君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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観客に「どう生きるか?」を問うているのではなく、宮崎駿氏がどう生きてるかを表現した作品
随所にこれってあの作品のあれをオマージュしてるんだろうなと思う所が数えきれないほど出てくる。
特にハウルを感じる演出が目についた。
上映数十分で急にアオサギが喋ったり、下の世界など出てきて情報過多になる。
結局、この広げ過ぎた風呂敷を畳まないままエンディングを迎える。
この作品は小説「君たちはどう生きるか」を題材にしているのではないということが、作中に小説「君たちはどう生きるか」が登場することで察することが出来る。
この作品は観客に「君たちはどう生きるか?」を問う作品ではなく、宮崎駿氏が小説「君たちはどう生きるか」を読んでどのような生き方・考え方をしているかという彼自身の人生を表現してる作品であると考えた方が納得がいく。
下の世界はスタジオジブリを表してるという説は納得が行った。
積み木の数が13や3日ごとに1個という意味深な数字を考えると
鈴木氏の「約125分の作品で完成までまだ3年はかかる」発言から約3年ごとに今まで作ってきて、13作品が出来たということ(どの作品を13作品に含めているのかは分からない)を表してる。
後継者問題やさまざまな内部のしがらみをインコで表現しているのではなかろうか。
本作、個人的に一番引っかかった点は、ヒミの存在。
キリコはキリコなのになぜヒサコはヒミなのか、なぜヒミだけが火の魔法を使えるのか。この2点が非常に気になった。
過去と未来、結果と原因が入れ替わるからヒサコが火で死んだことによってヒミは火を使えるみたいな考察があったが流石にそれはない。そんな設定はおもんなすぎる。
千と千尋同様に名前を奪うことに何かの意図がありそう。何かの契約?
まじないが解けた後のハウルの髪色とヒミの髪色が似てる(姉妹なのに髪の色が違う、眞人の髪色からも遺伝的にヒミの髪色だけおかしい)。
ハウルはカルシファーに心臓を与えて契約し魔法を使えるようになった。ヒミも何らかの契約を行ったのではないかと推察。(ヒミは火で死ぬことを伝えられても動じていないので将来火で死ぬことが確定している?)
大伯父のセリフ的にもヒミが後継者になるような雰囲気を全く感じないので死ぬのは既に確定っぽい。
ただ、名を奪われることと火で死ぬことの2つが条件の契約であるとは考えにくい。
失踪から1年後に笑顔で帰ってきたということは記憶が残っていることを示唆しているのでは?(眞人のような良い子を将来産めることを喜んでいる)
下の世界の何かを持ち帰ってる可能性がある。
(仮説)下の世界に来た直後、インコに襲われて致命傷を負った際に、石もしくは大伯父と契約(名前を奪うことを条件に)して火が使える石を心臓に埋め込まれて一命を取り留めた。
とかじゃないと辻褄が合わんな。
あとは、インコ、ペリカンも何かのメタファーだろうと思うが納得のいく考察が見つからない。
大衆のメタファーであるという結果論からの紐づけを見かけるが、インコに大衆のイメージがない。誰かが端を発した言葉から口々に真似た(ような)言葉を無責任に繰り返すという皮肉は込められてはいるだろうが。
ペリカンは自分が生きるために無抵抗のワラワラを虐殺するが、これも何かに例えられているはず。ペリカンたちはテロリストを表現してるというのも見かけたが、老ペリカンの発言からテロリズムには該当しないと思われる。ただ生き残るのための戦争という印象。当時の第二次世界大戦とも違う理由での戦争。
「火は怖くない」を京アニに宛てたメッセージとするのなら私はあまりに無神経だなと思ってしまう。「外野から何をふざけたことを言ってるのか?」と。これこそまさに平和ボケという感じがする。
戦時中の上に、別世界の話に飛ぶから正直よく分からんという感想が一番しっくりくる。
現代をベースにしていたら分かりやすかったのかもしれん。
とはいえ、真相は宮崎駿氏の中ってのは相変わらずジブリっぽい感じはする。
戦時中の話なのに冒頭しか戦争の描写が出てこないから見やすい作品。
どんな作品かと言えば"宮崎駿氏の自己表現"に尽きるかな。
ジブリが好き
未だ悩んでいる人の一助になれれば投稿です
ジブリの絵を大きな画面で楽しみたいくらいのテンションがあれば丁度良いのかもと思います
私の場合は「ジブリの絵楽しみたい」+「映画館に行きたいな」の二つの要素があり、それによりチケット代分は満足したかなあというのが正直な感想です!
僕たちはどう読み解くか
キービジュアルと公開日の告知以外、予告編なし、ストーリー情報なし、キャスト発表なし、パンフレットの販売すら公開日当日ではなく後日発売という徹底した情報のシャットアウトぶり。
“ジブリ”“宮﨑駿”という一大ブランドだからこそ成せる力技と言えるし、プロデューサーの鈴木敏夫氏のこの強気な姿勢に非常に好感が持てたので、初日の昼IMAX版上映回にて鑑賞。
そんな一切の情報が与えられていない状態で本作を鑑賞する中で、最も理解の手助けとなったのは、監督の前作『風立ちぬ』だった。あちらで二郎とカプローニが会話する場所が、ダンテの「神曲」に代表される、現世とあの世の中間“煉獄”でのシーンであると考察されているが、今作はまさしく、宮﨑駿版「神曲」だったのではないかと思う。
作中でペリカンが語るように、あそこは“地獄”であり、あの世なのだ。
大雑把なあらすじとしては、舞台は第二次大戦中の日本。空襲によって母を喪った主人公の眞人は、父と共に東京を離れ、田舎町で父の再婚相手で亡き母の妹でもある継母と生活する事に。そこで出会った不思議なアオサギによって、眞人は継母を救う為に地獄巡りの旅へと誘われる。
物語のメインとなるのは、この継母を救う為の眞人の地獄巡りと、そこで自分の中の悪意、この世の悪意と向き合い、最後の選択を迫られるというものだが、途中、複数の世界へ通じる無数の扉が登場するシーンがある。
あれは、昨今流行りの多元宇宙論(マルチバース)ではとも思える。我々が空想する“もしもの世界”には、この世ではなくあの世で繋がっているのだと捉えると面白い。
作中、可愛らしい見た目の“わらわら”というキャラクターが登場するが、あの世の住人キリコは、わらわら達が「(これから人間として)生まれるんだよ」と語る。
もしかすると、Aという世界で生まれた人間が死後わらわらとなり、Bという世界で新たに生まれる事もあるかもしれない。輪廻転生は必ずしも同一の世界のみで起こるのではなく、よく都市伝説等で語られる前世の記憶とは、違う世界での前世かもしれないとまで考えを巡らせるのも楽しい。
わらわらが無数に空へと浮かび上がり、生命の二重螺旋構造的な螺旋状で上昇していく様はメタファーとして分かりやすいが、もう一つ、わらわらが白く可愛らしい見た目をしている点は、「生命は生まれた時点では罪も悪意もなき無垢なる存在である」という監督の性善説の肯定とも受け取れる。
また、あの世にて行方不明となった曾祖父が、積み木によって世界のバランスを保つという役割を担っていたが、あの石で出来た積み木は、我々の現実世界の象徴だろう。積み木=罪木なのだ。
実際問題として、この世界には大小様々な悪意が満ち溢れている。世界的に見れば、今も戦争、暴動、略奪があり、日本だけで見ても若年層の自殺率の高さ、SNSでの誹謗中傷、一部権力者や雇用者による人民の搾取と、誰しも1つは心当たりのある悪意があるだろう。眞人の頭部の傷の嘘や、彼を村八分にしようとした学生達だってそうだ。誰しも大なり小なりの悪意を孕んで生きている。
そんな悪意に満ち溢れ、崩壊しかかっている世界を唯一救う術が、穢れなき石だけの積み木で、新たに世界を構築する事だ。
しかし、眞人はそれを拒む。自らも頭部の傷を偽った悪意があり、だからこそ、自分は元居た悪意ある世界へ継母と共に帰っていくと。
物語だからといって、安易に理想郷を組み上げたりはしない監督の意思が、個人的には嬉しい。なぜなら、我々はこの悪意に満ちた世界で、それでも今日を生きなければならないのだから。だからこそ、ここでタイトルの『君たちはどう生きるか』に繋がるのだと思う。
あまりにもシンプルな、しかし決して避けては通れない問題を、監督は引退宣言を撤回してまで、(恐らく最後に)我々に問い掛けてきたのだ。
勿論、アニメーション表現の豊かさは健在だ。冒頭の空襲シーンで、眞人が階段を四つん這いで駆け上がる描写、母の入院する病院まで群衆の中を疾走する描写と、開始早々のジブリ節全開なアニメーション表現に早くも「あぁ、ジブリ作品観てる!」とテンションが上がる。
避難先の屋敷で、父の持ってきた豪華な手土産の入った荷物に群がる、まるでまっくろくろすけを彷彿とさせるような動きの個性的な老女のお手伝いさん達。どこかからタバコを調達して吸う老人お手伝いさんと、宮崎作品で度々目にしてきた老人描写の集大成とも言える演出の数々も光る。
その他、恐らく全て手書きによる人物表現、日本アニメーション技術の最高峰かつ集大成と言わんばかりの表現の数々は枚挙に暇がない。
…とはいえ、では作品としてストーリーが面白いのかと問われると、面白くはない。必要最低限のワードこそ出してはくれるが、それだけでは理解出来ない箇所や、登場人物の心境の変化等に唐突感が否めないシーンも少なくはないし、抽象的だが“行きて帰る”というお得意の王道冒険ストーリーなのに終始ワクワクしなかったのだ。メッセージ性を込みにしても、宮﨑駿監督作ワーストと言ってもいいし、個人的には、前作の『風立ちぬ』で止めておいてほしかったというのが正直な気持ちである。
因みに、チケット販売開始から半日以上経っていたにも関わらず、私が予約した時点では先客はたったの3人、当日も半分にも満たない疎らな客入り。土日の集客率はまだ分からないが、Twitterを見る限りでは、あまりの情報のシャットアウトぶりに、そもそも今日が公開日である事を気付いていない人も散見され、やはり多少の宣伝は必要だったのではと思わなくもない(笑)
とはいえ、事前情報一切なしの状態で映画を観るという貴重な経験を出来た事は良かった。別作品を鑑賞しに行った際の予告やチラシ、SNSでの告知や映画アカウント等、何かしらの情報は仕入れられてしまう現代において、このような経験は最早2度と出来ないのではとすら思うからだ。
何より、恐らくこれが本当に最後の監督作になるであろう宮﨑駿監督、本当にお疲れ様でした!
<鑑賞してほしい作品でした。>
・まず書籍「君たちはどう生きるか」のアニメでないのだと気づきました。原作者が違うので当然のことですけれど、まぎらわしいタイトルの付け方だと思いました。
・本作では、生き方において、自分で考えて行動することの大切さを伝えたかったのかなと思いました。主人公の真人(まひと)が自分で自分を傷つけ、その傷を学校のせいにしたという"うそ"をついたことがありました。けれども、自分をその名にふさわしくない者と恥じ、そのときの弱虫行動をしっかり悔いて生きているというところなどに、感動しました。
・(白い積み木で表現されておりましたが)地球のバランスがくずれ始めており、これから君たち?に世界を支えて一日でも長く安定させていってほしいという思いが表現されていたと感じました。
宮﨑さんの妄想は楽しい
以前、ふた回りほど歳の若い人たちと一緒に絵画制作の仕事をすることがあったが、彼ら・彼女たちは口を揃えて「宮﨑駿の作品に影響を受けて育った」と語っていた。
僕ももちろん宮﨑さんの作品はいろいろと鑑賞したが、正直イマイチぴんとこなかった。そこまで評価されるものなのかな? と。
けれど、今回この作品を観て、――僕の鑑賞力が向上したのだろうか?――その偉大さが少しはわかってきたような気がした。
今回もジジイの、いや失礼、宮﨑監督の長大な妄想に2時間つき合ったわけだが、べつに不快でもなければ、苦痛でもなかった。
むしろ面白かった。ハッキリいって、何を表現したいのかよくわからない映画だったが、観ていて楽しかった。なにがいいたいのかわからなくても、観ていて面白ければそれでいいのだ。
吉野源三郎の著作がどれほどこの映画と関連しているのか、読んでいないのでよくわからないけれど、混沌とした物語の世界でじゅうぶんに遊ばせてもらった(なんか疲れたけど)。
それにしても毎日こんなことばかり考えて、よく頭がおかしくならないなぁ。NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀 「ジブリと宮﨑駿の2399日」』でも、そういうことに少し触れていたように記憶しているけれど、なるほど、「あっちの世界」に行っちゃったら戻ってくるのが大変だろうなと思う。それから、ものを作るニンゲンはやっぱり面倒くさい人が多いな、という感想も番組を見て抱きました。
宮﨑作品におけるドロドログチャグチャの表現は、彼らの内面のあらわれでもあるのかな?
まわりの大人たちが優しく見守り褒める映画
ジブリファンとしてはぜひ観たいなーと思いながらも映画館で見る機会を逃し、ようやく鑑賞。
終わったあとに『やっちまったなあ』と笑うしかなかった。
突き詰めた結果、変な境地に到達してしまったと思いました。
眠くはない!
すごく考えながら観させられるから。
ただ、全力で丸投げしてくる。
『俺の人生(作品)はこうだけど、君たちはどう生きるか?(解釈してくれんの?)』
…と。
結果、観てる途中で、わたしの感情は以下に寄り始める。
『これは考えたら負けな作品だ』。
『なんか分かんないけど、感じとけばイイやつだ』。
そして、この感情を覆してくれるようなさらに強烈なメッセージをもしかしたら最後の最後に突きつけてくれるのかもしれない…
そんなことを思いながら見続けた結果、無事に何事もなく、想定内の最後を迎える。
つまんないとは思わない。
ただ、ズルイと思う。
例えば、
3歳の愛娘が
自由な感性で作った作品を、
まわりの大人たちが
『これはなんの絵だろうね〜。アリさんかな〜?えへへ。
なんかよく分かんないけど、○○ちゃんが作ったんだよね〜
可愛いねーすごいねー』
って口々に言ってる光景が…。
作った人がだれであるかを問わず、
少年(監督)のそのありのままの感性を
純粋に楽しめる人の為の
いわゆる芸術寄りの映画だなという印象でした。
『これはこういうことでしょ』っていちいち意味づけせずに、あの表現を楽しむものかなと。
ただ、それがズルイ。
この作品を、
他人の子ども(ジブリ以外)が作ってたら…
宮崎駿が作ったと言わなかったら、
宮崎駿の生き様を知らない人が観たら、
ジブリ作品だと言わなかったら(映像で分かりますが)、
…それこそ『君たちはどう思うか?』っていう。
わたし自身はそのレベルの高尚な芸術感性は持ち合わせておらず、
ズルイなーという感想が強く残るものでした。
宮崎駿が伝えたかったこととは
鳥が印象的な不穏なファンタジー。
バサバサ、ドロドロ、ゾワゾワ、グラグラ そんな不穏な擬音語が似合うシーンの連続で不思議な世界に連れていかれる。
不思議なものにフタをしたり、見ていないことにすることの方がきっと簡単なんだな。
子供の頃の不思議な経験を、生まれてくる前の記憶を、忘れる人の方が多いのは事実。そういう記憶が呼び起こされるような、私もこの世界を知っているような気がするのが宮崎作品のうまいところなのかなと思う。
あの世界はけして楽園ではなかった。バランスが違うだけ。
最後に眞人は先祖に託されようとした役割を継がず、現実へと戻った。
自らの悪なるものを忘れないと誓って。
宮崎が伝えたかったことってなんだろう。
押し付けられた、おかしな一部の世界のしきたりに囚われないで、現実を生きよということか。
捨てるのも致し方ないが、そこでもがいた経験が人を強くし、磨くということか。
財産が奪われていくことへの警鐘?また、それにこだわりすぎるなという警告?
いずれにせよ、こうして世界は、生命は続いてゆくのかと果てしない世に思いを馳せた。
宮崎がこれまでのキャリアで得、その素晴らしさゆえにどんどん膨れ上がってしまった、とてつもなく巨大な重荷。どんな思いでバランスをとろうと努力していて、持て余していて、辛くなっているのかが表現されているようにも見えた。
眞人の選んだラストが宮崎の望むことでもないような気はする。
最近、個人的によく目にする出会うものがあって、それがパラレルワールドだったり輪廻天昇だったりする。
後はそのアカシックレコードだったり、過去未来のその時間の概念を覆すみたいなそーゆー全く新しい一言的な
この作品も、その世界観が後、現実とあの頭の中って言う形で表現されてて、つながりを感じる部分が多々あった。
過去に観た宮崎作品の中で一番面白い
宮崎駿監督の作品はあまり好みではないので観ていない作品もいくつかある。宮崎監督本人が語っているように彼の作品は基本的に「大人の鑑賞に耐えうる子ども映画」である。つまり、あまり面白くないのだ。大人がテレビの子ども番組を観ても面白くないように。
だからなのか、おそらく過去一番評価の低い本作に興味が湧いた。
そして、一部の人は最高傑作だとも言う。
結論からいえば、宮崎監督の作品で初めて「面白い」と感じながら観ることができた。
実際は、物語のまとめに入る終盤に少々飽きてしまったけれど、それでも自分が観たことのある宮崎作品の中でベストだったのは間違いない。
過去のジブリ作品や、「美女と野獣」「白雪姫」などのディズニー作品を想起させるような仕掛けの連続は、ストーリーテリングだけに依存しない、イマジネーションへの刺激に満ちた「映画」だった。
思い返せば、宮崎監督の過去の作品の多くは、アドベンチャー的な高揚感と、裏にちょこっと存在するテーマで構成されたものだった。
しかし本作は、宮崎作品の核ともいえるアドベンチャー的な高揚感を極力抑えているのだから、過去作のようなものを期待していた人たちにとっては駄作以外の何者でもないだろう。
逆に私のように過去作が好みではない者や、「大人の鑑賞に耐えうる子ども映画」から卒業しかけている人にとって最高傑作となるのも頷ける。
なぜならこの作品は「子どもの鑑賞に耐えうる大人映画」だったからだ。
かなり抽象的
公開当時、宮崎駿監督作品としては
かなり否定的な意見が多かったので観に行かなかった。
実際観てみたら、何故そういう意見が多かったのか分かった。
台詞も少なめで、かなり抽象的かつ哲学的な作品だった。
エンターティーメント性が乏しいので、
ライト層には響かなかったのだろう。
1度観ただけでは到底理解不可能だろう。
何度も繰り返し観て、自分なりの考察をしていくタイプの作品。
改めて宮崎駿の凄さを感じたのは、アニメーションの動き!
繊細かつ跳躍感があり、正確な動きの表現!
今のアニメーションと比べて観ると比べ物にならない!
本当に素晴らしい表現力!
宮崎駿監督の偉大さを再認識出来ました。
ハヤオは止まらない
NHKのドキュメンタリーを観て何となく分かった気にはなりました。気になったというのは、そもそも宮﨑駿自身もこの映画についてよくわかってないらしい。
よくこの映画を宮﨑駿の自慰映画と揶揄する人がいますが、それは間違っていないと思った。
でも不思議と「これが俺の人生だ!どうだ!」みたいな感じではなく、先に旅立ったジブリの戦友たちにただ会いたいという純粋な感情や、寂しさ、この世とあの世の境目が分からなくなる狂気で、観終わったあとしばらく頭から離れなかった。
怖いし不気味なのに、切ない。
内容自体は大変つまらなかったです。唐突に終わります。
しかし、つまらないのに頭から離れないのです。
それぞれのシーンも脳裏に焼き付いてくっきり思い出せる。
結局、宮﨑駿はいくら歳をとろうが天才なのでした。
とはいえ「ジブリに興味のない人間からしたら、そんなの知らんわ!自慰映画を観客に金払って見せるな!」と怒りの感情も湧いてきました。
でも、よくよく考えてみれば宮﨑駿はそんなの承知の上でこの映画を作ったのではないかと。
夢と狂気の王国というドキュメンタリーで、昔の宮﨑駿が「自分が幸せになるために生きてる?どうも違うと思うんだよな」
的なことを言っていたのを思い出しました。
人を楽しませるために名作を作り続けた大監督が、この作品が商業映画という観点からみればダメであるということは重々承知なはず。
少なくも子どもに見せるものではない。
それでも作ったんだなと‥‥
かつて息子の吾郎が作った伝説の映画「ゲド戦記」を観たとき、途中で席を立ちタバコに火をつけながら「気持ちで映画を作っちゃいけない」と呟いた宮﨑駿。
だけど、時を超えてこの「君たちはどう生きるか」で気持ちで映画を作ってしまうのだからなんとも似た者親子。
さて、最後に。
映画館でこの映画を観てる途中「こんな三途の川を渡るような狂った映画を作って、監督は大丈夫か?もう本当にこれが最後なのか?」と不覚にも心配の感情が湧いてきました。
しかし、そんな心配なんのその。
映画ラストで眞人(駿)は大叔父(高畑勲)の頼みを拒否し、鳥のフンまみれになりながら見事この世に帰って来ました。
宮﨑駿監督の次回作を楽しみにしています。
観る人によって変わるストーリー
ずっと気になっていた今作をやっと観ました。
初見での感想としては、まずまずと言ったところ。
はじまりから途中の方まで「ずっと何を観ているんだろう…?」という疑問でしかなく、
どこが伏線で、あとになにを回収してくれるのか、
ラストを予想しながら観ていました。
そんな中で、原作がありながらもこのストーリーを映画化するにあたり、どこから絵コンテを描き、どのように構成してゆくか、
その制作過程に興味が湧いた。
まひとが塔の世界に入ってから、あんなに生意気だったアオサギがまひとを慕っていたことにも何か意味が隠されている気がしたり。。
誰かがレビューで、これは宮崎駿監督が築き上げたジブリという世界についての物語ではないか?と書いていたのを見た。
レビューではこう。
大叔父様が宮崎駿監督で、まひとが宮崎吾朗監督、
インコのキングはジブリを軽視し否す者を模したのではないか?
大叔父様が月日をかけて作り上げた世界、積み上げた積み木を、
インコのキングは俺にも簡単にできると素早く組み立てたがすぐに崩れ、それを認めまいと全て壊した。
それこそがジブリを軽視し、壊そうとする者たちを表現しているのでは?……と。
なるほど…と納得したと共に、
そう思えば今作の中にちらほらと、これまでのジブリ作品に登場したキャラクターに似たキャラクターや演出が散りばめられていたなあと思い返した。
例えばまひとがアオサギに連れられ母に似たものと対面するシーンで、母はスライムのように溶けた。それはまるで「ハウルの動く城」のハウルが溶けた時のようだったし、
白いたくさんのワラワラは「風の谷のナウシカ」、
まひとが庭で見つけた血だらけのペリカンは「千と千尋の神隠し」のハク、
これまでどこかで見覚えのあるキャラクターや演出が確かにあった。
(白いたくさんのワラワラが宙に螺旋状に浮かび上がるシーンに関しては、ディズニー作品の「ソウルフルワールド」みたいだなと正直思ったけれど…)
真相こそわからないが、あれはどういうこと?と振り返り考察することはどこか人生と似ているような。
一度では理解しきれない難しい物語。として好きな人は大好きな作品だろうなあと思った。
ただ、これをお金を払って映画館で観ていたら…と思うと、勿体無いな。というのが本音。
面白く無い
単純に面白く無い。意味不明。
そりゃあ、考察したら色々と深い意味は有るんだろうけど、考察したいと思えるほどに興味が出ない。一度見て、意味不明だからもういいやと言う感じ。
父親の再婚相手が、母親の妹(主人公の血筋から言えば叔母)でそちらの実家がある地方へ疎開。まぁ、昔は配偶者が死んだ場合、その兄妹と再婚って言うのは良く有った話。
が、主人公は叔母をあまり良くは思ってない。が、異世界?に入り込んでしまい、終盤はいきなり叔母を「お母さん」呼び。そんな風に変わる場面無かったんだが。
相変わらず声優を使わず。豪華と言えば豪華だけど、下手な人は本当に下手。
宮崎監督の頑固さの極み
正直意味不明で支離滅裂。
訳分からない夢を見た感じ。
鑑賞中に寝てしまったかと思った。
『風立ちぬ』鑑賞時も主役の声優の配役や効果音を人の声にした事でも感じたが、お金を払って観に来る観客の事を考えてるのか疑問に思う。
映画は芸術的な側面もあると思うがエンターテイメントである以上お客さんあっての物だと思う。
ジブリの看板で一部の映画通の人達だけが満足できる作品を作るのは青サギだ!
観客が製作者に寄り添うのは違う気がする。
自己満足な作品を作った上にキムタクや菅田将暉やあいみょんを起用して客集めもするのはちょっと違う気がするし、作中のシーンも過去作で観た事ある表現も多く、新鮮さも感じられなかった。
初心に立ち返ってもっとシンプルなエンターテイメント作品を作って欲しい。
正直よくわからない
展開のテンポはよく、絵はとてもきれい。
しかし、伏線のようなものはほとんど回収されず、観る人の想像力にすべて委ねたような作品。
ジブリ作品や時代背景にかなり理解がないと、楽しく観れない。
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