「シンゴジラより人間ドラマはあるが、作り込みは甘い」ゴジラ-1.0 bukojiさんの映画レビュー(感想・評価)
シンゴジラより人間ドラマはあるが、作り込みは甘い
何やら米国で興行1位と聞き、さほどゴジラに思い入れは無いが、シンゴジラと比較検証してみようと思い観てみた。
結論としては、面白くない事は無かった。
ログラインとしては「終戦直後の日本に突如ゴジラが上陸。戦災孤児の女と暮らす元特攻飛行士の主人公は、元軍人の民間団体と力を合わせ旧軍兵器でゴジラを撃退。最後は少々のロマンスも有るよ!」って感じ。これならシンゴジラと違い、マニア以外も置いてけぼりを喰らわずゴジラアクションを満喫できる。
シンゴジラは、自他共に認める特撮大好きの庵野監督がゴジラを特別視する余り「ゴジラという災害に襲われた日本社会」にフォーカスすることで、一般人が感情移入できる普遍的な人間ドラマが皆無だった。そこを反面教師にした本作では、ゴジラとの闘い以外に、人間ドラマで一般視聴者の興味を持続させる事に成功していた。
ただ..皆さん書いてるように「?」と思うポイントも少々あった。ゴジラ=怪獣は非日常なので、何やっても良いんだが、役者の言動は視聴者と同じ視点・感性でないとノイズになる。
敷島が特攻で出撃後、大戸島に着陸するが、それが「死を恐れた敵前逃亡」だとハッキリわかる演出が無い。例えば学徒動員で愛する恋人と別れたとか、大学の研究を中止させられた怒りとか、そういう「生への執着」を見せないまま不時着した後、整備兵の会話で「逃げてきたらしい」の説明だけなので、敷島が「なぜそこまで生きたかったのか?」敷島を好きにも嫌いにも成れず劇が始まる。そこでまず感情移入がノッキングした。
あと終戦時の引き上げ船で、橘が敷島に同僚の写真を押し付けるのも不自然だった。せいぜい数時間しか共に過ごして無い兵の遺影に、敷島がトラウマを抱く威力はない。せめて「もともと敷島が所属し訓練してきた所が大戸島」で、そこで長く整備兵たちと生活してたなら写真の束を託された意味はありそうだし、クライマックスで敷島の「自分の戦争はまだ終わってない」へ綺麗に繋がるのになーと思った...。
あと、なぜ典子は敷島に押しかけ女房までして赤ん坊に執着するのか?また典子が敷島と出会った時の場面と、同居後で性格が全然別人なのも違和感あった。またそもそも、敷島・典子が互いを好きになる動機も不明。まあ若い2人が同居してればソウなるじゃん?とも思うが、映画としては説明が雑すぎ。むしろラストに繋がるキュン展開を入れれば良かったのに、制作陣のアイデア不足を感じた。あ、雑といえば明子が描いた家族の絵...もーちょっとさ~...デザイナー頑張れよと思ったw
あと隣人の澄子が、最初に敷島を侮辱する温度感と、その後急に宮崎アニメ的なお節介オバさん化して親身になるのも脈絡なさすぎ。もはや多重人格者かと思った。
というように、ゴジラマニアじゃない層に向けた人間ドラマの建付けに、いろいろと不備が多すぎて、通常のヒューマンドラマなら駄作の域ですが、まあゴジラが主役の映画なので「添え物」の人間シーンは、アレくらい薄味でも良かったのかもね...
あとは掃海艇のシーン随所が「ジョーズ」のオマージュだったり、わだつみ作戦中に沢山の漁船団が助けに来るシーンも「スターウォーズ9」でランド達が助けに来たシーンの規模縮小版wだったし、まあ映画ファンとして気持ちは解るけど、コレを米国映画人に見られたのは冷や汗モノじゃないのかな~w
ただ海上で暴れるゴジラと波しぶきの合成具合では、日本のCG技術も向上したなーって思った。でも冒頭の大戸島への飛行機着陸シーンや、震電の特攻などメカ系の合成がややチャチく感じた。各シーンの担当スタジオの力の差なのかな?
まあ「そもそも戦後日本を舞台にする意味ないんじゃ?」という意見が多く、更に「自虐史観の織り交ぜを狙ってた」という指摘もあるが、どうなんでしょうね...
自分は「シンゴジラとの差別化」と「監督がノスタルジック職人」なので、戦後日本にしてみたって位にしか感じなかったけどな~...
まあ、これからシリーズ化されそうなので、次回作で色々確認できるでしょう~