「「大きなお友達」から「子供」へ」ゴジラ-1.0 しんざんさんの映画レビュー(感想・評価)
「大きなお友達」から「子供」へ
「シン・ゴジラ」の都内破壊シーンはじめ、その迫力や恐ろしさ、そして全編通して少しめんどくさいが、凝ったカメラワーク、逃げ惑う人々、高速道路の渋滞、ゴジラの絶望的な放射能攻撃の描写など、見ごたえは大いにあった。
絶望感を感じるという点では、「54年版」の銀座の破壊シーンの大火災の表現は今でも恐ろしいものがある。
本作のCGについて、ハリウッドレベルにまで達した、という意見もあるが、そこは正直どうでもよくて、CGの完成度は高いのかもしれないが、別に「シン・ゴジラ」ほどしろ、とは思わないが、カメラは退屈。
また、緊迫感が希薄すぎるのは問題。時代背景をそれにするなら、もっと悲惨な状況になるはずなのに、スケールが小さい。
わかりやすいところで、深海魚が浮かんでくると、ゴジラが来る、ということを描くにしても、浮かび上がった深海魚の数が少なすぎて、いくらでもCGで書けるのに、ああ、パニック映画とか、あんまり興味ないんだなあ、と。そのくせ、「ジョーズ」のパロディをするんだから、序盤のがっかり感は割とある。
ただ、これはオレのないものねだりだが、パニック、脅威に対する政府、そして個人の視点で描くことは、「ディープ・インパクト」というパニック映画があったりするので、その辺、いわば、「54年版」と「シン・ゴジラ」の真ん中あたりで、作ってほしかったなあ、と思うが、先に挙げたように、そういう視点は初めから持ち合わせていないのだろう。
なんだか、ストーリーとCG、エモいセリフにリキ入れましたが、「映画表現」は全く関心ありません、みたいな。
山崎監督は仕事が早く、「白組」との阿吽の呼吸なんだろうが、それって、「どこかで見たことがある」「あれと一緒」みたいなやり取りだからか?、なんて穿った見方もしてしまう。まあ、それはそれで、効率、スピード、正確さ、という点でビジネスとしては、とても必要だが。
神木さんが、こんな表現しかできないとか、安藤さんがあまりにもひどく見えるのも、子供に見てもらう、ということ前提なので、その点はこちらが我慢するしかない。が、途中あまりに我慢ならなくなったが。
まあ、「54年版」だって、核批判を普通にセリフで言ってるしね。
「シン・ゴジラ」で子供を置いてけぼりにしたので、子供にゴジラを返してあげた、ということである。
あ、でも海外版ゴジラ、ギャレス・エドワーズのやつや、ギドラがでるやつや、小栗さんが出るやつに比べると、こっちのほうがいいかな。