「ガールズフッド溢れる一本」ガール・ピクチャー talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
ガールズフッド溢れる一本
ミンミとロンッコが仲良しなのは、同じアルバイト先で深めた関係性なのでしょうか。
否、仲良しだったから、同じアルバイト先で働いているのでしょうか。
一方で、なかなか思う通りの演技(フィギアスケート)ができないエマには、ヨーロッパ代表選手権のプレッシャーが、容赦なく彼女を襲うー。
かてて加えて体重管理のためのカロリー制限の故でしょうか、飲み物ひとつ選ぶのにも気を遣わなければならない。
ミンミ・ロンッコも知り合ったときのエマは、本当に、精神的にはボロボロの状態だったことでしょう。
出会うことで、エマはミンミとロンッコという、いわば「心の支え」を得ることができたし、他方のミンミ・ロンッコにしても、無二の親友を新たに得ることができた。
フィンランド語での原題は『Tyt,t tyt,t tyt,t』で、「女の子たち、女の子たち、女の子たち」という意味のようです。
そのタイトルのとおりに、少女から大人の女性へと、今まさに脱皮しようとしている若い女性の心情の揺れ動きを見事に描き切ったという点で、「ガールフッド溢れる作品」ということでは、邦画で例えれば、『私をくいとめて』や『勝手にふるえてろ』、『甘いお酒でうがい』などをものしている大九明子監督などの作風にも親和性がありそうだと、評論子は思いました。
ネットで公開されている監督インタビューによれば、本作を観た多くのレビュアーからは「自分が10代だった頃に観ておきたかった映画」という評が数多く寄せられているとも聞き及びます。
評論子も、まったく、その通りと思います。
充分な佳作だったとも思います。
(追記)
もちろん、本作のストーリーからいえば、決してキーになるような台詞ではないのですけれども。
ミンミとロンッコが働いている軽食スタンド(?)は、いったいどんな店なのでしょうか。
見かけるところ、日本でいえば大型ショッピングセンターの片隅によく出店しているファーストフードのコーナーのようでもありますけれども。
しかし、そこで提供している飲み物の名前が、まったく不可解なものばかりなのは、いったい全体いかなることなのでしょうか。
「呼吸」だの「あなたは完璧」だの「ライムの情熱」だの「緑は最高」だの「ピーチラブ」だの「もちろんメロン」だの、そして「二人でマンゴ」だの…。
前菜は「愛は打ち寄せる波」でした。
いずれにしても(少なくとも日本人には)およそ食欲、購買意欲をそそりそうなネーミングではないとも思われます。
初めて店を訪れて困惑するエマを尻目にミンミは注文の決定を迫るのですけれども。
しかし、この店で注文を速断即決できるのは、余程の常連でもない限り無理だと思ったのは、果たして評論子、独りだったでしょうか。
(追記)
<映画のことば>
生姜ジュースはいかが?
寝たきりの人も飛び起きる味よ。
亡母が好みでなかったからか、子供の頃から評論子の家庭では食卓にあまり乗らなかったようで、長じても評論子はいわゆる香味野菜があまり得手ではなく、お好み焼きや焼きそばに紅しょうがを添えるようになったのも、その実、ここ数年のうちのことでした。
そんな評論子であってみれば、「飛び起きる」どころか、「あの世に直行」かも知れないと思うと、ちょっと可笑(おか)しくて、笑ってしまいました。
(追記)
評論子は、英語が得意という訳ではないのですけれども。それでも乏しい知識を振り絞って考えれば、邦題の『ガール・ピクチャー』は、「少女たちの肖像」くらいの意味合いでしょうか。
女性と女性(少女と少女)の間ではどうなのか、男性の評論子にはよくは分かりかねますけれども。
少なくとも日本では、男女の間では、こんなにも赤裸々に「性」が語られることはないこともあり、「映画は異体験」と常々は考えている評論子には、まさに「異体験」で、そういう意味では「新鮮な一本」でもあったとも思います。
上記のとおり、原題の『Tyt,t tyt, tyt,t』は、フィンランド語で「女の子、女の子、女の子」を意味するそうですけれども。
ときに、日本よりは男女の平等が徹底していると思われるフィンランドの社会でも、この言葉は、女の子らしくない行動について、「女の子なのに」というトーンで使われることが多いと聞きます(監督インタビュー)。
そうすると、本作は、彼(か)の国フィンランドでも、かなり実験的な作品だったのかも知れません。
(飽くまでも、フィンランドを知らない評論子の印象ということで、ここはお納め願います)