「被害者の葛藤」私は世界一幸運よ 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
被害者の葛藤
暴行に遭った女性はその人生がナイフのようなものになってしまう。
かのじょは悪くない。が、恐怖の呪縛から逃れられず、自分自身に箝口を強いて、なににつけ狷介(頑固で人と和合しない)になる。
情緒が散らかりふさぎ込みどんどん自分を追い込んでいく。
二次被害という言葉があるが、苦痛は永続的なもので、回数じゃない。かのじょは死ぬまでずっとそのことと戦わなければならない。
事件には、あきらかなものを除いて、双方向からの観点がぶつかり合う。たとえば買春で逮捕されたとのニュースには売ってる女はどうなんだ──という疑惑がともなう。ヤフコメにも一定数の「被害者側の落ち度」意見が集まる。被害者に対する懐疑心はあんがい加速しやすい。
が、被害者は、おうおうにして事件を打ち明けたくない。かのじょは事件をきっかけにナイフに変わっている。まっとうな判断力と社会性を失っている。周囲も自分自身をも敵にまわすかのじょは孤立をきわめていく。
Luckiest Girl Aliveはそんな性犯罪被害者の胸中を描いていた。
『小説の執筆は、ノール(原作者:Jessica Knoll)が10代の頃に集団レイプされ、いじめられたという自身の体験をもとにしているが、ノールは本のプロモーション中、このことを公にしておらず、最初はレイプとその余波について、他の人から聞いた話をもとにしたとファンに話していた。
2016年3月、ノールはオンラインのフェミニスト通信Lenny Letterに、レイプサバイバーとしての体験を記したエッセーを書いた。さらに彼女は本のサイン会で複数のレイプサバイバー仲間に交流してから名乗り出ることにしたのを明かした。
彼女はこう言っている。
『私が『そんなことない、作り話よ』と言ったときの女性たちの顔を見ると、本当に胸が痛くなったし、そんな顔を二度と見たくなかった』
ノールは後にインタビューで、「そのことについて話さないように仕向けられていたので、(話すことを)思いつきもしなかった」と述べている。』
(Jessica Knollの小説Luckiest Girl AliveのWikipediaより)
映画には実体験にもとづいた説得力があり、たんじゅんなフェミ(男性に対する敵愾心)にもおちいっていなかった。
被害者の心象が響くのは両義をもっているからだ。日本で性犯罪の被害者を描いたら「男は悪」や「かわいそうな被害者」に終始してしまうだろう。ナイフみたいにとがってしまったアーニー(ミラ・クニス)だからこそシンパシーを寄せることができたのだと思う。
タイトルLuckiest Girl Aliveは、逆説ひょうげんとはいえ、真相を明かしたことで、あるていどの解放を得たアーニーの心中でもあるだろう。
ミラクニスはウクライナ出身だがスラブではなく両親ともにユダヤ人。
個人的な印象だがずっと軽い役しかなかったと思う。重い役が新鮮だったことと、地で珍獣ハンターイモト並みの眉だった。