君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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きっと思いは伝わる
前半少し退屈してしまった。後半退屈しなかったが意味が分かりにくいと思った。でもまた観たいと思った。多分必然的にこの様な輪郭の朧げな、でもどこか未来を感じる映画になったのではないでしょうか。興行成績とか評判とか関係なく、ただ思いを伝えようという感じが伝わってきたように思います。具体的に理解する映画ではなく、全体として色々なことを感じる映画なのかなと思いました。今の答えのない、戦争を身近に感じる時代、ジブリ的な一つの表現なのかなと思いました。※出来れば何度か観て、自分なりに本質を見出してストーリーを具体的にイメージ出来るレベル(次元)に行きたいです☀️
子供は最初の30分に耐えられるか?
公開初日に鑑賞できました。平日だった為席数にもゆとりがあり、大人の方が多かったです。↓以下ネタバレ、物語のざっくりとした説明と個人の感想あり
最初は戦争、焼夷弾がいくつも落ちてくるシーンから始まります。階段を駆け上がり、駆け降りる臨場感、外の景色、火の粉。これぞジブリ!!と感動しました。
以降主人公が大切な人を亡くして(母 父親が再婚し引っ越しをするところから物語は進んでいきます。ここでポスターの表紙になっているアオサギが出てきます。
そして引っ越し先で再婚相手の義母さんがいなくなってしまい、その義母を探すために異世界のような空間に迷い込みここからやっとファンタジージブリに突入します
(アオサギは異世界の案内人のような役です
現実感の緊張感が続くので、ラピュタやトトロのような、最初からワクワクするようなストーリー展開ではありません。ここまで見るのに子供は少し退屈かなぁ?と思いましたので題名に30分耐えられるか?にしました。
異世界に突入してからは、景色や風景の細かさがたまりません。あーこのシーンはあの作品みたい、ここはあの作品みたい。そして食べ物はやはりどれも美味しそう!笑 ツタのある家の壁を登るシーンはこれぞジブリ…とワクワクしてみていました。
ゆるゆるなキャラも出てくれば、馴染みのあるおばあちゃん達も沢山出てきますし、声優は豪華だし、2時間あっとゆうまでした。
ラストシーンだけ え?あれ?急に終わり?え?とゆうなんのラスト感もなく終わるのでもう少し周りにある家具や風景を観察したいと思いました。
いろいろな事を書きたいのですが、まとまりがなくなるので、あとは是非劇場で見ていただければと思います。
印象に残っている動物は、カエルとインコです。
個人的にジブリは何回も見て、何年も見て、年を重ねてまた見て、新しい発見や昔とは違う捉え方をして楽しむ作品だと思っています。2度見た時はきっと違う気持ちになるでしょうし、何年後かに見ると新しい気づきがあると思います。是非最初にこれこれー!と宮崎駿を味わってから、じっくりゆっくり時間をかけて物語の全貌を知っていきましょう。
今ひとつ残念
君たちはどう生きるか
まだまだはっきりと言語化は出来ませんが、「悪意のない石を世界のあらゆるところへ行って探し出してきた。これを使ってお前がもっと平和で優しい世界を作れ(セリフはうろ覚えです)」という台詞には思わず涙腺が緩みました。
作者が作品に込めた思いなど視聴者の思い込みでしかないですが、今戦争や暗い出来事で揺れ動く世界で、子供達への一縷の望みが、監督の切なる願いが込められているように思われました。
そしてこの願いに自分は悪意のある人だから、と断る主人公。この異世界で出会った人達のような友達を作って暮らしますと返すその平凡でささやかな願い。
誰も無垢なまま完璧で完全な世界は作れないけれど、手の届く範囲くらいは信じたり許したりして生きていきたい
そんな気持ちになりました
答えはない
まず大前提に、ジブリ作品の中でもトトロや魔女宅などの過去のファンタジー要素が強めな作品が好きな方にははまらない方も多いと思うし、幼い子もいる家族で楽しめる作品ではない。
みんなが楽しめるわかりやすい一本道のストーリーが観たいなら、鬼滅の刃やコナンでも見た方が楽しめるだろう。
制作者側も観た人全員が面白いと思える物を作っている訳ではないのは間違いない。
私がこの作品を面白いと思えたのは、自身が幼少期から触れてきたジブリ作品を視聴した経験と現在の自分の境遇にあると思う。
主人公に投影したのは、幼い頃の自分の価値観や感覚、そして年月を重ね人の子の母親になった私は周りの登場人物の話している意図や感情に感情移入することが出来たし、涙が出たシーンもあった。
何より作画や音楽から得られる幼い頃からのジブリ世界感への没入感は何にも変わっていなくて、正にジブリからしか得られない栄養があると言った感じ。
一度観ただけでは噛み砕けない、だけど何度か観たら自分なりの答えは見つかりそうなそんな映画。
原作は未読だけど、これを観て読んでみたいなと思った。
金字塔という重力から逃れられるか?
宮崎駿監督の人生そのもの
宮崎駿監督が興行収入とか気にせずに、今好きなように作ったらこうなるんだろうな、と思いました。見終わった後、ほとんどの人が「なんか凄い気がするけど、意味がわからない!」となりそうな作品。
私が思うに、おそらくこの映画に伝えたい想いなどはないんだろうな。と。
宮崎駿監督の生い立ちがかなり近しく映画に反映されているところを見ると、自分の半生を走馬灯のように思い出しながら、ご自身のやり方で自分の人生を表現なさったんだろうな、と思います。
あの時声をあげればよかったな、とか。
母への想いとか。
そういう自分の後悔から大切にしていたことまで、走馬灯や夢のように自分の人生を回想してらっしゃるんっだろうと思いました。過去や未来やあの世やこの世がぐちゃぐちゃです。
そのぐちゃぐちゃな世界が、燃え上がる炎、人混みを走り抜ける臨場感、大群で迫ってくる鳥の不気味さなどさすがな表現力で描かれているので見る方はただ圧巻。
きっと一般ウケはしないし、その意味で予算も見込めないし、、だけど人に受け入れられる物を作りたいわけではないし、ということでこのような宣伝手法になったのかな、と思います。
この映画の積み木や鳥などの細かなイメージに意味はないのではないでしょうか。
監督の中にある人生においてのそれぞれの概念に一番近いものをはめ込んでるんだと思います。アート作品のような、ぼんやりと作者の内面を感じる。
伝えたいメッセージも具体的なものとしてはないような。。。。
あるとすれば感受性が豊かな壮大な人生を見せつけられて、その上で、
「君たちはどう生きるか」という問いかけです。
宮崎監督、こんな映画を作れてよかったですね!!私も見られてよかったです!!
最後に、声優で参加されていた菅田将暉さん、すごかったです。
ゾッとする不気味さもありつつチャーミングさもあって。
すごい役者さんだな〜
〇〇の子は宮崎駿自身であり作品の後に宮崎駿の人生が続いている
…追記&余談……
宮崎駿の生い立ちから、ラストに登場した夏子が産んだ小さな男の子が宮崎駿だと考察しています。
この物語は主人公の少年が大人になる物語であり、本当の母との決別、新しい母を母と認め、自らの過ちを受け入れ大人になる物語でした。
物語で中盤に生命の誕生についてあれこれ説明があり、わざわざその内容を入れている点や、身ごもっている夏子を助けに行くという進行にしたこと。
宮崎駿の幼少の体験と照らし合わせると、むしろ後妻夏子と父の間に生まれた幼子こそが宮崎駿監督になります。
2013年発行『腰ぬけ愛国談義』に宮崎駿監督は父親の再婚後の子供だということが記されています。
(宮崎駿の父は大恋愛で結婚した最愛の妻に結核で先立たれました。後妻との間に出来たのが宮崎駿監督です。)
書物によると
・就職時戸籍謄本を取寄せ判明
・前妻と父は学生結婚
・前妻と父は生きるの死ぬのと大騒ぎして結婚
・結婚後1年も立たないうちに前妻は結核にて死去
・宮崎駿の父も結核を患っていたので自分の結核が伝染したと言っていた
(戸籍謄本を取寄せ判明した後監督自身が父親に聞いたことが推測できます。)
・前妻との間に子供はなかった
・大恋愛の末の結婚で妻が亡くなった後父は周囲に心配されていた
・父は前妻の死去後1年も経たずに宮崎駿監督の母と再婚
だそうです。
ただ、もしそれが本当であれば、この映画はもうそのままですよね。ド直球過ぎますよね。
ちなみに夏子の子供が宮崎駿自身であればこの話は宮崎駿がこの世に生まれ落ちるための話。この映画の後から宮崎駿監督の人生は続いていきます。
父と前妻が幸せに大往生していれば存在し得なかった世界。誰かの不幸の元に産まれた世界。それでもそれぞれでその苦しみと葛藤を乗り越え、受け入れられ、認められ、祝福され、存在を赦され産まれた醜くも美しい世界。そんな世界線に産まれた小さき者が今やアニメの歴史の頂点とも言える場所に生きて立っている。
みなさんこの考察どうでしょ?
宮崎駿はこう生きた。それを作品で示し、さぁ君たちはどう生きるか?という問いに繫がるのです。
そう考えると評価がひっくり返りそうな、もう一度くらい足を運んでもいいんじゃないかと思いませんか?
・宮崎駿自身が大人になり地位と名誉、文字通りの莫大な富が手に入って満たされても過去は変えられません。作中で描かれる「気持ち悪い」と思えるような描写も後に生まれる夏子の子を前妻や世界に存在を認めさせるための儀式であれば辻褄が合う。きっと寂しい幼少期を過ごしたのでしょうね。
庵野秀明監督がエヴァシリーズの終幕で少年が過ちを認め大人になる物語を描いた。新海誠は(参考にしているかどうかわかりませんが、)震災に惹かれ「君の名は」から遂に「すずめの戸締まり」のように直接的に描きたいものを描いてしまった。
もっと、自分の言いたいことを直接やっちゃっていいんじゃないのとジブリ制約を守りつつもやったのがこの作品だと思っています。
そう考えると芸術家ですよね。ただのアニメじゃないですよ。これは芸術作品です。
…追記余談終わり…
以下殴り書きちょい酷評と讃美
(先の考察が合っていれば壮大なストーリーですが、そういう裏テーマはネームバリューがあるから出来るだけでフェアじゃないのでそれ抜きにして批評↓)
アニメーションは素晴らしかったです。キャラクターの一つ一つの描写。目の動き、これだけで映画館で見る価値はあるので足を運んでも無駄にはならないと思いますよ。ただ、脚本がね。
他の監督が同じ内容でつくったら大酷評だろうなと安易に想像できる内容ではあります。
さすが、庵野監督のお師匠様ですよ。庵野秀明のエヴァ終幕を受けて、俺もここまでやりたいってなったんだと勝手に想像しています。
失礼を置き捨て言ってしまえば2人とも性癖がちょっとね…オブラートに包まず言えば…気持ち悪いんだよ!!!
幼少の頃のトラウマを克服せずずっと引きずっている感じが拭えない。いい年した大人でしょ?ボケも入るような歳でしょ?過去を思い出し大笑いするどころか忘れるくらいになっていてくれ!頼む!!
と思わずにはいられませんでした。普通の人ならウン十年前のことなんて「そんなこともあったっけなぁ〜」くらいですよね。でもどこまで行っても芸術家。執着心は果てまでですね。
これは少年が大人になるお話です。
この物語は少年が母親の死を受け入れ、また同時に母親の妹である夏子を母として受け入れるという物語です。お母さんが亡くなった後、お母さんの妹と父親が結ばれたらトラウマにもなりそうなもんですけどね。母にとっては夏子は愛すべき妹であり、色々な視点から少年が母という存在を理解し、同時に新しい母や自分自身を受け入れ成長するという物語なんですよね。
でも一般的に見たらそんな簡単に受け入れられるもんでしょうか?いくら冒険があったって、母自身が受け入れているからと言って、無理じゃないですか?
私には『ちょっと少年物分り良すぎじゃない?』あと、『宮崎駿監督自身女性とか母とかに幻想を抱きすぎじゃない?』と思わずにはいられませんでした。
お母さん、ラストパートで自分の現実世界に戻ったら最後自分が死ぬことも妹が自分の死後最愛の夫と結婚することも知ってるんですよね。だんだんその現実が近づいてきて理解も追いついてきて体も精神的にも成熟する頃、さすがに怒りはないですか?子供と出会えるからとそれだけで受け入れられますか?それとも記憶が消えてしまうからよいのですか?わざわざ眞人に異世界からの物を持ってこさせてそれがあれば記憶が残っている、なければ記憶は消えるというシーンを入れたのが最高に気持ち悪い。(お母さんの記憶は消えてるよと強調してる)
記憶なければオッケ~ってエグいことしてるなぁと思います。
母親は記憶残ってたら恐怖ですよね。どんなに恐怖でも子供からは逃げられないしね。母性ってそういうもんです。それを人質にエッグいことやってんなぁと。
眞人が夏子を受け入れるシーンも何もわざわざ本当の母親の前でやらなくたって…
私の評価へのコメントで「子供は意外と受け入れちゃうもの」みたいなコメント有りましたけど、それって愛してくれる実母が眼の前にいる時に新しい母のことを受け入れるって言えますか?言わせますか?やり方がエグいですよ。残酷すぎる。
宮崎駿はね、それでも母親なら、女性なら、慈愛を持って受け入れてくれるだろうと思っている。女性を神聖化し過ぎだと思います。(むしろそうではない女性を女性として捉えていないと思う)
(…更に追記…
考えてみれば、宮崎駿が恋い焦がれていたものは母性ではなく、父親の方なのではないでしょうか?父親に愛されたくて仕方なかった。本当の自分を見てもらいたかった。でも父の前では立派に振る舞わなければならない。父は自分の子供を心配している素振りは見せるものの本質は無頓着。そんな父親に、もしいつまでも忘れられない人がいれば。…追記終わり…)
アニメーションなのでオブラートには包まれていますし、深く考えない人も多いので気付きにくいですが、純粋に気持ち悪いですよね。
まぁ私はそんなことを思いましたが、気持ち悪さを抜きにしたら単純に面白くなかったというのが一番の本音です。
序盤は面白かったです。どんな冒険が始まるのかとワクワクしました。夏子さんが消えて異世界に行ってからは単純に面白くない。
感性色々なので仕方ないですが、私にはハマりませんでした。
でもね、ジブリという制約がありながらここまで自分を出してきた宮崎駿は讃美したいです。これでいいんだよ。気持ち悪くたっていいんだよ。本当は最初からこういうものが描きたかったんでしょ?ジブリの皮被りながらも綺麗なアニメーションでオブラートに包みながらも御年82歳まで幼少のトラウマやコンプレックスを忘れられなかったド変態なんでしょ?それとも歳を取ると赤ちゃん返りするって言うけどそれなのかしらね
これが遺作なんてもったいない。もっとやってちょうだい。そう思いました。
何度も言いますがアニメーションは良いです。人物描写も良いです。物語の脚本は面白くない。
元々のライトなジブリファンにもこの作品は頂けないんじゃないかなとも思いました。世間が駿に求めてるのはこれじゃなかったのよね。
でもですよ、宮崎駿が死期を前にここまで性癖を出してきた事実、これについてはかなり面白いです。
これだけでご飯100杯食べられます。
もう一作作ってくれないかなぁ。
今度は若い人の助言や世間に受けそうなキャラや今流行りの動きなんて取り入れずに宮崎駿の純度100%を見たいです。
この作品が『宮崎駿の原液』とか言ってる人たちが目が醒めるようなのお願いします。
↑以上は冒頭の追記考察に行き着く前に書いた文であります。冒頭の考察がもしあっていれば、このお話は壮大なテーマ過ぎて小さいことワ〜ワ〜噛み付いてる自分が恥ずかしくなりますね。アニメーションは素晴らしいけど1回でお腹いっぱいと思っていたのですがもう一度くらい見たくなってきました。
宮崎駿すげぇ。
………
1点だけ。もしそうだとしても。
今作は宮崎駿監督に興味がある人達にとっては考察が楽しく、興味深い作品だと思います。ただ、そういう見方をしない人達にとってはアニメーションはいくらすごくても作品自体は面白くはないと思います。かく言う私も、いくら監督推しだったとしても作品自体はそれぞれ冷静に見るので、そういう意味では今作は面白くなかったです。
でも今まで長いこと世間が求めるような作品を日本の模範となって、世界に発信できる作品を沢山作り上げてきましたよね。最後の1回(?)くらい自分のための作品があっても良いと思いました。
これは文字通りの芸術作品です。
今はきっと評価されないけどね、数百年後もアニメの歴史に残りますよ。逆に、現在の世間が求めるものを作っても後世に語り継がれるものにはならないでしょう。偉大だと思います。
好きなところもあった
事前情報はポスターのみ、公開当日になっても主題歌しか追加情報がないという、謎に包まれたジブリ最新作。まずは完全に情報ゼロのまま映画を観るという行為にワクワクできたのが個人的に楽しかった。
そんな「君たちはどう生きるか」、観終わっての感想は、う〜ん…。笑
正直面白かったかで言うと面白くはなく、教訓や説教的な要素を強く感じるわりに、何が言いたいのかぼんやりとしか伝わらず(これは私の受け取り方が下手なこともある)、過去のジブリ作品で観たことのあるような既視感ある展開やキャラクターに新鮮さは感じず。
だけど主人公への好感度は高いし、おばあちゃんたちも好きだったし、鳥たちや謎のほわほわしたあちらの世の生き物たちも良い味をだしていて、ラストシーンはジーンとしてしまいました。
色々な解釈ができたり深掘りできる余白が多いからこそ、これから感じ方が変わるかもしれません。
初見の感想は、こんなまとまりないものしか書けないくらい、不思議で独特な作品に感じました。
80代の宮崎駿が引退してなおどうしても撮りたかった、「少年」版の『千と千尋の神隠し』。
あれだけあえて事前情報を伏せて公開した映画なので、一応ネタバレ扱いにするのが礼儀なのかな?
もう引退したと思っていた宮崎駿が、辛抱たまらなくなって撮り始めた最新作。
ほんとにコペルくんとおじさんの出てくる『君たちはどう生きるか』のアニメ化なのか。
ただひとつ明らかにされていた、アオサギとハシビロコウのあいの子のような謎生物はいったい何なのか。
まったく何の予備知識もなく観に行って、2時間、映画に正対して思った。
まずは、まごうことなき「宮崎駿」の映画だった。
それもいったん引退した監督が撮ったとは思えないくらいの、重量級の長編映画。
そこには、今まで宮崎が扱ってきたありとあらゆる要素がぎっしり組み込まれていた。
その意味では、宮崎駿という円熟した監督の晩年を飾る作品としては、じゅうぶんにご褒美感のある映画だった。
いっぽうで、面白かったのかといわれるとちょっと首をひねるところがある。
いや、マジで宮崎駿らしい映画だったし、思ったよりは辛気臭くも説教臭くもなかったし、思いがけないくらいの宮崎アニメ的なアクションとキャラクターにも満ちていたんだけど、なんとなく作りとしては諸要素がかみ合っていないというか、序破急のバランスを逸しているというか、物語としての緊密さを欠くというか、個人的にエンタメとしては消化不良感のいささか残る作品だったような。
― — — —
総じていうと、本作は少年版の『千と千尋の神隠し』だ。
異界に迷い込んだ「少年」が、奇妙な動物たちに囲まれて、「アオサギ」や「姉御」や「幼母」の助けを得て、「神」のごとき「大叔父」との邂逅ののち、「世界の理」の一端を体感したうえで、一定の成長とイタ・セクスアリスを経験して、現世へと帰還する。
そういう話だ。
物語の祖型としては、西洋における『冥界のオルフェ』や日本における『黄泉平坂(よもつひらさか)』の神話がベースになっているといってよい。
すなわち、「妻」のかわりに「喪われた母性」を地下の冥界へと探しに行って、それを連れ帰ろうとする「少年」の物語である。
異界へと入っていく描写は、コクトーの『オルフェ』を思わせるところがあるし、義母の寝所に入ったときに、「禁忌」に反応した御幣のような「紙」に襲われる陰陽道ふうの描写は、まさに「イザナミ・イザナギ」の神話を想起させる。
この大枠に、宮崎駿がこれまでに積み重ねてきた様々な要素が注ぎ込まれる。
まず冒頭は『風立ちぬ』や盟友・高畑勲の『火垂るの墓』のような、先の大戦における大火災の描写で幕を開ける。出だしから「乗った重みによる車体の沈み込み」や「高いところから下りたとき足に来る衝撃」といった、重力と身体性をめぐるネチネチとしたアニメーション描写が執念深く繰り返され、「ああ、俺いま宮崎アニメ観てる!!」という気分にさせてくれる。
疎開先に少年がやってくる描写は、少し『となりのトトロ』や『借りぐらしのアリエッティ』(宮崎は脚本参加)を思わせる。そこに「オールド・ダーク・ハウス」ものの怪談めいた話が出てきて、その「妖しさ」の象徴として登場するのが、謎めいたアオサギだ。ヒッチコックの『鳥』を意識しているのは間違いない。
今回、久方ぶりに「少年」を主人公としたことで、ある意味ファンが待ち望んでいたような「初期様式」への遡行が見られたのも確かだ。
西洋的な城や洋館、階段や壁を用いた垂直アクション、空中浮揚と重力のせめぎ合い、手に手を取って走る少年・少女といった、『未来少年コナン』や『ルパン三世 カリオストロの城』『天空の城ラピュタ』といった「初期宮崎アニメの鉄板ネタ」が随所で見受けられ、個人的にはとても懐かしい感じがした。
おばあちゃんの若いころは「きっぷのいい魔法の使える姉御」だとか、お母さんの若いころは「ヒロインオーラ全開のパイロキネシス美少女」だとか、「ロリババア」要素が唐突にぶっこまれて来るのも、『ラピュタ』とか『ハウルの動く城』で見られた宮崎駿の特殊性癖の一環だ。
少女として異界に生きる母親は、わかりやすく「不思議の国のアリス」の装いをまとって漫画チックな城内を闊歩し、トランプの兵隊と女王ならぬ、インコの兵隊と王様を蹴散らして、やがて産むはずの我が子を守り導く(ただし、母親役の泣き演技はひどかったなw)。
主人公の少年は、基本的に寡黙で、常に姿勢がよくて、頑固で、ひたむきだ。
よくいえば武士のような佇まいがあって、きりっとしたキャラクターにも思えるが、
悪く言うと、何を考えているのか今いちつかめない、軽くアスペっぽい感じのある少年だ。
もちろん、この少年には宮崎駿自身の少年時代が重ねられているのだろう。
ただ、少年キャラの「得体の知れない」感じは、少なくとも初期の『コナン』や『ラピュタ』には全くといってなかった要素で、むしろこの依怙地で人の言うことをあまり聞かない感じは、『崖の上のポニョ』の宗介に近い感じがあるように思う。
主人公の少年を異界に導き、反撥し合いながらも、やがて「友」となる「アオサギ」は、最初に変化したときのその風体から『千と千尋』のカエルみたいなキャラかと思ったのだが、ふたを開けてみればまさしく『未来少年コナン』のジムシーに近い、究極のバディ・キャラだった。
おそらく本作で一番の、愛されキャラではないだろうか。
アオサギというのは、実際になかなか面白い鳥で、人間に対して総じて警戒心が強い鳥種なのだが、その割に、水前寺公園や不忍池などで常駐している個体にはやたら人なつこいものもいて、釣り師に魚をねだったり、手から投げた餌をキャッチしたりと、飼い鳥のようになっている場合もある。住処として、神社や屋敷森や公園の林地の樹上に、かなり規模の大きいコロニーをつくるのも特徴で、要するに「妙に人と近いところで」「得体の知れない威圧感をかましながら」「結構貪欲かつ傲岸に生きている」。いかにも本作のマスコットキャラにはぴったりの選択ではないか。
建築空間の設定については、一定の法則性を感じる。
まず出てくるのは、紙のように戦火に燃える東京の木造家屋。
疎開先には、豪華な書院造の和洋折衷建築の母屋と、洋館の離れが立っていて、少年の部屋は洋館のほうにあてがわれている。さらにその後背に広がる森には、謎の(ちょっとサグラダファミリア風の)廃塔が呑まれている。
塔から通じている「異界」には、「魔女の隠れ処」や「西洋風の城」が立っていて、さらにその深奥部にはタルコフスキー的な哲学的空間が隠蔽され、海辺のあずまやに異界の神として君臨する「大叔父」が坐している。
つまり、少年の生活圏から離れて「幻想」へと近づくにつれて、世界の「西洋」度が増していく。おそらく宮崎駿のなかでは、少年にとっての異界(ファンタジー)の極限にあるのが「西洋のお城」なのだろう(だからこそ少年の心をもつルパンは城の壁面に挑むのだ)。
異界を象徴する「ペリカン」と「インコ」は、どちらも「日本の鳥ではない」のがポイントかもしれない。
疎開先で異界と現世を結ぶのは、日本にも西洋にも生息するアオサギで、完全に異界で暮らしているのはペリカンとインコという「完全な洋鳥」である。
インコはもともとオセアニアの鳥なので、ヨーロッパ的な文脈ではエキゾチックな博物学的興味を喚起する鳥でしかなく、「華美」を象徴する程度のイコノロジーしかない。一方で、ペリカンは自らの血で我が子を養うとされたことから「キリストの犠牲」の象徴と解されていた。
このイコノロジーが興味深いのは、本作ではペリカンが、無垢な精霊として宙に還ってゆく魂を「捕食して妨げる存在」として登場するからで、しかも実際に胸を「血まみれ」にした姿で一羽は出てくるので、つい深読みをしてみたくなる。
あのまるい精霊(ふわふわ? 忘れちゃったww)を浄化したうえで地上に返す「装置の機能」は、「賽の河原」を体現しており、そこの番人として捕食して数減らしをしているペリカンは、「無垢なる赤子の魂」の「敵」でもあり「守り手」でもあるという「鬼子母神」に近い存在といえるのではないか? みたいな。
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以上観てきたように、本作にはいろいろと宮崎駿ワールドの集大成的な部分があって、総じて面白い映画ではあったし、想像していた以上に活劇としても力が入っていたし、あまりえらそうな人生訓とか大所高所からの価値観の決めつけがなかったのもよかった。長年のファンとしては、まずは一安心といったところ。
正直言って、80を過ぎた老人がすべてを取り仕切って作った映画とは、とても思えないくらいの密度とボリュームがある。
とはいえ、凄く面白かったかといわれると、うーん、なんか回答に悩むなあ(笑)。
まず、出だしから異界に行くまでが、いかにも長い。
異界に行って、インコの城に入ってからは俄然テンポ感が良くなって愉しい映画になるが、そこまでの展開も間延びした印象が強い。で、ラストの大崩壊と現世への帰還のあたりは明らかに足早だ。ラスト付近のインコ大王も、一体なにがやりたかったのかイマイチよくわからない感じで、物語を急速に終わらせるために、「鉄砲玉」よろしく適当で便利な扱い方をされているような気がする。
それから、主人公の少年に感情移入するのがたいへんに難しい。
とくに、いきなり自分の頭を石で殴るシーンは非常にショッキングで、映画としてはこの少年を語るうえでたいへん重要な要素であることはわかるが、観客の少年への共感度は駄々下がりである。
久々に、ちょっとコナンやパズーに似たような少年キャラが出てきたので、心の中で愛でる気まんまんでいたのに、なんだこいつ、頭おかしいのかと(笑)。
宮崎駿という人は、キャリアの初期から「間違わない正しい子供」と「間違ってばかりの大人」の対比で、なにかと物語を構築する人だった。
その点、『ハイジ』や『赤毛のアン』や『火垂るの墓』など、「間違う子供」を描くことにためらいのなかった高畑勲とは、じつに対極的なスタンスといえる。
そもそも海外でだって、『トム・ソーヤの冒険』にせよ『大草原の小さな家』にせよ、大半の子供たちは「間違ってばかりの不完全な存在」として描かれているわけで、いかに宮崎駿の「間違わない子供」が特異なスタンスかがわかろうというものだ。
その「正しい子供」の極北にあるのが『千と千尋』の千尋だが、この法則が「崩れた」のが、先にも言ったように『崖の上のポニョ』の宗介で、それ以降の宮崎アニメでは、少なくとも少年は無謬の存在ではなくなった(『ゲド戦記』のころあった長男・吾朗との確執が遠因かもとか思ったりもする)。
『借りぐらしのアリエッティ』の病弱少年も、自分のサイズがアリエッティのそれに合わないことで性的懊悩を高まらせたあげくに、地下のこびとの住居にドールハウスをねじ込んで擬似レイプを果たす変態(何もない部屋にティッシュだけがある)で、最後は別のこびとにNTRされてざまあ、みたいな身もふたもないお話だったと記憶する。
あと、これまで「自然と文明」「田舎と都会」「墜ちてきた少女」など、「二つの異なる存在」の出逢いと衝突を描き続けてきた宮崎が、今回の作品を完全に閉じた「血族の物語」に仕上げているのは、「進化」とか呼んでいいものなのか。
母親を火事で亡くした子供と、あえて妻の妹を後妻に迎えた軍事産業社長の父親と、異界で少女として生き続ける母親と、姉の夫の種を宿した妹(少年の叔母)と、屋敷を守護する「式神」めいた老婆ズ(布団での老婆人形を並べる扱いがまさに陰陽道)と、ラスボスの超セカイ系大叔父。なんかちょっとイタい横溝正史みたいじゃないすか。
で、それが一緒くたにまとめて崩壊&救済されちゃうハッピーエンドって、『ポニョ』のPTAで世界の未来を決めましたエンドと同じくらい、「えええ、それでええのんかいな」感が個人的には強かったんだよね……。
と、まあくさしてはみましたが、宮崎駿ファンなら必見です。
平日昼に調布くんだりでもしっかり満席になってるのは、さすがとしかいいようがない。
宮さんのマルチバース
今流行りのマルチバースかなって思いましたが、
いや、流行ってるとかではなくて、さまざまな次元の様々な時間が
混じりあってる世界感をご老人が思う少年が好き勝手歩きまわってる。
物語的には、宮崎家にまつわるお話で
お自身の高慢ちきで身勝手だった父や彼が思いを寄せる母が重なりあって
挙句に最後には俺の跡を継ぐなと言う息子への強烈なメッセージ。
SF的にはテッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を基にドゥニ・ヴィルヌーヴが監督した「メッセージ」がひじょうに近いところにいる。
宮さん、最後に長編が撮れてホントに良かったですね。
哲学
悪くはないとは思うものの
90年代までのジブリ作品に愛着があるのでそれ以降の作品はいまいち、だけど本当に最後の作品かもしれないし事前情報全くなしで映画観る機会もうないだろうからと初日朝イチで観に行ってきてモヤっとしながら帰宅。
主人公はかわいいし(直球美少年)作画ももちろん素晴らしい、過去作品思い起こさせる要素も色々ある。のに「楽しい」「おもしろい」になかなか結び付かず。距離があるまま始まって終わってしまった感じ。千と千尋やハウルみたいな華やかさも起伏も少なめ
テーマはそこまで難解ではないと思うものの意図のわからない描写はあり、でもそれを読み解きたいというほど興味も持てなかったのが正直なところ。
終わり方もどう受け止めるべきなのか分からず…鳥好きなんでそこは嬉しい…?かどうかも分からない(立ち位置的に)、という評価が難しい作品でした。
ファミリー向きではないのは確かですね
何を伝えたいのかが分かるかどうかで満足度が変わるのではないだろうか
個人的な解釈による感想です。
冒頭で主人公マヒトの母親が火事で亡くなるところから始まります。新しい母親はナツコという名前です。
劇中で、マヒトはナツコのことを「お母さん」ではなく、「お父さんの好きな人」と言います。このことからマヒトは、火事で亡くなった母親にまだ執着があり、ナツコを母親と認めることができない葛藤を伝えたいのかなと感じました。
塔の中で出会ったヒミは、マヒトの火事で亡くなった母親に当たる人物であることが判明します。マヒトとヒミが抱き合ったところが印象に残りました。
最後にマヒトとナツコは、無事に元の世界に帰ることができたので、晴れやかな気分になりました。
積み石の場面は、残念ながら何を伝えたいのか、解明が難しいです。
ジブリの世界観は、よく出ていて、とても引き込まれました。
追記 積み石の場面は、今置かれている現状を打破してほしいという宮崎駿監督のメッセージが込められているのではないかと後から感じました。
結局何を伝えたいのか
ジブリワールド
評価を見ると意味わかんないってコメントが多くて 観る前から少し複雑な気持ちで見ましたがいざ見てみると圧巻されました。 というのもなにか 千と千尋 ハウル もののけやその他色んな作品を融合させたような世界観 現実の話から急にファンタジックになる感じ 確かに 最初は ??? と思いましたが観てると少しづつ理解出来てきて ほんとに見る人によって感想 感じ方は違うんでしょうが 個人的にはかなり感動しました 伏線もあり ラストシーン かなり刺さるものがありました。
世界観と言い、鳥たちと言い あのおばあちゃん達の既視感 もう一度みたくなる作品でした
やっぱりジブリは大好きです。
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