「ゴジラが実在した国産戦闘機と戦った!!」ゴジラ-1.0 ヒロさんの映画レビュー(感想・評価)
ゴジラが実在した国産戦闘機と戦った!!
面白かった。好きなゴジラ映画のうちに入る作品でした。
先に「ん?」となった点を3点上げておく。
①登場人物への感情移入が難しかった。
山崎貴の描く昭和初期〜中期の日本はファンタジーの世界である。
見た目は昔の日本なのだが中身の人間性に現実感が無い。本当にこんな人居るかな?、と思ってしまい共感するのが難しかった。人間が清く正しく生きれる範囲が広すぎるという感じ。
終戦直後の日本で赤子を預かれる器量、言い換えればそんな余裕が本当にあるのか。
自分が生き残ることで精一杯な時に本当に子供を引き受けられるのか。
自分が同じ立場だったら出来ないと思う。そこに清すぎて逆に人間性の欠如を感じてしまった。
おそらくアニメならこの人間性でも良かったかもしれない。実写のリアリズムでは浮いてしまった。
②敷島が覚悟を持てた過程
冒頭、敷島はゼロ戦からゴジラに機銃を撃てなかった。なのに戦艦高雄との共戦時に敷島は機銃を撃てた。その理由が欲しかった。また、なぜ中盤、浜辺美波との衝突で敷島は生きようと思えたのか。そこが少し強引だったかなと思う。
③やっぱり浜辺美波、アレなら死んでるよね…
浜辺美波が生きていたことに対して冷めてしまった自分が居た。彼女が生きていたことで主人公達は死ぬことはない特別なグループなんだって思ってしまった。死だけは誰にでも平等に降りかかる。だからこそ、最後、神木隆之介は生きようとしたと思えたのでは無いか。
ただし映画はそもそもファンタジーの世界である。そこまで夢を捨てる必要性があるのか、という思いもよくわかる。
と、ここまでは引っかかった点。
ここから先はベタ褒めする。
とにかく神木隆之介が素晴らしい。
この役を説得力を持って成立させた彼の演技力がこの作品を名作にしたと思う。
神木隆之介演じる敷島が何かと言うと国や社会からの暴力、殴る蹴るといった直接的ではない同調圧力や責任に乗せて死を迫ってくる暴力に抗った男である。(あの時代にそれが出来たのかという疑問もあるが…)
彼はそれに抗った為に亡くなった人の無念と自分が生きる責任に向き合うことになる。
そして彼に降りかかった生活圏の破壊、知人や家族との死別、死といった第二次世界大戦そのものの象徴が今回のゴジラである。
このゴジラ=戦争と主人公が対峙して立ち向かっていく(文字通り物理的にも立ち向かう)
本当に震電出てきた時、メッチャ、テンション上がったよね…
で、震電に乗って飛び立つ神木くん、カッコ良すぎたよね…
思えば今までオキシジェンデストロイヤーだとか、メカゴジラだとか、スーパーXだとかたくさん対ゴジラ兵器出てきたけど実在する国産戦闘機vsゴジラですよ。初めてじゃないかな?素晴らしい。
そして、この震電に搭載したモノこそが戦争を生き残った人間への回答になっているのも上手いなーって思った。ラストのゴジラと震電の散り際も綺麗だった。
あとゴジラ怖かったー。
なんであんなに怖いかって、近い!
とにかく怖い近さ。アングルの選定もうまかった。
高雄戦の時、木造船の後ろから迫るゴジラというカットがなんかサンダ対ガイラのサンダが漁船襲うところ思い出した。
とにかくカットも良かったなー。
あとはやっぱりシンゴジラへのリスペクトとアンチテーゼを感じた。
シンゴジラは庵野さんの人間感が反映されており、人は組織の中に居なければ存在できない。社会の中で役目が与えられるからこそ存在できるのが庵野さんの人間観である。
シンゴジラの主人公・矢口は政治家としての責任、役目をやり遂げる為にゴジラと戦った。だから彼の私生活や内面の感情が描かれない。もっとキツく言うと無い。
ゴジラを迎え撃つ組織も社会という役目のトップ、政府だった。
だがゴジラ-1.0は違う。主人公・敷島は社会から与えられた責任から逃げ続けた男である。
そして彼には社会での役目、家庭での役目、内面の気持ち、全て描かれる。
ゴジラを迎え撃つのも民間組織だった。
(なんなら国会議事堂をゴジラの熱線で吹っ飛ばしてる)
タイトルにしてもそう。
本作の舞台設定が1945年から1947年なので第1作ゴジラ公開時の1954年より前。なので-1.0なのかなと、思う反面、前作「シンゴジラ」というタイトルは「第1作ゴジラの上に積み上げてきたゴジラは前作までで終わり。ここから先のゴジラはシンゴジラの上に積み重なりますよ」、という非常にエゴなタイトルにも感じる。
そこで本作「ゴジラ-1.0」は「あ、じゃあ積み上げません。減らします」という意思かなとも思った。
ただ、シンゴジラの影響下には間違いなくある作品でシンゴジラ以前のゴジラはキャラクターとしてのゴジラだった。
シンゴジラ、ゴジラ-1.0のゴジラは何かの象徴になっている。
シンゴジラのゴジラは東北関東大震災や原子力発電所の事故、ゴジラ-1.0は第二次世界大戦の象徴である。
キャラクターとしてのゴジラはレジェンダリーに任せて東宝のゴジラはより文学的なゴジラになってきた。
そしてそれは正しい。なぜならゴジラ第1作がそもそも象徴としてゴジラを描いていたのだから。
あと、冒頭でジュラシックパークやって中盤でジョーズやって、ラスト、スターウォーズやったらそりゃスピルバーグ喜ぶよね(苦笑)