「止まっていた榊(広瀬すず)の時間は再び流れ出すのか? という物語。もちろん主演 広瀬すずなので流れ出すに決まってる。そこへいくまでの水のあれやこれやが見所。僕は、有り得ん設定・展開でも面白ければイイ派」水は海に向かって流れる マサヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
止まっていた榊(広瀬すず)の時間は再び流れ出すのか? という物語。もちろん主演 広瀬すずなので流れ出すに決まってる。そこへいくまでの水のあれやこれやが見所。僕は、有り得ん設定・展開でも面白ければイイ派
ひとりひとりの人生を川の流れに例えて大河となって海に注ぐというのがよくあるパターンだ。 ではタイトル 「水は海へ向かって流れる」の水は何のたとえか? 人の人生を形作る個々の感情や、男女の微妙な機微や、家族の関係なのか。例によって僕はよく分からないし上手くまとめられない。漫画の原作なので、作者が分かりやすく言ってるかもしれない。誰かが考察してるだろう。映画が面白かったたのでタイトルの意味はまあどうでもいいかな。
映画は面白かったが、映画の途中で心の中で叫んだのが 「ああもう高校生ってメンドクセエー」である。僕はもう高校生の頃なんか断片的な記憶しかないし、公私共にかかわり合うのは大人だけだ。だからもし僕が榊のように直達とかかわる立場になったらきっと 「ああ、高校生めんどくせえー」ということだ。高校生の頃なんて、出会った出来事に逃げる間もなく真正面からぶつかっちゃうし、目一杯キズついたりキズつけたりで大騒ぎだ。
榊は16才で心にフタをした。フタの中は怒りとかその他なんかイロイロだ。そして直達によって榊の時間は動きだす。ナイスである。
オヤっと思ったのは広瀬すずの立ち位置。今までは妹側 (今回の映画なら高校生側)だったのに、いつの間にかお姉さん側にいることだ。 実年齢的に26才の榊さんに近いし、恋模様の相手が高校生の男女だからお姉さん側にいるのは当たり前だが、ついこの間まで高校の制服で飛び回っていた感があるから、「ああ、いつの間にかそういう年齢になったんだな」と感慨深いものがある。ますます今後が楽しみだ。
直達は榊を好きになるが、榊は気が付かないというより眼中にない。榊はもう恋愛はしないということもあるが、そもそもそ高校生が恋愛対象外で子供としか思っていない。一方、直達の同級生の楓は直達を好きになるが、直達は気が付かない。直達はただの鈍感である。最初のほうで直達が子猫の里親探しを楓に頼んだ場面で「直達=鈍感」に決定である。だから楓が直達に「ハート泥棒ォー」と叫んだとき、僕は追加で楓の代わりに「この鈍感ぁーん」と心の中で叫んだ。