君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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巨匠の仕事
一方的ですが、私が「私の中の文豪、巨匠」と呼ぶ方は、私の人生に問いかけてくる作品を創られる方です(宮崎なら「風の谷のナウシカの原作」のラストのような)
私の中ではこの作品はやはり、宮崎駿という巨匠の仕事であると思っています。
前もっての情報も無くまっさらな気持ちで観させるとしたら、もしかしたらタイトルも無題だったかもしれません。
でもこのタイトルを敢えて付けたのは、『君たちはどう生きるか』という小説を中高生にぜひ読んで欲しい、(世界中の)大人達にも、あのコペル君の叔父さんのような大人になって欲しい!という宮崎駿の気持ちが、きっと込められていると私は思います。
ブルースリーは「考えるな、感じろ」と言いました。でも、宮崎はあたかも逆に「考えるんだ」と映像全編に込めて言っているように今回この作品を観て感じました。(今でも折に触れ考えています)
文学でいうならこの作品には、芥川龍之介の『歯車』に通ずる、全てを脱ぎ捨てた天才の凄まじいキレを感じます。そして13という数字が出たのは(うちの近くの寺にも十三重の塔がありますが)何か仏教的な、全ての魂への鎮魂を意味しているのかなとも思います。キリスト教徒であった遠藤周作やヘルマンヘッセが最後、仏教を書いたように。(作品数との説が有力かな)
私には、前作『風立ちぬ』から感じる、血の描写、デフォルメされたキャラクター、あと、やはり声優陣には違和感(菅田将暉は良かったなあ)が正直あり、主人公も2年後と2年前の声の変化は欲しかったと思います。上から目線ですみません、ぜひ次回作でご検討お願いします笑。(でも、声はさておき『風立ちぬ』は感動しました。今回シベリアも出てきました!よね?。私はあのシーンが好きでした。主人公のやさしさと、子供ながらに「物乞いではない!家族を待ってるんだ」という毅然とした精神が感じられて)
眞人はきっと、コペル君のような道を歩んでゆくと私は思います。
俗世で生きることを決め、様々なしがらみや反面教師としての父と闘いながらもきっと、この体験を胸に秘めながら...。
「風立ちぬ。いざ、生きめやも...」
(愛する人(母)は風となって空に舞い上がっていった...さあ、僕はこの世界で生きてゆかなければ...)と
星4つですが、5つめの☆は、今後自分の人生で何か探し出せたら、付けさせてもらいたいと思っています。(実は私も後悔している出来事や謝りたい人がたくさんいます)
長々と自分目線ですみません。
追伸:
※あと鳥好きの私としては(長々ついでで、笑)
日本の水辺にもいるアオサギは、古代エジプトでは「再生をつかさどる(雨を呼ぶ)鳥」と言われ、ペリカンとともに「聖なる鳥」とされていたようです(山下達郎の「Heron」もアオサギなんですよね)。ペリカンは「愛の象徴」との事で、というと?ワラワラを食べてしまうのは逆につらい俗世に生まれないようにとの愛でしょうか?? 劇中のインコは解き放たれた瞬間、目の位置が正面から本来の横の位置に戻ったような。人間の姿のほうが視野が狭いのかな?笑(インコのキッチンのシーンは、なんか遠い記憶にある、映画『デリカテッセン』を思い出したようなユーモラス(ブラックな)感じで私の中で◎でした)
名前負け
問題提起するようなタイトルをつけているが名前負けしている。
宮崎駿作品とは気が合わないので劇場ではなく金曜ロードショーを待った。
君たちはどう生きるかというタイトルで、最後まで戦時中の話を緻密に描いているのであればどう生きるのか考えながら観ることができたかもしれない。
そういう意味では最初の方は良かった。
カエルのシーンなんかは気持ち悪いけれどアニメーションの、テクニックとしては世界に誇れるのもよくわかる。
ただ、ファンタジーの世界に入ってからは、どう生きるか考えるより、鳥の群れの気持ち悪さとか、展開の無理矢理感が気になって考えることを放棄してしまった。
それでは身も蓋もない。
観客がついていけないようなものからは大風呂敷を広げたタイトルのどう生きるかを考えてしまったという気持ちには至らないだろう。
菅田将暉の演技の幅の広さには感心しきり。
観終わって、お口直しが必要な感じの仕上がりだったから、もっと美しい世界を描くことで、戦時中の悲惨さと対比させて欲しかった。
駿らしい
心の奥深くに問いを投げかける傑作
宮﨑駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」は、これまでのジブリ作品とは一線を画すようでいて、やはり“ジブリらしさ”をしっかりと感じさせる作品でした。
ストーリーは一見、幻想的で難解に思える部分もありますが、そこに込められた「命」「喪失」「選択」といったテーマはとても普遍的で、観る人それぞれの人生経験と照らし合わせて深く考えさせられるものでした。
個人的には、主人公・眞人が悩みながらも成長していく姿に、自分自身の過去の葛藤や迷いを重ねる瞬間が多々ありました。「君たちはどう生きるか」という問いは、まさに今を生きる私たちに投げかけられているのだと感じます。
また、映像美や音楽のクオリティは言うまでもなく素晴らしく、ジブリファンとしては胸が熱くなるシーンがたくさんありました。
一度観ただけでは全てを理解するのは難しいかもしれませんが、それもまたこの作品の魅力。観るたびに新たな気づきがある、そんな“深い映画”です。
ワラワラはコダマ?
あらためて観て凄く良かった
難しいです。作品としての完成度は高いけど、好きか嫌いかで言うと、ほどほど。 色々と考えるきっかけにはなる。
訳がわからないが泣ける映画
私は1回見終わって物語への理解が追い付かないが最初の火事の場面と、廊下で再会する場面と、最後の歌のところの3か所で涙がでた。火事のシーンがすごい。暗闇のなか鳴りだす火事のサイレンが産声のように感じられ寝ていた真人が起き上がり四つん這いで階段を上がるのはヒトの成長過程を表現している感じがした。火事の炎は燃える太陽や地球のマグマのように生命を生み出す源の表現のように感じられた。廊下で再会する場面も良い。わざとらしくBGMを入れてないのが良い。真人とヒミの再会の会話の一言一言がはっきり頭に入ってきて不思議と涙がでてくる。最後の歌もすばらしい。サギ男がこの作品の重要キャラだと思った。サギ男の導きで母と再会できた。さらにサギ男は幻の世界に飲み込まれそうになる真人と母の命を救った。サギ男の正体ですが映画中の君たちはどう生きるかの本の裏表紙に鳥の絵が描いてあったのでサギ男は君たちはどう生きるかの本を擬人化した姿だと思う。若い頃の真人の母もこの本を読んでいたかもしれない。そうでないと息子にこの本を薦めないと思う。結論:3回涙がでた映画。
積み木くずし
ジブリ作品は、ダメ人間へのお説教的な要素が多くて苦手なんですが、話題になった作品なので一応鑑賞させていただきました。
感想は「長い」です。
長編のわりには、ラストシーンがあまりにもさらっとし過ぎてびっくりしました。
あの積み木はなんだったのか?もっと重点を当てた方が良かったのでは?重要なわりにはあまり活躍できない積み木でしたね。
あれもこれも入れたい、それも入れたい、そういえばもっと入れておきたいことがあった!みたいな、宮崎さんの入れたい要素てんこ盛りな作品。2部作にして、もっとわかりやすいストーリーにしてくだされば、楽しめたかと思います。
ジブリもディズニーアニメも、説教臭いメッセージが多過ぎて、単純に楽しめなくなったことが残念ですね。
アニメ映画君たちはどう生きるかは小説坊ちゃんで竹を割るように理解できます
この2023年に映画の概念や構造についてかいたんだけどここにも詳しく残します
はじめに
さてさて、僕は宮崎駿監督 のアニメ映画『君たちはどう生きるか』に並々ならぬ想い・思いがあった。僕はこの作品を観るまでは絶対に生きていようと、怪我したり交通事故なんかに遭いたくは絶対したくない、そしてこの作品を観終わったらいつ死んでもいいくらいの想いでただ心の中でこのことだけが映画を作っている情報を知ってから長い間存在していた。この映画を観た後はもう若いが余生になるだろうくらいに思っていたものである笑。
家に戻り、なんかぼーーーーっとしながら思いをめぐらしていた。僕はふと気づいたのである。それを思うに至り、この映画と言うものがなんか僕なりに腑に落ちた思いを抱いた。
そして、ここ数日、急に思い出してあれこれ考えていたが、これはここに書いておいた方が自分にとっては頭の中が整理できていいかと思って書き始めました。
竹を割るように理解できたのは数十年前の国文学科の「近代文学」の授業を思い出したからである。
それは教授が解説したのは文学の初歩的な作品の夏目漱石の『坊ちゃん』という文学小説である。
さてさて、坊ちゃんと言う作品が1906年という事はもう時間が100年以上経つ作品である。しかも文学作品なので、当時の研究者や大学教授などが論文を書き、考証を重ね、それが100年にわたってその時代その時代の叡智をもった文学研究者・教授たちによって議論されてきたのである。
そして、僕がそれらを習った時点でも大体の成果が出てきていた。もちろんあれから数十年経っているので今現在の研究もなされているかと思います。でもある程度の成果なり、結果らしきものが出ている作品でもある。
公開してからネットで悪く言っている人たち
例えるなら、今、テレビ・ネットで昔の飛行機を作っている人たちの映像が残っている。我々は今、飛行機だけでなく、ジャンボジェット機などにまで航空力学が発展した成果の恩恵に預かっていることは誰でも認識していることである。まだ発展していくであろうが、それなりの成果が出ているものであり、結果らしきものも出ている分野である。
そして、それらを知っている僕らは当時の飛行機を作っている白黒の古い映像で巻貝のようなプロペラをポンポンと上下に揺らして飛ぼうとしている人たちが滑稽に映るであろう。しかし、僕が思ったのはそれらをやっている当時の人達に対して「なにやってんだよ」とか「人間が空を飛べるわけないだろ」などと言っていた、歴史の中に消えていった人物たちがいたということである。そいつらの事を我々はなんて愚かな人間だろうかと思うものの当時の人間たちにしてみたらそれがもしかしたら当然の思いなのかもしれないわな。
しかしそれらの人々が全く理解しようとしない事や否定的にしか物事を見られない人々であったという事は確かである。
今ジャンボジェット機などを作っている人たちがこの映像を見てその当時の飛行機を作ろうとしている人たちの思いに感銘を受けながら、まぁ、当時はこう言った間違いもするだろうというものがあるかと思うし、ジャンボジェット機として存在しているような「君たちはどう生きるか」をけなしている人がいたとしたなら、それはその人が作品を理解しようともしていない人々に見受けられる。
ジャンボジェット機に乗って嫌だった、面白かったと言う人と同じに、この作品を面白くないと言う分にはいいし、面白いと言うものもいいだろうが、飛行機なんて飛ばないんだよなどと言うに似た言葉を言う人間には、僕は意地悪いので、こいつ愚かだとしか言いようがないのである。
こんなものを作っている宮崎駿は老害などと言っているのは、当時の飛行機を開発している人間たちや、夏目漱石をバカにしている当時の人間たちの愚かさをあざ笑っている当時の人々と同じ様で、今の時代のこの人も同様に、僕はこいつら何もわからずに死んでいくんだろうなと言う思いに至ってしまうものだ。当時に生まれていてもやはり飛行機は飛ばないんだよなんてことを言うだけの人間の様な気がしてならない。
底意地の悪い僕は腹抱えて笑っている。そいつら面白いのだ。
映画『君たちはどう生きるか』の文学的観点からの考察
「坊ちゃん」という小説が発売されて大方の人間がその内容に楽しむものやなんだつまらないなどと言いながら、100年以上過ぎてきた。各時代の文学の研究者・教授たちはこの作品の本質は何かをひたすら考察してきた。
僕はその考察を授業で習ったことにより、それらの成果をアニメ映画『君たちはどう生きるか』に振り当ててみて、それによって僕はこの作品の事を竹で割れたような感覚と思いを抱くに至った。
あの『坊ちゃん』の滑稽で愉快な小説のなにが「絶望」なんだと思うし、『君たちはどう生きるか』のあの訳の分からない幻想的場面展開のどこが「希望」なのだと思うかもしれないわな。。。まぁ、そう思うけどね。
「坊ちゃん」という作品の主軸
さてさて、松山が坊ちゃんを絶望いや、苦悩に至らしめたのではない。物語の本当の要点はこのような出来事ではないのだ。この小説の裏というか、この小説には主軸があるのである。それも一直線にただ最初から終わりまで物語を貫いている主軸というものがあるのだ。文学の研究者・教授たちは研究論文を書いて、この物語の主軸への考えに至るのである。夏目漱石がそう思って書いたという事なのかは問題でなく、この物語がこうゆうものだという文学的見解・観点が見受けられると言うものなのだ。
なぜ、主人公坊ちゃんが四国の愛媛県の松山なんて当時遠い所に行ったかである。お金に困っていたのもあるが、清のために家を建てるためにお金を稼ぎたいと言うのがあったのだ。物語としては松山に行っていろいろな出来事があり、読んでいて面白い作品となっているが、主人公坊ちゃんと言うものに主軸を置くとこの作品は色帯を変える。
坊ちゃんにとって松山に行っていろいろな事にあってもそれが人生の糧になったとか教訓を得たとかそんなものは全くないのである。主軸を観るとただそこへ行って時間が経って、ただ東京にかえってきただけなのである。そして、東京に戻って清と住み始め、清は「玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹(かか)って死んでしまった。」とある。
物語はそこまでて終わるが、文学研究者や国文・日本文学の教授はこれを読み取る。この時になり、坊ちゃんは人生最大の過ちに気づくのである。坊ちゃんにとって清の為に四国松山へ行ったものの清にとってはそんなことはどうでも良かった、坊ちゃんが自分が松山へ行ったことにより自分は清を東京に一人残してしまっていただけである、松山なんて遠い所へ行くよりも清と一緒にいるべきだった。それなのに四国に行ったことにより清と一緒に居られる貴重な時間をただ無駄にしただけだったということに気づくのである。
このことにより坊ちゃんは人生においてその後苦悩を抱えて過ごすことになるのである。松山での出来事も思い出もなにも坊ちゃん本人にとっては何も為さない上に、その貴重な時間を清と離れて過ごしてしまったことに苦悩していくのだ。
主軸として坊ちゃんと清の物語なのである。
そして、この物語は坊ちゃんにとって苦悩に至るだけの物語であり、その過程が主軸にあって書かれてあるのだ。ただ、この坊ちゃんと言う「作品を貫いている」のは坊ちゃんが苦悩に至る主軸のことだけが描かれており、つまり、この坊ちゃんと言う小説は人間の苦悩が生まれる背景がどうゆうことか描かれている作品なのである。冒頭に「坊ちゃん」は絶望の物語と言ったのはこのためである。
「君たちはどう生きるか」という作品の主軸
そして「君たちはどう生きるか」である。
詳しくは映画を観ていない人の為に控えるとしても・・・
観ている観客はあの幻想的な次々と起こる出来事に混乱するであろう。
しかし、この作品にも主軸があるのである。主軸は主人公の眞人の心情・心理・精神・・・なんでもいいが、その変遷が主軸なのだ。この映画の主軸はそこなのである。その主軸を観ること事で、この作品は竹を割ったように把握できるのだ。
作品に観られる幻想的な出来事の裏にある眞人の絶望・葛藤がどのような様に至っていくのかである。
若かりし頃の母親に出会い、母親を世話するばぁやの昔の姿に出会い、自分の由来を知っていく。そして自分の義母「お母さん」と呼び、自分の大叔父に出会って自分の原点を知るに至る。そして、世界を握っている大叔父の申し出を断り、現実を受け入れ、現実の世界へ戻る。
そして、生きることの肯定、ある種「希望」というものを持つに至る。
この作品は主人公の心情が主軸として描かれていて、それに幻想的な世界が描かれているのである。主人公の心理の主軸がこの作品を貫いて存在しているのだ。
『君たちはどう生きるか』という作品は絶望から希望への少年が至る過程が描かれているのである。
「坊ちゃん」と言う小説が100年に渡り研究され尽くしてきた作品へのアプローチをこの「君たちはどう生きるか」という映画作品に転移した場合に、この映画は竹を割ったように把握・理解できる。
様々な出来事が幻想的世界の中で描かれているが、下層的に流れているのは主人公の心象風景の推移であり、そこに主軸があるのだ。描かれている様々な表象的出来事だけを観るとこの作品は訳が分からなくなる。しかし、主人公の心理を主軸に置いてみれば、いくらいろいろな出来事が起こっても、主軸の主人公の心情へ戻っていけるので、幻想世界の出来事に振り回されることはなくなる。
今の考察は表象的なものへの考察に終始しているが、下層まで行っていないと言ったのはこの事なのである。根本的なものが理解できていないことに底意地の悪い僕は腹を抱えてせせら笑っていた。
ジェット機に乗る我々がジェット機をつまらない、何が面白いんだという人がいるののなら、乗らなければいいし、別にそれでいいんじゃないと言うのと一緒で、この作品が面白くないと言うのであれば、僕からすれば二度と観なくていいんじゃないというものだ。しかし、ジェット機なんてなんだか分からないとかこんなの飛ぶのかとかそんなもん開発してどうすんだとか言っている人たちは、まぁ、ライト兄弟以前にいた人達であり、まぁ、ジェット機を知っている我々からするとただのバカに見えてしまうのは否(いな)めないよな・・・。
この作品わかんないとか作ってどうすんだよこんな作品とかほざいている連中は僕からするとただのライト兄弟以前の人なのである。まぁ、理解すら出来ないよね。まぁ、それらの書き込みを見るたびにもうどうでもいい人間に見えてしまうのだ。
そして僕はこの作品を作ってきた人たち、特に宮崎駿監督の主人公の少年をなんとか救おう、希望を持たせよういう思いで必死で作って来た10年近くの熱い想いを想像するに至り、ひとり部屋の中で恥ずかしながら涙が出てくるほどであった。
まぁ、「こんな作品作る宮崎駿は老害」とののしるやつの方がたぶんいずれ老害に確実になるわな。
まぁ、この考察がおかしいと誰かがせせら笑うのはまぁいいけど、坊ちゃんを100年間研究してきた人たちの考察の成果をただ僕は転用・転移しただけなんで笑うアンタの方が笑われますよ。
大人は映画を頭で解釈しようとするが、この映画を観てなんか面白かったと純粋に言えるの子供たちかもしれません笑。
金曜ロードショーで観ました。
気になっていましたが、映画館では未鑑賞。
冒頭から不思議な世界観に引き込まれ、面白くなりそうだなと思いましたが、基本少年1人の心の内の物語だったので、話の筋はシンプルなのかと。
途中で、異世界でダークな面を見たり、色々な冒険をして母の思いを知ったり、継母を助け出すという行動で、現実に折り合いをつけて戻ってきたという感じかな、
往年のジブリの世界観で映像がすごくきれい、キャラも面白いのもいたけど、青サギの存在が好感持てず、他の登場人物との関わりも唐突でやや希薄な感じがして、あまり感情移入できなかったかな、
あと、やはり有名人の方たちの声の演技がちょっと物足りなかったです。
でもつい観てしまうのがジブリでしょうか。
大きなスケール、丁寧な仕上がりには感動です。
主人公が頭を自分で傷つけたのは、やり場のない怒りや、自暴自棄、仕返しも込めての自作自演とかなんだろうと思った。
うーん…意味分からない…
いま、会いにゆきます
この作品を高評価する人は、宮崎オタク。
宮崎監督の最後の作品ということで、最後の最後まで気合をいれて何処かで感銘する場面があるはず...と期待をこめて見ていましたが、、、
なんじゃこれで、終わりました。
この作品評価できますか?
宮崎監督だから評価できるのですよね。
もし宮崎監督以外の人でしたら、評価できますか・・?
昔のハリウッド映画の監督でも
「何もかもセリフで説明するんじゃなくて、観客に考えさせろ...」
という手法がありましたが、
この作品は観客に考えさせ過ぎ...
ん?これどういう意味と考えている内に話がどんどん進んで、また次の所で??
考えている内に作品が終わってしまいました。
これが新しい手法なのかはしらないが、簡単に言えばストーリーが破綻しているという事。
テーマもこれといってハッキリしていない。
俺だったら、こう言うストーリーにするのに... と思わせるようでは、
この作品は名作ではないですね。
賛否両論ありますが、私の意見でした。
悪しからず。^^
とても難しい…でも好きだ
あまりに情報が無いままの公開で二の足を踏んでしまい、見れてなかったので金曜ロードショーで拝見しました。
映像がやはり綺麗で惹き込まれる…さすがです。CMはもちろんあるのにそれでも集中力を削がれない面白さがありました。むしろ「あれは何?」と考える時間があったからこそよかったのかも。映画館で観たら訳がわからない…と置いていかれていたかもしれません。
過去のジブリ作品のセルフオマージュを思わせる背景や登場人物があり、それを探すのも楽しかった。
内容は母を亡くして子供らしくない、子供らしくなんてしていられなかったまひとの成長なのかなと思いました。
母親を亡くした悲しみも埋まらぬまま、新しい母親と腹違いの弟を受け入れられない自分への苛立ちや寂しさがまひとの表情から伝わってきた気がします。
子供のまま純粋で悪意の無い素晴らしい世界を作る神になるか、様々な思惑の渦巻く現実で1つのピースとして生きていくか、そんな壮大なテーマがあったと思うけど、私は火事で亡くなる未来を知っている幼い母が「貴方を産めるのだから」と笑顔で自分の時代に帰っていく姿に感動した。そして流れる米津玄師の「地球儀」。綺麗すぎる空色にぶわぁっと涙腺が崩れて内容よく理解してないくせにちょっと泣いてしまいました。
理解はできていないと思う。でも私はこの映画が好きです
難しいすぎて何が言いたいのか?
まだまだみたい
とにかく映像が好き
戦争のない平和な世界が訪れますように🌏
最後の地球儀で泣きました。
色々な自分の思いをこうやってアニメーションに変えて後世に残していく。すごいなぁ。
まだまだ宮崎駿監督の作品みたいです。
※サンダーボルツに載せちゃって載せ直しです。
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