「コロナ禍で」マニブスの種 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
コロナ禍で
マニブスの種
2022年の作品で、2021年に制作されたとあるが、これはつまりコロナ禍で作られた作品だということ。
この物語にはコロナ禍などというのは一切出てこないものの、監督はコロナ禍に影響されたのは間違いない。
そして、
気になってしまうのが冒頭の「指切りげんまん」の歌と、エンディングの「お忘れ物なさいませんように」の歌だ。
この2つの歌から連想するのが「忘れられてしまった約束」だ。
しかしこのこともまた物語の筋ではない。
私は初め、マニブスとはAIの代替なのかと思った。
しかし、
おそらくそれはミスリードで、この物語には袋綴じされたページがあるように感じた。
さて、
マニブスとはなんとも奇妙な植物だ。
人間の手とそっくりで、動きもするし、知性と感性を持っている。
その見た目は間違いなく不気味だが、コロナもまた未知なる病原体という不気味さを持つ。
マニブスとは、コロナ禍によって人々が失ってしまった「思いやりの心」を表現しているのではないだろうか?
他人をシャットアウトするかのような政策によって、人々は分断したが、同時に他人を思いやる心までも失ってしまったと、監督は感じたのではないだろうか?
そしてマニブスという不気味な象徴は、思いやりの心を失ってしまった人間そのものだったのかも知れない。
あの2つの歌は、そのことを問うている。
反故にされてしまった約束と、もう一度それを思い出せと言っている。
何者かが突然送りつけてきたマニブスの種
主人公足立も、アユも、それを育てていた。
思いありをなくした人間にとってそれは、不気味でしかないのかも知れない。
それは、不気味になってしまった人間そのものでもあり、忘れてしまった何かだ。
思いやりとは植物のように育んでいくものかもしれない。
一旦それをわすれると、それはマニブスのように不気味に見えるのだろう。
監督自身も、人々がなくした思いやりを、ある人に差し出したとき、拒絶された事があったのだろう。
この異常な世界に衝撃を受け、発表したのがこの作品だ。
冒頭 主人公の頭の中に響く「指切りげんまん」の歌
それはこれから起きることの暗示でもあった。
彼はまだ優しさを持ち続けていたが、マニブスを受け入れるためには、まずこのような人から始めるのは当然だろう。
では一体誰が送り主だろう?
それは、マニブス自身かもしれない。
僅かに残った思いやりの種が、人々に伝わりながら伝染し、文字通り感染するように人々の心に宿っていく。
この作品は、そんな希望を未来につなぐために作られたのだろう。
