依存魔のレビュー・感想・評価
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無軌道で闇の深い物語
ベルギーの闇三部作最終章。
同二作に続いてベルギーを舞台に狂気の愛を描いた作品。
始まって早々に闇を感じます。
なのですが今作は絵がすごく美しいです、主役の少年少女もそうさせているのでしょうね。
そしてここでも出てくるグロリアの名。今作はその魔女に魅せられた少年ポールとの旅。
勿論ローラン・リュカも出てきます。
グロリアの「愛してる?」って問いただす時の目の動きがかなりで、叫び方も含めかなりきています。
ここら辺は「地獄愛」を思わせ、ファンティーヌ・アルドゥアンのイメージが変わりました。
あと今作は水がテーマの様ですね。
繰り返す「水辺に居続けよう」や、川に湖に雨等とても濡れている場面が多いです。
そうして二人の終わらない愛の旅。
自然や少年少女の美しさはあるものの、やはり無軌道で闇の深い物語でした。
アンファン・テリブルの逃避行を描く現代のノワール・ムービー(ちょっと学生の自主映画風)。
「依存魔」って邦題は、さすがにちょっと可哀想なような(笑)。
いや、キングレコードのこういうゲスで下世話な仕掛け自体は嫌いではないし、それがなかったら僕だってこの映画を観ようとは思っていないわけで、その意味で宣伝戦略としては大成功なんだけど……。
ふつうに、アンファン・テリブルもので、逃避行もののロード・ムービーだけど、邦題が示唆するような異常心理ホラーとはかなりズレる内容だからなあ。もっと女性向けの邦題をつけて、シネマカリテあたりで流してたら、もう少し別のお客さんもついたのでは?
もしかしたら、ジョセフ・H・ルイス監督の『拳銃魔』(49)との類似から連想されたタイトルなのかもしれないけど。
内容としては、ものすごく遅れて来たヌーヴェル・ヴァーグみたいな感じ。
やたらブレる手持ちカメラで、ひたすら顔のアップを追い続ける、なんかひと昔前の学生映画みたいな……若気の至り感っていうの?(笑)
これが60年代の映画だと言われれば、まだ過去のフィルターを通して異化できるのだが、いまだにこんな痛々しい「映画らしい映画」撮りたがる人いるんだなあ、と。
結局、仕事が忙しすぎて『地獄愛』は観られなかったが、少なくともこのあいだ観た同じ監督の『変態村』では、たしかこんな撮り方はしていなかったはずだ。
とすれば、今回の『大人は判ってくれない』みたいな題材に合わせて、あえて「ヌーヴェル・ヴァーグ風」(とくにクロード・ルルーシュとかを彷彿させる撮影法)にアプローチしたってことなんだろうけど……やっぱり個人的には、張り切ってる大学生の自主製作観てるみたいで、かなりケツがこそばゆかったなあ。
お話としては、いわゆる「アンファン・テリブル」(恐るべき子供たち)ネタなのだが、実質、典型的な「ノワール」の文脈で組み立てられているといっていい。
要するに、真っ赤な服を着た「ファム・ファタル(運命の女)」の虜になってしまった男が、ひょんなことから犯罪に巻き込まれ、ふたりで無軌道な逃避行を繰り広げることになる、というノワール・プロットを「子供主人公で」やってみました、といった感じ。
話の大枠は、『キウイ&ビーチ』や『気狂いピエロ』と、そう変わりない。
ノワールにおいては、「ファム・ファタル」の頭がちょっとおかしいのも、むしろ定石である。
『気狂いピエロ』にしても、『拳銃魔』にしても、あるいはウイリアム・アイリッシュの『幻の女』とか、ジェームズ・M・ケインの『郵便配達は二度ベルを鳴らす』にしても、主人公を狂わせる「ファム・ファタル」のメンヘラぶりは結構ぶっ飛んでいる。
だから、『依存魔』は、むしろ「王道」のノワール・ムービーのように、僕には思われる。
とくに、先にも挙げた『拳銃魔』は、頭のおかしいトリガー・ハッピーの恋人のせいで、銀行強盗のさなか人を死なせてしまった男が、官憲に追われての逃避行のすえに彼女もろとも自滅していく姿を描いた秀作ノワールで、間違いなくファブリス・ドゥ・ベルツ監督はこの映画を知っていて、かつ意識していると思う。あれも終盤、葦の生えた湿原が舞台の話になるし。
あとは、気になったことをつらつらと箇条書きで。
●映画の終わらせ方がやけに適当な感じがするのって、『変態村』でもそうだったな。今回は、ほぼ「ふたりをパンしながら、上空のクロヅルの群れを同時に捉えるカメラワーク」だけで「終わらせた」感がある。ちなみに、なんかワンカットだったけど、アレ一発撮りだったんだろうか? アレをCGでやる予算なんか、この人たち絶対ないよね?(笑)
●クロヅルで思い出したが、この監督は「鳥」好きなんだね。
本作を観る前に観た『FALLフォール』では、「鳥」は明らかな「敵」「凶兆」として扱われていたが、本作では、優しくも孤独な少年(および老人)を癒し、慰撫する「愛の化身」として描かれていた。
冒頭のアトリっぽいヒワ(図鑑が出てたけど忘れた)とか、メンフクロウとか。そういや、ニワトリは少年にとっては「餌」だったか。グロリアにとっては「スパイ」だったけど。
逆に言うと、ちょっと目を放したら「飛んで行って」しまいかねないグロリアこそが、本作の一番の「鳥」キャラなんだろうが。
●クロヅルといえば、日本最大のツル飛来地である出水にも、クロヅルは毎年一定数飛来する。あそこのメイン鳥種はダントツでナベヅルとマナヅルだが、ベルギーのアルデンヌ地方にはこうやってクロヅルの繁殖地があるんだな、ベルギーから日本にはさすがに来ないだろうけど、空はつながってるんだな、とか思うと感慨もひとしおである。ちなみに、出水のツル飛来地は本当に壮観なので、一度観に行かれることをお薦めします。
●グロリアの虚言は、おそらく本人は虚言だと認識していないきらいがあるので、統合失調症の症状なのかな? 「私には人の悪意が読める」とか「あの夫婦は豚だ」とか「あのニワトリはスパイだ」とか、ああいう人たちがいかにも言ってそうなこと口走ってたけど。
●終盤の、少年がグロリアの幻影を観るシーンは、アンリ・ルソーの『夢』とか『蛇使いの女』あたりを意識しているのか、あるいはラファエル前派(ロセッティ、ジョン・エヴァレット・ミレイ)あたりがイメージ源なのか。この映画のなかでは、ここだけがアーティスティックで作り込んだ照明が用いられていて印象に残った。
●しきりに、少年が「水辺にいさえすれば大丈夫」みたいなことを言うのだが、なんだろう、あれ? 単に遭難しても水があれば平気とか、辿って行けば海に出れるとか、そういう実利的は話ではなさそうな感じがしたのだが。なにか典拠がある?
●『地獄愛』は観ていないけど、けっきょく『変態村』『地獄愛』『依存魔』の三部作というのは、「野に解き放たれる狂気」と、「その底層にある宗教的な要素」が重要なファクターなんだろうね。今回の話にでてくる少年のグロリアに抱いている感情なんかも、一種の「信仰」に近いものがあるわけで。
●予告編などを観て、ベルギー映画だし、ひと昔前のフランス映画みたいに美少女のお宝映像など用意されているのかと期待された皆さん、……うーん残念!! 結構鉄壁のガードで守られていて、濡れても透けないし、透けてそうなカットになるとヒキになります。ああ健全!
ただし!! 少年の濡れブリーフ姿なら拝めます。あと、いちおう熟女専の方もぜひ(笑)
トゥルー・ロマンス
傷ついた小鳥を慈しむ無垢な少年が出逢ってしまった運命
自ら解き放った赤い鳥に導かれるあてどもない旅
終盤、ヒンケルの背を優しく抱きアドバイスに従うも、、
美しい旋律と供に舞う黒鶴の様にふたりも翔けるか
思ったのと違った
もっと盛り上がると思っていたらそんなに恐怖感なく、物語もちょっと物足りない。残念。
あの少女はただの発狂女だった。やっぱり病気だね。
少年は何故逃げなかったんだろうか?
好きだから?
若いから?
盲目?(笑)
映画館に行くまでレベルじゃなかった。
初めての実体験
母親の働く精神科病院で暮らす12歳の少年と同じ年頃の精神疾患を抱えた少女の逃避行のお話。
病院の敷地内に住み母親の手伝いを時々するポール君が、激情的で被害妄想と強迫観念で虐待されると暴れるグロリアと出会い恋心を抱いて…。
保護した小鳥のことを受け入れられなかったタイミングもあるのだろうけれど、ケガをさせられて尚信じるポール君。
そこそこの歳だし、そういう所で散々みてきただろうに、信じたくないのか盲目か。
どんどん加速していくグロリアの暴走に戸惑う様はなかなか悲しく興味深く、色々と感じるところはあったけれど、終わり方が中途半端で、個人的にはもう一声欲しかった。
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