君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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好みの分かれる作品
おもしろいけど好みが分かれるだろうという印象。
前半は主人公をとりまく現実世界の環境の変化が粛々と描かれ、かなり硬派な内容。
後半は翻ってファンタジーな世界の中で叔母を探すために冒険を繰り広げる。
好みが分かれそうな要素
1 前半がひたすら硬派。おそらく後半につなげるために必要な描写なのだろうが、「千と千尋」や「もののけ姫」のような世界観は一切なく、退屈に感じるかもしれない。
2 後半のファンタジー世界はいわば「なんでもあり」なため、理由の説明もなく不思議な出来事が立て続けに起こる。それ故に説明可能性を重んじる人は好きではなさそう。
個人的には前半は面白いと思わなかったが、後半は楽しめた。
面白かったとは思うけど人におすすめはしないかな?といった感じ。
すごい迷作
予想を良い意味で裏切られる作品
そこまでは良かったものの途中から集中力が切れて正直眠くなりました
宮崎駿の頭の中の意味分からん部分をそのまま描いたような作品です
個人的には千と千尋よりもつげ義春のネジ式みたいな作品だなあと思います
そのくらい意味不明です
でも最後の方にはなんかまとまって伏線も回収してなんとなく理解できたって感じに終わるんですよね
あのまま意味不明な感じで終わっていたら後々えらい大絶賛されていたかもしれない、と思った
あとゴローさん特有の中だるみ感がダメだったな
単純に目の保養
厳しい評価も聞かれて、恐る恐る観に行きました。
が、宮崎駿監督のミュージアム!という印象で十分楽しめました!時間があっという間でした。
深読みしようとすれば、いろいろ疑問もありますが、そんなこと気にさせない宮崎監督のパワープレイが素晴らしい!
展開がスピーディで、かわいいキャラクターたちもさっと通り過ぎちゃうのでもう一度観たいです。
宮崎駿の終活ノート
映画というの大前提として面白くなければなりません。
楽しいのか、興奮するのか、泣けるのか、恐怖するのか。
ジャンルは何でもいいですけど、各々のジャンルに応じた映画としての面白さを担保されていなければ、それは駄作です。
監督からのメッセージや考察することの面白さというのは、あくまで映画を楽しく観るオマケの存在でなければなりません。
決してそちらがメインになって出張ってはいけません。
普通に鑑賞して面白く、何度も観るうちに隠された監督からのメッセージに気づき、さらに作品を考察して作品に深みを感じて、楽しむ。
それこそが素晴らしい映画なのです。
かつての宮崎駿作品はメッセージや考察なんか抜きに鑑賞しても楽しく、考察するとより楽しく観賞できる素晴らしい作品ばかりでした。
ナウシカも、ラピュタも、魔女の宅急便も、もののけ姫も……。
その観点からすれば、「君たちはどう生きるか」は紛うことなき駄作と言えます。
この映画の面白いところ、宮崎駿のメッセージ性とか考察とか抜きにして語れます?
純粋に物語として面白いですか?
絶対にそんな人はいません。
今この映画を絶賛している人は「宮崎駿」の最終作だからとやたら考察し、評価している人たちばかりです。
考察ありきの作品は駄作です。
物語中に出てくるオブジェクトは、ほとんどが意味を成していません。
考察すれば意味があるのはわかりますよ?
ただストーリー上意味がない「異物」でしかないのです。
船の墓は? 墓の主は? 迷うと出られなくなる庭の設定は必要か? わざわざ積み木の数を13個とした意味は? 住民が鳥ばかりで、尚且つまんま鳥なのとファンシーな鳥と分けた意味は?
考察すれば意味は通りますが、ストーリー上では意味が全くありません。
監督の伝えたいメッセージを表現するうえで必要なのはわかりますが、これらを出したいのなら物語上で何らかの意味を持たせるべきなのです。
ジブリ映画には必ずある、ハイライト的なシーンが無い。
内容の面白さはともかく、ジブリ映画には漏れなく印象に残るシーンというのがあります。
ナウシカやラピュタは言わずもがな、駿作品ではないゲド戦記やコクリコ坂ですらタイトルを聞けば何となくシーンが思い浮かぶかと思います。
ですがこの映画にはそんなシーンは無いです。
このシーンが印象的!ってシーンありましたか?
自分には思いつきません。
米津玄師は反則だということが今作でよくわかりました。
映画を観ているときはツマンナ過ぎてイライラしてましたが、スタッフロールが流れ出すと「あれ? なんかいい映画だったんじゃね?」と錯覚しました。
全ては米津玄師の歌が素晴らしすぎるからなのです。
この映画の価値はスタッフロールに集約されています。
というか、わざわざこんな回りくどい作品なんか作らず、ストレートに宮崎駿の人生を映画化したり、スタジオジブリの歩みを映画化した方が絶対おもしろかったでしょ。
今から作り直して?
愛と命の物語
僕はもともとジブリアレルギーがあって、実際「となりのトトロ」や「カリオストロの城」は大嫌いなのですが、この作品は、陳腐な表現ですが、素晴らしいの一言。タイトルだけを見ると、哲学的なお説教映画なのかな?と心配していたのですが、全くそうではなく、命と愛のファンタジー映画でした。唯一、幻の中で女性が溶けるシーンがあってトラウマ注意ですが、それ以外は大丈夫でしょう。生きる力をもらえる、宮崎駿という人の命をかけた会心作!
とてもおもしろい。
きみたちはどう生きるか、の大事なテーマ「自らの悪意と向き合う」や、ユートピアを目指して黄泉平坂になってしまう世界、宮崎駿のどう生きたか、戦争やいのちに対する残酷さ、などとても面白いテーマを詰め込んでいて、主人公の精神的成長と現実とかかわってゆく覚悟をとてもきれいで不気味な世界のイメージで描いている。 またジブリの今までの世界をおりこんでいて、美しい。
意識してかどうかは知らないが、新海誠の映画のエッセンスもどこか吸収しているように見えるのもとても興味深い。
この世は生きるに値する
情報過多の時代に前情報ゼロの作品。
「観た?どうだった?」という会話を久しぶりにした気がします。
自分の目で観て、耳で聞かないといけないなと強く感じました。
結果、もう一度観たい!
皆さんの感想に共感!
キャラクターの感情のある動きや液体の動き。たくさんの生き物がうごめく様。…などなど。
これこれ!ジブリだー!と何だか昔の作品にスクリーンで再開できた懐かしく嬉しい気持ちが溢れました。
分かりそうで分からない物語だったけど、過去作のように多くを語らず、観た人に委ねるのはこちらが試されている気がする。
実際、過去作も年齢によって受け取るものが毎回違うから不思議。
この作品もきっと、年齢や経験、置かれた立場によって人それぞれ受け取るものが違うのでしょう。
なんだかひとつの時代が終わったのを観た気がします。
そしてエンドロールの豪華な名前やスタジオ名の数々は圧巻!
それを観ると「あとは任せてあるから!」と宮崎さんが言っているようで…。
新しい時代をみせられているようで…。
涙が止まりませんでした。
10年前の引退会見で言っていた、
「子どもたちに、"この世は生きるに値するんだ"と伝えることが自分たちの仕事の根幹」という言葉をこの作品で思い出しました。
いろいろな考察や感想をみるのも楽しい。
過去作のように何度も観なおしたいものと出会うことができ、制作関係者全ての方に感謝です!
作品を観た後だと、ポスターの題名と言葉が胸に刺さります。
今にも動き出しそうで…💦
見守ってる?見られてる?
賛否が分かれるのも理解できるが、宮崎監督が培ったあらゆるアニメ表現を詰め込んだ映像を劇場で観る意義は、十二分すぎるほどある一作
ほとんど事前の情報公開もしないという異例の広告戦略であるにも関わらず、『風立ちぬ』(2013)以来10年ぶりの宮崎駿監督の最新作ということで、公開直前から急激に注目を集めた本作。興行的には好調のようですが、実際鑑賞した人の意見は結構明確に賛否が分かれています。
確かに『風立ちぬ』との連続性を感じさせるような舞台設定の前半はわかりやすい物語性を帯びていたんだけど、中盤以降の、まさに宮崎アニメ的、としか言いようのない異世界との境界線がたち現れた途端、成長譚とファンタジーが入り混じった物語にモードチェンジします。
作品世界や物語の筋を理解するための様々な要素をごろっと提示するものの、それらの関連性や構造についての説明はかなり抑制的であるため、多くの観客が初見では意味がわからなくて混乱する、あるいは煙に巻かれたような気分になるのも、ある意味しかたないかも。
表題にはあまり引っ張られず、宮崎駿監督の最新作、ということを念頭に入れて鑑賞した方が、展開を受け入れられやすいかも知れません。
食べ物描写、水の表現など、宮崎監督のアニメ作品の独自表現がもはや名人芸の域に達していて、それをスクリーンでつぶさに観察できる、というだけでも劇場に足を運ぶ意義は十二分にあります。公開当初は発売してなかったパンフレットもようやく売店に並ぶようになったので、その意味でも今から鑑賞するのがおすすめ。
宮崎駿の哲学書
宮崎駿はアニメーション監督である。
哲学者は文章で語るが、監督はアニメーションで自分の哲学を語る。
そういう映画だと思う。
だから、新海誠監督の映画のようなエンタメを期待して観た人には総すかんなのだろう。
哲学を辞書で引くと「世界や人生の究極の根本原理を客観的、理性的に追求する学問」とある。
そのままではないか。
この作品を宮崎駿の自伝であり、自分の人生、作品を見つめ直したものだ、と評する人が多いが、ある意味その通りだとも言えるし、そうでは無いとも言える。
そもそも、監督は一旦引退したものの、描くべきものが見つかったとして、この映画を作った。
今まで、生と死、なんとか道を切り開いて生きていく事を主題に作品を作って来た監督の(最後に)描くべきものが自伝というのはどう考えてもおかしい。
自作品のオマージュまで次々と挿入するのもありえない。
では何故、見方によってはそのようにも見える映画を創ったのか。
想像ではあるが、戦後、死に物狂いで生き、血眼で働き(たまたま宮崎駿はアニメーション製作を仕事とした)、この生きづらい世の中をなんとか生きてきた自分の生き様をさらけ出そうと思ったのではないか。
一つのケーススタディとして、或いはメタファーとして。
後半の幻想世界の描写は混沌としていて、物語の秩序も欠いている。
ある意味見方次第でどうにでも取れるように作られている。
死の世界なのか、生まれる前の世界なのか、夢なのか現実なのか、その境界は無く、観るものがどのようにも解釈できるようになっている。
人間は大きな矛盾を抱え生きている。
宮崎監督自身も子供は外で遊ぶべきだというのが自論でありながら、映画館や家で観るアニメーション映画を作っている。
また、氏は戦車や戦闘機の機械や造形を好むが、これが人を殺す兵器だという事にも嗜好性の矛盾を感じていたことも有名な話だ。
(風立ちぬ、はその事も主題の一つにしている)
人間は生きているだけで環境破壊をしているし、生きるために戦争をして他者を殺す。
そうした矛盾を抱えながらも生きていかなければならない。
宮崎監督は戦後なんとか歯を食いしばり生きて来た自分をさらけ出しつつ、生きづらい現代に、むしろ絶望的ともいえる今、未来に、
大きな矛盾を抱えながらもなんとか生きていかなければならない、子供達や若者に、
家族や仲間と力を合わせて生き抜いていく責任を問うているのではないか。
米津玄師と宮崎監督が何度もセッションをし、完成させたという主題歌の題名は「地球」ではなく「地球儀」。
人間が作った地球のミニチュアだ。人間が自分でクルクル回せる地球だ。
この主題歌がこの映画の主題を端的に表していると思う。
「君たちはどう生きるか」というタイトルは自分をさらけ出した上で、「こう生きろ」と決めつけるのでは無く「自分で考えろ」、という宮崎駿からの挑戦状と受け取った。
2023.7.22 チネチッタ川崎
子供も自分もつまらないと感じた
なんか、ナウシカやラピュタのようなワクワクが全くなかった
子供につまらなくてゴメンネって言う始末
ジブリがどうこうややり、作品としてまともな物を作って欲しかったです
問い:この映画は、何を問いたいのか?
考察
火で母を亡くした主人公
→父が夏子(母の妹)と再婚
=夏子のことが好きだがお母さんと言えない☆母親と言えない繊細な心のバランス
→母の屋敷へ引き取られる
→その屋敷が変!
変①しゃべるアオサギ
→やっつけるために、身の回りのものを使って応戦しようとする
=自分の力で、自分で考えて応戦する
変②変な建物
→宇宙からやってきたらしい
=変化はどこからともなく突然やってくる
変③夏子がいなくなる
→夏子を探しにいく(その前に、「君たちはどう考えるか」を読んで泣いている)
=世界はみんな繋がっていること、人には自分のことを決める力があることを知った
→変な世界に入り込む
→変な世界の変なこと
→変①殺すことを許されない人がいる
変②これを学んだら死ぬと書いてある門がある
変③おばあちゃんが若返っている
変④若返ったおばあちゃんが火を使ってかっこいい
変⑤地上に飛んでいって人間に生まれ変わる可愛い妖怪?がいる
変⑥変な少女ひみ(実の母の子の姿)が火を使う
変⑦可愛い妖怪をペリカンが食べにくる。そのペリカンをひみが焼く
=食物連鎖を表現しているのか?☆世界の繊細なバランス
→アオサギと共に夏子を探しに冒険!アオサギは嫌なやつ?
→インコが大量繁殖!大繁栄!人も食べちゃう
=可愛いインコも、進化次第で人をも食べる存在になる
→インコに襲われたけど、ひみに救われる
→ひみに連れられて、寝屋(夏子の元)へ
→石が夏子に何かしようとしている雰囲気!真人たすけようとする
→真人を助けようとする夏子、「あんた嫌い!」
→言葉の裏の愛を感じた真人「夏子、お母さん!!」
=夏子のことを初めてお母さんと言う決意をする
→大叔父から、この世界を告げと言われる
=世界は積み木遊びのようなもの
=さまざまな文化、思考、人種・・・などの組み合わせ。
=組み合わせ次第で、天国にも地獄にもなる
=だから、平和で穏やかな世界を目指しても、バランスがとても難しい。この世界 を平和にするもしないもお前次第と言ってくる。
→真人、勝手にお前次第とか言うなやって顔
→真人は、現実世界に戻って友達を作ると言う
=現実世界に友達がいなかった。友達のいる世界がほしい。
=「君たちはどう生きるか」は友達がいること前提の話。
=真人は友達が欲しくて泣いたのではないか?
→結局、大叔父が作り出した、変テコインコに石の世界は滅ぼされ、真人と夏子は現 実世界へ帰る
→アオサギと別れ際、「お前は友達だ」と告げる
=アオサギを友達だと自分で決めた。友達のいる世界が生まれた。
=だから、タイトルの絵がアオサギ
答え:どんな変な世界であっても、どんなに苦しい世界であっても、誰が友達か、誰が母親か、を決めるのは自分次第。自分で考えて、自分で決めることが幸せをつかむ。
みんな世界を作る石の一つ。でも、誰かに勝手に積み上げられたくはない。
この映画を見て何を考えたんだ?
お前は、どう考える?
人の意見に惑わされんなよ?
前評判のバイアスかけて見にくるんじゃねえよ!(だから、事前告知なしだ)
誰かのレビュー見てくるんじゃねえ!
「君たちはどう生きるか」って本読んだか?
お前らどう思った?
俺は、友達がいないんだ
コペル君には友達がいて、羨ましい!ムカつく!泣けてくる!
なんだこの本、友達ありきじゃねえか!?
友達ってなんだ?
俺が、友達って言ったら友達なんだ!
一人は寂しい
だから、誰が母親ってことも誰が友達ってことも俺が決める
って声が聞こえてくる映画だった。
ありがとうございました。
最初に氏の作品に触れたのが、NHKで放映された「未来少年コナン」。大学生のクセに子どものアニメなんか観て、と親にたしなめられながらも、その柔らかい線や元気いっぱいで屈託のない冒険活劇に夢中になってしまいました。他のアニメ作品にはない独特の美しさがあるように思えたのです。
氏の作品の魅力は何なのだろうと思うと・・いろいろありますが、一番芯にあるのが「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。以前NHKが「崖の上のポニョ」の創作に密着していましたが、最初に確固としたストーリーがあるわけではなくて、一枚の絵を出発点に、呻吟しながらなにものかを生み出してゆく姿がとても印象的でした。
黄泉の国、死後の世界・・後講釈でいろいろ分析されることも多い氏の作品ですが、生み出されたものは合理的に説明できるものばかりでないのは、今回も過去作品も同じで、その本質と魅力はやはり「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。
それが、観る者の心の奥底の干からびた部分に、いのちを吹き込み、どこかを癒やしてくれる。だから賛否両論というのが、実は私にはよく理解できません。長年おつきあいしてきた者として本作を観て、氏の集大成であるのは多分間違いないと思いました。
最初のオリジナル原作作品「風の谷のナウシカ」の上映は確かミニシアター系の上映だった記憶が・・・。その後も欠かさず、氏の新作が出るたびに、劇場に足を運び、結婚し、娘が生まれ、その娘もジブリ大ファンとなって育ち、先月式をあげ巣立ちました。
今回が本当に最後になるのかはわかりませんが、ご年齢からしてそうなることを想定しながら創作されたのだと推察します。まだ早いかもですが、「ほんとに長い間お世話になりました。」宮崎監督並びにジブリの皆様には、そう申し上げたいです。
良かったと思います
なんだかんだジブリを映画館で観るのは初めてでこれが最初で最後かもしれないと思い事前知識ゼロで観てきました。
観終わった直後の後味は正直悪く、宮崎駿さんが自分が書きたい物を書いたって感じで新海誠さん対極の存在という印象でしたが後から振り返り考えが一転したのでまとめてみたいと思います。
〈あくまで1意見なのでその点ご留意いただければと思います〉
まず個人的に気になったのは今作は何とも言えない不快感を感じる描写がかなり多く、中々今まで見た映画でない経験だと感じました。
例)
→死んだ奥さんの妹と結婚する無神経な父親、
→甥の手を無理やり取り自分の腹に当て「子供がいるの」と宣言する新しい母親、
→主人公の荷物に群がるお婆さん達、
→その後のカエルのシーンもそうでしたが
→個人的にはアオサギが主人公の真似か「オカーサン!オカーサン!」と鳴くシーンが特に衝撃的でした。
一言でまとめると「無神経」。
そしてその不快感が途中から感じなくなったのはいつからだろうと考えるとあちら側の世界に向かってからと気づき見方が一気に変わりました。
制作した、あちら側の世界はインコやデカい生物などおじいさんが作った世界だから初見で意味などは分からないと感じます。
そして主人公に継いで自分の世界を作れと言うシーンでは「悪意で自分で自分を石で傷つけた」と断ります。石で自分を傷つけることで学校へ行かなくて済むのもそうですが新しい母親への悪意があったことを本人も自覚している。
それに気づけたなら尚更この世界に留まればいいとおじいさんに説得されるも断る。
色んな人の悪意に晒されるであろう現実に戻り、友達を作り共に生きる事を選択する主人公。
といった意味では個人的にはこの作品は良かったと思います。
制作、そして人生に対する宮崎駿さんの姿勢なども含まれてるように思いますが個人的には不快感の正体を突き止められた気がしたので以上とさせていただきます。
今までのジブリ作品の面影がある分、「こういうのが描くのが好きなのですね」と分かって面白かったです。
ジブリ作品だけど小さいお子さん連れは辞めといた方がいいと思います。私だったらトラウマになりそう。
また原作無視な所も相変わらずかと思いました。
お前いいやつだな、が響いた
男の子をもつ母として涙がこぼれました。
さすが宮崎駿の書く男の子ですねと思いました。
お母さんとの別れを受け止めきれず、
新しいそっくりのお母さんに抵抗がありつつも、
お腹を触らされてぎょっとする。
疲れて部屋で寝てしまったときの寝顔の可愛さはまだまだ子供なんだなぁと。
素朴さと生真面目さと素っ気なさがちゃんと男子。
夏子さんを助けに行くのも偉いです。
久子さんをダシにされ、罠だと分かっていても足を踏み入れて確かめに行く。そうして真実を自分で見つけていかないと進めない。と宮崎駿は言いたいのかな?なんて思いました。
産屋に入った新しいお母さんの「あなたなんか嫌い」お母さんもお母さんしようと一生懸命だったのに。ちゃんと心を砕いて新しい息子と向き合おうとしてたんですもんね……からのお母さん呼び、泣けました。
もともと私は頭の中がとっ散らかっているからか?
筋が通っているか否かは気になりませんでした。
夢の中、ファンタジー。どなたかが不思議の国のアリスと書いてましたが次々と美しい絵が出てきて楽しかったです。青鷺といい老婆といい、気味悪いという印象からちゃんと愛らしく感じられました。
観終わった後はぽーっとしてました。
時間があれば2回目も観にいきたいです。
老人の妄想か、はたまた 僕らの世界が間違っていて、本当の世界の姿はこうなのか
この映画を、事前の先入観一切ナシに鑑賞することができて、こんなに幸せな事はないと思っています。
晩年の談志落語のイリュージョンや、黒沢映画の果て
最盛期を過ぎて、下手になった、晩節を汚したと謳われるようなこれらの作品群を
退化と捉えるか
進化と捉えるか
それによって、作品の評価が180°変わるのですね。
この作品は、正にそんな作品でした。
事前情報も作品のリードラインも一切ないなか
観客は、主人公が自傷するあたりで動揺しますよね。
理解できない、これまで語られたことのなかった物語に対して
自分自身の価値観を、判断を迫られるのです。
それこそが正に「君たちはどう生きるのか」という事でしょう。
このよく出来た、主人公たり得るに相応しい
母を失い、被害者と正義感の同居する
お行儀の良い、しかしひとりになった途端に涙をこぼすような
完全無欠な観客の感情移入のお手本のような少年が
まったく正義なだけでも完全無欠の主人公でもなく、むしろ悪とエゴにも満ちあふれた
ひとりの人間であることに混乱するのですね。
大衆は、桃太郎は鬼も退治しましたがバイクを盗んでガラスも割りましたでは、物語の主人公としては困るのです。
大衆が勝手に求める完全無欠の虚像として、物語の主人公も、政治家も、テレビのタレントも
そうあって貰わなくては困るのですね。困るから、たかが女優が不倫しただけです炎上したりするのですよね。
しかし、桃太郎にだって女優にだってそんな一面があるのです。だって、人間ですから。
この時点で、この物語は、そんな子供向けの単純な作品ではなく
大人向けの、善悪も矛盾も孕んだ、人間を描いた作品であることがわかります。
わからない人は、ここで置いてゆかれます。
こここそが、これまで宮崎駿氏が超えられなかった、アニメーション故の境界線なのですね。
これまでの作品で、例えば、父親像でいえば
優しいだけのダメな父親、社会的に力を持つも人格的に難ある父親、
家族の前に居られない存在感のない父親、
それらがすべて、観客に理解されなかった果ての、今回の父親像こそが
ようやく、人間なのだと感じられました。
社会的に力を持ち、成功者でもある反面、子供からしたら気持ちが理解されることのない
しかし愛すべき愛情に満ちあふれた、このエゴの塊のような父親像こそが、まさに人間であり、
僕の貴方の身近にいそうなリアルな父親、、この境地なのだと思われます。
アニメーションの絵柄に守られた境界線を越えて
ダメで立派なひとりの人間としての
父親像をようやく、宮崎駿氏は描いたのだと思いました。
世界は矛盾に満ちている。
あんたなんか大嫌いということは、大好きという事ですし
友達でも仲間でもないという事は、互いに対等な立場と言うことなのですね。
これらの、一見、矛盾ともとれる感情が入り混じり、境界線なく、裏返り、一体化したものこそが
人間そのものですよね。
立川談志は弟子に「一人前になる修行とは、矛盾に耐える事だ」(=矛盾を受け容れられるようになることだ)と説いたそうですね。
そう、途中までは、宮崎映画に期待する自分の過去の先入観が邪魔をするのですよ
ああ、手描きに似たこの表現は良いなぁ、このキャラクターはまるで※※のようだ、
このシーンはまるで未来少年のようだ、ルパンのようだ、いや、アリエッティだって入っている
ハウルだって、ポニョだって、千尋だって入っている。いやこれは駿流のゲド戦記か? エヴァンゲリオンなのか?? OnYourMarkのセルフカバーか?
高畑勲という師匠を指針を失って初めて、宮崎駿氏の見失った羅針盤は、内面に向かうのか、弟子筋に向かうのか、外側に向かうのか?
それとも、未だに悪魔のようなプロデューサーの庇護下から出られないでいるのか?
遠い昔に読んだ、ナルニア国物語や色々な児童文学も入っているのか。アリエッティもマーニーも入っているのか?
けど、、考えてみればアタリマエなんですが
すべて逆で、これまでのそれらの要素すべてが、宮崎駿だったんですよね。
宮崎駿の感性が、其れ其れの作品に散りばめられていただけ
元はすべて、宮崎駿なのだから
この映画にも、これまでの映画にも
其れらが息づいているのは 当然なのですね。
それを僕らが勝手にジブリ映画の要素だと錯覚していただけなんですね。
繰り返しになりますが、僕はこの映画を、先入観なしに観られて、本当にありがたいと思いました。
君たちはどう生きるか? ということは、君たちは、この映画をどう見たか? ということですよね。
この映画を面白く見られた人は、面白い人生を歩むのでしょう。
私もそのひとりであり得たことを、心より感謝いたします。
ひとは物語は世界は単純な善悪では語りきれず
この矛盾に満ちた、説明できないものが
ひとであり、世界であり、宇宙なのですね。
私の好きな作家で野田秀樹氏がいますが、正にこの時期に上演された
「兎、波を走る」でも、もはや人類に新しい物語はないのかも知れないと語られていましたし
また同じく、私の好きな作家で松尾スズキ氏の言葉で
「宇宙は見えるとこまでしかない」にも代表されますが
人がヒトたり得る感知感応できる世界は、
結局、人が認知できる世界までしかないのですね。
それは庵野秀明氏が「シンヱヴァンゲリヲン」や「シン仮面ライダー」で渇望した
己の中にない、未だ見ぬ外宇宙の元素を渇望するその衝動にも似ています。
方向性が違うだけで、その境地に辿り着いた巨匠達は、その飢(カツ)エに飢えて
爪を掻きむしりながら、やがて辿り着く境地があるのですね。
それもそのはず
宇宙や世界が無限に広くとも、それを構成される
原子や素粒子といった要素は、その宇宙や世界を構成するものでしかなく
人もまた、人がヒトたり得る世界の中のもので構成されているのです。
宮崎駿が、立川談志が、黒澤明が、宮沢賢治が辿り着いた果ては
もはや狭くも無限に広い宇宙のなかで
語り尽くされた物語の数々を構成する
「人間そのもの」なのですね。
もはや多くを語りますまい。
私の敬愛する、宮沢賢治のこの一説をお借りして、この作品のレビューとしたいと思いました。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃ももいろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。
わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。
これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹にじや月あかりからもらってきたのです。
ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。
ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾いくきれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
以上、宮崎駿氏の心情を、私なりに最上級で表現をしたつもりです。ご査収ください。よろしくお願いします。
この映画の良さは分かる人が分かればいい
ジブリの良さって"美しさ"と"気味悪さ"が混在した独特の世界観と人によって捉えられ方が違うシーンが多く、正解が与えられないところだと思うんですよね。それが過去作品の中で1番感じられた映画でした。
一言で紹介するとしたら、宮崎駿監督が"1人の少年の生き方を描くからみんなで考察し合ってね!"って感じの映画ですね笑
私のこの映画の好きなところは、始めはアオサギが冷徹で不気味、この世のものとは思えない様子で描かれていましたよね。
そこから、まひとと戦ったシーンをきっかけにだんだん打ち解けて人間味がどんどん溢れて色んな表情がでてきます。最終的にまひととアオサギがお互いに認め合っているところがすごく好きです。私はアオサギが1番人間味があって魅力的なキャラクターだなと感じました。
私はこの映画の醍醐味が"内容を理解できない人、強く嫌う人、すごく好きな人"と完全に別れるところだと思うんです。
私の人生の中で"大好きと大嫌いは隣り合わせ"だと思っているのですが、(始めの印象が大嫌いな場合は良くも悪くも強い感情を抱いていて何かをきっかけに大好きになる可能性がある、普通や好き程度の場合は強い感情を抱いていないので転びにくい)正に映画の始めの部分は強く感情を揺さぶられる部分が多くうわ、この映画嫌いかもって思いました。ですが映画が終わったあとには"いやこの映画すっごい好きだわ"に変わっていました。この映画を見たあと、後ろに座っていたカップルの彼女が『私には難しくて全然分かんなかった』って言っていたんです。この映画が作り出すこの映画に対する個々の意見も含めて実に面白いです。
老いたのは自分か宮﨑駿か
公開に先立って観た『千と千尋の神隠し』以来のジブリ作品『風立ちぬ』が望外だったため、期待に胸踊らせて満席の中を観に行った。
結果、レイトショーだったにせよあくびが止まらず、途中から早く終わらないかと念じ続ける様に。
今のところ今年のワースト2(ワースト1は『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』)といった評価。
前半はどうにか観られたけど、後半から「おつかいゲー」の如き敷かれたレールの上に沿った展開が続いてウンザリした。
ラストの選択なども誰だってそうするだろう、意外性のない、既視感にまみれたものだった。
監督は最近の作品を観てないんじゃないか、感性をアップデートできてないんじゃないか、という疑惑が終始ついて回った。
(それでも面白ければ口を閉ざしたろうけど、令和の時代においては古臭さ(もちろん悪い意味での)は否めない。)
作画にしても齢を食った今となってはそのカロリーの高さと味付けの濃さに胃もたれしてしまった。
やたら書き込まれてたりヌルヌル動いたりすればいいってもんじゃないな、、、というのが最近のアニメを観ての感想。
たとえば、規模は比べるべくもないが、『夏へのトンネル、さよならの出口』くらいのあっさりした画のほうが好み。
(このへん、写真の台頭によって絵画の主流が写実主義から抽象画へ移ってった傾向に似てるかも。)
百歩譲って芸術性は認めたとしても、娯楽性がサッパリだったのも評価を低くした一因。
(傑作は、まず娯楽性が来て、それから芸術性が来る、が信条なもので。)
エンドロールの米津玄師の歌も『シン・ウルトラマン』の「M八七」と違って1フレーズも記憶に残ってない。
(もっとも、これまで述べてきたように作品自体がひどくて余韻に浸るどころではなかったからかもしれない。)
あと、監督の生い立ちや人間関係などといったメタ情報を知っ“たら”楽しめる、という評価は論外。
(知らなくても楽しめるけど知ったらなお楽しめる、であればわかるが。)
物語を頭に入れた上で改めて観たらひっくり返るかも、という予感が残された一縷の望みだ。
絵だけは綺麗
味のすこぶる薄いバイキング料理といった趣。
様々な料理もとい設定や世界観は出てくるがどれもこれもが中途半端で宙ぶらりん。
なにより個人的に悲しかったのは印象に残る劇中音楽がなかった事。
殆どのジブリ映画は各映画ごとに聞けばそのシーンが思い出される名曲がある(ハウルの動く城/人生のメリーゴーランドや魔女の宅急便/海の見える街など)ところ、今作にはろくすっぽ心に残る音楽がない。
エンディングテーマの地球儀は素晴らしいがそれだけで頷くことはまぁ出来ない。
あとヒロインの声優も酷い。
決してつまらないわけではなく、映画館で見る価値は大いにあるが万人に受けるようなものではなく、個人的には心に残る作品ではなかった。
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