナリオも起承転結が散らかっていて
タイムループだとしても伏線すらチープなものになってしまい、乱暴に言えばシーンの組み直しや展開の演出次第ではそこそこの完成度には持って行けたとも思いますので構成スタッフ、演出スタッフの技量も足りなかったのかも知れません。
試写で監督がOKを出していたのかと思うと余計に疑問符が続いてしまいます。
これで前衛アニメーションとか言われても違うと思いますし、総集編だと言われたらあーそうなんですか。で終わっちゃうのでそれは全国ロードショーで広くお金をいただいて上映するよりもインディーズで良かったのではないかと思います。
未来少年コナンやナウシカのあのパッションは素晴らしかったので逆に今回がっくり来てしまいました。
リベンジで次回あともう一度完成度高いものをお願いしたいところです。
宮崎ワールドに入り込めるか
2時間があっという間に終わってしまう、宮崎ワールド全開の映画だと思いました。前知識ゼロだったので、始まるまではすごーく不安でしたが、なんてことはない、始まったらあっという間に引き込まれて、中だるみもなく終わりました。
終わりかたも尻切れ気味?な気がするし、あれってナンだったんだろう・・なんて部分もあちこちらにあります。けど、なんか、いろいろもやっと考えながら家路についたのって、そう言えばラピュタやナウシカを映画館で見た帰りがそうだったな、となんか懐かしい気分になりました。また、この作品、エンドロールにテレビ局やら広告代理店が出てきません。出てこないと、こんなにもスッキリするもんなんですね。マスコミさんの名前なんて、見る側にしてみたら全くいらない情報なので、これは本当に好印象でした。いらない情報が出てこなかった分、声優が誰だったのかなど含め、エンドロールをきちんとみたりと、自分のイメージとのすりあわせを始めることができました。
今の若めの世代に宮崎さんの世界観が刺さるかは、微妙かも知れません。なので、賛否両論 あるのだと思います。ただ、私は宮崎さんの作品はこれで良いと思います。マスコミを使わない分、宮崎さんの自由度が格段に上がると思いますし、マスコミを使わない選択は、ジブリしかできないやり方だと思います。次回作以降も是非続けてもらいたいと思いました。
まずは、冒頭のマヒトが母の病院へ走って向かうシーンが鳥肌モノです。...
まずは、冒頭のマヒトが母の病院へ走って向かうシーンが鳥肌モノです。映像がとてもきれいで、さらに人の死が伝わってくる描写、その最初冒頭何分かだけで、映画の世界に引き込まれてしまいます。
物語はマヒトが母を失ってからはじまります。マヒトは母を失ったことで自暴自棄(?)みたいなものになり、生きる意味を失ったんだと思います。その証拠として自分の頭に石を叩きつけるなどの、自暴に走ったのだと思います。しかし父親は新しい妻ができたりと、マヒトとは真逆です。そんな父親にマヒトは不信感を抱き、新しい母(ナツコ)にも敵対心を見せます。そんなマヒトが異世界へ飛び冒険をします。最終的な異世界の王から「この世界の王を受け継いでほしい」と頼まれます。異世界には若き日の母が生きており、現実世界よりも幸せのはずです。最初のマヒトなら承諾していたかもしれませんが、マヒトはアオサギやキリコさんなどとの冒険により成長したことで、母がいなく、これから火の海になる現実世界に生きる決意を決めたのだと思います。最後の「東京に帰った」というのはその後もちゃんと生きたんだと示したのだと思います。
物語中盤にでてくるインコは、勝手な憶測ですが現実世界の「大衆」だと思います。マヒトや若き日の母は異世界では人間です。それは今の現実世界で言ったら「才能のある人」たちと考えます。それを喰おうとしてるインコは才能のあるものを潰してしまう今の現実世界の「大衆」に当てはまると思います。
この映画は本当に難しい映画だと思います。鑑賞中ずっと考えて見ましたがなかなかわかりませんでした。でも映画は「観客が想像して最後のピースをはめるもの」と僕は考えるので、本当に面白い映画でした。
Y××ooのレビュアーたちはどうイキるか
2023年映画館鑑賞40作品目
7月23日(日)イオンシネマ石巻
6ミタ0円
監督と脚本は『ルパン三世カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』『紅の豚』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』の宮崎駿
原作はあくまで宮崎駿
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』はタイトルを借用しただけで中身は全く違う
だからコペル君は登場しないし子供に刺激を受ける無職のおじさんは登場しない
時代は大東亜戦争の日本
母を火事で亡くし父と共に東京から母の実家に引っ越してきた牧眞人少年
父は母の妹と再婚し継母は孕っていた
アオサギの手引きで母の実家屋敷の裏にある廃屋の塔に入っていく牧少年
天から降ってきた物体を大叔父が塔で囲ったのだ
塔の下の世界は異次元
海がありペリカンが人の言葉を喋りインコは擬人化していた
母は少女の姿で大人になった姉を姉だと認識していた
ばあやのキリコは若かった
大叔父は行方不明になり母も子供の頃行方不明になったが一年後帰ったきた
継母は孕ったまま塔の下の世界に
帰りたくない
牧少年が嫌いだという
なんだかよく訳のわからない話だ
単純明快を好む頭が硬い人には向いていない
幻想的な世界は好きだ
令和の不思議の国のアリスだ
あっちは夢オチだけど
全く宣伝をしなかったのはそれだけ宮崎駿に自信があったのだろう
宮崎駿の新作アニメ公開ってだけで十分だと
だからといって宮崎駿の方針を曲解し事前に情報を一切シャットアウトして鑑賞に臨むのは愚かなことだ
声優のメンバーを教えられただけで「ネタバレ」などと抗議する人たちにいたっては笑止
有吉の反論は概ね同意
声優が有名俳優ばかりなのは宣伝無しの保険だというトンチンカンな記事を書く信じられないほど無知なライターが世の中には存在するが実際はまるで違う
宮崎駿は声優専門の人たちの声が嫌いだからだ
「おヨーグルトですわ」みたいな人たちは宮崎駿の世界観にそぐわない
あとアオサギの声に菅田将暉くんのようなイケメンがやるのはちょっと抵抗感
ああいうのは大泉洋でいいんだよ
それにしても口の中にまた顔があるあの気持ち悪い生物はなんなの
ブラックジャックに出てきた人面瘡の一種かな
あれは殺人鬼の良心だったけど
声の配役
母ヒサコを火事で失い父と共に東京から田舎に引っ越してきた牧眞人に山時聡真
体内から火を出し花火を打ち上げたりするなど武器とするナツコの姉の子供時代のヒミにあいみょん
下の世界で漁師をしているキリコに柴咲コウ
シュウイチの再婚相手で孕っている夏子に木村佳乃
眞人の父で軍需工場を営む勝一に木村拓哉
塔の中で行方不明となり本の読み過ぎで頭がおかしくなったといわれる大伯父に火野正平
セキセイインコたちのリーダー格のインコ大王に國村隼
ヒミの花火で瀕死の重傷を負う老ペリカンに小林薫
ばあやのあいこに大竹しのぶ
ばあやのいずみに竹下景子
ばあやのうたこに風吹ジュン
ばあやのえりこに阿川佐和子
上の世界で人間の赤ちゃんになる魂のような下の世界の生き物のワラワラに滝沢カレン
塔の中の世界に誘う案内人のアオサギに菅田将暉
「魂の物語」として素晴らしい
宮崎 駿監督の「君たちはどう生きるか」を息子(小5)と観てきました。上映中息子が何度か横から「おもろない」「つまんない」と囁いてくるのを、「まあ、まあ」と宥めつつの観賞でした。
さて、私個人の感想としては、一言で言い表すのは難しいですが、「自分の奥底で、深いところで、頷くものがあった。」です。
私はラピュタやトトロなど、同監督の初期の作品が大好きです。子供の頃に観たこれらの作品は、セリフを憶えるぐらい繰り返し観るほど私を魅了し、その後の私の人生に多大な影響を与えたと言っても過言ではありません。
それと共にもう1つ、私の人生に大きな影響を与えたものがあります。それは、心理学者の故河合隼雄さんの著作と、そこで紹介されていた様々な児童文学の作品です。河合隼雄さんの著作に「子供の本を読む」と「ファンタジーを読む」という2冊があります。河合隼雄さんは「心」と「体」とは別の領域として「魂」というものの存在を仮定して、人の在りようを考えた方ですが、上記の2冊の中で魂を描いている作品として様々な児童文学を紹介されています。そこにはジブリがアニメ化した作品が「ゲド戦記」も「床下の小人たち(ジブリでは借りぐらしのアリエッティですね)」も「思い出のマーニー」も紹介されていたはずですし、「耳をすませば」のパンフレットでスタッフの方の好きな、あるいはオススメの本として紹介されていた「トムは真夜中の庭で」もありましたので、ジブリとこうした児童文学の関係は密接と言えますし、河合隼雄さんがよいと思われた作品との共通性は否めないものがあります。実際、宮崎駿さんと河合隼雄さんは対談などもされていましたので親交があられたのかなとも(詳しく存じ上げませんが)思います。
私はこの河合隼雄さんの著作で児童文学における「魂」の描かれ方について慣れ親しんでいたためか、今回の「君たちはどう生きるか」は、とてもしっくりと「魂を描いた物語」として観ることができました。そこには、私の忘れられないいくつかの夢で見た景色があり、昔この世のものとは思えない美しい海辺に立った日に感じた風があり、深く感動した児童文学の世界があり、16歳で突然逝ってしまった友人がいた。そういう映画でした。「魂」の世界を描いているのですから、その領域で観なければ訳が分からないのは当たり前だし、難しかったりつまらなかったりしても当たり前かと思います。この映画は主人公の傷ついた魂が癒やされるまでの物語とも捉えられるし、映画全体のストーリーが、宮崎駿さんの魂のお話と捉えることも出来ると思いましたが、(ここで言う「魂」は、「心」とは異なります)この物語を映画という形で作ることを可能にした宮崎駿さんの才能や経済的条件、関わったクリエイターさん達の素晴らしい力、鈴木プロデューサーの理解など全てに拍手を贈りたい。
そもそも、魂のお話というのは、商業的な視点とは相容れない部分がある、ましてや尺も決められ、観客動員数も気にして作る映画などという媒体でそれを作るのはかなり難しいと思います。その難しさは、これまでのジブリ作品で随分感じたところです。魂の世界の出来事は、例えば今回の作品で出てくる石の数が13であることに、いろんな方がいろんな考察をされていますが、魂の世界でそれが13と決められる時、それは作り手が何かを意味して13と決めるのとは違って、魂が13でなければいけないと言ってくるようなものです。それはその魂の器である人でさえ、その理由がわからなかったりします。実際に宮崎駿さんが石の数に意味を持たせていらしたかはわかりませんが、魂の世界のことを例えて表現するならそういうことだと思います。また、魂の世界のことを商業的なものを意識して改変するということをわかりやすく言えば、誰しも不思議な夢ぐらいは見たことがあるかなと思いますが、その夢の中で例えば白い衣の老婆から石ころを渡されたとしますよね?その夢の体験が意味もわからないけど、深く感動して目覚めたら涙が出ていたとして(何らかの魂の体験)、それを作品にする時に、「老婆に石ころじゃ売れないよね」なんて、美しい少女に青く光る石を渡されるように変えてしまうことが、いかに魂の世界から離れてしまうかということだと思います。
そういうのが、「君たちはどう生きるか」には、だいぶ少なかった。それが素晴らしかったです。売れることを目的にしたら実現しなかったはずです。
ですので、この作品の中に出てくる物ごとや台詞を、こういう意味だと考えることはあまり意味がないのかも知れません。それより自分の中の魂の世界とリンク出来たら、深い体験になる映画ということかも知れませんね。
それでは、なんの意味があるの?と思うかも知れませんが、私は魂の物語として必然的に描かれたシーンが沢山見つけられたし、些細なシーンにも魂が癒やされていく過程で意味あるエピソードとして宮崎駿さんが描かれているのを感じましたので、とてもわかりやすく感銘を受けました。
これまでの作品で見たことがあると感じた数々の場面を、焼き直しと捉えた方は沢山あるかも知れませんが、
私にはそもそも宮崎駿さんの中には「君たちはどう生きるか」で描かれた魂の世界があり、これまでの作品にそこから切り取ったものを入れて来られたんだなと感じます。だから、全くそれは気になりませんでした。
だいぶ前から宮崎駿さんは、魂の世界を描きたかったのではないでしょうか?でもそれは映画としてのエンターテイメントを考えたら難しかった、その葛藤の痕跡があり、思いに反して観客にわかる受ける形にしなくてはいけなかったという悲鳴が聴こえていたから、自分はハウルとポニョは違和感が強いということかなと、今回の作品から感じところです(あくまでも、個人的な感想です)。そのあたりの作品では、「人にしたいの?キャラにしたいの?」というのが掴めない登場人物や、これは何かを示すためにだけ描かれているような登場人物だなと感じたことがあり、違和感がありました。
今回はそうではなく、主人公が生きている現実世界での周囲の人達の、主人公に対する愛や思いやりが(それが正しいかそうでないかとは関係なく)きちんと受け取れました。魂の世界に引き込まれていく人が現実世界にちゃんとよい形で帰還するためには、ここをきちんと描かないといけないんだということをよくわかって作られていることに安心しました。千と千尋やハウルでの親の描かれ方ではなかったです。そして、親だって一人の人として苦しみ悩み生きている存在であることをこの映画の登場人物から感じ取ることも出来ました。理想の親を体現するキャラクターでも、現代的な親の何かを象徴させるための登場人物でもなかったです。
長々と書いていますので、鬱陶しく感じられる方もあるかも知れませんが、今回の本作を通して、魂の世界を描いた素晴らしい児童文学の作品に再び光が当てられるといいな、最近書店から消えつつある作品もあるので、そう思います。
もし、児童文学の中の魂のお話なんていうのに、なんぞや?と思い、興味を持たれる方があったら、是非河合隼雄さんの著作を読んでみられるとよいのではないかと思います。
1つだけ、「君たちはどう生きるか」に物足りなさを感じるとすれば、それは非凡な感じがしなかったということでしょうか?もし仮に私が魂の物語を作れと言われたら、勿論こんな完成度にはならないですが、ざっくり同じような構成で同じようなストーリー展開のものを作るだろうなと感じるところです。そのぐらい古典的でオーソドックスな「魂の物語」の雛形みたいなところがありました。ですがそれでも、これをアニメーションで作ったことの意味は大きいし、それは宮崎駿さんの晩年でしかなし得なかったかもしれないと思います。
そして、改めてアーシュラ・K・ル=グウィン(「ゲド戦記
」原作者)や、ミヒャエル・エンデ(「モモ」や「はてしない物語」作者)、フィリパ・ピアス(「トムは真夜中の庭で」作者)といった素晴らしい児童文学を生み出した方々の類まれなる才能に脱帽する次第です。これらの作品を読み、クリエイターとしてこんな素晴らしい作品を自らも生み出したいと願った純粋な監督の情熱が、「君たちはどう生きるか」から垣間見える気がしました。
ある種の方には共感を得られる感想だといいなと思います。
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