きみの色のレビュー・感想・評価
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さて、トツ子さんは何色だったのか。
とても淡いタッチのアニメーション。ストーリーにロジックを感じないシーンの連なりは、それぞれ柔らかく楽しく美しく描かれていた。気が付くとスノードームの中に居たという演出が素晴らしかった。
登場人物にまったく嫌味を感じない。清廉なシスターの先生は、信仰の視点から理解が深く優しかった。お洒落なおばあさんはしっかりと厳しく優しそう。主人公、トツ子さんもそのお母さんも、微笑ましくなるプニプニとした安心感。その優しさに甘えたくなりそうになる。退学してしまったキミさんも、医師の家系のルイ君も、そんなトツ子さんに頼ることも大きいだろう。
演奏する姿も良いですね。初心者なのか一本指で叩くキーボード。ルイ君のテルミンは、あんなに滑らかな手つきを再現して貰っているのに、トツ子は2枚絵のパタパタアニメーションってw そこ、笑うところですか?
見せ場のライブ、三曲三様でまったく違う音色で鮮烈。キミさんのまっすぐな歌声がとても美しい。今時、ビブラートはかけないんですね。昔からビブラートの歌声に憧れたものだったけど。昔話と言えば、先生、まるで「けいおん」の「さわちゃん先生」じゃないですかw リフとか言い出したから、セリフより前にピンときた。当時の面影は見せなかったけど、チラリと軽やかに舞う姿が美しい。他にも、暗がりで舞い踊る観客の姿も面白い。
舞うと言えば、花壇の中を華麗に舞うトツ子さん。自分が何色なのかを掴んだのか。この踊るシーンも説明がなく、解釈が難しい。「色を掴んだ」イコール「将来の進路決定」の暗示かな。「色が見える」という不思議な才能。それ自体も何かの暗示か、単なる能力者か。そういえば、「音」も「音色」と、「色」と表現するんですね。
全体通して、友情の楽しさ、面白さ、清い尊さが描かれた映画だったのかと思う。友達と一緒に遊んでご飯を食べて、悩みを相談したり秘密を共有して隠し事をしたり。そんな友情を描いた青春群像というべきでしょうか。
最後のスタッフロール、尻尾の先まで面白かった。映画館で観る人、灯りが点くまで席を立たない方が良いかも。
(追記)
勢いで書いたレビューから少し考え足したことがあったので追記。
先生がまるで「けいおん」の「さわちゃん先生」みたいだと書いたけど、その先生の過去を書いたお陰で、おばあさんに打ち明けるキミさんや、母親と将来を話すルイ君、それぞれの親御さんにも過去があり、その「共感」から産まれる優しさを感じられる気がする。どんな話になったのか画かれてはいないけど、トツ子さんのエピソードでは具体的な会話シーンがあり、つまりは、他の子達もそんな感じなのだろうと類推できていた気がする。
登場人物の三者三様、それぞれ悩みを抱え、それを打ち明け、語り合うことで乗り越えていく。ライブの歌が三曲三様だったのもそのためか。レビュー文頭でロジックを感じないと書いたけど、自分の感じた映画のロジックはこんな感じです。懐かしさを感じさせる映画の舞台、親や教師の目を盗んで友達同士でする隠し事、それぞれに悩みを抱えながら、社会に向かって卒業していく。共感、ノスタルジー、そこからくる優しい映画であったのだなと考える次第です。
映画のスタッフロールでも、曲作りはパソコンでシーケンスソフト使っておきながら、カセットテープで生録とかw テープの懐かしさの共感ってこともあるけど、あの音色の感触もテープならではだったのかな。CD屋とか行くと、テープ版とか結構売られてますよね。
「衝突」ではなく「理解」で描く、暖かな青春物語。
◯作品全体
この作品には青春の苦悩にありがちな「衝突」の可能性がいたるところにある。男女関係、家族との不調和、学校のルール、そして「色が見える」という人とは違う特性。誰かと衝突し、傷つき、大人になる…こうした描写によって物語に起伏を作る。そういう作品になる要素にあふれている。
しかし山田監督がそうしなかったのは、相手を理解することの暖かさにスポットを当てたかったからじゃないか、と感じた。
トツ子ときみの関係性が象徴的だ。トツ子は退学したきみに対して、退学した理由を聞こうとしたりしない。一緒に時間を過ごす中で、ポロッとこぼれ落ちるようにきみは退学した理由を語りだすが、そこには衝突では描けない、理解の暖かさがあった。
ルイが島を出て遠くの大学へ通う、と伝えるシーンもそうだ。ともすればバンド作品特有の解散問題に発展する流れだが、トツ子ときみはそれを暖かく受け入れる。トツ子ときみは自身の嘘で誰かに迷惑をかけながらも、自分のやりたいことを成している。だから、衝突をしなくても理解できる。それぞれが自分自身にとってとても大事な問題を抱えているから、それを誰かに伝える難しさも知っている。それでも、離れ離れになるのは寂しい…その別れは普遍的かもしれないけれど、登場人物の心を繊細に描いているからこそ、「青春のほろ苦さ」が燦々と輝いていた。
そして誰かに気持ちを伝えることが苦しさだけではないことを、本作では音楽で表現していた。気持ちを表現することがどれだけ人を惹きつけ、心を踊らせてくれるのかは学園祭のシーンのとおりだ。
その後の中庭で踊るトツ子は、気持ちを表現できた喜びに溢れていた。トツ子のバレエは上手ではないけれど、見ているこちらまで溢れ出てくる達成感のような感情が印象的だった。
必要なのは衝突による物語の起伏ではなく、それぞれがそれぞれを理解して包み込む、暖かさ。先生や家族、クラスメイトたちも含め、その暖かな人の気持ちの描写が徹底されていて、とても優しい気持ちにさせてくれる映画だった。
◯カメラワークとか
・山田監督がよく使う、人物を画面端に寄せて空白を作る画面。今作は今まで以上に「感情の隙間」を感じさせる画面になってた。自分の中でもはっきりとしていない、相手に伝えるのも難しい感情、みたいな。きみが退学したあとの教会のシーンとかで使われていた。
・きみの造形は山田監督のこだわりを感じるなあ。クールな外見からフード付きのダボダボパーカー着てるのとか(『けいおん』の秋山澪っぽい)、パーカーで髪の毛が膨らんでる後ろ姿とか、髪の毛を耳にかける仕草とか(『リズと青い鳥』の鎧塚みぞれっぽい)、自分の気持ちを話すときに爪を見る芝居とか。
・瞳のアップショットの演出がやっぱり好きだなあ。本作だと本屋できみを見つけたトツ子のシーンとかで使われてたけど、その目線の先にあるトツ子だけの特別な光景っていうのを、その目線の先を見せずに表現するっていう。山田監督のが一番濃度濃い気がする。
・島を出ていくルイを追う、堤防できみが走るカット。引きのカメラで横位置、手ブレのドラマティックさがとても良い。山田監督作品だと『けいおん』1話とか『劇場版けいおん』、『たまこラブストーリー』、『聲の形』、『モダンラブ・東京』とかいろんなところで使ってる演出だけど、心の機微を感じる山田監督作品での「走る」はすごく大きなアクションとして映えるなぁと感じる。
◯その他
・ルイのデザインとか芝居作画はちょっとかわいくなり過ぎちゃってる。「ゆるふわ男子」をちょっと通り越してしまってるような…。
・きみ役・髙石あかりの声がすごく良かった。『べいびーわるきゅーれ』でも思ったけど、声の芝居がすごく自然。
・宗教上の理由で山田監督作品に点数は付けられません。
ことばに頼らない丹念で繊細な語り口
主人公トツ子のナレーションで始まるが、見終わってみると、秘めていた心情を打ち明けるような説明くさいセリフはない。主人公たちの過去も匂わせるだけで具体的な説明はなく、心のうちはほぼちょっとした身体の動きやさりげない間で表現されていて、これが最初に観る山田尚子作品なわけではまったくないが、なんと繊細な語り口だろうとしみじみ思う。終盤になっての恋愛っぽい要素(恋愛だと断言はしない)も、序盤の本屋のシーンからいかにきみちゃんがルイくんのことが気になっているかを丹念に積み上げていて、言葉は少なくとも非常に親切な作りでもあると思う。しかしそれにしてもミス◯ルについては、作品世界に寄せようとしているだけに余計にノイズに感じてしまい、しかも最後にお口直しみたいにポストクレジットがあるのだから、ミス◯ルだって立つ瀬がないでしょ!と思ってしまった次第です。監督らがいくつかのインタビュー記事で主題歌について語ってはいたが、やっぱりあの3人の物語の後に、誰かが書いた歌詞はいらなかったのではという意見です。
リアルな描写とそれを包み込む優しさ。
[あらすじ]
他人持つ「色」が見えるミッション系の女子校の寮生の日暮トツ子(CV鈴川紗由)は、同級生の作永きみ(CV高石あかり)の持つ美しい青色に惹かれて彼女に関心を持つ。
高校を退学したきみを探したトツ子は再会した古書店しろねこ堂で、きみの奏でるギターの音色に惹かれ、同じく彼女のギターに惹かれた影平ルイ(CV木戸大聖)とともに、バンドを結成する。
ルイが暮らす離島での小さな教会が、バンドの練習場所だ。行き帰りのフェリーでの船酔いや慣れないピアノの演奏を練習する中で、トツ子は天体の授業を元に作曲のインスピレーションを得て、バンドは曲の完成を目指していく。
一方で、きみは同居するおばあちゃん(CV戸田恵子)に高校を退学した事を言い出せず、島で唯一の診療所の息子であるルイは肉親に音楽に熱中している事を秘密にしていた。
「僕たちは、好きと秘密を共有しているんだ」
バンド活動は周囲との秘密の中で進行していくーー。
[所感]
素晴らしい作品を観ました。
四季を通してしっかりと描写して、光と色に関する解説は実験的な描写もあり、迫力のある天体の描写もあり。
しかし、この物語はトツ子の他人の色が見えるという能力も特に超常的な展開を見せることはなく、それぞれの成長と別れに着地します。
この作品のすごいところは、現実の美しい風景を描写し、しかしアニメならではの美しい箱庭として成立させる事に注意を払い、完成させた事でしょう。
パンフレットやエンドロールでは、ロケ地が長崎市や五島列島である事が明記しているけれど、教会がなければ、日帰りできる離島があり、市電が走る瀬戸内地方だと誤解する事もできるでしょう。なにしろ、トツ子の通っている高校の名前も出てこないのです。
山田尚子監督はこの作品を描くとき、キャラクターを優しく包み込み、慈しむ目線で描いていると思いました。
例えば、幼いトツ子のバレエの動きは可愛い。同年代の子に比べてもワンテンポ遅れているのだけど、それがまた幼いトツ子のかわいらしさやキャラクター性に結びついています。
また、トツ子やきみを観た時、デザインの思い切りの良さに驚きました。
トツ子の眉毛もまつげもまぶたも瞳も、繊細な線をいくつも重ね合わせた描き込みによって描画されています。しかし、その体型はスレンダーでスカートも膝丈で、リビドーを刺激するようには力を割いていないのです。キャラクターのシルエットは現実の人間に近く、だからこそ楽器の描写やバレエのダンスもリアルに描いても違和感がないのです。
ルイが演奏するテルミンという楽器は初めて知りましたが、弦もない中で空中の手の仕草だけで演奏する描写をギターやキーボードに劣らないリアルさで表現出来たのではないかと感じました。
リアルさとそれを上回るキャラクターへの優しさは、観ていて安心感があり、トツ子と退学したきみの事を否定しないシスター日吉子(CV新垣結衣)など、周囲の大人が暖かく見守っており、ストレスの多い世の中だからこそストレスのない作品を作りたいとインタビューで答えていた山田尚子監督の言葉も納得できる物でした。
しかし、きみやルイの保護者であるおばあちゃんやお母さん(CV井上喜久子)は、本当に秘密を知らなかったのか、考えてみると彼女たちは知っていて秘密を打ち明けてくれるのを待っていたのかもしれないと感じさせられました。例えば、おばあちゃんはきみに聖歌隊を引っ張っていける実力があると聞いたと話しているシーンがあります。他の方がツッコまれていましたが、生徒の退学に保護者に話が行かないわけはなく、裏ではお話を聞いていたりしたかも知れない、とは思っています。後述するライブのシーンで校長と腕を組んでダンスをしたのは、その場の感情の爆発ではなく、何か縁があったのではないか、と妄想しています。ルイのお母さんも果たしてパーカーで顔を隠したくらいで息子の姿が分からなくなるでしょうか?
聖ヴァレンタイン祭のライブのシーンは、観ていて作中の人物も楽しんでいる感じが伝わってきて良かったです。
はしゃぐシスターたちの姿は『天使にラブソングを』を思い出しますし、おばあちゃんの弾けた姿と校長先生と腕を組んでダンスをするシーンは、作中では全く面識のなかった二人の女性がつながる事に、そこまで楽しんでくれたんだ・・・と最近の言葉で言えばエモく尊かったです。
山田尚子監督と吉田玲子氏と並んで現在のアニメ界の女性作家で旬な方は、岡田麿里氏だと思いますが、『心が叫びたがっているんだ。』で描写された娘の演劇に衝撃を受ける母親とは対照的な学園祭で、こんなアプローチもあるんだと表現の幅を見せつけられました。
これからしろねこ堂のみんなの将来が気になりますが、エンドクレジットの後のSee you! は果たして上映後にyoutubeで「水金地火木土天アーメン」の動画を見てね、という意味なのか、それとも続編を制作する予定があるのかは気になります。
インタビューを見る限り、きみとルイの歌はそれぞれ自身の作詞をお互いが曲を付けたという事で、続編があるとすれば『たまこラブストーリー』のようなきみとルイの恋愛なんかがあっても良いような気もしますが・・・どうなる事でしょうか。
喧嘩と色事の無い娯楽作品
タイトルの言葉は
ある脚本家がお師匠様に言われた教えから
「芝居が持たなくなったら喧嘩か色事を入れるんだよ」
その言葉にあるように
多くの娯楽作品では
バトルやラブストーリー(またはエロ)が大きな売りになる
特に最近の多くの大ヒットアニメ映画がそうだし
だが本作には見事にそれらが無い
メインキャラもサブキャラも
みんな平和的
トツ子がきみを寮に泊めた問題も
労働奉仕で済んじゃうし
メイントリオが男1人女2人だと
普通はトライアングラーであわやバンド解散とかなるが
本作は全くそんなことは無いし
合宿しても全くエロい展開にはならないし
事件らしい事件も無く
クライマックスは教会でライブ
尼さんが踊りまくるのは
「天使にラブソングを」か「ブルースブラザーズ」辺り
意識したのかも知れない
ルイが船で去るシーンでは
ルイが海に飛び込まないか焦った
(ヴァイオレット・エヴァーガーデンじゃねえよ!w)
京アニ出身の山田尚子監督ということもあってか
絵がとにかく綺麗
カチッとした感じではない
ほんわかした画風は「リズと青い鳥」を想起させる
あと主人公が人を色で見えるという設定のせいもあり
色使いがまた淡くて綺麗
個人的にはまた京アニに戻って来て欲しいとも思うけど
本作見てからは監督は京アニ流を日本アニメ界で布教する為に
旅立ったと認識することにした
そんな訳でとても平和的な秀作
物凄い感動ではないが
ほんわかいい気持ちにさせる
ただ最近の大ヒットアニメで
感動した泣いたと騒いでる層には
良さが理解出来ないかも知れない
濃い味付けのインスタント食品や総菜に慣れた人が
京風の上品な味が薄味と感じるように
期待はずれ。ただのよくあるくだらん青春もの。
人の色が見えるというストーリーが楽しそうなので劇場で鑑賞したが、
色が見える描写が少ない。表現の仕方が薄っぺらい。そしてやっと「何色だ」と言ったと思ったら対してそこに深い意味はなかった。
一体何が言いたい映画なのだ。
バンドの男の子がもう思春期のいい歳なのに、女の子に対して距離感近くてなんか天然すけこましで普通に気持ち悪い。
そして髪をちゃんと切れ。
あと主人公の女の子が微妙に太ってるのがなんか嫌だった。
ぽっちゃりの天然はなんか腹立つからやめた方がいい。
主人公が細くてスタイル良かったらまたちょっと違ってただろうに。
全体的にそこらへんの中身のないほのぼの青春アニメ系で、劇場料金で観る価値はなかったかもしれん。。
変えられないものに折り合いを付けていく
予告の曲で一気に引き込まれ、前々から気になってはいたものの滑り込みの鑑賞になってしまった。良い意味で期待通り、なおかつ想定していた展開と違い少し驚いた。
悩みを抱えた少年少女3人の物語といえば必ずと言っていいほど心の沈む展開があるが、この作品にはそれがなくとても優しい物語だった。僅かばかりの人物らの心の痛みは秘密を抱える辛さを柔らかく伝えてくれる。
秘密を抱え込んでしまう人たちの背中を優しく押してくれるような作品でとても心が温かくなった。
秘密を抱えていると、どうしても心も抱えるものも重くなっていくもので…吐き出してしまえば思っていたより周りの反応は優しかった、なんてことは現実でもままあること。
本作は変えられないものとどう向き合っていくかを大きなテーマとして掲げているように感じる。
人が色で見えるトツ子の祈り「変えることのできないものについて…」は人の色が見えるという自分の特性を疎ましく思った上での祈りかと考えたが、意外にも前向きに受け入れている様子が見て取れる。
しかしながら自身の特性を内に秘めたまま日常を送るさまは自身と他者の間のギャップを確かに映している。
きみの秘密である中退は、自己評価と他者の評価のギャップによって引き起こされたものだった。祖母に打ち明けられず、負い目を感じながらもなあなあにしながら過ごすさまは、親に言いづらい事を抱えながらもひた隠しにした幼い頃の自身をみているようでむず痒くなった。
ルイの親の期待と自身のやりたいことの板挟みにあいながらもひたすらに自身の音楽の道を一つ一つ、中古屋を巡り、古本屋を巡りと積み上げていく姿はとても眩しく映った。
物語を通してみるとトツ子は自身の特異性、きみは自身の意志、ルイは医者の息子という出自、これらが彼らにとっての変えられないものだろう。
トツ子は秘密の共有を経て、人に合わせ特性を隠す生き方から自身をようやく表に出したことで自分の色が見えるようになったのだと思う。
きみは単純に祖母に自身の気持ちを伝え負い目を乗り越えた。また、ライブ前には友人らの変わらない態度に改めて気づくことがあったのだろう。
ルイは自身の変えられない出自を受け入れながら音楽も楽しむ、初期と変わらないスタンスながらも確実に前を向いている、そんな印象を受けた。
秘密の共有以前以後で行動自体に明確な変化はないが、それでもどこか自己肯定感を持って終わったように感じる。
もとより彼らは最初の一歩を踏み出すという一番大変な行程を終えているようにも思う。トツ子は自身の特性に関しては既に踏ん切りがついている様子、きみは中退というとてつもなく大きな一歩を踏み出したあとだ。ルイは楽器の練度からみて音楽を追うことをやめる気は毛頭ない。しかもバンドを組むという唐突な提案にも踏み出せる勇気もある。最初からある意味で決着はついていた。
ただ、心を軽くするあと一歩、秘密を打ち明けることができていなかっただけなのだ。この心を軽くするための一歩の重要性をこの作品は教えてくれたように感じた。
唯一気になったところはルイくんの万能さだろう。楽器を奏でることは当たり前、勉強も申し分なく医者志望、バンド云々も彼が発端、さらには離島の古教会という雰囲気バッチリな場所の提供。完璧すぎる。トツ子の特異性も彼の前では無力だ。ルイくんの持つガラケーには親の圧力があったのかなどと考えてみたり、抜け道としての勉強用のパソコンという口実を作ったりしたのかな、などと邪推も捗る。イケメン高身長知的メガネ穏やかジョン・コナーなんて属性が盛りすぎもいいとこだ。
変えられないものに時折立ち止まって考えてしまう自分にはとても刺さった映画だった。重い展開を苦手とする自分にはとても受け入れやすい、穏やかな気持ちで観れる今作はとても好みの作品だった。
キリスト教のミッションスクールという舞台も全体の雰囲気に加えて、過ちを犯したあとのシスターのスタンスなど考えさせられるものが多かった。最後のライブシーンのノリノリシスターなんかは「天使にラブソングを」を思い起こさせたがあれはやはり狙っているのだろうか。
映像も音楽も良かった、内容は薄かった
映像が綺麗で、特にとがった癖のある登場人物も出てこないし、
逆境という逆境もなくて気楽にゆったり観れる映画。
でも逆にそれだけ平和なのが無味無臭な仕上がりになってしまっている。
3人のバンドメンバーそれぞれに人に言いにくい悩みがあるのだけど、
人が色で見える子は自分の色が見えないと悩んでいたけど、
見えない事で何が問題なのか解らないし、
察するに幼少時代から人と違う事で軋轢が生じて、
ちょっとした差別やいじめを受けてたのかもと邪推するけど、
劇中で彼女の口からそんな悩みが出される事はなかった。
足が綺麗なギターの子も学校を辞めた理由が全く解らない、
祖母にそのことを知られるのを恐れているのだけが一番の悩みで、
辞めて本当にやりたい事があるとか、神が信じられなくなったとかの理由もなく薄い。
重箱の隅をつつくけど、そもそも生徒が学校辞めるってなったら祖母に連絡が行って当然だと思うんだけど、規律に厳しそうな学校だし。
テルミン男子も医者よりもやりたい事があるのかもしれないけど、
全くそれも語られないし、影が薄い。
でも最後の方は全員スッキリした感じになって学園祭の集大成のバンド演奏。
過剰にキャーキャー盛り上がるわけでもなく、静かに盛り上がる感じで、
曲もシリアスな感じからポップな曲まで幅があって良かった。
でもそこで初めてギターの子がボーカルなんだって知ったぐらいバンド要素も薄い。
結成してたのは知ってたけど気付いたら舞台に上がってた。
思い返すとこの映画結局何が見せたかったのが解らない。
ふわっとした波だけ立てて、最後はバンド演奏で感動したでしょ?って言われた気がしてならない。
最後に自分の色が見えたと言われてもそれが何となってしまう。
もっとおぞましいぐらいの汚い色の人を登場させて、その人との対比で綺麗な色の人の意味を教えてほしかった。
目を引く要素が色々出て来てつまらなくはないのだけど、それに対するアプローチが薄くて物足りなさを凄く感じる映画。
つまらなすぎる。
これまで観た映画の中でも、ワースト3に入るほどのつまらなさでした。まず、この映画を通して何を伝えたいのかが全くわかりません。山田尚子監督作品ということで期待して観に行きましたが、途中で退席したくなるほどでした。時間とお金を返してほしい。
エンドロールを見て、脚本が他の方であったと知り「なるほど」と思いましたが、それでも多くのスタッフが関わっているはずで、誰もこの脚本に対して異議を唱えなかったのかと疑問が残ります。
主人公の言動が終始理解不能なうえ、例えばキミの高校を辞めた本当の理由が不明のままであったり、男の子が医学部進学を目指していてそれが音楽の足枷になっているのかと思いきやそうではなかったりと、それぞれの悩みやキャラクターの個性が薄いまま、全く物語がいきいきとしていません。悩みを乗り越える描写もなく、キャラクター設定が浅すぎて感情移入ができず、途中で眠くなりました。
また、長崎の美しい風景を描きたかったのかもしれませんが、キリスト教系女子校の設定が映画の内容に意味を持たせず、主人公の「他人の色が見える」という設定も全く活かされていません。恋愛、進路、友情など多感な時期の要素を詰め込みすぎた結果、どれも中途半端に終わってしまい、映画として大失敗しています。むしろ意味不明なシーンで無理に尺を引き延ばしているように感じ、観客を侮辱しているのかとさえ思いました。例えば、冒頭から「自分の色が見えない」と繰り返していたのに、最後には何の伏線もなしに突然見えるようになったり、謎のバレエシーンが挿入されたりと、意図の伝わらないシーンで構成されており、途中から笑ってしまうほどです。結局、脚本家の自己満足に終始した作品になっており、作画や声優が良いだけに非常に残念です。
最後に、主人公には「人を色で判断するな」と言いたいですし、もっと寮の友達も大切にするべきではないでしょうか。
優しく平坦であることの良さは理解しつつ低評価
監督のこれまで作られた作品のファンだったのでいち早く劇場へ。
情景や人物描写の美しさは期待以上でした。
特に最後のライブシーンは素晴らしく、劇を締めくくるにあたり、かなり捲り上げた感じがあったように思います。
ですが、私はこの映画を高く評価できませんでした。
その理由をあらすじとともに以下に記載します。
【あらすじ】
主人公のとつこは人物の「色」が見える。つまらなく言ってしまえば共感覚やオーラのようなものだろう。
このことが理由で人とは少し違った世界の見え方をしているため、やや人間関係では不器用なところがある。
そんな中、学校で出会った美しい青色を持つきみに憧れを持ち、訳あってバンドを組むことになり、美しい緑色をもつルイをメンバーに加えて互いの心を自己開示をしながらこっそりと練習をし始める…というのが大筋。
評価できないと感じた点:
①どうしても物語に浅さを感じてしまうこと。
この映画の大切な要素として、悪人が登場しないという点がある。
とつ子の優しさや純真さも相まって、劇中を一貫して事件は大きくは起こらず、微笑ましいシーンの数々も私は楽しめたつもりだ。
一方で、物語としてどうしても起伏に欠ける構成とも言えるように感じた。
きみやルイは親には言えない隠し事があるのだが、物語としてはこの要素が弱く、見るものを引き込むには不十分な仕掛けであるように思う。
要は彼らは周囲や親からの期待に迎合出来ないのだ。
それは思春期に誰もが陥りがちな、一種の通過儀礼であり、この映画は現代の若者の、脆くて過敏な彼らの感受性を監督の視点から描いたものだと解釈した。
私はこの理解の上で、やはりストーリーには起伏が必要であったように思う。
上記の通り、穏やかで平坦なところがリアルっぽく感じられるのだが、それにしては台詞回しが芝居がかっていて妙に没入できない。
また、彼らの持つ暗い陰の成分が中途半端にチラつき、穏やかな物語が良さなのを理解した上でも全体がぼんやりしすぎている印象を持った。
②ルイに成分を詰め込みすぎて没入しずらい
バンドの唯一の男性メンバーであるルイに属性を詰め込みすぎではないだろうか。
小さなことに感じられるかもしれないが、かれが演奏する楽器としてテルミンを出す必要はなかったのではと思う。
音楽を大きなテーマとして扱う上で、楽器や音色の持つ意味について、もう少しパリッとしたテーマを打ち出しても良いのかな、と言うのが率直な感想だ。
乱暴な言い方かも知れないが、テルミンの音色は今作に意味をもたらさなかっただけでなく、むしろやや浮いている、ノイズになっているように感じた。
肝心なシーンで弾かれるテルミンが妙に魔が悪く、それなら単純にキーボードのほうが良かったなと思ったシーンが複数ある。
また、ルイ自体が物語上での舞台装置的な立ち位置を持ち、彼の言動が無理に芝居がかっている感じが終始見受けられた点も残念だった。
総じて、話もビジュアルも美しさを感じるが、映画としてはやや散漫出会ったように思う。
私が小賢しく老いたために、本作の良さだけを見つめられず、このように起承転結や小道具の意味を考えてしまっている可能性があるのが少し忌まわしいが、正直な感想として書き残したい。
色について
終盤でトツ子が自分の色を認識した時、どうしてそうなったか分かりませんでした。
もしかしたら、バレエをやりたいけど、上手くできないからと辞めてしまったことに対して、自分のやりたいこと(バレエ)を通すことで分かったということでしょうか。
その理由でいくと、高校生の他の生徒達に色がついてるのは既にやりたいことを見つけてるのかな???
ルイが将来に向けて船旅に出る時、様々な色の紙テープが強調されてたのは、色んな目的で旅立つ人々の想いを色にしたのかもしれません。
映画は最後に歌で締められますが、音楽をやってない自分でも、音楽の良さを感じたり、良い締めくくりを感じることができました。
有難うございました。
祈り光つづきをもっときかせて
主の元あるいわ聖母マリアの元、運命に導かれて進む物語。大好きな山田尚子×吉田玲子コンビだがキービジュアルに惹かれずあまり期待していなかったのだけど…始まってすぐに“最高かよ”と思った。
人を色で感じ取る不思議少女、讃美歌、聖書の言葉、白猫、古本屋、無邪気な文系美少年、テルミン、島に一つしかない病院、ジゼル、ロザリオ、中退する女子校のミューズ、スノードーム、ろうそくの灯り…それぞれが絡み合って混ざり合って表現されるダンス讃美歌…。
自分たちの大好きな物を詰め込んだスクラップブックのような雑誌オリーブのような作品。
物語でなく感性で心を揺さぶる手腕はいつもながらお見事。二人でしかできない仕事だと思う。
あと、サイエンスSARUもいつもながらあっぱれでした。
共感覚の少女に救われる優しい物語
主人公のトツ子は他人を見ると色がついて見えるという少女。
おそらく、音が色に見えるタイプの共感覚の持ち主。実際に存在する能力です。他人の発する声や音を色として感じているのだと思う。
ただ、トツ子はそれを共感覚などと具体的に考えているわけではなく、ぼんやりと不思議だなぁと受けとめている。ただ、世界をそういうものだと優しくおおらかに受けとめている。
この映画はトツ子の見ている優しく美しい世界を、彼女の目線で描いている。
だから、他のふたりの詳しい背後の設定や、心の中の葛藤は作品中にはあまり描かれていないのだと思う。トツ子はそんな所を見ていないから。
ただ、目の前にいる友達を、ただ、そのまま受けとめている。「きみちゃん(ルイくん)の色はきれい」と。
だから、特に友達の問題を解決しようとはしない。彼女はわかっているのだろう。「きみちゃんの色はきれい」だから「たぶん大丈夫」と。
他のふたりには悩みがあるが、トツ子のありのままを受けとめてくれる優しさに、自然と心が癒されていく。問題は解決したわけでは無いが、受けとめて立ち向かえる様子が最後に描かれる。
旅立つルイくんに向かって叫ぶ、きみの「がんばれー!」は、きみが自分自身にも叫んでいるのだと思う。
同じように今の自分と将来への不安を抱えるルイくんと、ありのままの自分を受けとめてくれるトツ子に出会い、立ち止まっていた自分自身に「がんばれー!」と言える強さを持てたのだろう。
祖母に知られずにどうやって退学できたのか、とか、退学できたとしても田舎町の小さなコミュニティで祖母に隠す事ができるのか、などを言うレビューもあるが、きみの祖母、そしてルイくんの母は彼らの悩みも問題も気付いていた様に見えた。知っていて彼らが話してくれるのを待っていた様に描かれていたと思う。
だから、最後のライブシーンで元気な姿を見て、きみの祖母もルイくんの母も喜んでいたのだと思う。
とても良い作品でした。今年見た映画の中でも一番良かったかも。
カラフル × フュージョン
丁寧に時間をかけて混ざり合い、融け合っていく物語。
きみのルイに対する色の変化は映像には出てこないものの、トツ子の反応から魅力的な色の変化が「視えた」ように思える。また、ルイの男性性と女性性の垣根を感じさせない多孔性ある人柄は「中間色」のように感じた。
物語としては魅力的なのだが、楽曲が少なく、ワンステージで終わってしまうのは少し物足りなかった(せめてアンコール曲が1曲欲しかった)。
また、エンドロール後がおわりでなく、"See you"なのが、ルイの旅立ち(門出)に対する再会を予見させていて、印象的だった。
映画タイトル通り、物語が動き出すタイミングは、きみの色に出会った時から始まるのも象徴的だった。
手のひらを太陽に♪
まず、映画終了10数分前から感じた、「きみの色」ロス感について。
なぜかな?他者への悪口、悪意から組み立てられるありがちな世界観がないところかな?
映画の人間関係の底が、悪意なき穏やかな所にあるという確証が、映画の世界にとどまりたい、終わってほしくないという、率直な気持ちにつながったのかな?
ふつう、映画ってこれでもか?ってくらいいろんな出来事が起こり、結局一度みただけでは消化できず最後には「やっと終った」が、率直な感想になることが多いのに。
ライブもよかった!観客として視聴しているとともに、
不思議なことに、あたかも自分がバンドのメンバーの一員として観客に視聴していただいているような感覚。
もっと何曲も、、、
トツ子はなぜ、聖バレンタイン祭に、そのメンバーとして参加したバンド しろねこ堂 の
お披露目ライブに親を呼ばなかったのかな?
メンバーのきみや、ルイ は、(育ての親的な存在の)おばや、母親を招待したのに。
その対比として、トツ子はなぜ?という疑問が。
逸れますが、私は発〇~です。結婚し、子供がいます。その後、発〇~と判明しました。
診断名は二つあります。うち、多動性~は、一般的に行動の多動を指しますが、思考の多動もあるのでは?と、思います。(ここが、「神の隠れる場所」を、著すことができた胆と睨んでいます)
トツ子は、親との連絡は必要最小限です。バス酔い確定のいろは坂修学旅行を回避するため、体調不良と偽り一人寮に残り、生徒が誰もいない寮に きみ を招きバレて親に連絡しせざるを得なくなり。ここだけです。
逸れますが、私は極力親に連絡したくありません。ここ10年来、実家の心穏やかではない出来事が原因です。実家のことを思い浮かべると、決まって頭が重くなります。
→あの若さで トツ子も?と、気になります。
以上の文面で、私が言いたいことを、なんとなくつかんでいただけましたでしょうか?
、、、トツ子も?って思います。
そもそも人が色で見える、ということは裏返せば、他人に「青、緑」(トツ子のセリフ)、赤など虹色プラスアルファ位、大雑把な差異しか感じることができない、ということでは?
→水彩絵の具で、鮮やかな赤、青、緑など鮮やかな原色を数回混ぜれば、とたんに灰色になります。
ひょっとしてトツ子は、私と同じように他者の複雑な人間関係から生じる複雑な差異を(まるで色を複数回混ぜるととたんに一様に灰色になってしまうように)言葉で表現できないのでは?それは、同時に自身にも降りかかります。私事ですが、自身に人格が薄いと感じています。
音楽も、然り。私は洋楽のエモーショナルなSoulが好きです。
なぜならほぼ歌詞の意味は理解できませんが、歌声、音階そのものにあふれる気持ちが伝わってくるからです。逆に日本語で、こと細かい心情を表現しました的な歌詞は、上記「他者の複雑な人間関係から生じる複雑な差異は、原色を複雑に混ぜるととたんに一様に灰色になってしまうように」その豊かな音色(彩色)とイコールで結ばれる、見合う適切な表現とは感じることができません。
最後に。映画を見た後、「週末批評」様の論説にも触れました。
、、、トツ子の顔は、長崎原爆後の浦上天主堂の被爆マリアのようにも感じられます。
また、山田尚子監督は、京アニ出身とのこと。
大変大雑把なくくりとなりますが、
身近に起こった理不尽な出来事(京アニ事件)を、長崎原爆に重ねることで、
二ーバーの祈り
「変えることのできないものについて、それを受け入れるだけの心の平穏をお与え下さい」
を、引き立てているのかと。
監督自身の心の平穏のために。私を含む、映画を見た方々の心の平穏のために。
少なくとも、みおわってから、私はいつになく穏やかな気持ちが続いています。
この映画を観て思ったこと
儚く淡い青春って感じです。令和のようにSNSでの出会いじゃなかったのはとても良かった。「きみの色」というのは準ヒロインのきみちゃんの事だったんですね。あまり内容も知らずに行ったので名前を聞いて気づきました。トツ子が色を見る事に対して何か意味があるのかなと思って最後まで観たんですがオチが特に無かったです。オリジナル作品の残念な所ですね。仕事でいろいろと疲れていたので、嫌な登場人物がいなかった所、作画の柔らかい感じはとても評価が高いです。まあ、良い意味で現実離れしていたので、変にリアルを追求した作品よりかは引き込まれやすかったですね。実際にカトリック系の学校に通っていたのですが、シスター日吉子みたいな美人なシスターは見た事が無いです笑。あと、とにかく同性が集まるともっとドロドロします。ただ、きみちゃんみたいな子はいるなーって感じでした。可愛いのにあまり生気が無いと言うか覇気が無いと言うか。きみちゃんとトツ子って対極的なんで、まさか憧れていたきみちゃんと親友になるなんて意外でした。ルイくんは大学進学してしまったけど、長期休暇の間に帰って来る事も出来るので何だかんだ音楽を続けていくんだろうなぁと思います。
山田尚子監督らしい映像表現
年頃の女子の、ひとつ歯車が違えば儚く崩れてしまいそうな感覚を、淡い色使いと繊細な間を使って映像化されていました。
キミのキャラクターは特に美しく繊細だったと思います。
内容は過去作のように見終わったあとモヤモヤとBlueな気持ちで退館することなく、日本版「天使にラブソングを」的な要素も交えたハッピーエンド75%といったところで、個人的には好みでした。
ただ、物語の核となるキミの退学動機が今ひとつ飲み込めないのが残念でした。
核がもう少し強ければ★4以上と思いましたが、その点を踏まえて3.5…くらいでしょうか。
水金地火木どってんアーメンは帰りがけの今も耳に残って脳内リピートされています(笑)
言語化できない高校生特有の感情を映像化している
とても感動した。高校時代、悩みや葛藤やコンプレックスに苦しんだ人ほど面白く感じられると思う。
高校時代、他人や今の自分からしたらどうでもいい悩みが、世界平和と同じレベルで壮大だと思っていた。そんな昔を思い出させてくれる作品だと思った。
きみが高校をやめた理由とか、ルイの家庭の事情について明確に描かれていないのがとてもよい。上から目線だが、製作陣は「分かっている」。高校時代の悩みなんて、何か一つの明確なタネがあるわけではない。一つ一つ小さな悩みがあって、それを高校生の繊細な感情が肥大化させているのだ。なので、表面上思考に表れる悩みは、なんとなく学校が嫌いで、なんとなく親が嫌いで、なんとなく進路が不安で、というもの。だからなんとなく高校をサボって、高校をやめて、ルールを破って、勉強じゃないことにチャレンジしてみたりする。そこに明確な理由は存在しない。全部なんとなくだ。だから、親や友人に、なんで悩んでるの?と聞かれても言語化できない。作品で明確な理由の描写を避けたのは、等身大の高校生を表していてとてもいい。
また、高校生特有の勢いがなんとも心地が良い。勢いで、バンド組んじゃえ!音楽作っちゃえ!将来どうなるか分かんないけど、今を生きる!退学した学校でライブ!な感じが最高。高校時代を思い出して、そうだ、そうだったよなととても懐かしくなった。複雑な悩み(高校生レベルだけど)と、勢いで色々周りを顧みずに色々やっちゃう高校生のアホみたいな勢いのよさ。一見矛盾した2つの特徴を持った高校生の生態をよく表している。
また、こうやって高校時代の感情を思い起こさせるだけではなく、そこにキリスト教的な過去との向き合い方を教えてくれるのもとてもいい。
この作品のテーマ、色はとても面白い。普通の人は淡い色だったり、色んな色が混ざった色をしている。しかし、きみとルイ、日吉子は明確な、わかりやすい色を持っている。これは、彼らが明確な自我を持っていて、周りと合わせない(合わせられない)からこんな色をしている。また、トツ子自身の色が見えないのは、自分が何者なのかわからない高校生特有の感情の表現で、終盤自分の色がわかったのは、トツ子自身の成長を描写しているのかなと思う。
なにかわかりやすい事件が起こったりする映画ではないが、こういう繊細な感情を描写する映画はやっぱりいい。短い時間しかない映画だからこそ、繊細で脆い高校生の感情を描けている。これが1クールアニメだったらこうはいかないだろう。ただ、高校時代の思い出に、こういうなんとなくな悩み等がなかった人には、もしかしたら響かないのかも。
ただ、エンディングはそうはならんやろ。
私的、この映画を優れたものにしている点とは?
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
結論から言うと今作を非常に面白く観ました!
この映画『きみの色』は、キリスト教系の女子高に通う(共感覚的に)人の色が見える主人公・日暮トツ子(声:鈴川紗由さん)が、作永きみ(声:髙石あかりさん)と影平ルイ(声:木戸大聖さん)に出会って、音楽を通して心を通わせるストーリーです。
この作品は、主人公・日暮トツ子も通っているキリスト教系の女子高を退学していることを祖母に打ち明けられない作永きみや、医者の家を継ぐことを期待されていますが音楽の道に本当は行きたいと思っている影平ルイの、それぞれの孤独が根底に流れています。
私がこの映画『きみの色』が優れていると思われたのが、作永きみや影平ルイの孤独を、意識しないまま主人公・日暮トツ子が救っていると感じた所でした。
象徴的なのが、学校に来なくなったどこかあこがれの存在であった作永きみを、日暮トツ子が街中で探していて、その時に猫の後ろに着いて行って、路地の階段を上がった先にある古書店でアルバイトしている作永きみを見つける場面です。
この場面は、奥まった場所にいる孤独な作永きみを、実は意識しないまま日暮トツ子が見つけ出し、作永きみの孤独の本質に光を当てている象徴的な描写になっていると思われました。
そして孤独な作永きみを救っていることを、トツ子自身は全く気がついていないところに、この映画の素晴らしさがあったように思われます。
主人公・日暮トツ子の存在は、その雰囲気や作った音楽や(学校の廊下で踊るバレエなどの)躍動で、影平ルイなどの孤独も意識せずに救っていたと思われます。
本当であれば、日暮トツ子の(共感覚的に)人の色が見える能力は、世界を救う力と大きく描くことも出来たかもしれません。
しかしそうではなく、あくまで日暮トツ子の人の色が見える能力はさりげなく描かれているのも好感を持ちました。
日暮トツ子は、例えばなぜ幼少期のバレエの風景にこだわっているのかなど、自身の心に対しては曖昧で明確な考えは持っていません。
また映画の最終盤まで、自分自身の色を見ることは出来ていませんでした。
しかしだからこそ、主人公・日暮トツ子の、自身に対する曖昧さや、人の色が見えるという認識と感情の境界の曖昧さは、(退学や、将来の進路などの)物事を分けられて孤独に陥ってる周りの人々を、深層でその人の本質を照らして無意識に救うことになっていたと思われます。
そんな周りの孤独を照らして本質的に無意識に救う主人公・日暮トツ子の存在と、時折語られるシスター日吉子(声:新垣結衣さん)の哲学的な言葉と、日暮トツ子と作永きみと影平ルイが奏でるどこか境界が曖昧だけど力強い電子音楽は、一貫して人々の孤独を救う根源的でさり気ない優しさと深さがあったと思われました。
今作はストーリー的には、学生時代の音楽に関わる話としては他作品でも様々描かれてきている題材で、図抜けた傑作にするには他のストーリー展開も必要だった感想もあるのでこの点数にはなりました。
しかしながら、この映画『きみの色』は、根底に流れる登場人物の孤独と、さり気なくその孤独を意識せずに境界を曖昧にして本質的に救っている主人公・日暮トツ子の存在と、シスター日吉子の哲学的な言葉と、3人が作り出した魅力ある音楽によって、どこまでも心地良く優れた作品になっていると思わされました。
(p.s. 1点だけ不満があるとしたら、最後のキャストスタッフロールに流れる主題歌のMr.Childrenの曲は合っていないとは思われました。
最後に流れる主題歌は実は重要で、3人が奏でるエレクトロ調の音楽を流さないといけなかったと思われます。
この主題歌選択に抵抗が出来なかった山田尚子 監督には責任があると思われますし、安易にMr.Childrenに主題歌を依頼した上層部スタッフ(おそらく川村元気プロデューサー)は本当に罪深いし、Mr.Childrenに対しても失礼だったと、僭越ながら思われました。)
水金地火木土天アーメン」だけ。
「水金地火木土天アーメン」が良すぎるのと「ミスチルのED」と「山田尚子さん」この要素で見に行った。
単刀直入に言うと、面白くなかった。
ほっとけない要素が多く、ずっとそのまま(笑)
キミちゃんと男の子の家庭やらの事情も表面上だけで浅いからなんの感情も湧かないです。
もう中盤にあたって眠い眠い。
あとは、登場人物の動きがイマイチ。良くない意味で滑らか。過去作の作画が良かったせいで期待してしまった。
最後の3曲に関しても、「水金地火木土天アーメン」以外の曲調変えたら良かったのにぃぃぃぃ。。。配信でも見なくていいかなあ…
水金地火木土天アーメンは最高だゾ!!!!!
次作に期待したい!!
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