君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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終映後考えさせられました
前宣伝なし、ジブリ映画にそんな思い入れもなしの私が、ジブリファンの友人に見に行こうと誘われて気乗りせずいつも付き合わせてるからと、付き合うことに、そもそもジブリの作品をそこまでいいと思ったことないので半分渋々でした。
各サイトでアップされてるレビューのネガティブな感想をチラッと見てたのですが意外や意外私は飽きることなく考えさせられました。映像的には前半のリアルな描写に驚きました。
色々考察してる人がいるようですが、きな臭い世の中に君はどう生きるか?どう思うか?ということを問うてるのではないかなと思いました。
わからないことをGoogle先生に聞けばわかる時代に、考えなさいと言ってるような気もします。ちょっと説教くさいところがありましたが、考えさせられました。
ジブリファンの友人は、2回ほど寝そうになったとのこと、ジブリらしさというものがわかっていない私としては、先入観にとらわれず見てたので、感じ方が違ってたのかもしれません。
ただ、これはどうかなと思うのは最後の終わり方です。ジブリ映画数本しか見てませんがその時にも思ったのですが、あの唐突の終わり方がなんとかならなかったのかなーと思っています。
追伸 ワラワラが出てきた時「パケラッタ」と心の中で言って笑いそうになりました。不謹慎でしたらすいません。
日々「生きる」を考えていないとピンとこないかもしれません。
示唆に富んだ芸術を鑑賞する時、人生レベルで下ごしらえが必要なのだと感じました。
装飾が多く、本質が見えにくい作品でしたが、物語にあったドアノブのように、タイトルに最初から最後までしがみついていると骨格がわかりやすいと思いました。宮崎駿さんが書籍のタイトルを映画化した点も珍しく、かつ今の時代に必要性を感じたのかもしれません。
結局「僕らはどういきるのか」が結論でしょう。一番単純な作品のように感じました。
誰しも置かれた環境を不遇だと感じる時期はあると思います。
旦那に不満を持つ主婦、やりたくない仕事をしている会社員、同期に虐められている学生。そんな環境で腐っていくのか、立ち向かうのか、諦めるのか、清く真っ当に生きるのか。
「真っ当に生きようとする方が難しい」京セラの稲盛和夫の言葉です。嘘をつく、言い訳をする、人のせいにする、サボる、方が簡単で、本作はそこに堕ちた人を死人と表現しているように思いました。理不尽な境遇に陥り、自分で石を額にぶつけた眞人も死と隣合わせにいのたでしょう。嘘をつくことは誰にでもある。それを白状できるか?私自身、まだ清く生きることはできておらず、道半ばです。
いつの世もきっとそうだった「世の中おかしい」という人々の漠然とした思い。令和も例外なく問題がたくさん横たわっています。こんなに技術が発展したのに人々の心は穏やかでありません。幸福度も決して高くないように感じます。これまで世界を築き上げた先人たちの世も均衡がとれなくなっている今、僕らはその積み木を積み上げて、未来へと紡いでいく。僕らの意志をピースとして世に影響を及ぼしていく。その意志が悪なら絶対に崩れるし、善ならきっと更に良いものが創り上げられていくでしょう。
動物、鳥のように本能だけで、欲だけで生きていくのか。社会あっての自分、と考えて人のために、社会のために、世のために生きるのか。後者はさぞかし困難な選択です。気高く、清く生きる勇気を。その先には爽やかさだけが残るきれいな世界が広がると信じましょう。
私小説ですけど、視点の持ち方を変えて楽しむ事はできます。
初めの方の、疎開先の屋敷と継母の感情の描写はさすがだと思いました。特に主人公が寝てしまったときの継母の表情。すごかったです。鳥肌が立ちました。主人公にしゃべらせないのもいい演出でした。継母のアンビバレントな感情と主人公との関係性は見ものです。ただ、それ以外の部分に目新しさは無いと思います。映像はキレイだし迫力はあるけど驚きはない、と言った方がいいでしょうか。
ストーリーの楽しみ方、解釈の仕方は、3つの視点がもてると思います。
1つは、不思議の国のアリスのようにワンダーランドの冒険を楽しむ。実は楽しむだけならこの方法がお勧めです。整合性とか伏線とか忘れて、不思議な世界を楽しめます。
2つ目は生死とか命の循環。自分の知らない夜の親。墓とか魚をさばく、生まれ変わり、妊婦に産屋、そして母の死。理不尽な争い。また、老いた老婆の過去、母の過去などの描写は人間の時の流れを感じます。要するに生命の縮図ということでしょう。
7人の老婆は7人の小人=妖精かなあ?
いろんな場面で神話的なものも感じました。教養がないのでちゃんと指摘できませんが。
解釈よりも大いなる自然の中の生命の不思議と神秘を文学的に感じる方法もあるかもしれません。
3つめ。まあ、これはどうかと思いますけど、宮崎駿氏の私小説ですね。「紅の豚」の時に解説を聞いたことがありますが、氏の実家が飛行機工場を経営していて、疎開の経験があるそうですので、そのままですね。
作中、ジブリ作品のオマージュは沢山でます。最後の方のカリオストロ、森へのトンネルのトトロ、ナウシカとかものの怪っぽい菌類みたいな描写、紅の豚の飛行機の列とかガゼボなどなどは分かりましたが、多分全部あるんでしょう。
塔はスタジオジブリ。本が沢山あるのはアーカイブ化しているということか、知識だけでクリエイティブではなくなったという意味か。アオサギは鈴木敏夫氏ですね。で、主人公と叔父さんはなんとなく両方とも宮崎駿氏に見えました。積み木はネタバレなので止めておきましょう。
インコはジブリの職員?駿=食い物で腹を減らしている。ジブリの中ではデカい顔してしゃべっているけど、外にでればピーチクパーチク言うだけ。
とまあ、楽しめる作品ではあるのですが、含意として私小説要素が多すぎて、公開する作品の企画・方針として本当にそれでいいのか?という感想は強いです。
上の3つ目の私小説要素を、現在のアニメ業界・エンタメ全体に敷衍することもできなくはないでしょうけど、これだけはっきりジブリだとその解釈は通じないでしょうね。
ということで…まあ、宮崎駿作品、ジブリ作品でなければ評価がどうなるかわからない作品でした。それ以前に脚本が通らないでしょうけど。
再視聴したくならないかなあ…無料ならもう1回見て考察したいですが…うーん。2.5点ですね。
分からない…
観る前に「難解」「分からない」の意見があり、どういう事か?確認も含めて鑑賞。
なるほど、確かに分からない…。
自分の理解度が低いせいか、考える力が足りないせいか…しかし、分かる分からないで、結構半々くらいに分かれているらしくちょっと安心した。
かの有名YouTuber曰く、アート作品であるから例えばモナリザの絵を見て普段からそういう物に触れていて分かっている人には分かるがそうでない人にはよく分からない、という感じらしい。
作者の宮崎駿も途中よく分からんという様な事を言ってたらしいし…笑
個人的には分からないに加えて、なんとなく盛り上がりに欠けるというか、何か大人しい感じがして、宮崎駿も歳とったなぁと思ってしまった。
ひどい作品です。怒ってます。まあ見れてよかったけど。
〈的外れな憶測です。〉
ホントに宮崎駿氏の作品なのでしょうか?
今までの作品のオマージュ作品のような気がします。
どれかで見たような場面がたくさんあります。
本人がこんなものをつくるのでしょうか?
正真正銘の本人作ならこれは生前葬でしょうか?
いや、秘密を貫き通した今作ならまさかとは思いますが、、、。物語の裏より制作の裏側が気になります。でもそう考えると辻褄が合うような気がするので映画代返せとは言わないでおきます。
私はジブリファンではないからか、あまり良さを感じなかった。というよ...
私はジブリファンではないからか、あまり良さを感じなかった。というより何が伝えたかったのか?というところは曖昧に感じた。
戦争という現実からファンタジーに引き込まれる様子はなんだかジブリらしさもあり、そこは良かったかな。
前半でわからないが連続していって、後半で明らかになるかと思いきやそれもなく、わからないで終わった。
家族全員で楽しみにしていたのに・・・
経済的にとても苦しい生活をしていますが、大好きなジブリの最新作ということで、なけなしの金をはたいて家族みんなで見に行きました。
結果、意味不明すぎてまったく楽しめず、あまりのつまらなさに子供たちも言葉少なに帰路につきました。泣きたくなりました。
これこれこういう映画なので、こういう人たちには向いてませんよ、という事前情報がやっぱり欲しかった。82歳になった宮崎駿の最期のメッセージともいえる作品ですから、よく考えれば予測できたのでしょうが、それにしてもあまりに不親切だと思います。
魅力的なキャラクターが皆無、という点も致命的だと思います。せめて、ストーリーはなんだか良く分からなかったけど、あのキャラクターは面白かった、気に入った、くらいのことが持ち帰れればよかったのですが、残念ながらそんな要素もひとつもありませんでした。
初期~中期の宮崎駿作品が好きな方、特にお子さんと一緒に見に行こうと思っている方には、まったくおすすめできません。
内容が意味不明というだけでなく、過去作品を連想させるような要素も盛りだくさんですので、アート鑑賞のように、込められたメッセージや作者自身も意識していないような深層心理にまで、あれこれ思いを馳せながら作品をしゃぶり尽くすのがお好きな方には、最高の映画かもしれませんね。
感傷を失った散文詩のようなもの
自分の頭の中にある思想やアイディアというものは、
そのまま世に出しても、そうそう他人には受け入れられないですよね。
だから味付けをして、食べやすくする。
その過程で言いたかった事の本質は変容してしまったりするのですが、
それに気づかない振りをして、他人に見せるための「加工」を施すわけです。
自分で文章、詩、映像を作る人なら、お分かりいただける感覚かと思います。
この映画は、そういった義務感から半ば解放されたものに思えます。
今描きたいもの、表現したい素材だけで作られたコラージュのようなものでしょう
功成り名遂げた者だけに許される「贅沢」であり、ある種の「おままごと」です。
人は誰かのために生きている。人は社会とは無縁ではない。
庵野監督が「自分が世の中に役に立つのはこれしかないから」と言っていたように
「スタジオの皆を食わせなければ」「次を作るために当てなければ」
こういった制約は時としてクリエイターの作りたいものを歪めてしまうけれど、
その葛藤と矛盾の中でもがき苦しみながら産み出したものだから、価値があるし、人の心を打つのだとおもいます。
優秀なアニメーターを引き抜いて、何年も従事させて、出てきたものが「自分にすらよくわかってない何か」だという事実に、「老境」の絶望を私は見ました。
メタ的に見れば、これほど怖いものはありません。
ホラー映画だと考えれば、正しく一級品と言えるでしょう。
★5つ以上。君たちはどう生きるか
何一つ欠けの無い★5つ。
宮崎作品の表現・色彩には今回も驚かされましたが、物語り自体もまさにタイトル通り「君たちはどう生きるか」
で、全編通して何一つ不要なものは無いと思えるほど素晴らしい内容でした。
監督はもちろん、それ以外の人達の想いもそこに詰め込まれているように感じました。
今後も観続けたいです。今回、私の心の中に★5つこの作品を通して与えて頂きましたが映画のタイトル通り、どう生きていくかを考え、今後作品を観たときに★5つ以上を心に得られるように生きて行こうと思わせてくれました。
子供にも観させようと思いますが、今は少し観ただけでは理解出来ないだろうと感じたので今後タイミングをみて、こんな作品があるよと伝えようと思います。
内容に関しては場面場面の全てに意味がありすぎて、観て1日では書ききれないので時間を作ってレビューして行きたいです。
祖先の視点、母の視点、まひと視点、鳥達の視点、宮崎さんの視点、映画を観る人自身の視点、色んなものが詰まっていて、それを不思議な世界観でうまく表現されているように感じます。
かけがえのないもの、美しいもの、世界的にも乗り越えなければいけない様々な課題。胸がアツくなる世界観でした。
この映画は先人の想いや未来の人・動物に想いを馳せてみると、いかに壮大で心に響く作品かを感じ取れると思います。
そして、私自身・映画を観る方々、どう生きるかを今後も、真剣に考えて行けたらきっと更に感動が増して行く素晴らしい作品だと思いました。感謝です。
宮﨑駿さんからのバトン、受け取るのは…
2回目を観て、ある程度自分の中での意見がまとまってきたのでレビューしてみようと思います
今作を見終えた時の最初の感想は、宮﨑さんはほんとにあとを誰かに譲って引退してしまうんじゃなかろうか…でした
クライマックスからエンディングにかけて本当に悲しい気持ちになり、帰りの車で声を出して涙しました
いままでの宮﨑作品は、環境保全だとか、核反対だとか、宮﨑さんの中の思想強めの作品が多かったと思うんです
でも今作に関してみると、
大おじ様が眞人に自らの席を譲ろうとするも断られる、大おじ様は眞人の断った言い分を聞き入れ、そのうえで「君たちはどう生きるか」という問いかけをして終わっています
つまり今作では宮﨑さんの持つ思想性をあまり感じず、視聴者への投げかけで終わっていて、それって宮﨑作品においてとても異質だと思ったんです
ではなぜそのような変化があったかというと、作中で大おじ様が眞人に席を譲りたがってるように、宮﨑さん自身ももう後継者に自分のアニメ映画界のトップランナーのバトンをもう誰かに譲りたがっているのではと思えてしまうんです
でも自分のバトンを受け取ってはもらえずそのまま消えていく大おじ様…
宮﨑さんを大おじ様と考えると、もう宮﨑作品を今後見ることはできないかもしれない…というなんとも言えない悲しみが押し寄せて来たんです
では誰にその席を譲ろうとしていたのか、眞人は誰なのか?
僕は誰か一人を指名しているようには見えませんでした
スタッフロールに注目してみます
作画協力した会社を見てみると、
スタジオカラー→庵野さんの会社
スタジオポノック→米林さんの会社
スタジオ地図→細田さんの会社
コミックス・ウェーブ・フィルム→新海さんの会社
日本の名のあるアニメ映画監督が率いる会社がズラリと並びます
さらにはI.G.、ufotable、4℃などなど…クオリティの高い劇場作品を輩出する会社の名前もありました
さらには、制作の欄にクレジットされていましたが息子である宮崎吾朗さんの名前もありました
(個人的に、この中に吾朗さんの名前も入っているのが、宮﨑さんが吾朗さんを一アニメ作家として認めているようにも見えて個人的にすごくアツかった!)
つまり日本トップクラスの劇場アニメ作品を作る会社がこぞってこの「君たちはどう生きるか」の制作に加わっているのです
(この会社をジブリ側がオファーしたのか、あるいは協力した会社側から自ら手を挙げたのか定かではありませんがとても興味深いですよね)
僕はこんな豪華なスタッフクレジットのアニメ作品、見たことありません
ここから僕は、
眞人=宮﨑駿の次を担う有望な劇場アニメ作家やアニメ会社
と解釈しました
つまり宮﨑さんは
自分の跡を継ぐアニメ作家や会社を探していた
しかし無垢な積み木を積める=自らの理想とするアニメーションを作れる作家や会社はいない
ではどんな作品を後輩たちは作るかと問いかける
ということを今作で描きたかったのではないでしょうか
あるいは、それを意図していないまでも、それが作品ににじみ出てしまった可能性もあります
だいぶこじつけも入っている感じがありますが、この作品を日本アニメ映画業界と結びつけて見るととても面白いなという一意見としてお楽しみいただけるとありがたいです
そのほか、技術面で面白いなと思ったのが、
・止め動かし(仮称)→ミドルサイズ〜アップ時の止め絵のセルを2枚用意し、交互に表示してキャラクターの感情からくる微妙な震えを表現
・ワラワラの色替え→ワラワラの熟し度合いによって?色が違う。おそらく普通の白、黄色っぽい白、緑っぽい白の3色
(これら2つ、多分合ってると思うんですがどうでしょうか??間違ってたらすみません笑)
などなど、やはりスタジオジブリ作品、宮﨑駿作品でしかできないんじゃないかと思うほどの細部のクオリティの高さは目を見張るものがあります
さらには、「事前プロモーションを一切打たない映画」を視聴するという体験も、この作品を語るうえで欠かせません
おそらくですが、PVすら作られないこんな映画の売り出し方ができるのは日本アニメ業界、もっというと日本映画業界で宮﨑駿しかいないんじゃないかと思うんです
なので後にも先にも、こんな映画体験は「君たちはどう生きるか」でしかできないのかも…?と思うと、僕の映画人生において、本当に貴重な経験をさせてくれた作品でした
まだ見ていないという方には以上のレビューなど一切読まず、劇場に足を運んでほしいものです笑
ものづくりの魔力とクリエイターの狂気を描いた「風立ちぬ」を作った宮﨑さんのことだから、もしかすると自分の命が尽きるまでアニメを作り続けるのかもしれません
次の宮﨑作品はあるのか、ないのか、それは今のところ宮﨑さん自身もわからない、神のみぞ知るといったところじゃないでしょうか
最後に、この作品を作り上げた全スタッフの皆様本当にお疲れ様でした!!
1カット1カットへの労力から皆さんの情熱と苦労が本当に伝わってくる画面でした、素晴らしい映画をありがとうございました
僕はこの作品が大好きです
一旦グッズのポスターを額にいれて、シンエヴァのポスターの隣に飾りたいと思います
もしこの文章を最後まで読んでくれた方がいたら、ほんとにうれしいです
良ければあなたの意見も聞かせてください
長文失礼しました
宮崎駿の劇場版エヴァンゲリオン。あらかじめ宮崎駿という人物考察が必須
個人的にはめちゃくちゃよかった。
良かったというのは、自分が思ってる宮崎駿像を答え合わせてきたという点。
本当にその点に尽きる。
まず先に言わないといけないのは、宮崎駿という人物に興味を持っていないと、まるで言っている意味が分からないだろう。
映像作品そのものとしては、冒頭の小手先のビジュアル的な上手さ以外は、心惹かれないのではないかと思う。
物語の内容は、大きく2点フォーカスが当たっている。
・現在の子供の成長環境の問題(と片親問題)
・ジブリスタジオが歩んできた軌跡(隆盛と衰退。後継者問題)
この2点は宮崎駿本人が、ジブリスタジオ内に保育所を作り、そして直面した後継者問題でもある。
なのだが、それと同時に、宮崎駿自身の個人的な感情をぶちまけた感じになっており、瞬間的な感情をそのままぶち撒けているだけなので、その瞬間何が言いたいかはとても分かりやすく、そして荒い。
全体を通して言いたい主題というのは弱い。
以下雑に考察を書くが、精度は他の方が高いと思うため、流し見程度で見ていただければと。
一つ一つのパーツは分かりやすい。
眞人=宮崎駿が思い描く理想的なジブリ後継者であり監督本人の分身
大叔父=宮崎駿、屋敷=スタジオジブリそのもの(一面ではアニメ業界全体)
大叔父はどう頑張っても1日くらいしか世界を変えられないと自覚している。
しかし大叔父の思想を受け継いでほしいと思っている。
アニメ(ジブリ)に触れる=穢れている構図があり、穢れずに駿本人が認める後継者が見つけられないという現実。駿本人は大人がアニメを見ることをずっと否定している。駿本人が納得しうる絵やテーマを描くことができる人物がいないという現実。
この辺からして大体病んでいる。
そして子供の成長を妨げる片親問題、現代的な子供の孤独、成長環境への危惧、仕事を優先する毒親等…。
前半はこういった要所をそれぞれ描かれていると思う。
最後に場面に鳥の糞の表現がある。
これは鳥の糞でも掛かってしまえ、ざまあみろという監督の悪意にように、個人的は思った。ここの解釈はいろいろだと思う。自分が思っている宮崎駿は、こういうことをやる人間だ。
軍事産業に猛進し金と資本主義の亡者の父親。くそくらえだ。
子供そっちのけで男といちゃついて本心では子供が嫌いな母親。くそくらえだ。
自殺未遂を行う孤独で愛を失い、屋敷(ジブリ)のかけらを持ち帰った眞人。くそくらえだ。
ただ、鳥の糞が掛かっても、それぞれのリアクションは違う。そこに登場人物それぞれの意匠があるように思う。
最終的に積み木の一かけらを持ち帰った眞人
それは純粋ではない欠けら。監督自身が愛したいくつもの純粋な原作作品(ハウルやゲド戦記など原作)とは違う、屋敷(ジブリ)によって生み出されたかけらを持ち帰ってしまった眞人は、この先どう生きるのか。
それが作品の終わりになっている。
あくまで一人の人間の解釈であるが、総括としては以下のような感じだ。
君たちはどう生きるか。→ 自分はこう生きたけど、お前らはどう生きるのか?
それがこの作品のタイトルの問いかけ。宮崎駿人生そのものを書いたに過ぎない。
宮崎駿という超絶アニメーターで一代で作り上げた大ヒット映画監督が、アニメに込めた思いも碌に伝わらないこの世の中で、凡人のお前らがこの世の中の一体何を変えられるというんだ、というプライドからの蔑みも聞こえる気がする。
岡田斗司夫の言葉を借りれば、単純に言えばアート作品。
それがとても的確のように思う。
この作品を最後まで見て、本当にジブリを継ぐものはいないんだなと。
この作品を作って監督は、最後にパクさんに恥じない作品と作ったよというのだろうか? それとも完璧に作れなくてパクさんにまた怒られるなと思っているのだろうか?
そう思うと俺は帰りの電車で思わず泣いてしまった。
追記にはなるが、ヒミが現れたあたりから内容がガラッと変わる。
前半は本人の思っている美しき日本の肯定や内面描写が多く書かれているが、後半は西洋文化の肯定、大きな権力への屈伏、アニメ業界から期待されるジブリスタジオと、理想から現実にガラッと描くものが変わっている。
理想・根源的な動機はこうだったが、現実にはこんな妥協も起こってしまうし実際できなかったんだということが描かれていると思う。この辺りがこの作品をわかりにくくしていると思う。
宮崎版エヴァなのだろう
引退かと思われた宮崎駿監督の新作が見られるということで、しかし全く宣伝が無かったということと、タイトルの地味さが気になってあまり見に行く気はなかったのだけど時間があったので公開日に見た。
前半と後半でまったく舞台が異なっていて、その展開にぽかんとしてしまうところがある。
もっと今生世界と地底世界のつながりを感じられる描き方があるとよかったんじゃないだろうか。
物語の骨格は、大叔父さんがアオサギを使って少年を地底世界にスカウトする話、
少年の母親の死と、疎開先と新しい母親とやがて産まれる兄弟を受け入れられずに悩む話、
これを時代世代を超越した不思議な地底世界を絡めて見せるというもの。
最終的に少年はすべて現状を受け入れることで終わる。
大枠として少年の内面の話になっているので、これはエヴァなのかなと思う。
風立ちぬでは庵野が声優をやっていたし、宮崎監督もそれっぽいのを作りたくなったのかもしれない。
少年の父は聡明で活発で仕事もできて、女にモテる。
死んだ妻の妹を早速孕ませてしまうのだからとんでもないエロ親父である。
真面目な少年はそんな父を苦手に思うのは当然で、新しい母親にもどうにも馴染めない。
そりゃあそうなんだが、地底世界に行ってから特に脈絡もなくこの新しい母を受け入れてしまう。この辺の心理がよく描かれていないように思えた。豹変したように見えた。
そういえば地底世界は崩壊したようだが、だからと言って世界にさしたる影響は無かったように見えた。ただの夢の世界だったのだろうか。消えても良いものだったのか。
全体として、物語を構築するための大事な部分がいくらか抜け落ちているような印象をうけた。
もっと丁寧に作ってくれると良かったと思ってしまう。
なお、ジブリ飯の描写については大いに不満。
今生世界では砂糖に群がる婆しかないし、地底ではシチューが冷めてしまうし。
ただ食パンを無表情にかじるだけ。
特にシチューが冷めるシーンは本当にがっかりした。
どうでもいいから早く飯食いに戻れよって思っていた。
監督が歳を取ってしまって食への執着が薄くなってしまったのだとしたら残念でならない。
追記:
NHKの特集を見たが、大叔父は高畑監督で、アオサギは鈴木プロデューサーなんだそうだ。
なるほどそういうことならこの映画タイトルも納得がいく。
この二人に大いに振り回された自身を回顧した映画というわけだ。
そのうえでお前たちもこんな濃密な人生を送れているかと問うているんだな。
ただやっぱりそのような背景を知らなくても楽しめる作品として作りこんであれば尚よかったと思う。
う~ん、何を言いたいのかわからない。
つまらないの一言かな・・・。
見るのが途中でつらくなるレベル。
転校後、同級生にいじめられていて、なんでそのあと
自分で石で頭を傷つけたのかその思考回路も理解できない。
なくなったお母さんと新しいお母さんがそっくり?
急に失踪をして、不思議な世界へ踏み込む。
なくなったお母さんが生きていると言われるも、
触ると、どろどろにとける。。。
シュールすぎる。
屋敷にいる奇妙なおばあさんたちの存在もよくわからない。
そのうち一人が若い姿で不思議な世界の中で活躍するとか、支離滅裂。
いんこや青さぎ、ペリカンが気持ち悪く描写されていて、
見ていて不快感しかなく。
いんこの王様、なんだこれ? 最後、自分勝手に自滅か?
キャラ的に理解ができないし、共感ももてない。
キャラクター、すべてに興味を持てず、名前すら憶えていないけど、
あの火をまとう女の子も意味不明すぎる。
ストーリーがすごく分断されていて、一貫性がなくよく理解できない。。。
感動もなにも感じない。時間の無駄だった。
こういう映画は、あまり好きではなく、理解ができない人です。
だから、このような辛口コメントで申し訳ありません。
劇場で見たのはお金の無駄だったなと後悔しました。
声優も有名な人を使っているのも、、、、もったいなさすぎる気がします。
宮崎駿全部盛り
まずはアニメーションの描写のこだわりを感じる部分が多くて魅了された。眞人がズボンのファスナーを上げる、水中から浮かびあがる、キリコさんが主に乗りあげる動作などなど、細かい描写にフェチズムすら感じる場面が沢山あったと思う。
ストーリーはさておき、宮崎駿作品の名シーンをセルフオマージュしたような場面が沢山あり、宮崎駿作品のファンなら滅茶苦茶楽しめるのでは無いでしょうか、どうでしょうか
個人的には眞人と青鷺がテーブルに並んでキリコからお茶?をもらっているシーンがポニョに出てくるシーンに似ていてほのぼのして好きでした。
どこかちぐはぐで整合性の取れない設定やセリフのやり取りは、これが監督の頭の中に存在していた存在で、それぞれが独立した世界観を持っていてその世界の条理に従って行動しているからなのではないかと感じられてこれはこれで面白かった。
宮崎駿が自分のアニメーション人生を振り返り終わらせるような内容とも、この某石屋に支配された世界を憂いたような意味深な内容とも取れて興味深かった。(深読みすれば、それが理由で宣伝を打たなかったのかな?など)
向こうの世界での魔術的な要素は最初は西洋的だと思っていたけど、結界的な要素や式神を弾き飛ばすような要素から陰陽的な世界観なんだろうか?
眞人が青鷺の風切羽を使って矢を作ったけど、米を一旦口に含んだことで力を持ったんだろうか、もしくはあの世へ通過するするための神事的な要素なのかしら(君の名はの口噛み酒的な)、など色々考えながら観るのが楽しかった。
あと作品に出てくる沢山の鳥!鳥鳥鳥!鳥が苦手な人はさぞかし苦痛だった事でしょう
あの鳥たちはなんの意味があったんだろう
鳥といえばTwitterを連想します笑
インコはただただ作品をネタとして消費するだけのSNS民への意趣返しだろうかなんてTwitter民の私は思ったり刺さったりしました笑
だとするとペリカンはアニメオタク達かなあ
あのインコたちのフスフスな鼻息がちょっと可愛かった
他にも主とふわふわ達が生殖行為をモチーフにしているだろうという事から、キリコさんは大叔父とそういう関係だったのかも?
久子が2年後に戻ってきたという事はキリコも2年神隠しにあっていたのかな?
宮崎駿は手塚治虫と色々あった、という話をよく聞きますが、最後の青鷺の友達という言葉に、なにか本人達にしか分からないような想いがあったのかな、とうっすら感じました。
個人的に色々考察していくのも楽しいかもしれない映画でした。
エンドロールにまたびっくり
え、菅田将暉だったんだ!!!
原作・脚本・監督:宮崎駿(82)という意味
大ジブリファンというわけではありませんが思ったこと感じたことを書き留めたいと思い書きます。
公開から1週間たち、風の噂にて「訳のわからない映画だった。これを面白いという人は難しいものをわかっているふうに言いたいだけだ。」という評価を耳にし自分はどう感じるのだろうかと思い映画館に足を運びました。
結論から言うと面白かった。率直な感想です。映像、音楽、ストーリーどれをとっても大変感慨深いものでした。
映像、音楽はこれぞジブリと言わせんばかりの出来だったと誰もが言えるでしょう。
しかしストーリーはたしかに説明不足なものは多かった。
なぜそのような行動をしたのか、なぜその人なのか、あの世界はなんなのか等々疑問点を挙げれば色々出てくるでしょう。全てを説明できる人なんて宮崎駿さんしかいないのではないでしょうか。
私はそれらに考えを巡らせるのが面白かった。
このキャラクターはこの人、こういう人達がモチーフなのかな?このシーンはこういう意味なのかな?など他高評価の方が書いてくださっている内容です。
ですが低評価の方達が言うようにこの作品がもしジブリの看板が無かったら?宮崎駿監督では無かったら?と言われると面白くないと感じるかもしれません。
今までのヒット作の様なわかりやすさや爽快さはないでしょう。
低評価の人と高評価の人の違いはスタジオジブリに関するちょっとした知識があるかないかやシーン1つ1つの意味を考えながら見ているかどうかによるのではないかと思います。
ですがシーンの意味を考えながら見る方が偉いとかいう話は全くなく、制作側の裏の意図?を読み取らなければいけない作品は興行的にもいかがなものかという意見なども同意できます。
しかしこれはジブリ作品なのです。宮崎駿監督(82歳)の作品なのです。
今まで何十年、何作品にもわたってどんな世代の誰が何回見ても一緒に様々な世界を楽しめる作品を作り続けた宮崎駿監督の最後になるかもしれない作品なのです。
暴論に聞こえるかもしれませんが最後くらい好き勝手やってもいいじゃない。わかる人にしかわからないメッセージが込められててもいいじゃない。映画と言っても所詮2時間程度です。詰め込める内容にも限りがあります。もっと面白おかしくわかりやすくしようとすれば宮崎駿さんならできたのではないでしょうか。
宮崎駿さんが伝えたかった、やりたかった「君たちはどう生きるか」をジブリ作品として作り上げたのが今作なのだと思いました。
宮崎駿さんの積み立てた積み木が私は大好きです。
ありがとうございました。本当にお疲れ様でした。
(もう1回くらい引退詐欺してもらえるのを期待してます)
多彩なメタファーを含みながら美しくファンタジックに進行する深みのある作品。
宣伝を派手にしないビッグネームの新作だったので驚きました。きっとシンプルな冒険物語として楽しく観るだけの作品では恐らくないのだろうな、いやむしろ、そうであって欲しいな…!と思いながら劇場に足を運びました。
色んなメタファーを含んだままファンタジックに展開していく作品で、それぞれが何の暗喩なのかを考えながら、結局それと同時に映像の美しさや新しい表現に引き込まれるように観ていました。
それぞれの登場人物が何の暗喩なのかを紐解いて整理すれば、この映画に込められた宮崎駿監督の思いがよりくっきりみえてきそうな気がして、その時にまたもうひとつグッとくるんだろうなというのが鑑賞直後の今の気持ちです。
そもそも死へと向かう自分達の並行世界として生へ向かう世界が存在しているという死生観自体がファンタジックで素敵だなと思いました。直人と母が世界線を越えて接触し、再び別のドアへと旅立つシーンが、個人的にすごく感動しました。そんな風な事があったら、そんな仕組みでこの世界ができていたら、とても素敵だなぁと。
なんだか最近、すっかりお金、ステータス、欲で動く大人の世界についつい違和感を覚えなくなってしまっていた、自分もあのインコ達のようだなぁと。でもあのインコ達、悪意を感じないんですよね。
神は神の意図を持ってこの世界を作り、バランスを保っている。一方でそれに問いかけを投げかけながら作り上げてきたこれまでの人間社会。その構図が限界を迎えつつあり大きく変革の時を迎えているいま、僕たちは何を考え、どんなシステムを作り上げていくべきなのか。個人としてどのように生きていくべきなのか。そんな問題提起をあらためて受けたような気持ちになりました。
一筋の思いが裏に確固として通ったようなジブリ作品を観ることが出来た!という気持ち。色んなレビューを見てみたいです。
簡単につまらないと決めないで〜なぜ鳥か?
レビューの評価が分かれているが、つまらないと簡単に決めないで、私なりの考察を読んでほしいです。
なぜアオサギなのか?
アオサギは西洋で「見ると縁起が良い鳥」とされており その理由は、古代ヨーロッパでフェニックスの由来となる鳥「ベヌウ」とされており、神様のように崇拝されていたから。とある。
片や日本では、青鷺の習性には、真夜中に上空を飛びながら、不穏な絶叫を木霊させているイメージ、他にも浮世絵にも青鷺が妖怪のごとく描かれているとある。
住んでいる国、欧米、と日本では真逆のような意味をしているのだ。その象徴としてのアオサギ。
そして、アオサギには、スピリチュアル的には自立心という意味があり、誰かを頼ったり、依存したりせずに、自分の足で自分の人生を歩いていきなさいという意味を持っていて、もしアオサギに急に出会ったら、誰かの言葉に翻弄されることなく自分が信じた道を進んでいこうというメッセージが込められている、という。
まさに宮崎駿が伝えたい事のひとつがここにあると推察する。
そしてなぜインコなのか?
東京では昔ペットとして飼っていたインコが逃げ出し繁殖して、日本の古来種の鳥達を脅かしている。
ジブリのアトリエの小金井界隈はまさにそうで、インコは無責任な人間によって逃げ出し繁殖した外来種であると言う事。
そしてヨーロッパではローマ時代にすでにペットとして飼育されたことが記録されているとある。
インコは何を意味するのか?
インコ は欧米人、又は西洋化した日本人を意味すると考察、
そのインコを支配するインコ王は?
インコは、西洋では貴族が飼っていたと考えると?
最後にインコの糞をかけられ笑っているシーンがあるが、これの意味することは?
石は西洋、木は日本の象徴だとしたら。
宮崎駿は敗戦した戦後の日本を総括したい、そして、どっぷり西洋化した今の日本を、外国に飲み込まれていることすら気づいていない日本人に、このままでいいのか、君たちはどう生きるのか?と問うていると考えたなら…。
この映画は何重にもメッセージが込められていて、私はまだまだ理解できてないけれど、
宮崎駿は1人でも多くの日本人にこれからの日本のことを考えてほしいと思っているんじゃないかな。
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