君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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いまだ枯れぬ泉なのか
観客の忍耐力が試される作品なのは間違いない。
ストーリーの意味不明ぶりと急展開ぶりに何回「???」となったか分からないし、振り落とされた観客も多かっただろう。
間違えても子供に勧められる作品では無いし(分かりやすさの点で)、観終わった後も「タイトルとストーリー関係あるの?」と多くの疑問が残ったのは事実。
※追記:よくよく考えたら、「分かりやすさ」を求めているのは圧倒的に大人なので、子供の方がこの作品は楽しめるのではないかと思うようになった。
ただそれでも、宮崎駿の熱量溢れる発想と表現にはどうしても感動してしまった。
ナウシカやラピュタのような作品では決してないけど、異世界での経験を経ての主人公の成長という点は「千と千尋〜」に通じるものがあってワクワクしたし、躍動感溢れる絵の表現力にはストーリーの疑問点を忘れさせるほどに見入ってしまった。
きっと進めていくうちにやりたいことやアイディアがたくさん出てきて、それを無理やり全部詰め込んだんだろう。
庵野作品と比較したコメントも多かったのはこれが理由だと思うけど、これが最後の作品となるとそうなってしまうのも仕方ないのかなと思う。
そういう部分でも、本当に「宮崎駿の長編」はこれで終わりなんだなぁという寂しさを感じさせる作品でもあった。
作品単体ではどうしても高評価はつけられないけど、本当に宮崎監督には感謝感謝。
岡田斗司夫がウキウキで考察するやつ
※当感想はかなり主観入ってますし、決めつけのオンパレードなので、そんなことないんじゃないかという意見はごもっともなものになります。
昔から今もずっとジブリを見まくってました。
特に魔女宅と千と千尋が好きです。ナウシカやもののけ姫、ととろも。それぞれジブリらしさがあるのに面白さが違うとこに惹かれて。 ほのぼのと見れたりハラハラ出来たり時に考えさせられたりと。
特にキャラクターの生き生きとした描き方が魅力的でした。
主人公やモブは義理人情に熱く、甲斐甲斐しく溌剌としてて自主的に動くキャラクターが多かったように思います。
千と千尋からは今までと打って変わって自発的に動けない主人公になりました。
他作品はスタートから主人公や周りの人々が意気揚々と走り出しているのに対し、千と千尋はやけに受け身な始まり方。
今思えば、宮崎駿はそこ辺りから、時代の変わり目についていけなかったんじゃ無いかと思います。
千と千尋はマイナスなスタートから自主的になる千尋の成長を描くことで物語としては成立できる。
しかしその後は? もう描くものがない。
素直で実行力もあり賢い人達。
今の現代人には当てはまらない。
宮崎駿が好きだった活気に満ちて未来に希望を持てた時代じゃなくなったとも見えます。
迷走期に入ったようにも思えました。
(※引退したから手伝う形で入った。と明言してるとは言え、きっとガッツリ駿が監督したんだろうなあ笑 という目線で語ります↓)
今回きみたちはどう生きるか、考察もながめながら観ると、自分が愛した作品は過去として、今あなたたちが追う今時のアニメを愛してね というように捉えてしまいました。
でなければわざわざ、いろんなジブリの作品のオマージュを散りばめて置いて、塔と共に一緒に崩すだなんて意味ありげなメタファーを置くでしょうか。
所謂今時のウケてるアニメ、 (君の名はやそばかすの姫のようなセカイ系など、鬼滅、推しの子。など。)
どれも特にジブリらしくない作品。
それは違う人が現代に沿ってうまく作ったものなので当たり前ですよね。
宮崎駿はそれらの作品をうまく受け入れられなかったようにも見えます。
今こうゆうのが流行ってるのね。
僕は昔の方が良かったな、という。憶測ですけど。
私の感想としては、 宮崎駿の作品はこれにて終了です。愛した時代は終わりました。
というメッセージに見えました。大袈裟に捉えると。
それはそうとしても、それをわざわざ映像化しなくてもいいのではないかと思います。
さらに、最後まで観ると無意識的にも流行りのセカイ系にのっかっているようにも見えました。考えるな感じろ哲学ムーブかますのも、結局現代の波に影響されて皮肉にも思えます。
影響されずに今までのようにキャラクターを動かすか、受け入れて現代らしい部分を取り込んだ上でジブリ作品を作るか。どっちかの方が良かったように思える。
変に逆ばりして、
君たちはどう生きるか(キリッ) 作品を積み木に見立てて意味ありげな絵にしよう(どや) などなど。
現代社会に向けたわっかりにくいメッセージをふんだんにとりいれてなんだかよく分からないものをつくるのがジブリなんでしょうか。うまくメッセージを取り入れながら王道のファンタジーを作るんじゃダメだったのかな。
単純にジブリを次世代に繋げるって話ならともかく、崩壊というのも悪手な気がします。
ちょっと捻くれてるように見えました(あくまで主観です)
受け入れられないから、(引き継ぐに値する人がいない)ジブリはこれで終わりますって意味だとしたら、それは会社内で勝手に思ってくれて構わない。わざわざ映像化されて映画館で見せられても嫌みたらしいような気もします。内部の話ですよねそれ。わざわざ私たちに見せてどうするのか。アニメ映画にしてまで訴えたいことなのか。パンフレットの会談とかに裏話として載せた方が個人的に好きなような気がします。
宮崎駿という偉人が抜けたら、そりゃ別作品にもなるし違うものにもなるでしょう。当たり前です。 純粋にアニメ業界の未来は任せた!って綺麗に繋げる話ならともかく、なんか不穏でしたよね。次世代に任せる。は本意だとしてそこは素敵なんだけど、わざわざ崩壊という表現をするに駿の理想の世界は終わりです、と意味してるように見えました。
もし本当に引退するにしても、それこそ宮崎駿本人がこの世界からいなくなろうとも過去作品は私の中で崩壊しません。鬼滅が好きだろうと新海誠が好きだろうと全盛期のジブリは何にも上書きされずに好きでいる方達の方が多いのではないでしょうか。
現代人は今時のアニメを観て好きになって自分の作品は過去としお別れですさようなら、はちょっとなあ。勝手に持っていかないでくれ。
もう駿ワールド全開のジブリ作品は生み出されないのかもしれないけど、作品自体は間違いなく観た人の中に残ると思うので、崩壊じゃなくラピタのようにもう会うことはないけど残り続ける みたいな表現にしてほしかった(そうなると塔は宇宙にふわふわ飛んでく絵になるのかな笑)
大袈裟に言えばヤケになって壊してゴミ箱にポイしないでくれ。
最近の人はこれが好きなのか、もまた鵜呑みにしすぎないでほしかったですね。
正直JKが世界を救うために東京を走り回ったり少年少女が世界規模の難題に立ち向かう話も飽きてたりします。
小さな街で落ち込んだり立ち直ったり、豚が飛行機にのって男のロマンを感じたり、思春期まっさかりな子が将来と好きな男の子で悶々したりと、決して壮大では無いけど心に残る世界観だってやっぱり好きなんですよ。
うーむ…
『借りぐらしのアリエッティ』同様、期待していただけに残念…。
タイトルの本を以前読んでいたはずですが、関連性は感じられませんでした。
切り離して考えても、どうにも納得いかない展開。
何を伝えたいのか解りにくいし、結局解りませんでした。
アニメの絵もガッカリ。
おばあちゃん達はそこまで描かなくてもよくない?と思わせるほど皆深いシワ顔でまるで湯婆婆だし、アオサギも気持ち悪いし、無駄なシーンが多すぎました。(服着るシーンとか、パンにジャム塗るシーンとかあんなにタップリ必要ですか?)血の表現とかも子供のお絵描きなの?というほどの量と質感…。
そういう技術点でさえ、新海作品に大きく水をあけられてしまってる気がします。
あんまり悪く言いたくないから、この辺で。
でも、観なきゃ観ないで後悔しそうだったので、観た事は自分に納得(笑)。
1回目から大満足のスルメ映画
ジブリが好きな人は絶対好きだと思う
ジブリの世界観が色濃く展開されるので、ジブリ作品の思い出を重ねて浸れるのに、ストーリーは全く新しい冒険活劇
考察しがいのありそうなディテールが散りばめられているのに、ストーリー展開や主人公たちの心の動きにはすんなりついていけるので、1回目から楽しい。1回目は、考察ポイントでいちいち立ち止まらずに、物語の展開を素直に追うのがいいと思う。それでいて、観る回を重ねるごとに1回目はサクッと通り過ぎたディテール部分も意味を帯びていくだろうことを予想させてくれた。
音楽も作画も演出も全てが超一級品なので、映画館で見るべき映画。特に1回目は、「考えるな、感じろ!」の没頭型の見方がいいと思うので、皆様ぜひ劇場へ。
思うがままに創りたい、それで良いかと
ネタバレはないですが、私の感想は載せていますので、気になる方は観ないようお願いいたします。
82歳の監督、ドロドロに煮詰まったその人生観を曝け出したものだと受け取りました。
私も作り手の端くれとして、少しだけその気持ちはわかるつもりです。だから万人受けするものでもないし、私には全く合わなかったし意味不明だし、そんな事は気に留めず、創作されたのだなと。
まさに、創作という視点なら満点なのです。
映像に命を吹き込む、その技法は世界一です、本当に。
そのお年まで創り手でいること、変わらず尊敬いたします。
まだわからん。
原作?のタイトルの説教くささや、漫画の絵が苦手すぎてブームの時も特に手に取ることもなく。
ジブリがアニメ化すると発表した時も、なんでまた、と思ったもの。
今般のPR戦略にまんまと踊らされ初日に鑑賞してみたら、千ちひ風味やハウル風味の、普通の宮崎ワールド。
今はまだわからんけどこれからジワジワくるのかな。
しらんけど。
エンドロールの声優陣が何を演じていたのか気になりパンフレットでも買ってみようと思ったが、どうやらしばらく販売はないらしい。
徹底しとる。
原作?原案にこれまで一切ふれておらず、これから手に取ることもないだろうから、どんな風に関連してたのか内容くらいは知りたいので、そっちについてはwikiでも見に行きます。
押井守っぽい
死んだ母ちゃんに対する後悔と新しい母ちゃんとのわだかまりを乗り越えるお話し。
それをファンタジーになんかそれっぽい用語を使う事で凄く難解に見せてる。多分もっと色々込めてる思い(皮肉も含め)もあるんだけど考えるのも面倒臭い。
でもハイクオリティな映像と構成で見ていて楽しいのが素晴らしい。
あと、イメージイラストのカッコいい鳥は出てこない、サギだけに。
これじゃないジブリの集大成を裏考察してみました 謎が分からなかった人は参考にして下さい
これじゃないジブリの集大成
エンターテイメント性のある冒険活劇を妄想してワクワクで映画館に脚を運んだのに、全てが想像の真逆を行ってました。純粋に面白さを追求し老若男女が楽しめる作品を目指してもらいたかったから本当に残念でなりません。
内容はファンタジー冒険活劇ではなくオカルトホラーです。
※一日経ったので他で説かれてなかった自分なりの解釈を裏考察として記しておきます
裏考察なので他でやってる物は省きます。アオサギ、ペリカン、インコなど象徴的に鳥が出てきます。これは天を支配する者達、天使の意味合いが強いでしょう。鳥は日本では太陽に住む鳥、八咫烏を始めとする天孫族を意味し、それが住まう場所を鳥居と言うわけですが、神社は神道、そのトップは天皇陛下です。
作中の塔は天から降りてきた力を建物でおおったといい、その力を操れるのは大叔父。彼は世界のバランスを保つために墓石の積み木を毎日少し動かして世界の崩壊を食い止めている。大叔父とは今上天皇(当時なので昭和天皇)その人に他ならないでしょう。国民と世界の安寧を願い祈るお仕事をされている方はこの世にただ一人です。
神との契約でこの力は血族の男子に継がれています。地位と名誉と血脈。主人公の眞人はそれを受け継ぐ皇太子。しかし自らの悪意で下々の者に怒りの矛先が向かうよう自らの頭に拾った石で傷を負わせた悪意をもって自分には崇高な祭司の御子の資格無しと断りました。
そこに後ろからやってきたインコ大王、王の下に王を作ったのは大叔父である天皇は別格だという意味でしょうね。そして欲にまみれる後続の権力者達を表現しているんでしょう。ロートシルトとかロックなんたらとか……世界を牛耳ったつもりになってる方々。それがやってきて積み木を適当に積み上げて壊してしまう。このような人達に世界を託したら一時と保たずに崩壊する。それを説いてるんだと思います。
塔とはタロットの大アルカナの一枚で正位置でも逆位置でも凶。破滅のカードです。いずれは崩れる13個の積み木の塔は大きな世界と象徴的な建物のひな形として存在し、その崩れそうなバランスが世界の均衡をうまく表現しています。13の積み木は小アルカナ、私達が親しんでいるトランプの1から13であり世界の構成要素。
そして御子としての主人公も夏子の子もこの塔の中で生まれる特別な血脈の子孫である事を知らせていますよね。神の契約なので他の魂とは分けて表現されていると思います。戦争や経済的な計略で沢山の人が死んでいく。鳥が人の命を間引く。折角現世に向かって飛んでいく魂をペリカンが食べてしまう事で表現しているのかも知れません。自然界も強者が弱者を捕食するので、大差はないと考えての事かも知れませんが、あの世でもそんな事になってるのかと想像すると落胆しますね。
そして最後に大叔父の威光は継承されず、皇統が失われ塔は崩壊。近い将来そうなるかもしれないですが、その先にある欲にまみれた支配者達の易しくない超監視社会の中で君たちはどう生きるか……ああ考えたくない世の中です。
最後の希望は清き積み木の記憶を絶やさず、アオサギやキリコ達多くの友達を作り意識を共有し世界へ伝播させる力、それは愛の力とか言うと痒いけど、隣人を愛し世界が繋がる心が邪を払うと信じて、主人公の眞人が進むと決めた道なのでしょうね。ああ本当に良いテーマなんですが。娯楽性は殆どない作品でした。
※2日経ったので更なる深読みを記しておきますね
主人公の眞人は大叔父との言い合いの中で、その仕組みにも悪意が含まれていると言ってましたよね。これは積み木に対する思いなのか、大叔父の生き方に対するものか、はたまた皇統に対するものなのか……少なくとも現状の皇室のあり方を完全なる善とは認めていないのかもしれません……議論は尽くされぬままインコ大王が力を手にして壊してしまったので後は分からないですが、これからの神無き世を私たちはどう生きるか。作品全体を通してそれを問われているように私は思いました。
※3日経ったので多くの人が分からないと言ってる夏子の出産の謎について記します 今回で最後の追記です
作中の出産は塔の中で神の御子を迎える神事になっています。なので、血脈の男子を迎えるのはこの場所でなくてはならず、眞人の出産も弟の出産も同じように神事になっていたのです。神聖な石室の中で神社の紙垂のようなものがぐるぐる回っていますが、あの輪の中が神界へと通じているのでしょう。紙垂は現世と神の世界を分ける境を示す物です。石室は御船代(契約の箱、失われたアーク)として存在しているのでしょう。そしてそれに直接触れることができるのもまた神の御子だけです。ここで神の御霊が宿るのでしょう。そういう神事の場所です。石室に入ることのできる人間は神の御子のみ。夏子には神の御子が宿っているため入れますし、眞人は神の御子なので入れますが、ヒミ(ヒサコ)は入ることができません。入ることを拒否したのは、自分の愛する旦那の子を孕んだ妹の夏子の子が見たくないからという感情的な理由ではないんです。入れないんです。ヒミが薄情な者だからではありません。
ここでもう一つタロットの話をしましょう。広く知られているタロットカードはライダー版と言いますが、もう一つマルセイユ版のタロットが存在します。マルセイユ版タロットカードでは塔のカードは神の家と呼びます。きっと神の御子は神の家で産むものという事なのでしょう。巨匠がそんなマイナーなカードをネタにするだろうか?と皆さんは疑問に思うかも知れませんね。塔のカードと神の家のカードは大枠で同じ意味を持ちますし。でも神の家には一生懸命に築き上げてきたものが壊されるという塔の象徴的な意味の他に、神の家独自の解釈があり、それが神の意志によってもたらされた人生の選択という意味なんです。これって君たちはどう生きるかと何だか重なりませんか?神の家のカードには破滅だけでなく前向きに考えられる希望が有るんですよね。それは神から与えられた人生の岐路だった訳です。
という訳で、あの塔と呼ばれていた建物は実は神の家という激レアカードから着想を得ているだろうと私は推察しています。眞人はきっと破滅の中で希望的選択をしたのです。作中の最後に太平洋戦争が終わった後の世界が描かれている事がその証拠なのでしょう。そして志有る者達が、一人一人が清く正しく美しく世界を紡いでいくのでしょう。いつか忘れてしまう聖なる心を受け継いで行くのでしょう。この重いタイトルに(戦争へと傾いていく)時代が追いついたという鈴木敏夫さんの言葉と共に僕達はどう生きるか一人一人ちゃんと考えなきゃいけないのでしょうね。ここまで読んでくれてありがとうございました。
原作のことを考えずに見る方がよいかも。
宮崎駿監督の映画を見たのは『紅の豚』以来です。紅の豚がピンとこなくてジブリから遠ざかっていましたが、久しぶりに映画館でみたくなりました。
婆やがゾロゾロでてきて急にファンタジー寄りになった時点で、私の好みではないと思いました。
話があちこち言って教訓を探しつづけましたが、なんとなく2時間経って唐突に終わりエッ?!となりました。
ジブリ作品に詳しい人ならわかるアレコレがちりばめられているのかな。
エンドロールをみてびっくり!。
菅田将暉は誰の声をしてたのかな?わからなかったからすごく上手だったと思います。主役の子も上手でした。
アニメーションを継ぐ人たちへ
アニメーションが美しかった。
画面に映る人や動物がどこにいるのか、何が彼らの身に起きて、どんな風を体にうけ、何を見ているのか。描写や表現が美しすぎました。風、水、波、重さ‥リアルをアニメーションでどうやって表現するのかが詰まりに詰まっている。
大叔父様がマヒトに世界を受け継ぐ話をしていたけど、あれは宮﨑監督からアニメーション業界で働く人たちへ向けた言葉だったのではないだろうか。
宮﨑監督が愛する「アニメーション」を継ぎ、残していく人間でいてほしい。そしてそれは、ジブリという中ではなく、それぞれがそれぞれの世界の中で「アニメーション」を続けていってほしいというメッセージのように感じた。
多くの作品を作り続け、最後はアニメーションの未来を担う若い人たちへのメッセージ…君たちはどう生きるか。
考えることをあきらめないで!!!
まず思い切った宣伝方針に脱帽。匂わせはあったものの、完全に情報が漏れることは公開当日までなかった。この時代に、この宣伝を出来る映画会社が他にあるだろうか?
映画館に行くのがいつもよりワクワクでき、観る前から楽しめた。
映画ではそんなにアニメに詳しくない自分でも「走る」、「歩く」、「飛ぶ」、キャラクターの動き1つ1つに魅せられてしまいました。宮﨑アニメ恐るべし、、
各キャラクター自体も魅力的で、劇場を出るときにはすっかりポスターの青サギが大好きになってしまい、グッズを購入してしまいました。
音楽も作品の内容に合っていてとても良かったです。
作品の中には理解できなかった部分があったが、それについて考え、自分なりの解釈を探しながら家路につくのも楽しかった。
満点にならない人がいるのはわかるけど、星1であっさり切り捨てるにはあまりにもったいない映画だと、個人的には思いました。
星1のレビューを観て鑑賞を迷っている方がいたら、ぜひ自分の目で劇場に観に行って確かめて欲しいと思います。
そこまでするか宮崎駿
さすが宮崎駿という作品の映像美で良作だと思います。
しかし近年では他の監督も映像美にはかなり迫っており、宮崎駿らしさ、ジブリらしさは既にある物語の再創作というウォルト・ディズニーを彷彿とさせた魅力に翳りを感じます。
この作品そのものに説教臭さはそれ程ありませんが、手放しで絶賛するのにはやや難解な作品だというのが個人的な総評です。
尚、タイトルにした「そこまでするか」はパンフレットは後日販売として、劇場で公開初日は買うことができない点です。
事前の宣伝なしに続いて徹底的に内容(ネタバレ)から鑑賞予定者を遠ざける事に徹している点を考えると早めに観に行くのが良いと思います。
恐らくジブリと宮崎駿でもなければおいそれと同じような方法は取れなかったでしょうけど、昨年末に『THE FIRST SLAM DUNK』でも近い情報非公開主義によって成功した例からネタバレの致命的であるというのを作り手側がとても強く意識しているのだと思います。
ジブリ作品らしい演出といえば名脇役の存在ですが、『もののけ姫』ならこだま、『千と千尋の神隠し』で言えば湯婆婆やカオナシですが、今作はワラワラと七人の婆やが愛らしいです。
以降はネタバレ含みます。
一言で表現するなら本作は宮澤駿(少年)版の『不思議の国のアリス』また『七人の小人』、
作品タイトル『君たちはどう生きるか』は作中に眞人が母からの贈り物として手にした吉野源三郎の同名書籍にちなみ、家の周りの森の中にある本好きだったという大叔父が建てた不思議の塔がその伏線と考えられます。
不思議の世界は幾つかの世界で構成されていて、死後の世界(地獄や極楽)と生前の世界など時間軸も無茶苦茶な各世界には青鷺のライバルであるペリカンや色とりどりのインコが暮らしています。
こうした物語のアウトラインを振り返るといつものジブリの描くファンタジー風ですが、難解さと最初に表現したのは眞人が転校先の学校でケンカをしてボロボロになって帰る途中で大きな石を掴み、自らの右側頭部を打ち付け大量の血を流し父母、使用人の婆やたち家族全員が心配するシーン。
父親は「誰にやられた?」とイジメだと判断し、学校に抗議。しかし眞人は転んだと言い張ります。
ケンカやイジメと親の気を引きたいなら泥だらけになった服だけでもいいのに、頭を縫うほどの自傷行為をするのは破滅願望なのか、自らをあまり大切にしていない印象を受けます。
その一方で身重で行方不明になった継母が行方不明になると危険を顧みず森や不思議の塔に向かい青鷺たちと戦い、救い出そうとします。
眞人は口数は少なく、落ち着いた口ぶりですがやっている事はかなり無鉄砲。子どもの先のことを考えないで感情のまま突き進む姿を描こうとするにしては大人びています。
主人公に共感するというより物語(宿命)に翻弄されながら、生きる意味を探そうとする経済的には恵まれている家庭環境の子供の親離れ(乳離れ)がタイトルに込めた意味という点では実に様々な風刺(皮肉?)もあるでしょうか。
最後は無事に現実の世界に帰ってきて喜び合いますが、時間軸は数年後に一気に、弟が幼稚園児くらいまで成長し、この家を家族四人で去る日に飛びます。
そこに見送る婆やたち使用人の姿はなく、がらんとした部屋の様子と合わさり物語を閉じる余韻に引き込まれます。
物語の起伏がないわけではないですが割と淡々としていて、大叔父とのやり取りも心象描写中心で、パンフレットなしに答え合わせできずモヤモヤさせられる点は賛否分かれる作品かと思います。
このある意味でチグハグさを抱えながらも一つの作品をなんだかよく分からないけど完成させてしまう情熱は本当に凄まじいと思います。
宮崎駿(82)の年齢を考えると前作『風去りぬ』から10年。本作が最後の作品にするつもりはないのかもしれませんが、どうにも個人的にはスッキリはしない作品でした。
このため殆ど事前に宣伝や公開情報がなかったら逆に物語の破綻によって宣伝のし様がなく、パンフレットもスケジュールが間に合わなかった説を個人的には推したいと思います。
きっと思いは伝わる
前半少し退屈してしまった。後半退屈しなかったが意味が分かりにくいと思った。でもまた観たいと思った。多分必然的にこの様な輪郭の朧げな、でもどこか未来を感じる映画になったのではないでしょうか。興行成績とか評判とか関係なく、ただ思いを伝えようという感じが伝わってきたように思います。具体的に理解する映画ではなく、全体として色々なことを感じる映画なのかなと思いました。今の答えのない、戦争を身近に感じる時代、ジブリ的な一つの表現なのかなと思いました。※出来れば何度か観て、自分なりに本質を見出してストーリーを具体的にイメージ出来るレベル(次元)に行きたいです☀️
子供は最初の30分に耐えられるか?
公開初日に鑑賞できました。平日だった為席数にもゆとりがあり、大人の方が多かったです。↓以下ネタバレ、物語のざっくりとした説明と個人の感想あり
最初は戦争、焼夷弾がいくつも落ちてくるシーンから始まります。階段を駆け上がり、駆け降りる臨場感、外の景色、火の粉。これぞジブリ!!と感動しました。
以降主人公が大切な人を亡くして(母 父親が再婚し引っ越しをするところから物語は進んでいきます。ここでポスターの表紙になっているアオサギが出てきます。
そして引っ越し先で再婚相手の義母さんがいなくなってしまい、その義母を探すために異世界のような空間に迷い込みここからやっとファンタジージブリに突入します
(アオサギは異世界の案内人のような役です
現実感の緊張感が続くので、ラピュタやトトロのような、最初からワクワクするようなストーリー展開ではありません。ここまで見るのに子供は少し退屈かなぁ?と思いましたので題名に30分耐えられるか?にしました。
異世界に突入してからは、景色や風景の細かさがたまりません。あーこのシーンはあの作品みたい、ここはあの作品みたい。そして食べ物はやはりどれも美味しそう!笑 ツタのある家の壁を登るシーンはこれぞジブリ…とワクワクしてみていました。
ゆるゆるなキャラも出てくれば、馴染みのあるおばあちゃん達も沢山出てきますし、声優は豪華だし、2時間あっとゆうまでした。
ラストシーンだけ え?あれ?急に終わり?え?とゆうなんのラスト感もなく終わるのでもう少し周りにある家具や風景を観察したいと思いました。
いろいろな事を書きたいのですが、まとまりがなくなるので、あとは是非劇場で見ていただければと思います。
印象に残っている動物は、カエルとインコです。
個人的にジブリは何回も見て、何年も見て、年を重ねてまた見て、新しい発見や昔とは違う捉え方をして楽しむ作品だと思っています。2度見た時はきっと違う気持ちになるでしょうし、何年後かに見ると新しい気づきがあると思います。是非最初にこれこれー!と宮崎駿を味わってから、じっくりゆっくり時間をかけて物語の全貌を知っていきましょう。
今ひとつ残念
オープニングは期待したのに、展開がどんどん分かりづらくて、題名にはあまり相応しくない感じがして残念でした。千と千尋やポニョ、ラピュタなどのオマージュ満載な映像でした。声優陣が豪華キャストで良かったです。
君たちはどう生きるか
まだまだはっきりと言語化は出来ませんが、「悪意のない石を世界のあらゆるところへ行って探し出してきた。これを使ってお前がもっと平和で優しい世界を作れ(セリフはうろ覚えです)」という台詞には思わず涙腺が緩みました。
作者が作品に込めた思いなど視聴者の思い込みでしかないですが、今戦争や暗い出来事で揺れ動く世界で、子供達への一縷の望みが、監督の切なる願いが込められているように思われました。
そしてこの願いに自分は悪意のある人だから、と断る主人公。この異世界で出会った人達のような友達を作って暮らしますと返すその平凡でささやかな願い。
誰も無垢なまま完璧で完全な世界は作れないけれど、手の届く範囲くらいは信じたり許したりして生きていきたい
そんな気持ちになりました
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