君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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失われた物語の中で
吉野源三郎の同作にインスピレーションを受け,オリジナルストーリーとして制作された宮﨑駿の最新作である今作の評価は真っ二つに分かれることになった。これまでのジブリにあるような「物語」としての側面は大きく後退し,アニメーターとしてのパーソナルな表現が前面に押し出されている結果だろう。『風立ちぬ』で引退を宣言した宮﨑がそれを撤回して監督した今作はあまりに自由で伸び伸びと作られている。次世代へのメッセージを含んだ「遺書」とすら呼べそうである。アニメーター宮﨑の自己開示,それは物語というよりイマジネーションに満ちた混沌だった。フェデリコ・フェリーニが『8 1/2』で撮りたかったものを,宮﨑はアニメーションで表現したように思える。
冒頭では東京が燃えている。ジブリが自家薬籠中の物としている「火」の描写は『風立ちぬ』から地続きである。そしてそれはたとえ空襲による火災であったとしても,「偉大な破壊」(坂口安吾)であるがゆえに美しい。病院にいる母のもとへ走る主人公・眞人はもちろん宮崎駿その人である。履き物を慌てて脱ぐ仕草や階段を駆け上がる動きなど,アニメーションのお手本のようなシークエンスには誰もが目を奪われただろう。しかし,病院の火災により眞人の母は命を落としてしまい,彼は疎開することになる。眞人が東京から離れると画面から戦争の影が消える。まとめると,前半が現実パート,後半が虚構パートというふうに切り分けることができるだろう。そして現実と虚構の往還,すなわち児童文学によく用いられる「行きて帰りし物語」の形式によって物語が展開する。「行きて帰りし物語」では「向こう」へ行くために「通路」が必要である。それらは『となりのトトロ』では「小径」,『千と千尋の神隠し』では「トンネル」として表現されてきた。今作においては「塔」が「通路」であるのと同時に宮﨑にとっての重要なメタファーとなっている。塔は疎開先の森の中にひっそりと建っているがこれは人が作ったものでなく,空から降ってきたものだという。人智を超えた存在である塔はおそらく「物語」の暗喩だ。そしてそれを人が建造物すなわち言語や法体系でコーティングしている。神の言語で書かれた物語を私たちが読むためには,低次元の言語や体系を必要とするからである。眞人が義母を探して通る道はまるで『となりのトトロ』に出てきた場面と酷似している。これだけでなく,『ハウルの動く城』の扉,『崖の上のポニョ』の船の墓場など,過去作品からの引用が多く見られる。それらは「ジブリらしさ」というサービス的な目配せではなく,明らかにコンシャスな反復である。特徴的なのは,眞人が異世界へ進んでいく際,そこに「老女」が同伴する点だ。『となりのトトロ』も『千と千尋の神隠し』も少女の成長譚という性格を持っているため,「大人」は彼岸へは行くことができない(サツキとメイの父親にトトロは見えないし,千尋が冒険している間,両親は意識を喪失している)。しかし,今作で宮﨑は屋敷に侍女として仕える老女を登場させた。もちろん彼女はキーパーソンであり「観測者」あるいは「守護者」としての役割を果たすことになる。眞人を映す「カメラ」であり,物語を受容する「観客」でもある。彼女は塔の奥へ進む眞人に「罠」という言葉を使うが,このワーディングはやや奇妙である。罠というのは,それを仕掛ける主体なしに存在しないためである。老女は「大人」でありながら,異世界への分水嶺で「罠」を仕掛けた何者かの存在を嗅ぎ取っている。また,彼女はアオサギが喋る様子を目撃する。アオサギだけではない。のちにインコも登場するがこれらは現実世界の「大人」たちに「バケモノ」として「認識」されるのだ。ここに従来の作品との違いがあるように思われる。「喋るアオサギ」も「インコの兵隊」も一般人に「見えている」とすれば,彼らは現実世界に存在するなにかしらの存在の表象だと推測できるだろう。序盤のアオサギは不気味な存在だが,その「着ぐるみ」を剥がしてしまえば無能な中年男性(=サギ男)である。翼を奪われたサギ男は粗忽でコミカルな存在,すなわち道化と化す。アオサギは,眞人を異世界へと導くトリックスターなのである。彼は大きな魅力のないキャラでありながらポスターに採用される存在感を持ち,最後には眞人と「トモダチ」になる。敵でも味方でもないトリックスターは「物語」への「水先案内人」なのだ。物語を信じる宮﨑にとって欠かせない存在だろう。
眞人たちが地底世界へ潜り込むとそこにはインコ帝国が築かれている。この「帝国」はおそらく「スタジオジブリ」だろうが,同時にそこは宮﨑駿の精神世界である。そこでは生者と死者が行き交い,過去と未来が混ざり合っている。過去の作品世界が引用としてでなく,メタフォリカルに重なり合いながら存在しているのだ。「わらわら」という存在が地底から「地表」を目指して飛んでいくシーンがある。わらわらはおそらく「受精卵」あるいは「物語のインスピレーション」だ。生命や物語は,厳しい淘汰圧を耐え抜いたものだけが存在しうる。それを食べる「ペリカン」たちは,生命や作品に「カネ」の匂いを嗅ぎつけた資本家であり,批評家であり,一般大衆でもあるのだろう。ジブリ作品にしてはやや造形の書き込みが足りないような気がするが,「創作」に関するプリミティブな考え方に触れることのできる重要なシーンである。地底世界には,「塔」(=物語)の中で姿を消した白髪の「大叔父」が登場する。彼はおそらく宮﨑駿本人だろう。だとするとここで矛盾が生じることになる。観客は眞人を宮﨑本人だと思っているからだ。しかし,実母の「ヒミ」,老女の「キミコ」が若かりし頃の姿で地底世界に存在していることから,その矛盾は特に問題視しなくて良いだろう。眞人は過去の宮﨑,大叔父が現在の宮﨑であるという推論はコロラリーとして容易に成り立つ。インスピレーション源の『君たちはどう生きるか』は「叔父」と「コペル君」の対話がベースとなっているが,本作では叔父が大叔父,コペル君が眞人に翻案されている。宮﨑は脚本をツイストし,叔父とコペル君のアイデンティティをも縫合してしまったのだ。それは「過去の自分」と「未来の自分」の対話でもある。すなわち本作は徹頭徹尾,宮﨑による内面の吐露だ。それは私たちに説教をする内容の映画ではない。むしろ「自分はこう生きた」という宮﨑自身の生の証明になっている。いい画を容易に描けるようになった宮﨑が,あえて背景やパースを崩して表現したかったものは,あまりに個人的実存だったが,国民作家によるそれはあまりに普遍性を獲得している。日本アニメーションの巨匠に許された自由な自己表現は,難解でありながら観客の心奥に訴えかけるものでもあったのだ。本作は児童文学としての性質を持っているため,むしろ子どもたちのほうが純粋に冒険譚を楽しめるのかもしれない。ロジックやクリティカルシンキングに馴染んでいない子どもたちは映画の混沌を混沌そのものとして受け止めることができるだろう。そんな純粋な作品を86歳にして作ってしまう宮﨑駿はやはり天才的な作家である。
終始荒唐無稽↩︎監督自身も意味不明と言及 結論何の意味もない。だが名作
タイトルでも言いましたが、間違いなくジブリ最高傑作です。だが難解。鑑賞後のカタルシスが凄いです。
今までの駿ジブリは子供でも楽しめるが大人も楽しめると言った様なスタンス。今作でも残っていますが、10年前の風立ちぬから若干路線変更しているように伺えます。特に血シーンや難解などストーリー構成でしょうか?
本作も風立ちぬも血シーンが有ります。
お子さんには若干ショッキングに映ると思います。後、本作はネットやら口コミやらで難解だからと言って視聴を控えるのはかなり勿体無いと思います。なので寝ている人が多かったです。前述した通りですが、本作は難解です。しかし難解でも美しいアニメーションや世界観で私を引き込んでくれてとても素晴らしいです。今までほぼ全てのディズニー映画、ジブリを鑑賞してきましたが、ここまで考えさせられる内容の映画はないと感じました。本作はハッピーエンドですが、考え方によってはメリーバットに捉える事も可能です。
ディズニー映画お得意のお涙頂戴的なハッピーエンド映画が苦手、だが、バットエンドも苦手な人にかなりおすすめできます。
以下、ネタバレを含みます。難解な点や面白いと思った所、考察など書いていきます。
①結局本当の母親は死ぬ。
母親は死にます。しかし異母と打ち解け合えた事によりハッピーエンド。義母は戻って来られる。私はいいと思います。2人で本音をぶつけ合うシーンでは躍動を感じました。
②鷺男の正体が謎。
映画を見る前、あらすじを見たので、こいつが大叔父かと思いましたが、見事に違いました。
他の口コミを見ていると弟説が浮上していて、私もこの説を推しています。
この鷺がラストシーンで「あばよ、友達」的な事を言っていました。最初は気が合わない。水と油→キリコに諭され、共に行動&協力し合う様になる(友達になる)→ラストシーンであばよ(別れを告げると共に、友達を辞め、家族になる、二重の意味)
が私の考察です。正直、口コミを見ないとコイツの正体は分かりませんでした。弟説が正しいとは
限りません。
③実母とキリコがなぜ下の世界にいるのか謎。
どちらも若返った状態でこの世界に留まっています。実母は鷺のいった通り、遺体がありません。
なので、成仏できず、この世界に留まっている?
問題はキリコです。キリコは主人公と、同じく下の世界に投げ出され、最終的に若返った状態のキリコから駒?の様な物が渡され、現世で変身しています。若いキリコは若い実母と共に、違う扉へ姿を消しました。実母は若い頃、一度、下の世界に迷い込んでいたが、キリコはその様な事は言及されていなかった。↩︎言及されていたらごめんなさい。しかしなぜ2人ともこの世界にいるのか、さっぱり意味がわかりませんでした。若い頃のキリコさんはせんちひのりんの様な存在でした。しかし実母の死であの様に捻くれてしまったのでしょうか。
④主人公はなぜ自分の頭部に傷をつけたのか
本作のグロシーン。
お父様に車で送迎、おまけに高そうな服。
いじめの標的にされます。
河川敷で格闘しますが、ボロ負け、石で頭部に傷をつけます。自分で。これはいじめられてやり返す事ができないやるせない気持ちを表現しているのでしょうか?キリコにも同じ傷が付いています。又は肉親である父親に構って貰いたい幼さの現れ?トイストーリーのウッディの様に感じた。
結論
自傷行為をする事によって自分の悪と向き合う。
主人公を成長させる為、自分の悪意と向き合う。
これがこの作品のメッセージではないでしょうか
この作品について駿も意味が分からないと語っています。
この作品は一人一人自分自身の物語であり、人により
解釈が大幅に異なる。
衒学と人間讃歌の元、スタジオジブリはどう生きるか
何かと話題の宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を観てきました。
宮崎駿監督の作品としては約10年ぶり。スタジオジブリとしては約2年ぶりの新作で事前のセールスプロモーションを全くやらない。事前情報も無しと言う前代未聞のプロモーションが逆に話題となっていましたが公開から作品の内容に対しても賛否両論。
その真偽と言うか意見も観ないと分からないとあって、鑑賞をした訳ですが、で、感想はと言うと…個人的な一意見ですが、面白く無い訳ではないが、面白い訳でないw
一言言えば複雑だし、必要以上に難しくこねくりまわしている感がある。
ジャンルとしては冒険活劇ファンタジーらしいけど、正直それだけでは括れない難解さがあると思うし、また説明が不十分な点が多く、哲学的と言うか文学的な側面がある。
吉野源三郎原作で1937年発表の「君たちはどう生きるか」に感銘を受け、直接の原作ではなく、タイトルとして引用されているらしいが観る限りにはやはりその影響は多分にあると思う。
観る側の器量を試されるというか、実験的な作りは嫌いでは無いんですが、まあジブリっぽくはないんですよね。
長年ジブリ作品を観てきた者にすれば老若男女が楽しめる、ある程度明快な作品がジブリの信条かなと思うんですが、人間讃歌と言うテーマは変わっていないと思います。ただいろんな部分が挑戦的で観る側に突き詰めると言う感じ。
その兆候は「風立ちぬ」で庵野秀明監督を主人公の声優に起用された時にもあった訳ですが今回はもう全部がそうなっていて“どうしたこうなった?”と言うよりも”うるせえ〜どうせもう何作も作らないし作れないんだから、たまには好き勝手に作らせろ!”と言う開き直りな感じなんですよねw
いろんな不足点を埋めるように観る側の思考が錯誤するんですが、これって庵野監督が得意とする手法で「エヴァ:Q」でも観られた「衒学」(げんがく)かなと。
衒学とは知識がある事を自慢する事であり、知ったかぶりという言葉が一番近い。
何か裏がありそうな雰囲気を出すための演出であっても実際に裏は存在せず、観る側に衒学を漂わせると言うか。
まあ「お金を出して観る人が好き勝手に解釈していいよ」と言う答えだと思うし、だからこそ一切のプロモーションをしないのがプロモーションとなっている訳ですが、事前のプロモーションをやらないのは今までのジブリブランドがあればこそな訳で、これが普通の作品ならもう大爆死ですよw
作品としては「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「ハウルの動く城」的な感じもあり、今までのジブリ作品のセルフオマージュも多分にありなので観る側にいろんな問い掛けが仕掛けられている。
かと言って今までのジブリ作品のイメージで思い込むと手痛い目に合うので、一切のイメージを捨てて、全くの新作で観るのが正解かと。
それでもなかなか難解な作品ですが、声優キャストは結構ツボにハマるキャスティングでアオサギ役の菅田将暉さん。ヒミ役のあいみょん。ばあやのキリコ役の柴咲コウさんはかなり上手い。特に菅田将暉さんは熱演です。
宮崎駿監督は今後作品を作るのかは不明ですが年齢的な事を考えるとかなり難しく、スタジオジブリとしても新作が出来るのかは不明。2014年公開の「思い出のマーニー」で映画制作部門を解体し、一度アニメ制作から撤退しているので主要スタッフが抜けている分、「無為自然」的な流れになっている。
勿論、ジブリ作品が新しく作られるのは嬉しいし、勿論観に行こうとは思う。
だけど、ある程度のイメージの構築は仕方ない分、スカされた感は残念ではあります。
宮崎駿=スタジオジブリのイメージから結局脱却しきれなかったのは今更言っても仕方ないけど、スタジオジブリのブランドはやはり残して欲しいかなと。
もし、もう一回だけ作ると言うのであれば…庵野秀明監督で「風の谷のナウシカ」の続品を作るのであれば、個人的にはもう大歓迎ですw
ちょっと違う…というか、よく分からん💦
私たちは、なぜ生まれ、どう生きるのか、━忘れていた魂の記憶を思い出させる、真の天才による世界で永遠に語り継がれる偉作
観終わって、子供たちの未来のために、自分にできることを精一杯やろう、と思う━。それが、宮崎監督からの問い、「君たちはどう生きるのか」に対する答えである。本作は、表面的な感想、評論、批評を、一切受けつけない。語る者は、監督からの問いに対する、自分なりの答えを見出し、表現してから語るべき作品だと思った。
これまでの宮崎作品のエッセンスが凝縮された集大成であるばかりでなく、今まであまり明確にされてこなかった重要なコンセプトが表現されている。それは、時空を超えたいのちのつながり(縁生)であり、生まれ変わり(誕生と死の循環・輪廻転生)であり、異次元世界(あの世・常世)と現実世界(この世・現世)が、力動的に共振・協働している関係の世界観である。
「君たちは『なぜ』生まれてくるのか」━。この問いに対する答えがあって、初めて、「『どう』生きるのか」、が出てくる。本作は、なぜ、悲惨なこの世に、それでも君は、自ら願って生まれてくるのか、が問われる(あの世は、ある意味、安定しているにもかかわらず)。その答えもまた、宮崎監督は描いている。本作は、私たちが忘れてしまった、なぜ生まれてきたのか、どう生きるのかを思い出させてくれる━いや、観た者が、それを思い出してくれることを願って生み出された作品だと言っても過言ではないのかもしれない。
プラトンによれば、私たちの魂は、生まれてくる前、レイテの泉の水を飲み、すべての記憶(あの世の記憶、過去世の体験と智慧)を忘却して生まれてくるという。しかし、この世にあるイデア(真実・永遠の真理)のかけらに出会うと、魂が震え(感動と呼ぶ)、求めるようになり、忘れていた記憶を少しずつ思い出す(想起する)ようになる━。本作の主人公もまた、忘れた魂の記憶を思い出す、試練の旅に出る。
なぜ、悪は存在するのか。悪の必然と意味もまた、語られる。あらゆるいのちとの共生、自然界の見えるいのちも、見えない異界のいのちも、すべてつながり生かされ、それぞれの役割を果たしている。無駄なもの、不必要なものなど何一つなく、秘められたいのちの可能性を開花し、謳歌し、すべてがダイナミックに調和し共生する世界のあり様を、宮崎監督の世界観とすれば、それは未来からやってきたヴィジョンであり、古代からあった永遠の真理であろう。だから、本作は、これから永く、世界で観られ、語り継がれるだろう。その必然と意味、力が、本作にはある。
宮崎駿は、日本の自然と文化に育まれた、間違いなく真の天才━genius:ダイモン・守護神と協働する「聖なる狂気」の人━である。
雑音に惑わされず見て欲しい
漫画「風の谷のナウシカ」から続く宮崎駿先生の「不完全な私たち人間への慈愛」の想いを受け止めた
かつて映画の「風の谷のナウシカ」のエンタメすぎるエンディングに非常に落胆をした者です。漫画の「風の谷のナウシカ」を愛読しています。だから漫画を読むたびに、宮崎先生の「ナウシカ」に込めたメッセージは一体いつ映画で発信されるのだろうとずっと気になっていました。昨日、まったく前情報なし期待無し(すいません・・・)で「君たちはどう生きるか」を観ました。鑑賞後、万感の思いで胸がいっぱいになりました。漫画「風の谷のナウシカ」が形を変えて、ここでつながったのだとすとんと腑に落ちました。宮崎先生、本当にありがとうございます。この不条理な世の中で決して善人でない私(少なくとも私)たちはこれからどう生きるか。深い問いかけに答えることはとても難しいです。しかし、前を向き地に足をつけて限られた一度の人生を歩んで行きたいと考えます。
少年の成長
公開当時に「千と千尋の神隠し」を観終えたときと似た感覚で観終えました。
ただ、その経験があったおかげか、私が歳を重ねて多少理解力を増やすことができたせいか、展開を純粋に楽しめました。
ラピュタを思わせる塔の様子、ポニョ?って感じの白い妖精、美味しそうなスープやパン等、既視感にあふれていましたが、そこも集大成ならばこそだったでしょうか。
個人的には、アオサギが池に降りたち翼をたたむ、実物と違わない描写が目に止まりました。
また、少し前のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」にあった「時間て過ぎていくものじゃなくて」てセリフを思い出しました。
あんな回廊があったら、ほんの一瞬で良いから少し以前につながる扉を覗いてみたい。
企画自体が面白い
これまでの作品を「悪意に満ちた13個の積み木」とは。ここまで言いたいこと言うためにジブリ単独出資で宣伝も無しで勝負するとは、宮崎駿作品の集大成として見事な戦略です。
内容より、この企画自体が面白いですわ。
要事前学習/「母の死の受容」と誰もが持つ魔界
吉野源三郎の原作は戦前に刊行されましたが、子ども向けの哲学書として読み継がれてきました。17年に刊行されたマンガ版は空前のヒットになるなど、教養の一つとして浸透しています。
宮崎駿が同じタイトルで映画を作るとなれば、原作を踏襲することになり、そこにどんな宮崎流、ジブリ流の創作が加わるのか? それを楽しみにするのは自然だと思います。
本作で、原作が登場する場面が一ヶ所あります。主人公眞人が、母久子が遺した小説「君たちはどう生きるか」を発見し、それを涙して読む場面です。そこからは、原作に対する肯定的な姿勢が読み取れます。
■母の死を受容するというテーマ
小説「君たちはどう生きるか」は亡き母が遺した、という点がポイントになります。
母の死は、本作を貫くテーマです。この場面で不意に、眞人が求めてやまない母からのメッセージが現れます。それは、まさに眞人が今後、世界を生きるための知恵であり、亡き母からの贈り物です。
その後、眞人は母や、義母・夏子を探す旅に出ます。行き先は魔界(下の世界)。
そこで、母と再会し、夏子やキリコを連れ戻すといった冒険を繰り広げます。原作「君たちはどう生きるか」の拡張を期待した私は、その冒険ファンタジーと原作とのギャップが、鑑賞中に処理できなかったというのが正直なところです。
わかりにくい本作がシンプルにみせるのは「死と生」に対する謙虚な姿勢です。
母の死を乗り越えることが、眞人の人格形成には避けて通れないことです。本作ではその過程を、内面心情や、現実世界の体験から直接描くのではなく、冒険ファンタジーとして置き換えて示してくれています。
母の死を受容できず、義母も受け容れられず、そこに弟が誕生してしまう。「下の世界」に旅立つのは、そうした精神的にどん底状態のタイミングです。そして「下の世界」は単に魔界というより、死と再生(誕生)の場であり、そこでもたくさんの生き物?たちが登場し、再生の物語が紡がれています。
そこで眞人が体験したのは、死と再生の現実です。そこは決して楽天地ではなく、均衡をとるのも難しい厳しい世界として描かれています。いずれにせよ眞人は、現実世界を覆うもう一つ大きな世界を体験しました。
■原作との三つの関連性
改めて、原作との関係を考えてみます。また、問いとしての「君たちはどう生きるか」に対する宮崎の答えはあるのでしょうか。
仮説はいくつか立てられます。一つは、原作が説いた人格形成の不足を補完したという点です。
原作が発表されたのは戦前の昭和12年。大衆文化を背景に、原作は自己形成に「個の確立」が重要であることに踏み込みました。原作は当時、旧制中学校・高校のエリート予備群に対してかなり衝撃を与えたかもしれませんが、現代でそれは常識の範疇で、これを唱えても若者には届かない。
そこで、精神的な「親殺し」に触れていく。もちろん「親殺し」とは親を殺めるわけではなく、親と離別し、親という存在を超えていく精神的な自立過程を指しています。本作でいえば、眞人が母の死を受容し、義母や義弟を受け容れるという精神的な葛藤場面です。
原作ではコペル君の父親が亡くなりますが、そこでの「死」は薄い影でしかありませんでした。本作では、父と母の違いがあるものの、母親の死を一貫したテーマとして、それを受容し超えていくことが、人格形成になくてはならないものと捉えています。
そして、本作において親殺しの葛藤は、死や再生という「生き物の宿命」を自覚する契機になります。それが人格形成に不可避なことだとすると、原作には触れられていませんし、そのメッセージは原作が書かれた時代にはなかなか理解されなかったと思います。
若者に限らず今を生きる我々が「生命」の循環を理解し、考える。これが本作のメッセージと考えるのが自然だと思います。これが二つ目の仮説です。
三つ目は、原作の教養主義的な欠点を、補完した点です。
原作は、戦前に書かれたこともあり、かなり教養主義的です。学問、修養、芸術といった教養の習得によって人格陶冶ができるという核心に基づいています。しかしこれは、知識吸収が得意ないわゆるエリート向けに用意された啓蒙ルートということもできます。
本作は、若者に哲学を促すのには、もっと想像的で、直感的なルートがあることを説いたと考えられます。「生き物の宿命」や「生命」の自覚が必要だということを多くの人々に伝える場合、教養主義的に説得するより、文学的に描いた方が伝わりやすいのは事実だと思います。
■なぜ「下の世界」は崩壊したか?
それにしても本作はわかりにくい。
特に、「下の世界」が突然崩壊する場面は問題です。それも、それは主人公の眞人が継承者として指名された直後です。ただ、そのわかりにくい場面が、物語を読みとくヒントになります。
本作は「上の世界(現実世界)」と「下の世界(魔界)」との二層で構成されています。特に「下の世界」は人格形成の葛藤を描くファンタジー世界であり、生命再生の場として描かれています。
そして終盤、大叔父は眞人に「下の世界」を継承するように勧めます。
われわれ観る者は、「上の世界」同様、「下の世界」は継承すべき価値ある世界だと理解する一方、なぜ大叔父が支配者で、眞人が継承者なのか判然としません。
また、継承するのに眞人は生命を投げ出さねばならないのか、疑問も膨らみます。
こうしたなかで「下の世界」は、いとも簡単に崩壊します。
その崩れ方はまさに積木くずし、あるいは夢の終わりのようです。
ようやく、本作を貫くテーマが母の死の受容であることを理解し、二層構造が持つ意味を考えはじめた頃、「下の世界」は崩壊してしまい、われわれは置いていかれます。
本作の一貫したテーマは、母の死の受容でした。
ようやく眞人が「下の世界」のさまざまな経験を経て、母の死を受け容れられたところで、眞人の旅は終わりました。
そして、その時点で「下の世界」が不要になったといえます。
■誰にでもある「下の世界」
作中で、「どの世界にも塔が存在する」(うろ覚えです)と「下の世界」の秘密が披露される場面があります。
塔とは「下の世界」の入口のことですが、これは、世界中の人間誰もが、それぞれ心の内に「下の世界」をもっていると考えるべきでしょう。想像力が発揮されれば、誰もが「下の世界」を召喚できます。
ここまで考えて、ようやく本作は物語になります。
原作を補完するように、親を失う(親殺し)場面が設定され、改めて「君たちはどう生きるか」が問われる。
そこでは、死と再生という大きな世界を、一人ひとりの想像力を駆使し「下の世界」を経験することで、はじめて理解できる。自分が生きていることを日常生活を覆うもう一つ大きな世界から捉えなおす。
このような形で「君たちはどう生きるか」に応えた物語なのでしょう。
鑑賞後、1週間経ってもふと咀嚼して考えてしまう作品
他のレビューの方が言っている通り、分かり易い作品ではなく、感情移入しやすい作品ではありません。
だからこそ、大多数の作品で行われている『見てる時間だけで完結する楽しさ』を求める人にとってはnot for meになってしまって当然なんだと思います。
私は正直、視聴中は理解がまったく追い付きませんでした。
とても処理しきれない情報量の多いスクリーンを必死に見て、聞いて、脳を常にフル回転させていたので、見た直後の感想としては「疲れた」や「熱がある時に観る夢みたいだった」でした。
俗に言う、「訳わかんなかった」と同じ感想です。
でも、不思議と「つまらない」とは思いませんでした。
元々、鑑賞後に更に咀嚼して沢山考えたり発見したりできる作品が嫌いではなかった私にとって、噛めるけどとんでもなく硬くて、でも味が消えることの無い、なんなら味がどんどん変わっていく謎のお菓子みたいな作品でした。
鑑賞後1週間経ちましたが、未だにふとこの映画のことを考えてしまっています。
1週間、自分なりに沢山咀嚼しました。
また見たら、その時は感じ方が違うかもしれない。
そんな風にちょっとワクワクしている自分がいます。
週末、もう一回見て来よう。
そう思わせてくれる、貴重で不思議な作品でした。
【7/27追記】
本日、2回目見てきました。
改めて見た上での印象を書きます。ネタバレはありません。
改めて見て確信したのですが、後半部分の情報量がアホです笑
その上、全てにおいて明確な説明がありませんので、初見の時に私の頭で処理しきれなくて当然でした。
後半部分だけで映画3本くらい作れそうでした。
初見の時よりは見逃すまいという緊張感が無く、リラックスして見られたのもあって、普通に宮﨑作品として楽しめました。
どんなに思考を巡らせ咀嚼しても、分からないところは分かりませんでした。
でも、それでも、それでいいのかも知れないと思わせてくれるほど、楽しかった、良い映像体験が出来た、と思い劇場を後にできました。
咀嚼してからまた足を運んでよかったと、心から思いました。
余談ですが、近くにいた小学生くらいのお子さんが上映終了後に「夢の中みたいだったねー!」と弾む声で親御さんに声をかけていたを目にしました。
難しいから子どもに向かない、という声もありますが、分かろうと必死になってしまいパンクしてしまう大人より向いているのかも知れないな、と思ったりもしました。
今は作品を見て同じように咀嚼した友人と語りたい気持ちでいっぱいです。
監督の今までの作品は好き
見る人のことを考えていない作品
映画というものは映画館へ来訪する観客を楽しませたり、悲しませたり、笑わせたり、感動させたりするエンターテイメントだと思っていましたが、どの要素も皆無で、ただただ脈絡のないものを一方的にぶつけられる感覚です。支離滅裂で不快な内容が多く、残念ですがおすすめ出来るところが一つもありませんでした。
ジブリ作品はかれこれ30年くらい親しんできたので強い思い入れがありましたが、これはあまりに見る人のことを考えていない作品だと感じました。なぜこのようなものを出したのか?宮崎駿のエゴを修正できる人がまわりにいなかったのか?理解に苦しみます。作品の内容に対し、絵の綺麗さ、声優・歌の豪華さは凄いです。総じて、残念でなりません。
世界観が理解不能にすごい!
今までのジブリは、主軸のストーリーは理解できておもしろいし、細かな設定や周りの枝分かれの部分は説明がないと理解できないというような、
そんな不思議な感じなのにリアルな感覚があって面白かったですが、
今作品は、冒頭蛍の墓のようなめちゃくちゃ現実的かと思ってたらめちゃくちゃファンタジーでした。
さらに主軸のストーリーもとても細いのか軽いのか見えづらいのか、その上あっちゃこっちゃいろんなものがてんこ盛りにバラバラな感じで、で?って感じで話しが見えてこなかったです。
ストーリーがあまりに普通で細く薄く、世界観があまりにもかけ離れていて太くてんこ盛りなため、作品全体の理解がとても難しいです。
義理母の心境や行動なんかほぼ理解できませんでした。
タイトルの意味も、メッセージ性がありそうな題名なのに、なにを感じ取ってほしかったのか理解できませんでした。
何回も見れば理解できるというような内容でもない気がしますが2回目観てみようかなと思ったり。
解説や説明などがほしいくらいです。
考察など見ます。
とてもバラバラで、あまりにファンタジーすぎて、
ワンシーンワンシーンどんどん変わるので、
全体的になにを伝えたかったのか、
どういうことなのかよくわからなかったんですが、
ストーリーがめちゃくちゃにおもしろいわけでも
ないのに、なんだろう、
この不思議な満足感と楽しさと感動は。
また、そのシーンそのシーンのキャラは私は好きでした。
かわいいなあ!愛らしいなあ!と思うキャラや描写が多くとても良かったです。
おばあちゃんズは特に好きだなあ。
キリさんとの関係や、アオサギとの関係も個人的にすごい好きです。
なんかわからんけど、いろんな描写かわいかったし、理解しようと必死で飽きなかった。
難しいことは言ってないんですけどね。
なので、深く考えず、キャラや世界観だけで楽しめます。
ぜひ観てみてください。
権威主義と悪趣味な駄作。ジブリももうおしまいか。
内容 ☆☆☆ 絵 ★★★
人に勧めるか ☆☆☆
監督の悪趣味度 ★★☆
結論から言うと、これまでの数十年の映画人生の中でもTopクラスの駄作としか思えません。金返せ。
ジブリは特にもののけ姫等中心に好きなスタジオ作品であり、絵の美麗さに逃げず、きちんと練られたストーリーとその背景にある綿密な構成やメッセージ性がとても好きでした。
今回も、賛否両論ある事は承知の上で、決して観衆受けする物ではないにせよ、宮崎監督の想いやメッセージが伝わってくる作品になると期待していました...。
正直これほどの駄作とは思いませんでしたし、これを賞賛する文脈が、全て「宮崎監督が作ったからきっと素晴らしいものに違いない」=「その意図を読み取れる自分は映画通である」という権威主義に溢れたものになる事まで、敢えて想定して作っているとすれば非常に傲慢かと思われます。
「偉い先生が言ってるからきっと正しくて良い事を言っているに違いない」と盲信する日本人の習性をよく利用した、という面でのマーケティングは大成功でしょう。
誰が撮ったか、はあくまで作品の評価とは切り離して考えるべき、と自分は考えておりますが、そう考えていない方が少なからず多そうですね。
また、意味のないコミカルなシーンや、安易な萌えキャラを出す事で、中途半端に聴取受けを狙おうとしている薄ら寒さを感じました。
例えるなら、職場で意味わからず嫌われている上司が、オヂサン構文やちいかわのぬいぐるみを使用している時のような薄ら寒さです。
自分では受けているよう、聴衆に歩み寄っているようで、周囲はドン引きしている事に気がついていない典型的なオヂサンのようで哀れでした。
内容は一言で言えば「子供が熱でうなされた時に見る夢」です。
一つ一つのモチーフには背景がある(例:ストーンヘッジや、ジョルジョ・デ・キリコの神秘と憂鬱など)のですが、そのシーンにその描写をする意味づけが乏しく、またそれに合わせて人物をキリコと名づける安っぽさが目につきました。
二重螺旋DNAも正直発想がそこだね中学生レベル...
また、火や産屋=穢れ、などの発想は古事記をベースとしているのですが、幾つもの話を混ぜすぎて原型がなく、都合の良いようにつまみ食いしているだけです。(例えるなら浦島太郎が竹から出てきて打ち出の小槌で鬼をやっつける、みたいな)
キャラクターの行動原理や、なぜ主人公を助けるのか、なぜそこにいるのかを説明せず絡みも薄いので、キャラクターの魅力と深みも出てこずただのちょいキャラ以上の感想が出ませんでした。
ただスタジオジブリらしく、絵の美麗さや重力の表現などは他の追随を許さない流石の表現力であり、その点は満点評価をつけたいです。
最後に...
何十人ものアニメーター様、本当にお疲れ様でした。宮崎監督は勇退されて後進(いないんだろうなぁ)に道をお譲りください。お疲れ様でした。
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