君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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訳がわからないが泣ける映画
私は1回見終わって物語への理解が追い付かないが最初の火事の場面と、廊下で再会する場面と、最後の歌のところの3か所で涙がでた。火事のシーンがすごい。暗闇のなか鳴りだす火事のサイレンが産声のように感じられ寝ていた真人が起き上がり四つん這いで階段を上がるのはヒトの成長過程を表現している感じがした。火事の炎は燃える太陽や地球のマグマのように生命を生み出す源の表現のように感じられた。廊下で再会する場面も良い。わざとらしくBGMを入れてないのが良い。真人とヒミの再会の会話の一言一言がはっきり頭に入ってきて不思議と涙がでてくる。最後の歌もすばらしい。サギ男がこの作品の重要キャラだと思った。サギ男の導きで母と再会できた。さらにサギ男は幻の世界に飲み込まれそうになる真人と母の命を救った。サギ男の正体ですが映画中の君たちはどう生きるかの本の裏表紙に鳥の絵が描いてあったのでサギ男は君たちはどう生きるかの本を擬人化した姿だと思う。若い頃の真人の母もこの本を読んでいたかもしれない。そうでないと息子にこの本を薦めないと思う。結論:3回涙がでた映画。
積み木くずし
ジブリ作品は、ダメ人間へのお説教的な要素が多くて苦手なんですが、話題になった作品なので一応鑑賞させていただきました。
感想は「長い」です。
長編のわりには、ラストシーンがあまりにもさらっとし過ぎてびっくりしました。
あの積み木はなんだったのか?もっと重点を当てた方が良かったのでは?重要なわりにはあまり活躍できない積み木でしたね。
あれもこれも入れたい、それも入れたい、そういえばもっと入れておきたいことがあった!みたいな、宮崎さんの入れたい要素てんこ盛りな作品。2部作にして、もっとわかりやすいストーリーにしてくだされば、楽しめたかと思います。
ジブリもディズニーアニメも、説教臭いメッセージが多過ぎて、単純に楽しめなくなったことが残念ですね。
アニメ映画君たちはどう生きるかは小説坊ちゃんで竹を割るように理解できます
この2023年に映画の概念や構造についてかいたんだけどここにも詳しく残します
はじめに
さてさて、僕は宮崎駿監督 のアニメ映画『君たちはどう生きるか』に並々ならぬ想い・思いがあった。僕はこの作品を観るまでは絶対に生きていようと、怪我したり交通事故なんかに遭いたくは絶対したくない、そしてこの作品を観終わったらいつ死んでもいいくらいの想いでただ心の中でこのことだけが映画を作っている情報を知ってから長い間存在していた。この映画を観た後はもう若いが余生になるだろうくらいに思っていたものである笑。
家に戻り、なんかぼーーーーっとしながら思いをめぐらしていた。僕はふと気づいたのである。それを思うに至り、この映画と言うものがなんか僕なりに腑に落ちた思いを抱いた。
そして、ここ数日、急に思い出してあれこれ考えていたが、これはここに書いておいた方が自分にとっては頭の中が整理できていいかと思って書き始めました。
竹を割るように理解できたのは数十年前の国文学科の「近代文学」の授業を思い出したからである。
それは教授が解説したのは文学の初歩的な作品の夏目漱石の『坊ちゃん』という文学小説である。
さてさて、坊ちゃんと言う作品が1906年という事はもう時間が100年以上経つ作品である。しかも文学作品なので、当時の研究者や大学教授などが論文を書き、考証を重ね、それが100年にわたってその時代その時代の叡智をもった文学研究者・教授たちによって議論されてきたのである。
そして、僕がそれらを習った時点でも大体の成果が出てきていた。もちろんあれから数十年経っているので今現在の研究もなされているかと思います。でもある程度の成果なり、結果らしきものが出ている作品でもある。
公開してからネットで悪く言っている人たち
例えるなら、今、テレビ・ネットで昔の飛行機を作っている人たちの映像が残っている。我々は今、飛行機だけでなく、ジャンボジェット機などにまで航空力学が発展した成果の恩恵に預かっていることは誰でも認識していることである。まだ発展していくであろうが、それなりの成果が出ているものであり、結果らしきものも出ている分野である。
そして、それらを知っている僕らは当時の飛行機を作っている白黒の古い映像で巻貝のようなプロペラをポンポンと上下に揺らして飛ぼうとしている人たちが滑稽に映るであろう。しかし、僕が思ったのはそれらをやっている当時の人達に対して「なにやってんだよ」とか「人間が空を飛べるわけないだろ」などと言っていた、歴史の中に消えていった人物たちがいたということである。そいつらの事を我々はなんて愚かな人間だろうかと思うものの当時の人間たちにしてみたらそれがもしかしたら当然の思いなのかもしれないわな。
しかしそれらの人々が全く理解しようとしない事や否定的にしか物事を見られない人々であったという事は確かである。
今ジャンボジェット機などを作っている人たちがこの映像を見てその当時の飛行機を作ろうとしている人たちの思いに感銘を受けながら、まぁ、当時はこう言った間違いもするだろうというものがあるかと思うし、ジャンボジェット機として存在しているような「君たちはどう生きるか」をけなしている人がいたとしたなら、それはその人が作品を理解しようともしていない人々に見受けられる。
ジャンボジェット機に乗って嫌だった、面白かったと言う人と同じに、この作品を面白くないと言う分にはいいし、面白いと言うものもいいだろうが、飛行機なんて飛ばないんだよなどと言うに似た言葉を言う人間には、僕は意地悪いので、こいつ愚かだとしか言いようがないのである。
こんなものを作っている宮崎駿は老害などと言っているのは、当時の飛行機を開発している人間たちや、夏目漱石をバカにしている当時の人間たちの愚かさをあざ笑っている当時の人々と同じ様で、今の時代のこの人も同様に、僕はこいつら何もわからずに死んでいくんだろうなと言う思いに至ってしまうものだ。当時に生まれていてもやはり飛行機は飛ばないんだよなんてことを言うだけの人間の様な気がしてならない。
底意地の悪い僕は腹抱えて笑っている。そいつら面白いのだ。
映画『君たちはどう生きるか』の文学的観点からの考察
「坊ちゃん」という小説が発売されて大方の人間がその内容に楽しむものやなんだつまらないなどと言いながら、100年以上過ぎてきた。各時代の文学の研究者・教授たちはこの作品の本質は何かをひたすら考察してきた。
僕はその考察を授業で習ったことにより、それらの成果をアニメ映画『君たちはどう生きるか』に振り当ててみて、それによって僕はこの作品の事を竹で割れたような感覚と思いを抱くに至った。
あの『坊ちゃん』の滑稽で愉快な小説のなにが「絶望」なんだと思うし、『君たちはどう生きるか』のあの訳の分からない幻想的場面展開のどこが「希望」なのだと思うかもしれないわな。。。まぁ、そう思うけどね。
「坊ちゃん」という作品の主軸
さてさて、松山が坊ちゃんを絶望いや、苦悩に至らしめたのではない。物語の本当の要点はこのような出来事ではないのだ。この小説の裏というか、この小説には主軸があるのである。それも一直線にただ最初から終わりまで物語を貫いている主軸というものがあるのだ。文学の研究者・教授たちは研究論文を書いて、この物語の主軸への考えに至るのである。夏目漱石がそう思って書いたという事なのかは問題でなく、この物語がこうゆうものだという文学的見解・観点が見受けられると言うものなのだ。
なぜ、主人公坊ちゃんが四国の愛媛県の松山なんて当時遠い所に行ったかである。お金に困っていたのもあるが、清のために家を建てるためにお金を稼ぎたいと言うのがあったのだ。物語としては松山に行っていろいろな出来事があり、読んでいて面白い作品となっているが、主人公坊ちゃんと言うものに主軸を置くとこの作品は色帯を変える。
坊ちゃんにとって松山に行っていろいろな事にあってもそれが人生の糧になったとか教訓を得たとかそんなものは全くないのである。主軸を観るとただそこへ行って時間が経って、ただ東京にかえってきただけなのである。そして、東京に戻って清と住み始め、清は「玄関付きの家でなくっても至極満足の様子であったが気の毒な事に今年の二月肺炎に罹(かか)って死んでしまった。」とある。
物語はそこまでて終わるが、文学研究者や国文・日本文学の教授はこれを読み取る。この時になり、坊ちゃんは人生最大の過ちに気づくのである。坊ちゃんにとって清の為に四国松山へ行ったものの清にとってはそんなことはどうでも良かった、坊ちゃんが自分が松山へ行ったことにより自分は清を東京に一人残してしまっていただけである、松山なんて遠い所へ行くよりも清と一緒にいるべきだった。それなのに四国に行ったことにより清と一緒に居られる貴重な時間をただ無駄にしただけだったということに気づくのである。
このことにより坊ちゃんは人生においてその後苦悩を抱えて過ごすことになるのである。松山での出来事も思い出もなにも坊ちゃん本人にとっては何も為さない上に、その貴重な時間を清と離れて過ごしてしまったことに苦悩していくのだ。
主軸として坊ちゃんと清の物語なのである。
そして、この物語は坊ちゃんにとって苦悩に至るだけの物語であり、その過程が主軸にあって書かれてあるのだ。ただ、この坊ちゃんと言う「作品を貫いている」のは坊ちゃんが苦悩に至る主軸のことだけが描かれており、つまり、この坊ちゃんと言う小説は人間の苦悩が生まれる背景がどうゆうことか描かれている作品なのである。冒頭に「坊ちゃん」は絶望の物語と言ったのはこのためである。
「君たちはどう生きるか」という作品の主軸
そして「君たちはどう生きるか」である。
詳しくは映画を観ていない人の為に控えるとしても・・・
観ている観客はあの幻想的な次々と起こる出来事に混乱するであろう。
しかし、この作品にも主軸があるのである。主軸は主人公の眞人の心情・心理・精神・・・なんでもいいが、その変遷が主軸なのだ。この映画の主軸はそこなのである。その主軸を観ること事で、この作品は竹を割ったように把握できるのだ。
作品に観られる幻想的な出来事の裏にある眞人の絶望・葛藤がどのような様に至っていくのかである。
若かりし頃の母親に出会い、母親を世話するばぁやの昔の姿に出会い、自分の由来を知っていく。そして自分の義母「お母さん」と呼び、自分の大叔父に出会って自分の原点を知るに至る。そして、世界を握っている大叔父の申し出を断り、現実を受け入れ、現実の世界へ戻る。
そして、生きることの肯定、ある種「希望」というものを持つに至る。
この作品は主人公の心情が主軸として描かれていて、それに幻想的な世界が描かれているのである。主人公の心理の主軸がこの作品を貫いて存在しているのだ。
『君たちはどう生きるか』という作品は絶望から希望への少年が至る過程が描かれているのである。
「坊ちゃん」と言う小説が100年に渡り研究され尽くしてきた作品へのアプローチをこの「君たちはどう生きるか」という映画作品に転移した場合に、この映画は竹を割ったように把握・理解できる。
様々な出来事が幻想的世界の中で描かれているが、下層的に流れているのは主人公の心象風景の推移であり、そこに主軸があるのだ。描かれている様々な表象的出来事だけを観るとこの作品は訳が分からなくなる。しかし、主人公の心理を主軸に置いてみれば、いくらいろいろな出来事が起こっても、主軸の主人公の心情へ戻っていけるので、幻想世界の出来事に振り回されることはなくなる。
今の考察は表象的なものへの考察に終始しているが、下層まで行っていないと言ったのはこの事なのである。根本的なものが理解できていないことに底意地の悪い僕は腹を抱えてせせら笑っていた。
ジェット機に乗る我々がジェット機をつまらない、何が面白いんだという人がいるののなら、乗らなければいいし、別にそれでいいんじゃないと言うのと一緒で、この作品が面白くないと言うのであれば、僕からすれば二度と観なくていいんじゃないというものだ。しかし、ジェット機なんてなんだか分からないとかこんなの飛ぶのかとかそんなもん開発してどうすんだとか言っている人たちは、まぁ、ライト兄弟以前にいた人達であり、まぁ、ジェット機を知っている我々からするとただのバカに見えてしまうのは否(いな)めないよな・・・。
この作品わかんないとか作ってどうすんだよこんな作品とかほざいている連中は僕からするとただのライト兄弟以前の人なのである。まぁ、理解すら出来ないよね。まぁ、それらの書き込みを見るたびにもうどうでもいい人間に見えてしまうのだ。
そして僕はこの作品を作ってきた人たち、特に宮崎駿監督の主人公の少年をなんとか救おう、希望を持たせよういう思いで必死で作って来た10年近くの熱い想いを想像するに至り、ひとり部屋の中で恥ずかしながら涙が出てくるほどであった。
まぁ、「こんな作品作る宮崎駿は老害」とののしるやつの方がたぶんいずれ老害に確実になるわな。
まぁ、この考察がおかしいと誰かがせせら笑うのはまぁいいけど、坊ちゃんを100年間研究してきた人たちの考察の成果をただ僕は転用・転移しただけなんで笑うアンタの方が笑われますよ。
大人は映画を頭で解釈しようとするが、この映画を観てなんか面白かったと純粋に言えるの子供たちかもしれません笑。
金曜ロードショーで観ました。
気になっていましたが、映画館では未鑑賞。
冒頭から不思議な世界観に引き込まれ、面白くなりそうだなと思いましたが、基本少年1人の心の内の物語だったので、話の筋はシンプルなのかと。
途中で、異世界でダークな面を見たり、色々な冒険をして母の思いを知ったり、継母を助け出すという行動で、現実に折り合いをつけて戻ってきたという感じかな、
往年のジブリの世界観で映像がすごくきれい、キャラも面白いのもいたけど、青サギの存在が好感持てず、他の登場人物との関わりも唐突でやや希薄な感じがして、あまり感情移入できなかったかな、
あと、やはり有名人の方たちの声の演技がちょっと物足りなかったです。
でもつい観てしまうのがジブリでしょうか。
大きなスケール、丁寧な仕上がりには感動です。
主人公が頭を自分で傷つけたのは、やり場のない怒りや、自暴自棄、仕返しも込めての自作自演とかなんだろうと思った。
うーん…意味分からない…
いま、会いにゆきます
この作品を高評価する人は、宮崎オタク。
宮崎監督の最後の作品ということで、最後の最後まで気合をいれて何処かで感銘する場面があるはず...と期待をこめて見ていましたが、、、
なんじゃこれで、終わりました。
この作品評価できますか?
宮崎監督だから評価できるのですよね。
もし宮崎監督以外の人でしたら、評価できますか・・?
昔のハリウッド映画の監督でも
「何もかもセリフで説明するんじゃなくて、観客に考えさせろ...」
という手法がありましたが、
この作品は観客に考えさせ過ぎ...
ん?これどういう意味と考えている内に話がどんどん進んで、また次の所で??
考えている内に作品が終わってしまいました。
これが新しい手法なのかはしらないが、簡単に言えばストーリーが破綻しているという事。
テーマもこれといってハッキリしていない。
俺だったら、こう言うストーリーにするのに... と思わせるようでは、
この作品は名作ではないですね。
賛否両論ありますが、私の意見でした。
悪しからず。^^
とても難しい…でも好きだ
あまりに情報が無いままの公開で二の足を踏んでしまい、見れてなかったので金曜ロードショーで拝見しました。
映像がやはり綺麗で惹き込まれる…さすがです。CMはもちろんあるのにそれでも集中力を削がれない面白さがありました。むしろ「あれは何?」と考える時間があったからこそよかったのかも。映画館で観たら訳がわからない…と置いていかれていたかもしれません。
過去のジブリ作品のセルフオマージュを思わせる背景や登場人物があり、それを探すのも楽しかった。
内容は母を亡くして子供らしくない、子供らしくなんてしていられなかったまひとの成長なのかなと思いました。
母親を亡くした悲しみも埋まらぬまま、新しい母親と腹違いの弟を受け入れられない自分への苛立ちや寂しさがまひとの表情から伝わってきた気がします。
子供のまま純粋で悪意の無い素晴らしい世界を作る神になるか、様々な思惑の渦巻く現実で1つのピースとして生きていくか、そんな壮大なテーマがあったと思うけど、私は火事で亡くなる未来を知っている幼い母が「貴方を産めるのだから」と笑顔で自分の時代に帰っていく姿に感動した。そして流れる米津玄師の「地球儀」。綺麗すぎる空色にぶわぁっと涙腺が崩れて内容よく理解してないくせにちょっと泣いてしまいました。
理解はできていないと思う。でも私はこの映画が好きです
難しいすぎて何が言いたいのか?
まだまだみたい
とにかく映像が好き
戦争のない平和な世界が訪れますように🌏
最後の地球儀で泣きました。
色々な自分の思いをこうやってアニメーションに変えて後世に残していく。すごいなぁ。
まだまだ宮崎駿監督の作品みたいです。
※サンダーボルツに載せちゃって載せ直しです。
バトンのような「映像作品」
娯楽映画が観たい人はもっとピッタリな映画を探してから観てください。
美術品や骨董品に興味がないのにお金を出して観に行くみたいな、モナリザの実物見た感想が「小さかった」と同じような、そんな感想が散見されます。
日本人で避けて通ることは難しい宮崎作品の最新作。
凡人なのでストレートな「面白かったー!」という感想は持てませんでしたが、先人からのメッセージみたいなものが詰まっていることは感じられました。
大事に積み上げたものを横から来た横柄な奴にぶち壊されてめちゃくちゃにされる所なんて、ついつい「こんな風に感じてらっしゃるのかな」と想像してしまう。
大事にしていたものを台無しにされた後でも、何かをなくしても人生は続いていく。
自分の人生が終わっても、次世代へ何かを託して連綿と続いていく。
託された君たちはどう生きるか。
だからこの作品に「おわり」の文字がないんですよね。
(アニメーション映像として、生き物、建物、植物、食べ物、人物全ての表現が、やっぱり大好きで低評価はつけられませんでした)
宮崎おじいちゃんによる「ワシはこう生きた!!」という宣言
劇場公開1週間後に映画館で鑑賞しました。
その後、先日金曜ロードショーで放送されたので録画、再視聴しました。
自分はジブリファンでも何でもないので、細かい点の解説や考察については山田玲司先生や岡田斗司夫氏にお任せします。
正直、タイトルのせいで説教臭い映画なんだろうな、と思っていたのですが、恐らくハヤオの最後の作品になるだろうから見ておこう、ぐらいの感じで見に行きました。
感想としては、「君たちはどう生きるか」ではなく、「ワシはこう生きた!!どうだ参ったか!!」という映画でした。
正直、意味が分かるかと言われれば意味は分からなかったです。
というか、意味は分かるんですが、話が進めば進むほど矛盾していくので、話の整合性が取れないです。というか、多分取るつもりが無く作っています。
基礎知識として、宮崎駿自身が、裕福な家庭の生まれで、父親が戦時中に軍需産業で財を成した人物で、本人がミリタリーオタクで、でも反戦主義者の共産主義活動家だった、という非常に複雑なキャラクター設定の人物であるというのを知っていて見るのか、そうじゃないのかで見え方が変わってくるかな、と思います。
そういう意味では、主人公は幼少期の宮崎駿であり、けど他のキャラクターにも宮崎駿要素が入っていて、宮崎駿が分裂しまくっている感じです。
もうここまで書いていて自分でも意味が分からないですが…。
面白いかと言われるとよくわからないですが、なんか凄いです。
これで面白かったら5点満点なのですが、凄い”だけ”なので3.5点とさせて頂きました。
流石「世界のミヤザキ」
予想を超えてきた。
流石、巨匠・宮崎駿だ。80代になってもその想像力と感性は健在のようだ。
青鷺が湖上を飛ぶシーン、御弊が真人に張り付いてくるシーン、ヒミと眞人が抱き合うシーン、一つ一つが絵画のようで美しい。脚本も素晴らしかった。「理解させてやらん!」という観客に対する気持ちが伝わってきて、潔くて良かった。支離滅裂ではない。物語は「意味の亀裂」に媒介されて深みを獲得していく。そう思えるような作品だった。
アカデミー賞受賞も必然であろう。
スルメ映画
1回目の視聴後は作品の意味がわからなく、ある程度考察などの情報を入れてから2回目をみると面白かったです。
宮崎監督の人生の生い立ちや、こう行きたかったとかいろいろな思いが作品の中で描かれていて、一番印象に残ったのが石の柱を今までのジブリ作品と置き換えて、登場人物は実際の人物に置き換えてるるのが面白く、特にアオサギは鈴木プロデューサーにそっくりだなと思いました。最後にアオサギが、じゃぁな友達っていうセリフを聞いた時に、あぁ宮崎監督の作品はこれが最後で宮崎駿が作ったジブリはこれで終わって誰かが新しいジブリを作るのかなっと感慨深くなりました。
結論、初見で視聴すると意味がわからなく、作品の設定や意味を理解した上でと2回目をみたら格段に面白く感じました。
見返す事に新しい発見がありそうです
老年名監督なりの…
黒澤、キューブリック、コッポラ、ゼメキス、キャメロン等々…、若かりし頃に大傑作を量産した名監督が、老年になってからもかつてと変わらぬ傑作を産み出す…なんて事など極々稀なのだ(スコット、スピルバーグ、イーストウッド、スコセッシは頑張っている!)
本作も、かつての血沸き肉踊る名作・傑作の数々と比べると決して面白くは無い、老年名監督皆そうなのだ、そいうモノなのだ。
私たちは
老年名監督の新作を
期待せずに生きる
…追記ですけど
名監督が老年になってから自身の作品を懐古した作品
ってジャンル有りますよね!、スピでいうと「レディプレイヤー1」とか。
あと、そのジャンルには
アダム・ドライバー出演多い説
も唱えたい、「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」とか、観てないけど、きっとそうであろうコッポラの「メガロポリス」とか。
あ、監督違うけどep7~9の「スター・ウォーズ」にも…
わからないけど、なんだか好きな映画
レビューを見ると賛否両論ですね。
わからないことが多かったけど、私は見てよかったと思いました。
まず、最初の10分でやられました。火事現場に向かう眞人の疾走感。映像がなんと見事なことか。他にも随所に繊細な動きや細工があって圧倒されました。さすが宮崎駿映画です!
ストーリーは人によって解釈が違いそうですよね。映画を見終わった後に原稿用紙1枚でストーリーをまとめなさい、と言われたら困ってしまうほど話をまとめられないです。
ここからは私なりの勝手な解釈です。
塔は眞人を成長させるためのもの。現実的にあるのか、幻なのかはひとまずおいておきます。
母の死を受け止め、新しい母親と生きていく覚悟を持つため、さまざまな試練を乗り越える。下の世界では死んだものやこれから生まれる命に触れ、生命の大切さも感じていく。若いキリコさんがいろいろと助けてくれるのも、眞人一家を見守り導く7人のこびとならぬ7人の老婆の仕事なのでは。眞人がレベルアップし、塔の役目が終わり最後に崩れる。
眞人を取り巻くさまざまな世界が彼を成長させる、そう感じた映画でした。
無い。エンタメでは無い。
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