「満点」道草 R41さんの映画レビュー(感想・評価)
満点
道草――価値をめぐる回帰の物語
日常の中に仕掛けられた静かなうねり。
それは物語というよりも、流れのようなものだった。
映画『道草』は、等身大の人間を描きながら、私たちが見失いがちな「自分らしさ」へと回帰する軌跡を示している。
作品には「間」がある。
長い沈黙や空白が、登場人物の心情を語る。
言葉より雄弁なその間は、現代社会の喧騒に埋もれた私たちに、忘れかけた感覚を呼び覚ます。
主人公ミチオは、絵を描くことを愛していた。
しかし、評価という名の他者の視線が、彼の世界を侵食していく。
賞も、肩書も、金銭も、すべては他人の価値観の産物だ。
好きでしていることに、他人の注文が介入する
――その瞬間、「私」という存在は揺らぎ始める。
ゴミ収集の仕事を選んだミチオ。
その背景には、価値の相対性を映し出す意図がある。
ゴミと呼ばれるものにも、誰かにとっては意味がある。
拾われた絵と、描かれた絵。
その比較が、彼の心を蝕む。
比較こそ、左脳が最も得意とする営みだ。
そして、比較がある限り、価値は生まれ続ける。
恋人サチは、ミチオの手に宿る「楽しさ」を見て、彼を愛した。
しかし、恋は純粋であるほど、価値とお金という魔物に脆い。
結婚を思い描いた瞬間、ミチオは「今のままでは無理だ」と悟る。
お金のために描く絵は、彼の本質を奪い、サチの眼差しを遠ざける。
やがてサチは、カフェに飾られた「道草」の絵を買い取り、去る。
それは別れの印であり、ミチオへの祈りだった。
――自分自身を取り戻してほしい、と。
すべてを失ったミチオは、怒りと虚無の中で筆を取る。
壁に描かれたのは、二人で訪れた海。
お金がなくても幸せだった記憶が、絵となって甦る。
その瞬間、彼は自分を取り戻した。
想い出は絵の中に消え、再出発の兆しが見える。
電話の向こうにある実家。
それは原点であり、未来への扉だ。
誰にも見えない壁に描かれた絵は、誰にも買えない。
そこにあるのは、比較できない価値。
対価のない価値。
永遠に失われない想い出という価値。
――本当の価値とは、きっとそういうものだ。
『道草』は、私たちに問いかける。
「あなたは、他人の評価に振り回されず、等身大の自分を生きられますか?」
